それから1年が経ち、レグルスはホグワーツに入学し、スリザリンに組み分けられた。その時のブラック家のほっとした様子はある意味で愉快だった。いつもあれだけ威風堂々とした大人たちが、涙を流さんばかりの勢いで柔らかなソファに崩れ落ちるのだ。
しっかりするんだぞ、と両親はわたしに言った。必ず、必ずスリザリンに入るのですよ、と。言われなくともわたしはそのつもりだ。だってそうしなければ、レグルスに会えなくなってしまうのだから。

ホグワーツから、レグルスは定期的に手紙をくれた。初めて授業があったこと、箒に乗って先生に褒められたこと、スリザリンの寮監が少しうっとうしいということ、兄がどんなことをしていたか、他にもたくさん。手紙の最後はいつも同じ一文で締めくくられていた。「きみが僕と同じ色のタイを締めることを期待しています」。
わたしはその全てに返事を出した。今日咲いたバラのこと、昨日あったパーティの様子、おばさまとお茶をしたこと、シリウスに対するちょっとした批判、他にもたくさん。そしてその最後の一文はいつも「あなたが寮でわたしを迎えてくれることを楽しみにしています」。


わたしが11歳で、レグルスが13歳で、シリウスが14歳になった年。わたしは母のトランクを譲り受け、その中に教科書や服やお菓子をたくさん詰めて汽車に乗った。レグルスの見送りに何度か来ていたけれど、真紅のその汽車に生徒として乗るというのは格別な気持ちだった。
わたしとレグルスは同じコンパートメントに入った。後から何人か生徒がやって来て、彼らはみんなレグルスに媚を売った。それから彼の許婚であるわたしにも。レグルスは3年生で、わたしは新入生だというのに、7年生までもが丁寧に話しかけてきた。わたしは改めてブラック家の力というものを思い知った。

少しして、再びコンパートメントの扉が開く。
「おいレグルス」 シリウスだった。背後には眼鏡をかけて、ブラック兄弟と同じ色の髪をブラック兄弟には不可能なくらいクルクルさせた男の人が立っていた。ジェームズ・ポッター。レグルスからその名前は聞いていた。
「おいレグルス、あ?なんだやっぱりもいたのか」
「気安く彼女の名前を口にしないでください」
「うるせーな、おまえほんとクリーチャーに似てきたんじゃね?」
「さっさと出て行ったらどうですか?そこは通行の邪魔です」
「かわいくねーの。別に用はねぇよ、を見たいってジェームズが言うから連れて来た」
「迷惑です」
「なあシリウスくん、きみはどうしたらここまで弟くんに嫌われることが出来るんだい?」
「しらねー。こいつがだんだん生意気言うようになったんだよ」
「帰ってください」
「おーおー、おっかねえ。そんじゃかわいそうなアニキはとっとと帰りますよー」
「じゃあまたねちゃん!グリフィンドールに来たら歓迎するよ!」

大きな笑い声を下品に響かせて、シリウスは扉を閉めた。その喉元には赤と橙のタイを締めていた。レグルスは腹立たしげに手にしていた本をばたん!と閉じた。わたしがびくりと肩を震わせると、ごめん、と小さい声で言う。
「ごめん」
「平気、ちょっとびっくりしただけ」
「ごめん、アイツが、」
「レグが謝ることじゃないよ」
シリウスは変わってしまった。わたしもレグルスもシリウスのことは好きなのに、シリウスはどんどんわたしたちから離れていった。眩しい星は獅子の元に就いた。段々と粗野になり、段々と荒々しくなり、段々と生命力に満ちていくシリウス。戻ってきてほしかった。少なくともわたしはそう思っていた。だってレグルスは段々と自分の意思を押し殺すようになったから。


