Chapitre II. mariage et enterrementn -- 01
「はいどーも、ごくろうさんです」 佐助はそう言って、イチゴを納品しにやって来ていた業者に声を掛けた。 それを後ろから見ていたは「やっぱりかっこいいなあ」と熱の篭った視線を送っていた。 先日かすがから『結婚してなくてラッキー』を刷り込まれたせいで、毎朝5時半からはニヤニヤが止まらないのだった。 その時、帰って行こうとした業者を幸村が呼び止める。 何事だろうと思って動静を見守っていれば、幸村は業者にイチゴを見せながら何事かを言及しているようで、 最後には「すまぬが2パック返品させて頂く」と言った。 「佐助、あのイチゴはカビが生えておったり痛んでいたではないか。 果物の点検はお前を信用して任せておるのだ、もっと厳しく対応してくれ」 「あいよ、すまねぇ」 「そなたらも!何かおかしいと思ったことは必ず発言して、“まぁいいか”で済ませぬよう頼む!」 政宗たちは思い思いに「おう」などと返事をする。も一拍遅れて「はいっ」と答えた。 少し、びっくりした。まさかあの寝癖はカモフラージュで、実は頭の切れるしっかり者なのかもしれない。 その日の夜、閉店作業をしていると、政宗がニヤニヤした顔で幸村の背に圧し掛かった。 「なあ。明日の閉店後、のwelcome partyしようぜ。どうだ?」 「……某よりも殿の都合を聞くべきでござろう?」 政宗がぐるっと振り向き、「どうだ?」と問う。はすぐに「はい、大丈夫です」と答えた。 すると政宗と元親はすかさず「どの店で飲むか」という議論を始め、いつの間にかいつきと佐助もそこに加わっていた。 「和魚民はどうだ?」 「まぁ無難だよねー」 「おら予約するだよ!」 幸村はその輪からは一歩引いた位置で「和魚民は前にも行ったので某は“殿”が良い」と少し不満そうにしていたが、 佐助に「あそこ高いじゃん」と反論され、政宗に「それとも奢ってくれんのか?」と言われると、 それ以上文句は言わなくなった。 シェフらしい威厳がまるでないその幸村の後姿に、朝の姿はなんだったのだろう?とは首を傾げる。やっぱり、ただの寝癖シェフなのか。 # 翌日の閉店後、チェーンの居酒屋に集まった『SAN』メンバーは初っ端から飲みまくっていた。 は佐助の隣に座っていて、無理やり飲ませようとする元親や政宗などの酔っ払いは 佐助があしらってくれていたので無事だったが、そうでなかったらと考えると恐ろしいくらいだった。 「ちゃん、お店どう?カスタード作り大変でしょ?」 「うん、でもまだいつきちゃんがほとんどやってくれてるから…」 「でもかなりの力仕事じゃない?」 「あ、それはよく分かった」 佐助は枝豆を剥き、「身体壊さないように頑張ってね」と笑う。 その笑顔に胸がきゅっと詰まり、は思わず「佐助先生…」と呟いてしまった。そのまま「彼女ってどんな人?」と口走ってしまいそうになる。 しかしやはり、聞けない。聞きたいけれど、聞きたくない。 佐助はのその小さな呟きすら聞き逃さなかったようで、首を傾げながら「うん?」と続きを促してくる。 どうしよう、とが周囲を見回せば、幸村が携帯電話を持って席を離れるところだった。これ幸い、とばかりに、は「シェフってさ、」と言葉を続ける。 「シェフって、いつもすごい寝癖だよね」 「あー…あの人、繊細なケーキ作るわりには自分に無頓着なとこあるからねぇ。 それに最近早く来てるみたいだし、ギリギリまで寝てて直す時間無いんじゃない?」 今度は「え?」という驚きの言葉がの口を突いて出てくる。 「いつも5時半じゃないの?」 「うん。旦那は俺らより帰るの遅いから、朝ならいつもは7時くらいだね。とりあえずちゃんが店に慣れるまではなるべく早目に出たいんだとさ」 そうだったんだ、とは小さく言った。 心の中でとはいえ「寝癖寝癖」と連呼していたのが申し訳無くなり、ごめんなさい、と(やはり心の中で)謝る。 その幸村はといえば、テーブルから少し離れた所で電話をしていたのだが、ふと顔を上げて どこか虚ろな顔で溜息を吐くと、電話の位置を直して店の外に消えていった。 (…なにか、あったのかな…) 幸村が向かった出入り口を眺めながら考えていると、「ねぇちゃん!」といつきに呼ばれた。「なぁに?」と笑顔を繕いながら振り向けば、 右目に政宗の眼帯・左目に元親の眼帯をしたいつきが自慢げに立っていた。それを見て笑っているうちに、 一瞬だけ見えた幸村の表情はの思考からはすっかり抜け落ちてしまったのだった。 