Chapitre II. mariage et enterrementn -- 06

幸村とその兄・信幸を育てたのは彼らの実の両親ではなく、武田信玄という男だった。
信幸、幸村の兄弟は長野のそこそこ大きい旧家の生まれなのだが、すぐに両親と死別してしまったらしい。 幸村にその頃の記憶はない。気付いた時には信玄の道場に住み込み、武道の全般を習いながら生活していた。
信幸が幸村のことを『源二郎』と呼ぶのは、生家の風習の名残であるらしい。 字とか通り名とか説明を受けたが、幸村は詳しいことは覚えていない。

父親代わりの信玄はとても大らかで懐の深い人だった。喧嘩別れした今でさえ、そのことについて異論はない。 ただ少し古臭い考え方をする人で、男なら強くあらねば、というのがモットーだった。
血の繋がりの有無など関係なく、信玄は兄弟を平等に扱った。食事内容も、着るものも、幼い頃からつけられていた稽古も、みんな平等だった。 だが、どうやら武道については幸村の方が恵まれていたらしく、やがて信玄は幸村ばかりを熱心に鍛えるようになった。 信幸は残念ながら身体があまり強い方ではなく、信玄の稽古にはついていけなかったのだ。

幸村はそんな兄を哀れむことはなかった。
むしろ、体力よりも知力に恵まれた兄を尊敬していた。

歪みのきっかけはほんの些細なことで、ある日信幸が体調を崩して寝込んだときのことだった。
幸村は学校で調理実習を受けたばかりだったので、手順などを鮮明に覚えている今なら兄のために腕を揮うことが出来ると思った。 その時に作ったのがロールケーキだったのだ。ざっくりとしたスポンジにパン用のジャムを塗って巻いた、ただそれだけの素朴なケーキだったが、 うまく出来ている自信はあった。食欲が無いと言う兄も、弟が一生懸命に作ったのだと思えば食べてくれるかもしれない。

出来上がったロールケーキを、フォークと牛乳と一緒に盆へ乗せていざ兄の部屋へ運ぼうとした、ちょうどそのとき信玄が帰ってきた。 幸村はケーキの出来を褒めてもらおうとしたのだが、信玄はそれよりも先に「稽古はどうした」と顔を顰めた。 そこで初めて、幸村は自分がその日の稽古をすっぽかしてしまったことに気付いたのだ。
信玄はきつく叱ることはしなかったが、はっきりと分かるほど失望の色を浮かべて溜息を吐き、 「そのように女々しいことしている暇があったら、断りの連絡くらい入れろ」と言った。そして「そういうことは信幸に任せておけば良い」とも。

褒めてくれると思ったのに、女々しいとしか評価されなかった。
大好きな兄のことを、まるで役立たずの小間使いのように言われた。

幸村が呆然としていると、信玄は続けて「その菓子は捨てろ」と告げた。あくまで幸村には『日本男児らしい』言動しか認めないつもりなのだ。 うつむいて立ち尽くす幸村に、信玄はもう一度「捨てろ」と言った。幸村には逆らえなかった。 震える腕を伸ばし、出来たばかりのケーキをゴミ箱へ入れる。どさりと底に着く音がした時にはもう信玄はおらず、着替えるために自室へ戻ったようだった。

自分が兄を守らなければ。と思った。
けれど、自分が居るからこそ兄が比べられてしまうのだということも分かっていた。

どうすればいいのか分からず、年月だけが過ぎて行った。信玄の稽古を受けることは好きだった。信玄自身も好きだった。 それでもロールケーキの一件がずっと心の奥に引っ掛かっていて、ぎこちない態度になる時期もあった。 信幸はそんな弟と信玄の溝を埋めようと尽力してくれて、おかげで武田家で兄弟の居場所が無くなることはなかった。 けれどそれは彼が膨大な精神的疲労を背負うことでもあり、また体調を崩すこととなる悪循環にしかならなかったのだ。

幸村は信玄の元で、どんどん強くなった。信玄はきっと、幸村に道場を継がせることも考えていただろう。
幼い頃ならそれはすばらしい夢に思われたのだが、しかし幸村は年を追うごとに「何かが違う」と思うようになっていたのだ。 そうじゃない、本当にやりたいのはそういうことじゃない。

