「いたっ」


が思わずそう声を上げて手を引っ込めると、侍女が慌てたように「姫さま!」と寄って来た。はそれに首を振って見せて、大丈夫だ、と態度で示した。
千代紙が散らばった畳が、まるで極彩色に着色されたように見える。

視線を落としてみれば、その白い指先に赤い筋が細く奔っていて、ぷつりとした紅色の滴が膨らんでいる。 随分と景気良く切れたものだ。おろおろと落ち着かない侍女を尻目に、はその傷口の潔さに感心した。


「姫さま、お手当てを、」
「要らないわ、これくらい。もっと酷い傷でも、舐めておけば治ると父上がいつも言っているのを知っているもの。 現に幸村はろくな手当てをしなくても平気なのよ」


侍女はほとほと困りきった様子で「姫さま」と声を掛けてくる。が、はそれを無視した。そうして、余りにうるさいので、「お前はもうお下がり」と言って 追い出してしまう。

誰も居なくなった部屋で、ひとり、指先をつまんでみた。紅色の粒は、ぷくり、ぷくりと次第に大きくなってゆく。 面白いな、と思って、はそれを眺めていた。

けれど、すぐに飽きた。
紅色の羅列にすっかり飽きたは、天井を向いて声を発する。


「佐助」


それから一、二、と数えて、四か五まで至る頃合に、の目の前には緑色の影がすっと降りてきた。 膝をつく姿勢のまま「お呼びで」と静かな声色で尋ねられ、は返事もせずに指を差し出した。


「切れたの。舐めて」


佐助は返事をせず、ただ片眉を吊り上げてを見た。声には出さずとも「なぜ忍にやらせるのか」「自分ですればいいだろうに」という 考えが伝わってくるようだった。
しかし、それらは全て気付かなかったことにして、は言葉を続ける。


「袖がもたついて重いのよ。これ以上、腕が上がらないわ。だから舐めて」
「…………姫のお望みとあらば、仰せのままに」


は何重にも着せられた着物の袖を振って見せた。 腕が上がらない、というのは真っ赤な嘘だが、これが重いというのは本当のことだ。

の嘘など見透かしているだろう佐助は、わざとらしい礼をして、の腕を取った。佐助の唇から覗いた舌が、持ち上げられたの指に、触れる。生温かくてぬるりとした感触が指の腹を這う。そうかと思えば 唇で挟まれ、少しきつく、吸われる。佐助の歯が指先に当たった気がして、は『はぁ』と溜息を吐いた。


「…このまま、骨の髄まで飲み干してくれても、いいのよ」


佐助の橙色の髪をくしゃくしゃに撫で回してそう言ってやれば、佐助はの手を解放して立ち上がる。「もう大丈夫ですよ」と、呆気ない態度だった。
つまらない、と頬を膨らませて、去ろうとする佐助の着物の端を捕まえた。


「いくじなし」
「分別がある、って言ってもらえませんかね」


それだけ言って、佐助はすぐに姿を消した。
今度は「佐助」と呼び掛けても戻って来なかった。

は千代紙を拾い上げ、その中から黒地の錦のものを選んだ。 対角の端と端をあわせ、折る。上機嫌のまま折り続ければ、すぐにそれは形になった。


「さすけ」


ふふ、と笑い、は折り紙の烏を文箱に仕舞った。
佐助はきっとこの様子を、天井裏から眺めているのだろう。

指先の傷口からは、もう血は出ていない。