里に居た時分、つまり彼がまだ未熟な少年であった頃。 猿飛佐助には師と仰ぐ人が居た。 佐助はそもそも大人顔負けの実力で、妖術から体術まで、完璧にこなすことができた。 里では一番の有望株で、忍ではなく武将であったなら天下を脅かすこともできるのではないかと 静かに噂されていたほどだった。しかしその代償となったのか社交性が低く、いつも何かを見下したような目をしていた。 同年代の子供らは佐助を恐れ、近寄ろうとしなかった。ただひとり、かすがという少女だけは いつも佐助に突っ掛かっていたが、その度に返り討ちにあっていた。 佐助が何処かへ仕え始めるまで、もう誰も口も手も出せないのだろうと、里の大人たちはみな諦めていた。 そんなある日、ふらりと里へ現れたのは、という女だった。 はこの里の出身だった。そして佐助が拾われるよりもずっと昔に里を出て、とある有力公家へ仕えた。 けれども、仕えていた家が皇位簒奪を企てた廉で粛清されてしまったため、戻って来たのだという。 は里の子供らを集め、指南役を務め始めた。 大人たちがこぞって「に稽古をつけてもらえ」と言うので、近々里を出て仕官することが決まっている者までもが彼女に挑んだが、 誰ひとりとして勝てなかった。 「そこの餓鬼」 未だに挑んでいないのが佐助だけになったある日、は腰元にくっつくかすがを連れて、佐助の元へやって来た。 すらりとした人さし指で示され、「俺?」と尋ねれば、彼女は満足そうに笑う。 「そう、そこの死人みたいな目つきのお前だよ。ねえ、暇ならちょいと、あたしと遊んでおくんなよ」 「暇じゃないよ」 「暇だろ?今じゃ里でお前に敵う奴が居やしないってんだから」 佐助は黙ってかすがを睨み付けた。誰が佐助のことをに吹き込んだか、答えはかすが以外に考えられなかった。 佐助は獲物を構えて、全て見越した笑顔のと相対した。こんな細っこい女、あくびをひとつする間に片付けられる。 そう思った。 けれどそれは間違いで、佐助はに、それこそ『あくびをひとつする』間さえ無く捻り潰されていた。 傍に寄るだけで塵になってしまうかと思うほどの炎をその刀身に纏わせ、軽やかに、 しかし重厚に、は甲賀手裏剣を振るう。 水の気を集めてもすぐに蒸発させられ、風の気を集めてもその炎を勢いづかせるだけだった。 これほど圧倒的なまでの『力』を魅せつけられたのは、初めてだった。 観念した佐助は、に稽古をつけてもらうことを承諾した。これでようやく佐助の手綱を握ることができる、と 安心しきったような大人たちの表情は酷く腹立たしく映った。 だがは、佐助を縛り付けるようなことはしなかった。余りにも“放し飼い”されている状況に疑問をぶつけてみれば 「お前に足りないのは経験だけだよ」と言うだけで、以後も待遇は変わらず、たまに組み手を仕掛けてくる程度だった。 だからこそ、良かったのかもしれない。 が家にしている小屋で古い巻物を漁っていると、調理場から爆発音が聞こえてくることもあった。 「またかよ」と嫌味を言いつつ顔を覗かせれば、そこではとかすがが頬を煤だらけにして鍋の焦げをこそぎ落としていて、結局佐助が料理をすることになるのが日常だった。 「お前の仕える先でも、この経験が活かせるといいねぇ」 「ぜってー嫌だね」 「こんなの忍の仕事じゃねぇや」と言えば、は「主によっては、どうだろうね」と意地悪く笑った。 こんなことをさせる主だったら、すぐに出て行ってやる。と、佐助は思った。 少しずつ、ほんとうに少しずつ、『この人みたいな忍になりたい』と思うようになった。 佐助には扱えないほどの炎を纏い、 佐助には追いつけないほどの高さを跳び、 仕事に対して驚くほどの集中力と忠誠を持って、力を奮う姿。 