自分が何をしたいのか、具体的には分からなかったが、ひとつだけ心に決めていたことはあった。
『信玄の思う通りの道には進まない』ということだ。
学校も、部活も、これまでは全て信玄の期待に沿うようにしていた。それが兄の努力に応えることにもなると思っていた。 でも幸村は、そのレールから飛び出して、いつかのケーキの返礼だと言ってやりたくて仕方が無かったのだ。

大学生になったある日、幸村はいつものように女子学生たちに攫われるようにしてケーキ屋へ行った(彼は見目が良かったので、よく女子に誘われたのだ)。 彼女らは決まって雑誌に載っていた店だとかに行きたがったが、その割には味について疎いようだった。 何を食べても「おいしい」としか言わず、幸村が「前の店よりクリームが濃い」とか感想を言うと驚嘆された。
そこで彼が思うには、自分は下手な自称・甘いもの好きな女子よりは舌が肥えているのではないかということだった。

そうだ、パティシエになろう。
2つ目のケーキを口に運びながら、我ながら名案だと幸村は思った。手先は器用だし、たくさんの店を食べ歩いた知見もある。 家を出て、信玄が嫌う『女々しいこと』を職業にして、店の看板には“真田”と堂々と掲げて、「ほらどうだ!」と言ってやろう。

あなたが軽んじていた『女々しいこと』でも、こうして職業として成り立っている。
今まで家の中でそういう役割を担ってくれていた兄のことを考え直して、認めてほしい。




――そうして大学を中退し専門学校に入学し直した某を、お館様は激怒こそすれど見直しなどはしなかった。 今考えてみれば至極当然なのだがな、当時は『なんと頭の固い狸親父だ』などと思ったものだ。そのまま…もう何年になるのか…」


は「そうだったんですか」と相槌を打った。
昼間に聞いてしまった「もう許してあげてやれ」というような幸村の兄の言葉の意味が分かった気がした。 きっと彼はその養父を恨んでなどいないのだろう。ただ自分のできる範囲内で家族に尽くしてきただけで、 面倒を押し付けられたとか小間使いをさせられたとか、そういう意識は無いのだろう。最初からそうだったかどうかはの与り知るところではない。もしかしたら信幸も最初は不満に感じていたかもしれないが、店に来た時の様子を見る限り今はふっきれていそうだった。


「…長々と付き合わせてしまって申し訳ない。とにかく今日は殿の機転に助けられた、礼を言う」
「いえっ、シェフが私に話すことですっきりできたなら、それでいいです」


またいつでも付き合いますから、と言い添えて、は立ち上がる。
もうすっかり遅い時間になってしまった。両親が心配しているかもしれないなと思いながら、着替えるために女子トイレに向かう。
その途中で幸村が「殿!」と呼び止めた。は『まだ何かあるのかな』と思いながら振り向く。


「もし時間があれば、明日、少し付き合って頂きたい場所があるのだが…!」
「え、あぁ…はい、暇ですけど……どこに行くんですか?」


もしかして信幸の所へ一緒に顔を出せと言われるのだろうか?
少し身構えながらは尋ねた。まさか信玄の墓参りだとは言わないだろうが、何を言われても驚かないだけの覚悟はしておくべきかもしれない。
幸村は先程のように幾分ためらったあと、決心したように口を開いた。


「……殿は、絶叫マシーンは得意でござろうか?」









なんで「いつでも付き合います」なんて言っちゃったんだろう。と、は後悔の最中にあった。
目の前には人の列。そしてその先には鋼鉄のレールと、その上を走る車のような乗り物。 ここ、後楽園で一番人気のアトラクション、ファイヤードルフィンである。


「シェフ…私やっぱり下で待ってますから、ひとりで乗ってください…!」
「む…昨日は“得意だ”と言っておったではないか」
「“割と得意な方です”って言ったんですっ!だってこれ…ちょっと、予想以上にすごいので、ムリですムリ!お一人で存分に楽しんでください!」


子供のように頬を膨らませた幸村は、不満そうに「ひとりではつまらぬ」と言った。
昨日は「ケジメをつけるため」とかいう理由で後楽園でジェットコースターに再挑戦すると言っていたのに、いつの間にか楽しむ楽しまないの話になっている。 ぞろぞろと集団がまた前方へ移動し、も否応なく乗り場へまた一歩ずつ近付いた。


