Chapitre II. mariage et enterrementn -- 05
ティータイム時の混雑も収まった頃、店のガラス戸に付けられたベルが鳴った。 レジ周りの雑貨を整理していたは耳に届いたカランという音に反応して顔を上げ、来客の姿を確認した。 「いらっしゃいませ」 店に入って来たのは、ひとりの若い男性だった。 やはり女性客が大半を占める中、男性客がひとりで入ってくるのは珍しい。 は好奇心をなるべく顔に出さないよう気をつけながら、バレない程度に彼を観察した。 すっきりした顔立ちに柔らかそうな髪が掛かって、温厚そうな印象を受ける。 フォーマルな服装でありながらもあまり固い雰囲気ではなく、全体的に上品さを感じた。 なぜだろう、不思議と見覚えがあるような気がするのは、の気のせいなのだろうか? 内心で小首を傾げながら考えていると、焼き菓子に向かっていた男性の視線がショーケースに移り、やがての顔へと辿り着いた。 「……あの…」 「はい、お決まりでしょうか?」 ひどく躊躇ったあと、彼は口を開いた。そして、助け船を出そうと発したの言葉に首を振って答える。 「店長を――真田幸村を、呼んで頂きたくて」 「シェフ、ですか?えっと…少々お待ちください」 彼の要求は思いがけないものだった。少なくとも、がこの店で働き始めてからは初めてだ。 考えられるのは彼がクレームをつけに来たという可能性だが、あまり怒っているようには見えない。 は言葉を濁し、どうすれば良いか指示を仰ぐため後ろ歩きのまま厨房に戻った。 「あのぅ……シェフ…?」 厨房はいつも通りの騒がしさだった。 政宗と元親の眼帯コンビが「俺だろ」「いいや俺だ」と睨み合っていて、 その真ん中に居るいつきも今回は「絶対おらだ!」と言いながら2人と張り合っている。 それを背景に聞きながら恐る恐る幸村に声を掛けると、佐助と一緒に何かを見ていた彼が振り向く。 「おお殿、よい所に。どれが正しい“ホンダム”であるか、意見を聞かせて頂きたい」 「っていうか、どれがありえない?」 幸村と佐助は3枚の紙をに見せた。そこにはやたらと角ばった人間のような絵が1枚に1つずつ描かれている。 なんだこれは。首を傾げるの顔は、無意識のうちに眉が顰められていた。 「いやね、バースデーケーキの注文が入ったわけ。『機動戦士ホンダム』型の。 で、試しに伊達ちゃんたち3人にスケッチさせてみたんだけどさぁ…」 政宗と元親といつきは、誰のスケッチが一番似ているかで張り合っていたらしい。しかし3人には悪いが、どれも全く似ていない。 元親の絵が、まだかろうじて「メカ」であることが分かる程度だろうか。特にその番組に詳しい訳ではないですら、そう断言出来るほどだった。 もし『子どもの誕生日に』と注文されたものであれば、箱を開けた瞬間、その子は凍り付いて泣き出すだろう。 「……して、如何なされた」 「あっそうでした!あの、シェフに会いたいと仰るお客様がお見えで…」 結局スケッチについて『これは無い』と結論付けたあと、幸村はに話を振った。は厨房に戻って来た本来の目的を思い出し、扉の外を指差しながら答える。 すると幸村は途端に嫌そうな顔をして、助けを求めるように佐助の方へ顔を向けた。 「さ、佐助、」 「いやだよ。あんたの店だろ」 「しかしだな…お前の方がウケが良いだろう、特に女性客など…」 「男の方でしたよ。特にクレームという訳でもなさそうでしたし…」 の援護を受けて、佐助は「そんじゃ俺は仕事に戻るから」と幸村を置き去りにした。は何もトドメを刺すべく発言した訳ではないのだが、幸村は心なしか恨めしそうにこちらを見てくるので、は笑ってやり過ごすしかなかった。 それが扉に掛けた手をほんの少しぶれさせて、わずかな隙間を作る。 レジ前に佇む人の姿が細く見えた。