翌日、はいつきから作業の一部を譲ってもらってカスタードクリーム作りに勤しんでいた。 早朝からうっすら汗をかくほどの重労働に、思わず頬も上気する。 「大丈夫だか?ねぇちゃん」 「うん大丈夫、でもすっごい力いるんだねー…家でカスタード作るのとは大違い!」 出来上がったクリームをもう一周ぐるりと混ぜて「これでいいのかな?」といつきに尋ねると、 いつきは不安そうな顔で「たぶん…」と答えた。いつきもまだ言うなれば新人で、他人の仕上がりを チェック出来るほどの自信は無いのだった。 しかし、二人でいつまでも「どうかな?」と言い合っていても時間だけが過ぎてしまう。 「にぃちゃんに見てもらうべ」といつきが言い、は幸村を探してキッチンを見回した。 幸村は案外近くに居た。が、何も乗っていないカッティングボードを見つめ、何やら考え込んでいるように見える。 取り込み中なのかと思い、暫く様子を窺ってみたが、特に何かを始めるわけでもない。 いつきとは顔を見合わせ、意を決して幸村に話しかけた。 「シェフ。あの…カスタード見てもらえませんか?」 「あ?ああ…相分かった」 ハッとした様子の幸村は、いつきが鍋を指差すのを見て小さく頷いた。 そうして、指に取ったクリームを舐めながら「良い出来だ」と満足そうに言う。 「ねぇちゃん、お菓子作り慣れてるからおらより上達が早いだよ!」 「そ、そんなことないよ!家ではこんな小さい鍋でしか作ったこと――…シェフ?」 が“このくらい”と鍋の小ささを手振りで表現しながら話をしていても、 幸村はまたぼんやりと思考に耽ってしまっていた。がもう一度「シェフ?」と呼びかけてようやく、意識を取り戻したらしい幸村が 「左様でござるか」と言うのだが、明らかに様子がおかしい。 「ではいつき殿、シュー皮にクリームを詰めるのを殿に教えてくだされ。先輩でござろう?」 「うう…プレッシャーかけないで欲しいだ…!」 いつきがクリームを絞り袋に入れるのを背後で見守りながら、は横目で幸村を見た。 お酒のせいで確証性は低い記憶かもしれないが、昨夜の飲み会で、幸村は誰かと話をしながら 溜息を吐いていた。あの電話が、今日の彼の不調の原因なのだろうか?だとしたら一体だれからの電話だったのだろう。 まさか、恋人…だったり、するのだろうか。にはよく分からないが、喧嘩をしたとか、別れ話をしたとかいう出来事があれば、 いかな真田幸村といえども落ち込むのかもしれない。 しばらくすると、佐助たちが出勤してきた。ミーティングの始まりである。 「―――最後に今日の予約は、13時に田中さんがガトーフレーズ、 17時に佐藤さんがショコラヴァニーユ、19時に鈴木さんがタルトフリュイだべ」 「ハイおつかれ、いつきちゃん。………旦那?」 いつきの担当である『今日の予約ケーキ』の報告が済んだあとも、幸村はぼーっとしていた。 不審そうに眉を寄せ、佐助は幸村の目の前で手を何度か振る。幸村はそれに気付くと顔を上げ、 「打ち合わせは以上」と言いかけたのだが、途中で言葉を切った。 「―――ひとつ、良いか?急な話で申し訳ないが、明日と明後日、休ませてほしいのだが…」 「えっ、なに?なんかあんの?」 「いや、その…地元の友人の結婚式なのでな、帰省しようかと…」 幸村は後ろ頭を掻きながらぼそぼそと説明する。 「ふーん…でもさ、前もって言ってくれても良かったんじゃない?」 「“店があるだろうから返事は直前で良い”と言われていたのだが、 今の調子ならば問題あるまいと思い、先ほど返事をした」 その言葉に、佐助は「そうなんだ」と一応は納得した様子で引き下がる。 けれどは、正に“開いた口が塞がらない”状態だった。もうそれなりの年齢であるし、 何よりまつの結婚式では準備も手伝った経験があるからすれば、『来るか来ないか直前まで分からない人が居る』なんていうのは 迷惑極まりない行為にしか思えなかったのだ。席次表や引き出物、他にも調整しなければならないことは たくさんある。 “女子は使えない”だの何だのと言っていたくせに、自分だってかなりダメじゃないか!と、は不満を言いそうになるのを必死で抑えた。 # その日の業務が終わり、政宗や元親は早々にロッカールームへ引き上げた。 佐助はまだ明日の予約分の仕込みを準備しようとする幸村に近寄り、「まだ残んの?」と尋ねたが、 幸村は「先に上がっていていいぞ」と言うだけだった。 