「つまらないなら止めましょうよ!大体っ、あの、あれですよ、シェフこれ乗って熱出したじゃないですか!最初に私がお店に行ったとき、」
「あ、あの日は少し体調が思わしくなかっただけで…!今日は平気な気がするのだ!………恐らくは」
「自信無いんじゃないですかぁ…!じゃ、じゃあ先生呼びましょうよせめて!」


しかし幸村の言い分によれば、佐助は幸村の家庭事情を知らないので「今度は何のストレス発散?」と聞かれたらうまく誤魔化せる自信が無いのだという。 だから佐助を連れてジェットコースターに乗るのはムリで、かといって一人で乗るのもつまらないのだから、事情を知っているを道連れにする他ないのだ。

ぎゃいぎゃい言い合っているうちに、とうとうたちの番が回ってきた。しかも最前列である。幸村は意気揚々と乗り込み、「いざ!」などと言っている。 こうなったらもう逃げられないと腹を括り、もコースターに乗車した。

発車のベルが鳴り
笑顔で手を振る係員に見送られ
ガタンガタンと軋む音と共に身体が傾いていき


「こんなのストレス解消にするなんておかしいですよシェフ、変です、変!シェフにとってはストレス解消になっても、 あ、あたしにはものすごいストレスなんですけどっ!」
「乗ってしまったものは仕方あるまい」
「来なきゃよかったあああああいやあああ落ちるー!!!!」


は安全バーにしがみついてぎゅっと目を瞑った。身体が一瞬平行になる。いよいよだというのに、隣から鷹揚な笑い声が聞こえてくるのが憎らしい。

カタン、と音がして、
全身にものすごい勢いの風や重力が掛かって。

「きゃー!!!」とか「いやー!!!」とか叫んでいると髪が逆立つのが分かった。
コースターは急降下するレールを滑り、また急上昇し、あろうことか一回転し、横ばいになって螺旋状にぐるぐると回る。 この叫び声が自分のものなのか後ろの人なのか、にはもう判断がつかない。


「ああああああああんもうやああああああああ!!!降りるー!!」
「ははは、降りられるものならな!」





コースターに揺られている間、必死になにか違うことを考えようと努力した甲斐あってか、意外とあっという間にゴールに着いた。 覚悟していたより酔いなどもない。もしかしたらかすがにマッサージされている気分を思い出そうとしていた成果かもしれないとは思った。
それに比べて。


――シェフ……大丈夫ですか?」


地面に降りた途端に顔を蒼くした幸村は、イベントスペースに設置されたベンチに寝転がっていた。のハンカチを水で濡らして目の上に乗せた大人を、子供たちが遠巻きに眺めている。
買ってきたばかりのドリンクを幸村の頭の横に置いて、はとりあえず幸村の隣のベンチに座った。


「……殿は……平気そうでござるな…」
「あ、はい。意外と平気でした」


昔はここまで苦手ではなかったのだと幸村がモゴモゴ言う。“大人になると昔は何でもなかったことが苦手になる”という話はよく聞くので、も「そういう人もいますよね」と返事をした。

眩しいほどの陽光が降り注ぎ、は帽子を被りなおした。そのまま自分用のドリンクをちゅるちゅる啜っていると、幸村が顔をこちらに向けた。 ただしハンカチはまだ瞼の上に乗せたままなので、視線がどこにあるかは分からない。


「…………すまぬ」
「な、なんですか、急に?」
「いや…お館様の話をして気付いたのだが、某も殿にひどいことを言ったのだったと思い出し…申し訳なかったと」


『女々しい』と言って兄を蔑んだ養父
『女はダメだ』と言ってを雇うのに猛反対した幸村


「あれだけ…ああはなるまいと思っていたのに…」
「―大丈夫ですよ。シェフのは、そういうのじゃない気がします。まぁでも、やっぱり最初はかなりムカつきましたけどね」
「……正直でござるな、殿…」


弱弱しく苦笑いをした幸村が起き上がり、目の上に乗せていたハンカチを取った。が置いたドリンクを掴んで、また少し考えるような顔をする。


「某はお館様を見返そうと画策してこの職に就いたと、昨晩は申したが、」
「はい」
「…要するに某は菓子やケーキの類が好きで、単純にそれだけの理由でパティシエになったのやもしれぬ、と。殿に話したら、なにやらそんな気がしてきた」


「ありがとう」と、憑き物の落ちたような、あまりにも晴れ晴れとした顔で幸村が言うので、は「なんですかそれ」とつっこみを入れるのを止めて、ただ笑顔を返した。特に良いアドバイスができたわけでもない、 ただ話し相手になっただけだけれど、幸村が前向きになれたなら付き合って良かったと思う。

