Chapitre II. mariage et enterrementn -- 04

―――新郎新婦の入場です』

というアナウンスの声とほぼ同時に、大きな扉がゆっくりと開く。 白いウェディングドレスを着て、ブーケを片手に持った花嫁は、もう片方の手を新郎の腕にエスコートされている。 一歩一歩、集まったゲストたちに笑顔を振り撒きながら、新郎新婦は最奥に用意された席まで歩いて行く。 新郎のタキシードの胸ポケットに挿されているのは、新婦のブーケで咲いているのと同じ、薄い黄色の花だった。

割れんばかりの拍手と口々に発せられる“おめでとう!”という言葉を浴びて歩くのは、佐助と……では、ない。織田信長とその妻の帰蝶(旧姓:斉藤)夫婦である。

無意識のうちに頭の中で自分と佐助に置き換えた披露宴の様子を想像していたは、かすがに指摘され、ハッと我に返ると半開きになっていた口を慌てて閉じた。まずい。 どうにも脳みそがのぼせているようだ。まつは早くも涙目になりながら熱心に拍手をしていて、の失態には気付いていなかった。気付いていれば、「お世話になった濃先輩の披露宴の最中に呆けるとは!」と お叱りを受ける羽目になっていただろう。


気を取り直してパチパチと手を打ち鳴らすが、しかし気が向いてしまうのはやはり佐助のことなのだった。
彼はいわゆる“遊んでいる”人なのだろうか?モヤモヤした考えがの頭にまとわりつく。佐助はに対してとても優しいし、嬉しい言葉も言ってくれる。 けれどそれは、本来なら佐助の恋人に向けられるものであるはずだ。 恋人視点から見れば、佐助の優しい性格は複雑なのではないだろうか。 もし先日の会話などが知られたら、誤解や嫉妬をされたりするのだろうか。

乾杯の合図で掲げたシャンパングラスに軽く口を付けながら、は溜息を吐く。ああだこうだ悩んでみても、一般的な男女の付き合いについて経験の薄いには明確な答えは出せそうにない。それに、佐助と一緒に働けること、 佐助が自分に構ってくれること、それが嬉しいと思ってしまうのはどうしようもないのだ。 ずっと、ずっと、夢に見てきた人なのだから。


――続きまして、新郎新婦お二人によるケーキカットです』


クラッチバッグからデジカメを取り出し、は人波に飛び込んだ。悩むのはひとまず休憩して、オーディーコーナー経営者のウェディングケーキを しっかりスパイしなければ。
背伸びをして、中年男の薄い頭越しに純白のケーキをフォーカスに収める。 綺麗に搾り出されたクリームの上にはヘタ付きのイチゴが無造作にごろりと乗っていて、 クリームとの対比で素朴な可愛らしさがあった。

やっぱりイチゴはかわいいなぁ、と頬が緩むだが、視線を上げて新郎と目が合った瞬間、その笑顔もびしっと凍った。 怖い。細く切れ長の目、薄く笑う口元、タキシードが似合うようで、なにかが違うような気もする。 その相貌を渋いと好意的に表現することもできるが、やはり怖い。 “ケーキ”という言葉がまるで似合わない。

何もかも見透かしてしまいそうな鋭い目つきが少し恐ろしく、 まさか濃先輩は彼に脅されて結婚したんじゃないかとは心配してしまった。けれど新婦は晴れやかな顔をしていて、の懸念するような事情がありそうには見えない(演技でないならば、だが)。
結局、なるべく目立たないように息を殺してシャッターを押し、はサッと自分のテーブルに戻ったのだった。




――これ、さっきのケーキ?」


新婦のお色直しの隙を狙ってお手洗いから戻ってくると、テーブルの上には 白く丸い皿に乗ったケーキがを待っていた。隣に座っているかすがに尋ねると、彼女はイチゴをフォークに刺しながら頷いた。 いつどんな時でも、ケーキを目の前にすると途端にウキウキした気分になるものだ。 ましてや日本洋菓子界をリードするオーディーコナー経営者のウェディングケーキ、美味しくないはずがない。 も早速フォークを持ち、角を切り崩した。


