おはよう、


昨日は僕の我侭に付き合ってくれてありがとう。
きみを傷付けはしなかっただろうか?
僕はいま、それを一番に心配している。

もしもいま、きみが僕の頭の中を覗くことができたなら、
心配すべきことが違うだろうと、きみは言うかもしれない。

けれど、ほんとうにそのことが一番心配なんだ。
きみのこれからよりも、ぼくのこれからよりも。
そんなことをきみに告げる僕は最低な男だと、自分でも思う。


、もしも今きみが僕の頭の中を覗くことができるなら、
きみは僕の気が触れたとでも思うのだろうか?

もしも今僕がきみに本当の気持ちを打ち明けたなら、
きみは僕のことをどう思うだろうか?


僕はこれから、あることをクリーチャーに命じるつもりだ。
理由も詳細も述べられないが、あるものを破壊することだ、とだけ伝えておく。
そしてそれに至る過程で僕は命を落とし、二度ときみを見ることは叶わないだろう。

これは予感や予測といった類のものじゃない。確信だ。
なぜなら僕がこれから成そうとしていることは、
闇の帝王に反逆の刃を向けることに他ならないからだ。


そこで、他でもないきみに頼みたいことがある。
きみにしか、にしか、頼めないことだ。

クリーチャーが僕の命じた仕事を梃子摺るようなら、彼の手助けをしてほしい。
それから、このことはクリーチャーときみだけの秘密にしておくこと。
母上や(こんな言葉を使うことすら怖気がする)兄には絶対に口外しないでくれ。

きみも知っての通り、僕が目指していたのは常にあいつを超えることだった。
僕は、自分がこれから為すことで、あいつを悔しがらせることができると思っている。

しかし誤解はしないでほしい。そんなことの為に命を捨てるわけじゃない。
決して、あいつなんかのためにとの未来を諦めるわけじゃない。


、こんなことを頼んでしまって、僕はきみに申し訳ないとしか言いようが無い。
きみはいつだって僕の話を聞いてくれたし、僕の傍にいてくれた。
僕があいつのことで文句ばかり言っていても、きみは見捨てないでいてくれた。
僕があいつに完膚なきまでにやり込められても、きみは笑わないでいてくれた。

そのことは僕の人生において、精神的な支えの最たるものだった。
では僕は、同じようにきみにしてあげられただろうか?
きみにとって僕は頼れる男だっただろうか?
きみが泣いていたとき、僕はきちんと慰めることができていただろうか?
きみが落ち込んでいたとき、僕はきみの励みになることができただろうか?
今となっては様々な後悔と疑問が押し寄せてくるばかりだ。


これから僕は、僕の信念のために、僕の意思で、自分の死地へと向かう。
しかしきみは、きみの信念のために、きみの意思で、生きてくれ。
決して、自分の命を粗末にしないでくれ。
きみの父上や母上のために、僕のために、僕のようにはならないでくれ。

僕にそんなことを頼む資格なんて無いのだと、きみは怒るだろうか。
もしそうなら、僕は甘んじてその批難の全てを受け入れよう。
きみが僕を受け入れてくれたように。きみが僕を愛してくれたように。


どうにも、思っていたより長い手紙なってしまっている。
もっと簡潔に、用件のみで終えるつもりだったのに、
僕の頭の中では、きみへ伝えたいことが今になって溢れかえっている。

すべて書き記すことができればいいのだが、きみは最後まで読んでくれるだろうか。
破り捨てられても、暖炉にくべられても、文句の言えない手紙なのだから。

それでも僕は、きみが最後まで読んでくれているのだろうと思ってしまう。
そして、もしかしたら泣いているかもしれない、とも。
もし僕の愚行の所為でそうさせてしまったのなら、申し訳ない。
そのときはこの手紙を破り、暖炉にくべ、灰をドーヴァーにでも捨ててくれ。


、僕がこの決意をすることが出来たのは、きみが居たからだ。
僕の胸にはきみとの思い出がある。きみの未来への希望がある。
だから僕は、この一歩を踏み出すことを躊躇わない。