それを確認した瞬間、幸村は目を見開き唖然とした表情になる。 「―――…兄上…」 ぽつりと、まるで無意識の内に零れたような声が幸村から聞こえた。 は「え?」と聞き返しそうになるのをぐっと堪えて、扉を開ける。 途端に幸村は大股で男性客の方へ歩いて行き、もう一度「兄上」と言った。 「兄上…なにゆえ此処へ…いつの間に、」 「今朝の飛行機でね。源二郎がいつ部屋に戻るのかも分からなかったし、店も見てみたかったんだ。 急にすまないね。……でも、その調理着姿は、似合っているよ。ちゃんとシェフらしく見える」 散らかしたままではまずいかと思い、は片付け途中だったレジの元に戻ったが、このまま売り子をしていて良いものかと不安になった。 ひとまず交換用のレシート用紙やシールなどをひとまとめに片付けていく。その合間に2人の様子をこっそり窺ってみた。 なるほど、兄弟と言われてみれば確かに似ているかもしれない。 兄の方が穏やかそうな顔立ちに見えるが、すっと通った鼻筋のあたりなんかはそっくりだ。 「殿」 「ぅ、はぃ!」 「…申し訳ないが…中のみなには某の兄だとは伏せていてもらえまいか」 チラチラと横目で盗み見ていあのがばれたのかと思い、は素っ頓狂な声を上げた。幸村はそれには構わず淡々と続けたが、どこか声が震えているように聞こえた。 分かりました、とは返事をする。 すると幸村の兄は申し訳なさそうな表情で「源二郎」と再び呼び掛けた。 「やはり突然に押しかけてしまって……迷惑だったね」 「ち、違うのでござる兄上!その…みなにはお館様のことは話しておりませぬゆえ、」 「それは―…なら、この前は一体何と言って帰ってきて…」 は片付けを終わらせ、やはり厨房に戻ることにした。 兄をイートイン用のテーブルに導いた幸村が「地元の友人の結婚式だ、と」と言いにくそうに答えるのが聞こえてくる。 なんで『真田幸村』なのに『源二郎』? とか、 お館様って? とか、 色々と疑問に思うことは、ある。しかしどうやら部外者が立ち会って良いほど軽い話ではなさそうだし、 何よりには先日からの疑問がひとつ解けてしまったような気がした。 「ちゃん、お客さん何の用だって?旦那だけで平気そう?」 厨房に戻ると、外の様子を気にしながら佐助が話し掛けてきた。やはり、いざとなったら自分が対応するつもりもあったのだろう。 はハッとして笑顔を取り繕った。 「あ、うん…あの、取材みたいで。この近くのお店を紹介する情報誌の、」 「へぇ、クーポンとか付くようなやつか?」 「あれだろ、あの、ホットペッパーみたいな」 “兄だとは伏せていてくれ”と言われたことを思い出し、は無難な言葉で誤魔化した。 政宗や元親はそれを信じ、『シュークリーム1個無料券はどうだ』とか『ドリンク無料サービスの方がいい』とか、が何も言わなくても話を膨らませていく。 ――それじゃ結婚式じゃなくてお葬式の格好ですよ そう言ったのはだ。もしかしてと思いながらも、あくまで詮索する意図は感じさせないように言ったつもりの言葉だった。 それが今、妙にはっきりと脳裏に浮かんで来る。 「……ねぇちゃん?」 「えっ!あ、なに?」 「外、お客さんが来てるみてぇだ。おら、レジはできねぇから…」 振り返って見れば、なるほどケースに視線を向けて立っている女性客の姿があった。 教えてくれたいつきに急いでお礼を言って、は再び厨房を出る。 「お待たせしました」と謝ると、女性客はあまり気にしていない様子で注文を始めた。 メモを取り、持ち帰りの箱を準備しながら、幸村の兄の声を背景に聞く。 「――源二郎、」 マルジョレーヌ、ガトーフレーズ。プリンは倒れないようにセロハンテープで補強して、持ち歩きの時間に応じた数の保冷剤を入れて。 「お館様のこと。