それはとても美しくて、残酷で、力強くて、やっぱり美しかった。 そうして幾年かが過ぎ去り、佐助もかすがも何処かの家へ仕えに出される時が遠い先ではなくなってきた頃。 「どうだ、一人前になっただろう」とに見せつけたくて、佐助は火の気を集める印を組んだ。 それはの持っていた巻物に書かれていた技で、自身がここ一番の決め技として何度か見せてくれたものでもあった。 虫の音さえも静まった夜更け。里の外れの荒れ地に陣を刻み、意識を集中させる。 「――天光満つる処に我は在り」 「――黄泉の門開く処に汝在り」 複雑な印を即座に組み換え、佐助は詠唱の呪文を唱えていく。 手のひらに集まっていく火の気を感じながら、不意に「扱いきれるだろうか」と不安になった。 予想していたよりも、集まってくる火の気が多い。落ち着け、落ち着け、と自身に言い聞かせながら、 佐助は最後の言葉を紡いだ。 「――来たれ、 瞬間、手のひらが焼け付くような熱を感じた。ぐっと歯を食いしばり、それに耐える。 歪んだ視界には、宵闇を裂くかのような赤い眩みが溢れていた。 踏みしめた地面の焦げる臭い。 すぐ近くにあったはずの水溜りは、じゅっと音を立てて消えた。 (……熱い、熱い、熱い、熱い……) 今すぐ炎を鎮めるか、それともこの場から離れろ、と、本能が叫んでいるのが分かった。 この炎は、まるで大きく口を開けた蛇のような炎は、術者である佐助をもろとも呑み込もうとしている。 熱い。離れなければ。早く。熱い。熱い。 「――佐助!馬鹿かお前、何をしてる!里を焼く気か!」 「…………」 「早くその馬鹿でかい炎を引っ込めろ!さもなきゃお前が喰われるぞ!」 そんなことは分かってる。佐助は、慌てた様子でやって来たにそう言い返そうとした。だが言葉が出ない。喉の奥がひりついて、からからになって、 声の出るのを阻んでいた。 佐助、と己を呼ぶの声が、うわんうわんと頭に響く。 こんなはずじゃなかったんだ。 あんたが感心するような術を見せて、もう一人前だって認めて欲しかっただけなんだ。 里の奴らはみんな大嫌いだけど、焼き尽くしてしまおうなんて、そんなつもりは更々無かったんだ。 ほんとうなんだ。 こんなはずじゃなかった。 佐助はもっと将来有望な少年で、出来ないことなんてひとつもなくて、勝てない相手なんてひとりも居なくて。 何時かはどこかへ遣られて、戦に出て、戦場がそっくり震え上がるほどの活躍をして、がっぽり儲けて、 五体が満足な内にさっさととんずらして、それで、 「…たすけて、…」 必死に伸ばした腕を、掴まれた。気がした。 視界を焼くような日差しで目が覚めたとき、佐助は里の長の屋敷に転がされていた。 身を起こそうとすれば、布を巻かれた両腕が視界に入る。その布の下からはじくじくとした 疼痛が存在を主張していて、きっとひどく焼け爛れているのだろうと思った。 里長の屋敷に居るということは、里は焼け落ちなかったということだ。 ひとまずはそれに安堵し、続いてがっかりした。良い機会なのだから、いっそ焼けてしまっても良かったのに。 そんなことを考えながら襖を開けると、快晴の空を背景にうずくまる黄金色の頭を見つけた。 「…かすが、」 「お前のせいだぞ」 引き攣った喉を酷使すれば、やはり引き攣った声が出る。しかし、焼き切れなかっただけましだ。 かすがは膝を抱え込んで座っていて、その声は佐助以上に震えていた。 なにが。そう尋ねようとして、意味が無いと気付いた。は、どこだろう。 「お前のせいだ!お前の馬鹿のせいで!!」 「かすが」 「お前が消し炭になれば良かったんだ!なぜを巻き込んだ!