今まで、本当にありがとう。
どうか、どうか僕の分まで幸せになってほしい。

きみの、深い翠の瞳は愛らしい。そしてまた、その瞳から零れる涙は美しい。
そんなに愛されて、僕は本当に幸せだった。

僕を弔おうなどとは思わなくていい。
僕に操なんて捧げなくていい。
僕はきみの愛を裏切ってしまうのだから、それを受け取る資格は無い。


もっと続けることも出来るが、言い訳にしかなりそうもない。
今になって僕は自分の未練がましさを実感している始末だ。
せめて筆を置くべき引き際くらいは、潔くありたいと思う。


きみの笑顔が見られることを、いつでも祈っている。




きみの愚かな婚約者 レグルス・アルクトゥールス・ブラックより
たくさんの感謝と、愛を込めて。









それを受け取ったのは、ホグズミードでの記念すべき日を過ごしてから1日も経っていない朝だった。昨日の余韻を残しながら朝食の席に着くと、いつも通りに梟が手紙を運んでくる。わたしは自分の飼っている灰色の梟から手紙を受け取った。封筒に差出人の名前はないが、指触りの良い上質なそれを使うのはひとりしかいない。様、ジェットブラックのインクが呼びかける。わたしは嬉々として封筒を開けた。

「   え?」

なにかの間違いだ、と。初めに浮かんだのは、そんな感想だった。
彼の、紛うことなくレグルス・ブラックのものである文字は、穏やかに彼の死を告げていた。流れるような、それでいて角ばった不器用な字面を、わたしは何度も何度も読み返す。上から下へ。最初から最後へ。一行目へ戻る度に、この内容が嘘だと告げる言葉を探した。などということは嘘なのです、ほんの冗談だったのです、ただその言葉を探した。

「 うそ」

読んでも読んでも、いくら読み返しても、欲しい言葉は現れない。文末、文頭、文末、また文頭。何度そのサイクルを繰り返しただろう、頭の先から血の気がざっと引いていくのを感じた。かしゃん、と音を立ててフォークがテーブルから落ちた。その音はわたしの耳に届かなかった。

「や、やだ、 どうして、」

うそ、お願い、いやだ、こんなのいやだ。きのう、やっと肌を交わしたばかりなのに。これまで守り続けてきた厳格な家の教えに背くのも厭わないと、それほどまでに自分を愛しているんだと、きのう、やっと伝えてくれたばかりなのに。なのにどうして、こんな手紙を送ってくる?

血の気のうせた顔で愕然としているわたしを見て、ようやく周囲の生徒もおかしいと気付き始めた。大丈夫ですか?どうかなさいましたか?それらの、好意に見せかけた媚を全て聞き流し、わたしの体は小刻みに震える。お願い、だれか、うそだと言って。だれか。どうか。レグルス。


がたん!と音を立てて、わたしは椅子を倒さんばかりに立ち上がった。教師たちまでもが驚いたようにこちらを見ていたが、気にもならない。そのまま大広間を飛び出し、玄関ホールへ向かった。レグルスに会いたかった。こんな手紙は嘘だと、冗談だと、本人に否定してほしかった。心臓はまるで止まっているかのように静かだ。あるいはあまりにもテンポが速いので、わからないのかもしれない。

大きな、重い樫の扉を開け、校庭へ雪崩れ込む。足がもつれた。肺が潰れそうだった。それでも走る。ロンドンへ、あの大きなブラックの家へ。うしろから教師たちが叫んでいた。どうしたのですかミス!戻りなさい!そんな音はやはりわたしには届かない。

やがて広い校庭をも走り切り、門が目に入る。通常は閉ざされているそれがホグズミードの日以外で開かれていることはないし、それは今だって例外ではない。わたしは鉄柵に指を絡ませ、体重をかけた。引く。引く。何度も、何度も、引く。

「あけて、お願い、レグが、」

冷たい鉄が皮膚を傷める。それでも引く。

「あけてよ、あけて!通して!行かなきゃ、レグルスが、通してよ!お願い、動いて、ちょっとでいいの、お願い、どうして、 レグルス!」

どうして、ねえどうして。どうしてレグルスはこんな手紙を送ってきたのだろう。どうしてレグルスはそんなことをしたのだろう。どうして、ねえどうしてこの門はびくともしないのだろう?