もう、許してあげてやってはくれないかな」 手提げの紙袋に入れて、レジから出てお客様に手渡した。 喋っているのは幸村の兄ばかりのようで、幸村が返事をする声は聞こえない。 がお辞儀をして「ありがとうございました」とお客様を見送ったとき、ふとガラスに映った幸村の姿が、見えた。 そこで初めて、幸村の返事が、聞こえてくる。 「某は……某は、兄上が気にしていないのなら、それで…っ」 まるで理不尽に叱られたのを、泣くまいと堪える子どものような。 下唇を噛み締め、膝の上に置いた手を握り締め、テーブルの上のグラスを睨んだ幸村の瞼には、涙が溜まっていた。 ああそうか。と、は思った。 やっぱりな、とも言えるかもしれない。 ――幸村の黒ネクタイは、“お館様”という人物のお葬式のためだったのだ。 「兄上がもう良いのだと言われるなら、元より某は、―!」 そのとき、ガラスの中の幸村との視線が合った。 驚いて言葉を切る幸村に、なんだか見てはいけないものを見てしまった気がした。は咄嗟に視線を逸らした。幸村も、こちらを咎めてくるようなことはしなかった。 気まずい。死ぬほど居た堪れない。 客も居ないことだし、やっぱり大人しく厨房に引っ込んでいよう、とは幸村とその兄に背を向けた。 厨房に入るとすぐに、佐助がを見とめた。 彼はオーブンにマドレーヌの鉄板をセットしながら声を掛けてくる。 「あ、ちゃん。悪いんだけどさぁ、本屋までおつかい行って来てくんない?例の『ホンダム』、やっぱ資料無いとムリだわ」 は間髪入れずに「分かりました」と答えた。 むしろお礼を言ってしまいそうなほど、この店に居るのが気まずかったのだ(たとえ厨房だとしても)。 財布と携帯電話だけ持って、は店を出た。 雑誌を立ち読みするなりして、幾らか時間稼ぎをしたほうがいいのかもしれない、なんてことを考えながら。 立ち読みと言っても、お菓子作りの本を10分程度眺めるだけでは店に帰って来た。やはり仕事中なのだし、気まずくても戻る他はなかったのだ。 ちょうど店の入口が見えるくらいにまで近付いたとき、幸村とその兄が並んで立っているのが視界に入った。 話の邪魔になるだろうかとは裏口へまわりかけたが、の姿に気付いた幸村が手招きをしたので、素直に入口から入る。 「すまぬが殿、会計を任せてもよろしいか?その…兄が何か買っていきたいと言うので、」 「あ、はい!もちろんです」 買ってきたばかりの子ども向け雑誌を幸村に渡して、は手を洗ってからレジに向かった。 幸村は雑誌を袋から取り出して、スケッチ用の真っ白な紙と一緒に小脇に抱える。 「では兄上、某の部屋は狭くて泊められませぬが、明日には顔を出しますゆえ」 「大丈夫。そのつもりでホテルは2泊取ってあるからね」 邪魔して悪かった、と幸村の兄が再び謝罪を口にした。幸村はそれに苦笑いを返してから厨房に戻る。 話が全て終わったのかどうかは分からないが、悪い雰囲気ではない。 調理着の袖を捲り直したが幸村の兄に向き直ると、彼はにこにこしながらケースの中のケーキを見ていた。 優しい色をした瞳に、ガトーショコラ、タルトフリュイ、タルトフレーズなどが次々と映されていく。 「――ああ、困ったな…どれもみんな美味しそうだ」 心底困ったように幸村の兄が呟いた。その声色も、その表情も、何もかもが嬉しそうで、も思わず口元を緩めてしまうほどだった。目の前にあるのは彼の弟が作ったケーキ、言うなれば『芸術品』だ。 嬉しい気持ちが分かるような気もするし、が初めてこの店に来たときのように“どれにしよう!”と悩む気持ちもよく分かった。 「はい!どれもみんな、美味しいです」 だからは、自信を持ってそう答えた。 # その日の営業は、それからは何事もなく終わった。 明日は定休日なので、いつものように政宗たちは飲みに行く計画を立てている。 「Hey,も行くだろ?」 