スツールに座り、帽子をかぶる。目元まで隠れてしまい、わたしの視界は真っ暗になる。どうせなら、と思ってわたしは目を閉じた。(スリザリン)念じる。(スリザリン)何度も何度も、祈る。
(―スリザリンがいいのかい?)
(スリザリンじゃなきゃだめなんです)
(―スリザリンに行けば、辛い思いをするかもしれないよ)
(レグと離れる以上に辛いことはありません)
(―スリザリンに行ってもその心を持ち続けると約束できるかい?)
(出来ます。一生、わたしはレグの横にいます)
(―約束だよ、)
スリザリン!というしわがれた声が広間に響く。教師がわたしの頭から組み分け帽子を取り、背中を押した。少しふらつきながらもわたしはスリザリンのテーブルへ向かう。レグルスが居た。安心したようにわたしを見ていた。拍手の雨。シリウスが睨んでいたことを、わたしは知らない。

宴会が終わり、わたしたちは地下の寮へ案内された。剥き出しの岩肌、グリーンで統一されたインテリア、どこか寒々しい空気。だけど構わない。わたしのタイはレグルスと同じ緑と銀。わたしたちの願いは叶ったのだ。
すぐに両親に手紙を書いた。レグルスと連名で、おばさまたちにも手紙を出した。返事は翌朝やって来た。両親からはお祝いの品としてたくさんのお菓子と、アンヌ・ボレインを煮詰めたジャム。おばさまからは、小さな翡翠の耳飾りと一緒に。「ブラック家に嫁ぐ自覚を持ち、学業に励みなさい」。成績が悪ければ婚約破棄、とは書かれていなかったので、ひとまず安心したのだった。


わたしとレグルスは充実した時間を過ごした。朝起きて眠るまで一緒に居られるというのはなんて素晴らしいのだろう!今から結婚したあとが楽しみになるくらいだ。放課後には図書館で一緒にレポートに取り組み、消灯間際まで中庭を散歩した。ホグワーツの中庭は実家のものよりもブラック家のものよりもきらきらした空気に満ちていた。

嫌がらせを受けたこともある。主にレイブンクローからだった。スリザリンの上級生たちも本当はわたしのことが気に入らなかっただろう。けれどレグルスの目があるので無理だった、ただそれだけのこと。ハッフルパフにそんな行動力はないし、グリフィンドールはそもそもわたしたち全体が嫌いだ。だからわたしに陰湿な攻撃を仕掛けてくるのはレイブンクローしか居なかった。教科書を隠されたり、わざとぶつかられたりした。みんなブラック家の跡取りに取り入りたかったのに、わたしなんていう邪魔者がいるから苛立っているのだ。

レグルスには言わなかった。ここでレグルスに頼って、自分では何も出来ない卑怯者だとライバルたちに思われたくなかったのだ。わたしは戦える、いずれブラック家を影から支える女になるために、逃げるわけにはいかない。
ある日ずぶ濡れのローブで呆然と突っ立っていると、シリウスに見つかった。シリウスは仲間を先に行かせてわたしの方へ駆け寄ってきた。
「なにやってんだおまえ」
「水をかぶってしまいました」
「そうじゃなくて。なんでレグルスに言わないんだ」
「これはわたしの戦いです」
「ボロ負けじゃねぇか」
シリウスが杖を振ると、ローブは瞬く間に乾いてしまった。わたしは目を見張る。わたしもレグルスも、まだ無言呪文なんて使えない。「ありがとう」と言うと、今度はシリウスが驚いたようにわたしを見た。そして眉間をぎゅっと寄せる。
「もう止めろよ」
「何をですか?」
「レグルスのこと。あいつと結婚したっていいことねぇだろ」
「どうしてですか?」
「あいつはババアの操り人形だ。やれって言われたらなんでもする。自分の気持ちなんてない」
「そんなことないです」
「あるね」
「ないです。お兄さまが誤解なさっているだけです」
もし本当に自分の意思が無いのなら、わたしたちはとっくに許婚ではなくなっていただろう。レグルスは操り人形じゃない。ただ優しいだけ。おばさまが隠れて泣いているのを知っているから、おばさまに笑ってほしいだけなのに。
「レグは優しいです。おばさまもおじさまもお優しい方です。お兄さまが誤解なさっているんです」
「俺が何を誤解してるって?」
「レグはお兄さまのことが好きなんです。おじさまも、おばさまも、ブラック家の方々はみんなお兄さまのことを大切に思っていらっしゃいます。だからレグは許せないんです。嫌われてるって思ってこっちを嫌おうとするお兄さまのことが」
「ババアが?俺を?ふざけんな」
「ふざけてません。お兄さまだってご存知でしょう?おばさま、泣いてらっしゃますよ」
「おまえは?」
「は?」
「おまえは?俺のこと嫌いだろ?」
「嫌いなわけないです」
「あっそ。でも俺はキライ。ババアも、クリーチャーも、レグも、おまえも、みーんなキライ。残念だったな」
ペチン!
弱々しい音が廊下に響く。シリウスは冷たい瞳でわたしを見ていた。叩かれた頬をどうするでもなく、ただただヒヤリとした視線をわたしにぶつけた。「それでも」わたしは声を絞り出す。叩いたてのひらがじわりと痛んだ。シリウスの目が怖かった。それでも声を絞り出す。
「それでも、レグはお兄さまのこと待ってるんですよ!」
「……待てなんて言った憶えねぇよ」
シリウスは踵を返して廊下の反対側へ消えていった。背中が完全に見えなくなると、涙が溢れてきた。どうして分かり合えないんだろう。レグルスはシリウスのことを信じている。憧れている。だけど諦めている。シリウスはレグルスのことを弱いと思っている。強くなって欲しいと思っている。だけど諦めている。本当はふたりとも、優しい人なのに。