門は、動かない。

ぼろぼろと、涙が零れた。指先から徐々に体が凍っていく。しなだれかかるようにして、冷たい地面にぺたりと座り込んだ。当然、門は動かないし、レグルスからの答も返ってこない。

鉄柵にしがみついて泣く。おねがい、レグルスに会わせて、きのうが最後だったなんて、もう二度と会えないなんて、そんなのはいやだ。いやだ、いやだ、いやだ、

「やだ、こんなのやだっ……レグ、レグルス、いやだよ…」

てのひらと鉄柵の間でくしゃくしゃになった羊皮紙が、膝の上に転がった。涙の雫がそれの上に降り注ぎ、ジェットブラックのインクは所々が滲んでいく。あたかも、書き手のいのちの灯火が滲んでしまったことを告げるかのように。


頭のてっぺんを大きな手が撫でているのに気付いたのは、それからどれだけ時間が経ったあとだったのか。

ゆっくりと顔を上げると、アルバス・ダンブルドアが微笑んでいた。わたしはとっさにレグルスからの手紙を畳んでローブのポケットに入れた。見せてはいけないと強く思った。クリーチャーとふたりだけの秘密にするようレグルスが言ったのだから、その約束を違えるわけにはいかない。

「……一時帰宅、を、認めてください」
「どうかしたのかね?」
「……よくないこと、が、あったと…手紙、が、」
「ブラック家の誰かに不幸があったと?」
「…………………」
「……よかろう、ミスの一時帰宅を許可する」

白き偉大なる魔法使いは、無言で杖を振る。さっきまではびくともしなかった門が、なにかの間違いであるかのようにするすると開いた。

わたしはお礼を言うことも謝罪をすることも挨拶をすることも何もかもを放棄して、ホグズミードの町へ向かって走り出した。町は一日前となにも変わらないのに、わたしを取り巻く環境はすっかり反転してしまった。レグルスがいない、レグルスにはもう会えない、もう一緒にこの町へ来ることは出来ない。

杖腕を掲げると、爆発音と共に派手な色合いのバスが現れた。口上を述べる車掌にポケットから取り出した金貨を握らせると、車掌はすぐに口をつぐんだ。

「ロンドン、グルモールドプレイス12番地、ブラック邸」

朴訥に、それだけを告げる。ブラック。その名前に、車掌も運転手も乗客もはっと息を呑む。何にも気付かなかったふりをして、わたしは一番奥のベッドに潜り込んだ。

あなたたちに、何がわかる。ブラック一族の抱える悲しみも本物の高貴さも、なにも、なにひとつも、わかってやいないくせに。レグルスが、一族の最後の跡取りが、何を考え、何に憂い、何を善しとして生きたのか、これっぽっちも知ってやいないくせに!

それは詰まるところ八つ当たりだった。突然送られてきた遺書によって湧き上がった行き場の無い感情が、少し零れただけだった。それでも涙は溢れてくるし、それでも嘘だと言ってほしい気持ちが消えることはない。



バスは他の乗客すべてを後回しにして、わたしをブラック邸へと届けた。タラップを踏み、車掌の顔へ一瞥も呉れずに歩き出す。大きな屋敷からは、なんの物音もしない。

大きな音を立てて、再びバスが走り出す。それを横目で見送り、蛇の飾りのついたドアノッカーを掴んだ。ごんごん、と、鳴らす。

どうか、出迎えてくれるのがレグルスでありますように。この手紙を送ったあと、支度を終えた彼がまさに屋敷を出て行く、その瞬間に間に合っていますように。

ぎぃと軋んだように鳴きながら、重厚な扉が開く。ぼろぼろの布をトーガのように纏ったしもべ妖精が、涙を極限まで溜め込んだその大きな瞳で、わたしを見上げていた。

ぐしゃりと、顔が歪む。ぼろりと涙がこぼれる。呼応するように、しもべ妖精の瞳からも雫が落ちた。



レグルスはもう居ない。ただそれだけが、現実だった。











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