は!は!お前のせいで!!」 佐助はかすがの髪を掴んで、自分の方を向かせた。大きな瞳に涙を浮かべ、 頬にぼろぼろと零しながら、かすがは吼えた。 「が、なんだよ」 「は…!は!」 は、暴走した佐助の術を止めるため、その身を盾にした。 かすがの切れ切れの言葉を繋ぎ合せれば、それが答えだった。 焼け爛れ、美しかったの顔は今ではどこが目なのか鼻なのかの判別さえ難しい。 意識は無い。生きているのか死んでいるのかも分からない。けれど、きっと、目覚めることは二度と無い。 佐助は弾かれたように走り出し、の庵へ向かった。火傷を負った手足がひどく痛んだが、 気にならなかった。自業自得だ。自惚れた罰だ。 目的の場所へ着いたとき、集まっていた大人たちの刺すような視線が佐助に降り注いだ。 唇を噛み締めてそれらを受け流し、薄い蒲団に横たわらされた『それ』の元に駆け寄る。 「………」 は返事をしない。顔中に、体中に、見える部位すべてに白い布が巻かれていて、 たとえ意識があっても声など出せそうに無かった。 どれだけ佐助が呼び掛けても、はわずかな反応さえ示さない。 いとも簡単に佐助を捩じ伏せた腕も、軽々と大樹の上に駆け上がる脚も、どれもみな生きていなかった。 それらはもう死んでいたのと同じだった。 「、」 起きろよ、起きて俺に「くそ餓鬼が!」って言って拳骨喰らわせるぐらいしてくれよ。 組み手で、何度投げ飛ばされても良い。料理に失敗して、何度鍋を焦がしても良い。 だから起きてくれ、頼むから、もう一度笑ってくれ。 気付けば佐助の瞼からは涙が溢れていた。里に拾われてから今まで、泣いたのはそれが初めてだったかもしれない。 「ごめん」と口に出して謝ったのも、初めてだったかもしれない。 ごめん、ごめんな、、馬鹿で、くそ生意気な餓鬼で、ごめんな。だけどあんたに、認めてもらいたかったんだ。 あんたに褒められたかったんだ。ただ、あんたのことが大好きだっただけなんだ。 がそれに応えることは、やはり、二度と無かった。 そうしてこの騒動は、ひとりの優秀な忍を失くし、 佐助のなかに“闇”の素養を見出したことで、皮肉な結末を迎えたのである。 それから程なく、佐助は里を出た。それを追うように、かすがも里を出た。 佐助の仕えた先の主は佐助よりも遥かに年下のくそ餓鬼で、主の主を含めた主君たちは、炎を纏っていた。 主は忍使いが荒く、下女にでも任せればいいような遣いまで言いつけられることさえあった。 あのような騒ぎを起こしておいて忍勤めが出来るのか、と、里の大人たちは佐助を外に出すことを渋っていたが、 彼らの批判を余所に佐助は甲斐甲斐しく立派に忍勤めを果たしている。 それというのも、一度、天狗の鼻を根底からぽっきりと折られた経験のお陰というものであろう。 何年も、何年も経って。 小さかった主が立派な青年になって。 そうして、目も眩むほどの炎で戦場を焼き尽くす。 佐助はいつも幸村に付き従って、その炎を、影から支えた。 夜の闇をも、昼の光さえをも切り裂き、幸村の炎は佐助を照らし、そして魅了した。 そうして、佐助はその度に目を細くして、思うのだ。 なあ、いつかこの炎に焼かれたら、俺もあんたの所にいけるかな。 武田軍に中の人繋がりな過去を背負わせてみた・その一:猿飛佐助×ジェイド・バルフォア TOAより佐助=ジェイド、かすが=サフィール、ヒロイン=ゲルダの配役でお送りしました。 ちなみに「天光満つる処〜」はジェイドの秘奥義・インディグネイションの詠唱呪文です。本当は雷系の技だけど。 天叢雲は三種の神器のひとつ、草薙の剣の別称ですね。まぁなんか色々ネタバレしててごめんなさい。 |