「な、なにこれ…!すっごく美味しい…!こんなにシンプルなのに、パッと見ただのショートケーキなのに…! …でも、そうよね、シンプルだからこそ分かる違いがあるっていうか、さすがオーディーコーナーっていうか、」
、まつに睨まれたくなければ声を落とせ」


きめ細かなスポンジに感動していたを、再びかすがが現実に引き戻した。どうやらグルメリポーターのような事を口走っていたらしい。 幸いにも、新婦のスピーチに涙を流して感動しているまつには気付かれていないようだった。


「で、でもね、かすが、このケーキの美味しさったら半端ないと思わない?この、クリームの濃厚な感じ…! 脂肪分高めなのかなぁ…なんていうか、こう、リッチな味わいというか…!」
「分かった、分かったから落ち着け」


もしもが新婦のスピーチに全く集中していないとまつが気付いたなら、 小声でありつつも早口でお説教をされるに違いない。は本当に少しずつケーキを味わい、なんとか口に蓋をした。

それからはずっと舌に集中していて、家に帰ってから思い出してみれば、 二人の新婚旅行先がハワイだということだけしか覚えていなかった。









翌日。
は昨日食べたケーキがどれほど美味しかったのか幸村に伝えようと意気込んでいた。 きっと、あのスポンジとクリームがロールケーキの形になっていたら、この世に勝てない相手は 居ないのではないかというほど可愛くて美味しいケーキに違いないのだ。


「いつきちゃーん、メッセージプレート頼んでいい? オニワさん、30分後に取りに来るって言ってんだけど、ちょっと難しいかなー…大丈夫?」
「なに言ってるだ!まかせるだよ!」


幸村の機嫌を推し量りつついつもの仕事をこなしていると、電話を終えた佐助がいつきに声を掛けた。 しかし、SANのスタッフの中ではメッセージプレートを書くのはいつきが一番上手いということはよく分かっているのに、 今日の佐助の口調はやけに煮え切らない。
「これ」と言って佐助が差し出した紙を受け取ったいつきは、さっと一読するなり自信満々な様子から 蒼白な顔面へと急激に表情を変えた。どうしたのだろう、とはいつきの背後から紙を覗いてみた。

“祝・結成5周年
 威薔薇鬼ブルードラゴンズ”


「………これは…平仮名ではいかぬのか…?」
「ダメだって。オニワさん、若干素行が悪そうっていうか、早い話が伊達ちゃんの“ファミリー”っていうか」


硬直したいつきの心情を代弁するような幸村の言葉に、佐助がすかさず返事をした。 引き合いに出された政宗は「あ゛ン?」と鋭い目つきで佐助を睨んでいる。 “ファミリー”というのが何を指すのか、は何となく分かった気がした。盗んだバイクで走り出してしまうような、きっとそういう人なのだろう。


「お、おら…書けねぇだよ…『ばら』はっ、『ばら』だけは書けねぇだよ!!」
「わぁったから泣くな、いつき!……おい政宗、身内ならテメェが書きやがれ」
「No thanks!元身内だ、今は関係ねぇ。それに俺の得意分野はenglishだ、understand?」


いつきと元親と政宗がギャアギャアと騒ぐ傍らで、佐助も苦笑いしながら「俺もちょっとパス」と 幸村に紙を手渡した。難しい顔をして数秒考え込んだ幸村だが、突然くるっとの方を向く。もしかして、とは思わず身構えた。


「……あ、あの、シェフ?わたしも“薔薇”はちょっと書いたことないのですが…!」
「しかし、居残り練習をされていたではないか。成果を見せて下され」


う、と返事に詰まるだが、期待されているのだとしたらやはり応えたいし、自分の腕がどこまで上達したのかも試してみたい。 分かりました、と小さく返事をしてチョコペンを手に取る。不安そうな、面白がっているような、 どちらともつかない表情の佐助や幸村がの背後に回り、作業を見守っている気配がした。