どういたしまして、とが答えると、幸村は立ち上がって「売店のソフトクリームの味を偵察しよう」と言うなり駆け出して行ったのだった。









扉の脇に備えられたチャイムを鳴らすと、すぐに信幸が顔を出した。
柔らかくニコリと笑って、「早かったね」と言う。

幸村は曖昧な返事をして、導かれるまま兄の泊まっている部屋に入った。“SAN”というロゴが印刷された紙袋がサイドボードに置かれているのが見えた。


「日持ちするものを、と思って焼き菓子をいくつか買ったんだよ。まだしばらくは線香を上げに来てくれる人がいるから、おもてなしが出来るだろう?」


何を買ったのか、幸村の視線に気付いた信幸が説明する。 焼き菓子であれば地方発送も受け付けているのにと思ったが、きっと信幸にとっては『店で買う』ということが重要だったのだろうと推測して、何も言わないことにした。 その代わり、「お館様は気に入らぬとご立腹やもしれませぬ」と拗ねたように言ってみる。 信幸は「そんなことはないさ」と言って笑った。


「驚いたことにね、源二郎、お館様はお前のことをあちこちで自慢していたみたいで、葬式だったりお悔やみの電話だったりで初めて話す人でも、 源二郎のことを知っているんだ。ご活躍されているようですね、って」
「……まさか、到底信じられませぬ。あれほど『女々しいことをするな』と反対しておきながら」


信幸は部屋に備え付けてあったポットでお茶を淹れた。急須に蓋をしながら、ふてくされた弟を宥める。


「……あの人は変わった。自分が病気になってからは特に、周りにずっと優しくなった。源二郎のことも、いつも気に掛けていた」


“だから帰ってきて、一目でも顔を見せてやりなさい。”
信幸からの電話で再三言われていたことが幸村の頭の中に甦った。帰ろう帰ろうと思いながらも踏ん切りがつかず、 いつも『次の休みには…』と考えるには考えていたのだが、結局間に合わなかった。容態の急変は、信玄の患っていた癌という病気の特徴のひとつだ。


「最期は……苦しまれたのでござるか?」
「いいや。幸い薬の副作用も軽かったし、モルヒネも効いていたみたいだから」


それは良かった。と幸村が安堵の息を吐くと、信幸が意外そうな声色で「本当に?」と尋ねてきた。
幸村としては親代わりだった人に『苦しんで苦しんで死ねば良い』なんて思うはずもないし、本当のところは尊敬だってしていたのだから、 もっと生きていて欲しかったというのが本音だ。そう説明すると、信幸は安心したように「そうか」と言った。


「……なら、もう、お館様のことを許してくれるんだね」
「ですから兄上…某は兄上に対するお館様の態度が受け入れられなかったがために家を出たゆえ、兄上がもう良いと仰るなら、某も良いのです」
「そうか……うん、そうだね。じゃあ、お金、少しでも受け取ってくれるね?」


パッと態度を変え、信幸は幸村に笑顔を向けた。突然のことに、幸村は飲みかけていたお茶を喉に詰まらせそうになる。


「い、げほっ、遺産ならば放棄すると――!」
「でも、お館様の望みだったんだよ。きっとお前は今の店を出すのに銀行か知り合いからお金を借りているんだろうから、 自分の遺産で何とかさせてほしいって…私からもお願いだ、受け取ってくれないか。ひとりで管理するには少し、額が大きすぎて困っているんだ」


ね、とダメ押しの笑顔を向けてくる信幸に、幸村は気付いた。きっと兄は、この件に関して幸村の首を縦に振らすために上京して来たに違いない。 なんとか断れないものかと思案した幸村だが、ついに諦めて「承知した」と答えることになった。そういえば昔から、彼は兄には逆らえないのだった。


「ああ、安心したらお腹がすいてきた。晩ご飯にしよう、源二郎。ここのホテルのレストランは美味しいと評判らしいね」
「…はあ、もう、どこでもお供しまする、兄上…」
「それは嬉しいな。ところでさっきから気になっていたんだけれど、鼻の頭だけ少し日焼けしているよ」