「めずらし〜」とぼやきながらロッカールームへ引き上げていく佐助を見送り、も着替えようかと女子トイレに向かおうとしたのだが、ちょうどそのタイミングで 幸村が「殿」と呼び止めた。 「はい。どうかしたんですか、シェフ?」 「その……某が不在の間、果物の点検を任せても構わぬだろうか?」 は「え?」と小さく言った。 毎朝納品されるフルーツのチェックは、佐助の仕事だったはずだ。 「で、でもそれは佐助先生の…」 「あやつは少々…気分にムラッ気があるというか、気付いていても声に出さぬ場合があるのでな。 その点、殿は一見すると見逃しそうだが、そういった事であればしっかりと言える人物であろう、と…」 どうにも遠まわしな表現が多くて、の頭は混乱しそうになった。 要するには遠慮なく言うタイプだと見込んだ、ということなのだろうか。だとすれば、褒めているのか 貶されているのか微妙なところだが。 怪訝な顔をしたに気付き、幸村は「褒め言葉でござる」と付け加えた。 「……鍋を下ろす際、“手を貸して欲しい”と言われたでござろう?その時、某は殿ならば、『一緒に働ける』人物であると思った」 「そう、なんですか?てっきり…女は使えないって思われたかと…」 意外な言葉にがおずおずと返すと、幸村は軽く笑って「左様か」と言った。 これにもまた、は驚いた。“某はそのような偏屈ではない!”とでも怒られるかと思う気持ちが無いでは無かったのだ。 しかし幸村は気分を害した様子は無く言葉を続ける。 「殿以前に辞めた女子は、何と言うのか、頑張り所を勘違いしていた節があってな。持てぬ物を持とうとして 落とし、壊してしまうこともあったし…自分の判断だけで動き、客と諍いを起こしたこともあった」 幸村も、最初は『やる気が空回りしているのだろう』と大目に見ていたのだが、何度注意しても彼女らの 態度が改善されることは無かったのだという。それどころか、不貞腐れるようになってしまった。 「何ゆえ女子というものは、ああもすぐに不貞腐れるのでござろうか?」 「…さあ…私も女なので、何とも…」 「殿は不貞腐れなさそうに見えるのだが」 むう、と難しい顔をする幸村に、は「そんなことないですよ」と言った。だって、不貞腐れることはある。現に、佐助に恋人が居ると分かったときは不貞寝をしたくらいだ。 さすがに具体例までは出せないので、「ふてくされますよ」とだけ否定する。幸村は 「せっかく褒めたのに」と少し不満そうだったが、結局すぐに辞めた女の子の話に戻った。 「それでどこまで話したか……とにかく、極めつけはあの鍋でござった。やはり重くて支えきれず、 鍋が落ちてしまったのだ。当然、酷い騒音で…ケーキはひっくり返る、いつき殿のプレートは失敗する、 要するに大混乱となってしまった」 「はい。なんか、想像できます」 「そうでござろう?なので某は、叱ったのだ。損害に見合うだけ、普段より厳しい語調だったやもしれぬ。 するとその日の終業後、二人揃って『辞める』と切り出されたのだ」 幸村は再び「女子というのは何ゆえ徒党を組むのでござろう?」とに尋ねて来るが、やはり「さぁ…?」としか返しようがない。 幸村は溜息をついて、計量の手を休めた。 「――今となっては、佐助にもっと柔らかく諭させれば良かったのであろうか、 などと思うのだが…」 難しいものだ、と心底参ったように呟く幸村を見ていると、の中での『真田幸村』という人物の印象が覆されるようだった。 この人はただ単純に不器用なだけかもしれない、とは思った。 「………あさって、晴れるといいですね」 うむ、と幸村が答える。本当は良い人なのかもしれない、と思うと何だか嬉しくなり、は「何時からなんですか?」「披露宴からじゃなくて式にも出るんですか?」「もしかして教会式ですか?」 と矢継ぎ早に質問を浴びせた。もっと色々、話してみたかった。 「………女子は…何ゆえ細かい事を聞きたがるのでござるか…?」 しかし、のその気持ちはあっさり流れた。 まるでエイリアンを見るかのような目で尋ねて来る幸村に対し、『良い人かも』という評価の気持ちが下がっていく。 (何よ何よ!どうせ女は噂好きの詮索好きですとも!) 帰り道で、はヒールを高く鳴らしながら憤然と歩く。結婚式の出席の返事を直前に出すような、 そんな非常識男に言われたのだと思うと余計に腹が立った。真田め!真田め!というお決まりの文句は、 今日は「バカ真田!非常識真田!」という形容詞がくっついた状態での中を渦巻いている。 きっと幸村のご祝儀にはシワシワのお札が入っているに違いない、とは思った。 ← SAN Entree → |