唇を噛み締め、集中するあまり呼吸さえも忘れ、慎重にペンを動かす。
点を打つ。横線を引く。斜めにはらう。跳ねる。縦線を引く。曲げる。また点を打つ。
そうして最後、プレートの右上と左下に飾りとしてバラの模様で枠を描いた。

ふう、とようやく呼吸を思い出したの耳に、「Excellent!」と流暢な発音が聞こえた。 言わずもがな、政宗である。いつきは出来上がったプレートを眺めて目をキラキラさせていて、 元親も感心したように頷いている。
良かった、とはもう一度息を吐いた。どうやら、スタッフには認められたようだ。


「すっごいだよ、ねぇちゃん!」
「ん、上出来上出来。きれいなバラだね、オニワさんも喜んでくれると思うよ」


佐助も笑顔を向け、手放しでを褒めてくれた。不意に“きれい”という単語が耳に引っ掛かり、 つい先日の『キレイになってて驚いた』という言葉を思い出してしまった。 じんわりと顔が熱くなり、なんだか佐助のことが正面から見れないような気分になる。
誤魔化すように身体を反転させた先にあったのは、できあがったプレートをしげしげと眺める幸村の姿だった。 彼がけしかけたくせに、その反応ではまるで期待していなかったと言われているようで少しムッとしてしまう。 そんなことを思ったに気付いたのか、幸村が顔をあげる。視線が合うと、彼は目を細めて笑った。


「良い出来だ。精進せねばならんな、いつき殿。これでは殿に十八番を取られてしまうぞ」


いつきはその言葉を受けて「おら、もっと勉強するだ!」と拳を握り締める。 うっかり聞き流しそうになってしまったは、幸村といつきとを交互に見た。いま、もしかして、“殿”ではなく“殿”と呼ばれただろうか?

メッセージプレートの出来が良かったから、彼も少しはのことを認めてくれたのかもしれない。そう思うと少し嬉しくて、はレジに入る前、幸村と二人になった瞬間を狙って話しかけた。


「シェフ、あの、あのですね!新作ケーキのことなんですけど、どうしてもロールケーキはダメなんでしょうか? 私、昨日食べたウェディングケーキがとても美味しくて、これがロールケーキだったら見た目も可愛いのになぁって 思ってしまって…」
――いやだ。某は、ロールケーキは絶対にいやだ」


にべもなく一蹴された。
取り付く島もない態度に、は数秒固まった。できるだけ愛想よく語りかけていたので、その顔には笑顔を貼り付けたままだった。 まあ、ある程度予想通りといえばそうなのだ。それでもやはり少しくらい悩む素振りを見せてくれたっていいじゃないか、 とは思うわけで、胸中の文句も段々に火がついてくる。

(スランプのくせに、アイデア募集中のくせに、ボツだとしても少しは提案者のことも考えてくれたっていいのに、 この堅物、堅物シェフ!)

幸村がに背を向けて厨房へ戻って行こうとする。は幼い子どものように「い゛ーっ」としかめっ面をしながら、その背中を見送ろうとした。 のだが、何かを言いかけてか、幸村が不意にの方を振り向いてしまった。


「…………!」
「……………」


の顔がさぁっと青褪める。頭の中は『やばい!見られた!!』と喚くばかりでどうにもならず、 口を横に広げたまま、幸村と視線を合わせ形で硬直してしまった。
そうしてにとっては何時間経ったのかというほどの気まずい沈黙のあと、驚いたような顔をしていたはずの 幸村が、唐突に肩を震わせて吹き出した。


「ず、随分と……!ひょうきんな、いや、可愛らしい顔でござるな、殿…!」
「なっ…お、おちょくらないでください!」


謝るのも忘れ、顔を赤くしたは幸村に食って掛かった。何が彼の笑いのツボを押してしまったのか、 幸村は息苦しそうに笑いながら今度こそ厨房へ戻って行く。

はこの時ほど、エプロンを脱いで逃げ出したくなったことはない。




  SAN Entree