ルームキーを掴みながら、信幸は幸村の鼻を軽く突いた。それに少し怯みながら「昼間は後楽園に居たので…」と幸村は返事をする。 すると信幸が嬉しそうに「デートかい?羨ましい」と言い出したので、幸村はまたお茶を詰まらせながら、必死で否定したのだった。









次の日、朝のミーティングで今日の予約を確認したあと、幸村がふと思い立ったようにスタッフに告げた。


――そういえば先日の新作の件だが、ロールケーキにしようと思う。 ということで某は今日からそちらに取り掛かるので、よろしく頼む」
「Okay、しかし何でまたロールケーキなんだ?」
殿の発案で…女子は皆ロールケーキが好きなので、必ず売れる!と」


は「言ってません!」と慌てて否定した。 が、元親やいつきはそんなことには耳を貸さず「ロールケーキっていいよな!」「期待しちまうだ!」とキャッキャしている。
確かに『ロールケーキはどうでしょう』と提案したのはだが、売れるという確約まではしていない。何をいい加減なことを言っているんだと文句を言うべく幸村の方を向くと、 視線が合った彼は少し笑いながら頷いた。その表情は“心配するな”というようにも、“もう大丈夫だ”というようにも見える。

長い間、幸村にとって忌まわしい思い出として封印されてきたロールケーキ。
それを自分から作ると言い出したからには、これからはもう大丈夫だということなのだろう。




午前の間はショーケースに並べるためのいつものケーキを作り、午後になって幸村はロールケーキ作りに取り掛かった。 なぜか発案責任者としても呼ばれ、どんなケーキが良いのかということを話し合う。


「なんでしょう、シンプルなのが良いと思うんです。フルーツを巻くとかじゃなくて、純粋にクリームだけ! っていう…あ、でも飾りにイチゴは乗せたいんです。宝石みたいに一粒、ぜったいそっちの方が可愛いですよ」
「シンプルについては同意するが…イチゴは…必要であろうか?」
「要ります!」


の頭の中にはまだ先日のウェディングケーキのイメージが残っているので、イチゴは絶対に外せないのだ。 更に言うならスポンジ部分はもっとみっちり詰まった懐かしいような感じで、クリームは「の」の字を描くくらいにたっぷり巻きたいと思っている。
それらを全部、ロールケーキへの情熱と共に幸村に伝えると、彼はふむふむと頷いた。


「“懐かしい”感じ…は分からんことも無い。ただ、クリームを多めに巻くのなら脂肪分は低めのあっさりしたものが良いかもしれぬな。 ……この際だ、殿。スポンジの焼き方もお教えしよう」
―――…ねえ、旦那」


ぜひ!とが返事をしようとしたその時、背後から佐助が顔を覗かせた。


「スポンジ、俺が教えよっか?今からフレジエのスポンジやるとこだったし、旦那はロールケーキの方集中したいっしょ?」
「佐助が、か…?」


歯切れの悪い幸村の反応に、佐助は不満そうに「なにさ」と口を尖らせた。
幸村としては、佐助はどうにも女子に甘いというイメージがあるのだ。以前に勤めていた子にも、期待していなかったのか何なのか甘い態度だったように思う。 最初だからこそ厳しく教えるべきだと幸村は思っているので、いまいち「任せた!」と言うことが出来ない。


「ではその…出来るのだろうな?あまり甘やかすのは、店のためにも本人のためにも…」
「なに心配してんの?大丈夫だって。なんたってちゃん、昔っから俺の教え子なんだからさ」


佐助にしては珍しいほど強い語気で、きっぱりと言う。幸村は少し考えた後、それもそうだと納得して引き下がることにした。
は内心の驚きを隠せなかった。かつての佐助の教え子ではあるが、いつも穏やかだった彼がこんな風に強く物を言う姿を見るのは初めてだった。 それでも「じゃあ、やろっか」と笑いかけてくる顔はいつもと同じで、はぎこちなく笑って「うん」と返した。

調理器具を洗い、卵や小麦粉を用意して、佐助の指示に合わせて混ぜたり入れたりする。
背景で政宗が「俺もTeacherになってやろうか?」などと言っていたのだが、すぐさま幸村に「仕事をしてくだされ」と切り捨てられていた。









そうしてその3週間後、SANのショーケースには新商品がひとつ並んだ。
シンプルなロールケーキの天辺には、ハートの型抜きをした真っ赤なイチゴ。

自分の提案が形になった姿を見届けて、は緩む頬を隠し切ることができなかった。




  SAN Entree