が14歳、レグルス・ブラックが16歳、そしてシリウス・ブラックが17歳。魔法界は二度目の震撼を経験する。


最初に起きたのはシリウスの絶縁だった。17歳、つまり成人の年を向かえ、シリウスはついにブラック家から勘当された。それにはアルファードおじさまが関係していたというのをレグルスからこっそり聞いた。アルファードおじさまもまたブラック家から抹消されたらしい。
おばさまはこれまで以上にヒステリックにレグルスを怒鳴りつけるようになった。こうなるとわたしにもおばさまを庇うのが辛くなってくる。レグルスは悪くないのに。レグルスは頑張ってるのに!
レグルスは反対に落ち着いた。何か憑き物が落ちたような雰囲気を纏うようになった。おばさま以外の大人たちはそんなレグルスを認めるようになった。それでこそブラック家の跡継ぎであると。親戚一同が会する席ではレグルスはまるで能面のような微笑で堂々と座っていた。少し、レグルスが遠い人に感じた。それでもわたしと居るときには以前のように不器用に笑うので、不安は薄らいだ。


次に起きたのは、わたしの両親の、死だった。


闇払いに殺されたのだと、聞いた。それを聞いたのはハロウィーンの少し前だった。夏休みのおわりにわたしを送り出してくれてから、まだ2ヶ月も経っていないのに。
わたしの家が純血主義だったことは、認めよう。スリザリン的思想を掲げていたことも、「あの方」の行動をどちらかといえば支持していたことも、否定できない事実だ。だけど殺されるようなことはしていない。両親は死喰い人ではなかった。少しばかり古い血筋に固執している、ただの市民だった。なのに。それなのに。

ショックで涙も出ないわたしの傍にはレグルスが居た。震える手を何時間でも握ってくれた。息が詰まりそうになるたびに背中をやさしく撫でてくれた。あまりにも凄惨だというので、家には帰らせてもらえなかった。両親の顔も見させてもらえなかった。
最低限の荷物だけがわたしのもとに届く。母の持っていたブローチ、父のカミソリ、わたしの部屋にあったぬいぐるみ。それが、何になるだろう?

ハロウィーンの休暇はひとまずブラック家に置いてもらった。お葬式は、我が家の金庫から8割。残り2割をブラック家が支援してくれた。うちの貯金ですべて賄うと言ったのに、おじさまがほんの気持ちだと言って出資してくれたのだ。お父さま、お母さま、ブラック家の皆さんは、良い人たちばかりです。

眠れないと言えば、レグルスはわたしが眠るまで肩を抱いていてくれた。食べたくないと言えば、レグルスはホットミルクを注いでくれた。死んでしまいたいと言えば、レグルスはわたしを叱った。

結局、わたしはブラック家にお世話になることになった。いずれわたしが成人すればすぐにでも結婚するのだから、2,3年それが早まったところで大差ない、というのがおじさまの意見だった。当主の意見に従わない者は居ない。わたしはブラック家に事実上の花嫁として迎えられた。でも本当は、居なくなったシリウスの代わりに、宛がわれただけ。

おばさまは少し落ち着いた。嫁をいびるという楽しみが出来たからというわけではなく、純粋におばさまに女のこどもが出来なかったため、わたしが本当の娘のようで嬉しいと言うのだ。なんて素晴らしい方だろう!わたしは庇いきれないと思った少し前の自分を激しく責めた。

レグルスの従姉妹たちも、わたしを優しく迎えてくれた。ベラにシシーはブラック家の遺伝子を余すところなく受け継ぎ、光り輝くような美しさだった。彼女たちはみんなわたしより年上で、ベラなんてもう結婚していた。
本当はもうひとり居たのだという。レグルスは内緒で教えてくれた。アンドロメダ・ブラック。今ではトンクス姓を名乗っている彼女は、マグルに嫁いだ。そして彼女は家系図から抹消された。
つまるところわたしはシリウスの代役で、同時にアンドロメダの代役だったのだ。


わたしが14歳で、レグルスが16歳。レグルスは、死喰い人に、なった。


わたしに何の相談もなく、レグルスはある日突然左腕に闇の印を刻んで帰ってきた。シシーの婚約者であるルシウス先輩と一緒にホグズミードを歩いていたという噂から判断すると、ホグズミードで「あの方」ご本人もしくは代理人と接触したのだろう。
それから数日、レグルスは蒼い顔で談話室にじっと座っていた。痛いのかな、辛いのかなと思って左腕を撫でようとすると、わたしの腕を振り払った。「ごめん」彼が言う。「しばらく、そっとしておいてくれないか」
おばさまは喜んだ。おじさまは何も言わなかったけれど、恐らく喜んでいたのだろう。これで世間に恥じない跡取りになった、これでやっと他の家に示しがついた、と。そしてこれでもう長男が死のうがどうなろうが関係ない、と言わんばかりに。

その長男はといえば、弟とは反対に、卒業後はグリフィンドールの勢力についた。不死鳥の騎士団。ホグワーツの現校長であるアルバス・ダンブルドアの率いる軍勢だった。魔法省の闇払いなんかより、ずっと手ごわい相手。
レグルスはどうして死喰い人になったのだろう。おばさまの期待に応えたい、おばさまの悲しみを和らげたい、それだけだったのだろうか?
兄を超えたい。そしてシリウスに認めてもらいたい。口に出しては言わなくても、その思惑は明らかだったように思う。
シリウスと対峙したとき、レグルスは勝てるのだろうか?そもそも闘うことが出来るだろうか?だってわたしは知っている。本人は否定するだろうけれど、レグルスはまだ、シリウスのことを尊敬している。

