私の家に時折泊まっていく男は“猿飛佐助”と言って、かの真田十勇士の代表格と同じ名前をしている。 名前が同じどころか、自己申告によれば前世では外見までそっくりそのままの同一人物だったそうだ。 しかし佐助は赤茶色で少し長めの髪をしていて、その容貌からは忍者といった様子は微塵も感じられない。 だから私は作り話だろうと踏んでいる。

夜中の2時か3時か、もしかしたら4時近くに、眠りに落ちかけて船を漕いでいる私の頭を撫でながら、 佐助は“過去”のことを寝物語にと囁く。奥州王の伊達政宗は刀を六本使っていたとか、 甲斐の武田信玄は隕石を降らせていたとか、徳川傘下の本多忠勝はモビルスーツだったとかいう話だ。 馬鹿らしい。

そんなの戦国時代じゃない、と私がむにゃむにゃ反論すれば、佐助は今度は真面目な話をする。 月も無い真夜中に忍び込んだ小田原の堅牢な城のこと、燃え盛る本能寺のこと、里を裏切ったくのいちの行く末。

その話の中での“猿飛佐助”は、冷たい刃物を持って、緑の斑の装束を着て、ざくざくと人を斬っている。 戦場に出ては血を浴び硝煙を纏い、埃を吸いながら敵城の天井裏を進み、焦土と化した小さな村で残党を狩ったりする。 それらの話はやけに現実味を帯びていて、背中がひやりとするほどだった。

その思い出話で、すっかり目が冴えてしまった私が「怖い話するから寝れなくなった」と文句を言うと、 佐助の物語は再び馬鹿らしい話に戻る。加賀の前田利家はほぼ裸装備で戦場に出ていたとか、 九州の北半分はザビー教という謎の宗教の領土だったとか、佐助の主は甘党だったとかいう話だ。 佐助の主。そんなものが居たとは信じられない。

私の知っている猿飛佐助は束縛を嫌い、風のように雲のようにふわふわとあちこちを渡り歩いている。 伊達や前田なんかとつるんでることは確かに多いが、それでもその目に生気というものは無い。 話し掛ければ優しく答えてくれるけれど、佐助から踏み込んでは来ない。

佐助はいつもなにかを探しているような感じなのだ。“なにか”というのが具体的に何なのかは私には分からない。 もしかしたら前世で出会った人たちの面影を探しているのかもしれないし、 逆にその面影から隠れようと、逃げようとしているのかもしれない。 佐助の話を信じるならば彼は忍者で、相当あくどいことを成し遂げてきたようだから。

そんな風に悪い佐助も大好きよ、と私は言う。
佐助は薄く笑って答えない。

いつの間にか眠っていた私は、視界があまりに眩しくて目を覚ます。 寝ぼけた頭を振りつつ身体を起こせば、確かに閉めてあったはずのカーテンが全開になっているのだ。 手近な服を掴んで肩に巻きつけ、ベッドから降りる。 ベランダでは佐助が煙草を吸っているということを、私は知っている。

ガラスの扉を開けながらおはようと声を掛けると、しゃがんだまま煙草を蒸かしていた佐助は、首を逆さに倒して私を見る。 おはよ、と短く答えてから、佐助は灰皿に煙草を押し付けた。灰皿には既に結構な量の吸殻が積まれていて、 一体いつ寝ていつ起きているんだろうと私は不思議に思う。

私が灰皿に気を取られている内に佐助は立ち上がり、私の腰に腕を回して身体を反転させようとする。 不思議なことに、自分の煙草の匂いが私に移ることを嫌がるからだ。私は大して気にしていないのだが、 うちに居る間、佐助は部屋の中では絶対に吸わない。いつもこうしてベランダでヤンキーのように座っている。

しんどい?と佐助が聞いてくるので、私は黙って首を降る。少し眠いものの、しんどくはない。 そう答えれば佐助は了解したように頷き、朝ごはんのパンに塗るジャムを漁るためにキッチンへ消えた。 冷蔵庫に常備している、佐助専用のフランボワーズのジャム。私の目には、イチゴよりも黒っぽくて どろりとしているように見える。

ジャムの件もそうだが、佐助は実は赤を好むのだ。しかし実際に身に纏うことは少なく、 カキ氷にイチゴのシロップを選んだり、タクシーが二台停まっていれば赤い車体の方を選んだり、 そういう点で佐助の行動基準になっている。

昔の女が赤を好んでいた影響なんだろう、と、以前私は佐助を問い詰めたことがある。 渋いワインレッドの色をした革のシガレットケースを、それはもう大切そうに扱うからだった。 すると佐助は目を細めて、俺の主は赤い人でね、とだけ言った。“猿飛佐助”の主は真田幸村だ。 日本史において有名な武将が赤い人だったとは初耳である。どこがどういう具合に赤かったのだろうか、気になるところだ。

そんな冗談はともかく、それだけ言った佐助の目は昔を懐かしむ人のものだった。 私は佐助が十勇士の“猿飛佐助”だったという話を完全に信じているわけではないが、 その様子が“過去の女”の面影ではなく“過去の主”の面影を追っているのだと考えてみれば、 なぜかすんなり納得できてしまうのだった。

佐助が両手にパンとジャムを抱えて戻ってくるのを、私はベッドに腰掛けて待った。 日差しが床を這って部屋をまるごと温め始めて、なんだか眠気が増していくようだ。 太陽からの誘惑に抵抗もせず布団へ転がり、目を瞑る。

しばらくうとうとしていると、私の口内いっぱいに煙の匂いが充満した。咽こみながら慌てて飛び起きると、 ばつの悪そうな佐助の顔が目の前にある。さてはこいつ、口の中に煙たい残り香をつけたままキスしやがったな。

ごめんごめん、と言いながら、佐助は私の背中をとんとん優しく叩く。 普段はここまで咽ることはないのに、半分寝ている時に不意を打たれたせいか、空咳が止まらなかった。

5分くらいしてようやく落ち着いてきた私は、煙草やめたら?と佐助に言った。 吸わない人に比べてお金は掛かるし、その内うっかり私を殺してしまいそうだ。 けれど佐助は困ったような顔で、やめないよ、と言う。きっと私の顔には疑問の色がありありと浮かんでいたのだろう。 なんで?と尋ねる前に、佐助は言った。



This is
my calm way
to suicide.






「俺様ね、いま、ゆっくり自殺してんの」