「も―――」 「殿はこれから某とプレート練習の卒業試験があるゆえ、政宗殿たちだけでお行き下され」 「もちろんです!」と答えようとしていたの言葉は、いつの間にか背後に立っていた幸村によって遮られた。 プレート練習の卒業試験。そんなものは初耳だ。 ぱかりと口を開けたまま硬直したを、いつきと元親が代わる代わる肩を叩いて励ましてくれた。 政宗は「That's too bad!」と憐れんでいるのか楽しんでいるのか分からない笑みを寄越し、佐助は「ふーん」と気に入らなさそうだ。 「ちゃんの実力ならオニワさんの一件で分かったじゃん?そんなんするなんて、俺、聞いてないけど」 「抜き打ちだからな。これできちんと出来れば、以後いつき殿と分担してもらおうと思う」 なにも今日しなくても、と思うのはだけなのだろうか?なにせ午後にあんな光景を見てしまったのだから、幸村も気まずく思っていそうなものだ。 しかし彼はしれっと言い放っただけで、反論しても意味が無さそうに思われた。 なおも不満そうな佐助に、は「そういうことみたい…」と乾いた笑いを返し、自分に構わず飲みに行ってくれと告げた。 佐助も幸村を説得するのは諦めたらしく、「早く終わったらおいでな」とだけ言ってロッカールームに下がった。 は女子トイレで着替えをするいつきと雑談しながら束の間の休憩を取り、やがて飲み会チームが出発するのを見送った。 そうして、さてプレートの準備を始めようとしたところで。 「――申し訳ない、殿。準備は、要らぬ」 「…………は?」 幸村に、その手を止められた。 言われたことの意味が分からなくて混乱するを余所に、幸村は手際よく道具を仕舞っていく。極めつけにコーヒーを淹れて腰を下ろすと、 「座ってくだされ」と彼の目の前の席を示された。 よく分からないが、はとりあえず指示された通りに腰掛けた。手持ち無沙汰なのを紛らわすため、帽子を脱いでひたすら小さく畳む。 「あのぅシェフ…私、なんで…」 「ああ、その…今日、兄上のことを誤魔化してくれた礼を言いたいと思い…」 しばらく言い淀んでから、幸村は「助かった、かたじけない」と座ったまま頭を下げた。ぎょっとしたが「大したことしてないです」と慌てて否定しても、幸村は俯いている。 「なぜであろうな…先日のスーツにしても、寝不足でふらついたときも……いつも、殿には某の不甲斐ない姿ばかり目撃されいる。最初に会ったときにしてもそうでござったな」 最初に会ったときというのはつまり、彼がジェットコースターのショックで熱を出した姿のことだ。 そう言われてみればそうなのかもしれないという気がしてきて、は微妙に笑った。 「もうこの際なので言ってしまうが、あのときのスーツは、葬式用の装いをしていたものであったのだ」 「はい…薄々そうなんじゃないかと思ってました…」 幸村は顔を上げる。そして、「それは聡明な」と冗談めかして言った。 「…なんであのとき、お葬式だって仰らなかったんですか?」 「それはまぁ色々と――お悔やみを言われるのが気まずかったというのもあるし、 兄上の気持ちも分からなかったし…何より某自身もお館様の亡くなったことが実感できていなかったというか…」 の質問に答えた幸村だが、彼にもよく分かっていないような歯切れの悪さだった。 もう少し踏み込んでも良いのだろうか。もしかしたら、わざわざ嘘を吐いてまでを居残りさせたくらいなのだから、自分でも分からないうちに『誰かに聞いてほしい』という思いがあるのかもしれない。 「シェフはその方と、喧嘩…のような別れ方でもしてしまったんですか?」 「喧嘩……喧嘩な。いま思えばそうなのやもしれぬ。結局のところ、子どもと同じであったか」 さて、と前置きをして、彼は自分の生い立ちについて説明を始めた。 ← SAN Entree → |