レグルスのシリウスに対する憧憬は根深い。きっとレグルスの中でそれは最も原始的な感情だろう。自分に出来ないことをあっさりとこなす兄。自分に言えないことをキッパリと口に出せる兄。
本当はレグルスだって家を出たかったのかもしれない。本当は許婚なんか、わたしなんか要らないと言いたかったのかもしれない。だけど彼は優しかったから、それが出来なかった。だから兄に自分の希望を任せて、自分は家に留まった。兄のことが、シリウスのことが、ほんとうに大好きだったから。


そのまま1年が経つ。レグルスが卒業してしまうと、わたしはひとりになった。シシーも、セブルス先輩も、レグルスも居ないホグワーツ。それがどんなに静かで寂しいところか、わたしの予想はもっと厳しい現実にあっさりと裏切られた。
嫌がらせは再発した。わたしはやっぱり戦った。負けるもんかこの陰険レイブンクローめ!わたしは監督生だったし、わたしのO.W.L.は素晴らしい結果だった。

わたしは小まめに手紙を書いた。まるで5年ほど前と立場が逆転したようだ。今日の授業のこと、スラグホーン先生がレグルスのことをいつも気に掛けているということ、デザートがとても美味しかったこと、他にもたくさん。最後の一文は決まっていた。「次はいつ、会えますか?」
レグルスはそれらの全てに返事をくれた。おばさまがわたしを褒めていたということ、中庭のバラが見頃だということ、それから花びらを数枚、他にもたくさん。締めくくりはいつも同じ。「次のホグズミードで会いましょう」。


わたしが16歳で、レグルスが18歳。あと少しでわたしの姓はブラックになる。


いつものように、ホグズミードに行ける週末はレグルスと会う約束をしていた。いつもはそのままホグズミードを抜け出して、レグルスの姿くらましにくっついてロンドンに行ったり、シシーとルシウス先輩の新居にお邪魔したりしていた。もちろんホグズミードでゆっくり過ごすこともある。
その日は違った。レグルスの意識はどこか遠くに向けられていて、わたしの腕を取って歩くのもほとんど無意識のようだった。レグルス?わたしが呼びかけると、彼はわたしのほうにゆっくり顔を向けて、不器用に笑った。泣き顔かと、思った。

向かった先には馬車が停まっていた。ブラック家の家紋がついていた。御者はいない。馬は退屈そうに蹄で地面を掘っていた。レグルスにエスコートされ、わたしは客車部分に身を乗り入れる。
中は魔法で拡張されていた。ブラック家の彼の部屋のように、渋いグリーンで統一された内装。床はふかふかで、足がとられそうになった。壁際にはクッションが数個。わたしとレグルスはそれを背中に宛てながら凭れ掛かり、床に座った。

「どうしたの?」わたしはレグルスに訊ねる。
「疲れてるの?」レグルスは首を振る。

「でも本当にひどい顔色。無理して来てくれたの?」
「違う、僕がに会いたかったから来たんだ」
わたしはレグルスの手を握る。彼の手はひどく冷たかった。「わたしも会いたかった」
そう言って彼に微笑みかけた途端、ぐっと腕が引かれ、視界が揺れ動いた。

後頭部にこつりとした痛覚と 「レグルス?」 柔らかい髪の黒さが視界にかぶさる。「レグルス?」 返事はなく、少しあつい吐息が耳から首にかけて、背筋を粟立たせる。 「レグルス?」 涙が、こぼれそうになる。
」 ようやく、反応がある。震えていて、怯えたこどものような、声。
「レグ、どうし…」
」 だけどもうその声は、低い、おとこのひとの、声。
「嫌なら、逃げて。僕を殴って、気絶させて、城まで走って、」灰色の鋭い視線が、わたしを射抜く。苦しいのか、余裕のなさそうな声を出しながら、わたしを床に縫い止めながら、わたしの髪を掬う。「嫌じゃないなら、このまま、を、愛させて」

しし座の王は、柘榴色のわたしの髪に唇を落とす。「  い、」声が出ない。心臓が早鐘のようにうるさい。「い、いよ。イヤじゃ な、い」小さな王はその声でわたしの名前を紡ぐ。「だ、って。レグのこと、すき、だし、」
言い終わらないうちに、わたしのくちは塞がれる。噛みつかれているみたいだとか、これからどうなるかとか、おばさまは結婚するまでダメだって言ってたとか、そんなものは思考の奥底で蕩けて消えていく。

すき。すき。こころから、ほんとうに、レグルスが、すき。だからいい。もういい。かんがえるのは、やめる。かんがえない。すき。レグルス。それだけ。それ、だけ。


低い声。細い指。灰色の瞳。獅子がわたしを喰らっていく。
わたしは獅子に喰らわれる。身も、心も、骨も、魂も、全部。


わたしの名前を呼ぶ声が、時折苦しそうにこぼれる声が、わたしのあたまの中でメロディーに変換されていく。あたまに、耳に、空気に、響く。響く。音が、レグルスが。

ああそして、黒いローブも白いシャツも脱ぎ去った小さな王の左腕からわたしを殺すのは、緑の、蛇。



耳に 残るは
  君の
 う た ご え




 わたしが16歳で、レグルスが18歳。
 これがふたりの愛の終わりだと知るのは、翌日のこと。












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