その日を境に嫌がらせはピタリと止まった。シリウスが助けてくれたのか、レグルスが気付いたのか、それともシリウスがレグルスに忠告したのか、どれが正解かはわからない。けれどとりあえず曲がり角や天井に警戒する必要はなくなった。本当に、優しい人たちなのに。


レグルスはめっきり考え込むことが多くなった。勉強時間ばかりが増え、睡眠時間は減っていった。成績は少しずつ上がっていった。でもわたしは知っている。おばさまが、そんなレグルスのことをちっとも気に掛けていないことを。
大好きだったはずなのに、レグルスのなかでシリウスはいつの間にか嫌悪の対象になっていた。嫌悪すべき対象、と言ったほうが正確かもしれない。心の底ではまだ優しかった兄のことを覚えているだろうから。とにかくレグルスはシリウスを越えようとした。背丈も、成績も、魔法使いとしての実力も。

それはどうしてかといえば、おばさまを救うためだった。おばさまは次第にヒステリックになっていった。シリウスがグリフィンドールで活躍するたびに、レグルスをなじった。どうしてお前は兄さんを止めないの、どうしてお前は兄さんのような成績を残せないの、どうしてお前は!
レグルスは必死に勉強した。EやOの並ぶレポートをおばさまに渡した。それでもおばさまはレグルスを責め続ける。これまではホグズミードに行ってお土産をくれたのに、レグルスは休日も図書館に篭った。がんばって、がんばって、兄に追いつこうとした。それが不可能だと本能で悟りながらも、身を粉にして必死で抵抗した。
「母上は僕なんてどうでもいいんだ」
「そんなことないよ」
「僕よりアイツが居たほうがいいんだ」
「わたしはレグにいてほしいよ」
「僕はアイツに追いつけるわけないんだ」
「レグルス、」
だってアイツのほうがいいんだろ」
「レグ、疲れてるのよ」
「僕なんかよりアイツのほうが好きなんだろ!」
「レグルスお願い、もうやめて!」
ごめん、とレグルスが言う。その声があまりに小さく、あまりに震えているので、わたしは思わず彼を抱き寄せた。お願い気付いて、わたしはあなたが好きだよ。他の誰でもないレグルス・ブラックが好きなんだよ。レグルスはわたしのローブの端を掴む。ごめん、ともう一度小さく言う。
「おばさまもレグが嫌いなんじゃないよ」
「ごめん」
「わたしが好きなのはレグだけだよ」
「ごめん、
「わたし、レグの傍にいても邪魔じゃない?」
「邪魔じゃない。がいなきゃだめだ」
「じゃあずっと傍にいさせて。レグが泣きそうになっても負けそうになっても絶対ずっとレグのことあいしてるから」
わたしの肋骨の隙間をうめるように、レグの手がわたしの背中にまわる。「僕も絶対ずっとのこと愛してるから」 だから離れないで。 わたしはサラリとした彼の髪に指を這わせる。











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