A swarm of bees in May
Is worth a load of hay;


ある寒い朝に僕は満月の恒例行事を終えて学校への帰路に就いていた。
理不尽な寒さが如何せん腹立たしくてまっすぐ帰らないことにした。
きっと寮ではジェームズとかシリウスとかピーターが待っているだろうけど反抗期な気分だった。

まあそういうこともある。
要するになんかこう「ワーッ」ていう感じ。わかる?

「アーッ」かな。
「ア゛ーッ」かもしれないな。

なんでもいいけどそういう感じ。わかってくれる?


そういう気分だったので城には向かわずに森へ進路を取った。
降りたての霜がざっくざっく鳴ってつまさきがしびれる。しばれる。方言だね。

腕時計を壊してしまったので僕には時間がわからない。
でも空腹具合からして恐らく七時、七時半、それくらい。八時ではない気がする。
この一週間というものやけに神経が張り詰めるのでそういうことには敏くなった。


ざっくざっくと僕の靴が霜と草を踏み荒らしていると湖に出た。
少しもそういうつもりじゃなかったのに湖面を見た途端に急に巨大イカに会いたくなった。
僕は投げ込むための石かなにかを探してきょろきょろと首を廻らせた。
あるのは木と青白い顔の女の人と草と霜だけで石なんて落ちていない。

仕方ないので草を千切って水面に浮かべたけどそれでイカの気を引けるわけがない。
崩壊した笹舟のようなみどり色がぷかぷかしているのを湖畔にしゃがみ込んで眺めた。


「えっまさかのスルーですか」
「あ、ごめん。つい」


ふーって息を吹き付けて舟を進めさせていると話しかけられた。
気にしないように気にしないようにしてたのに何てことだ。

振り返るとやっぱり青白い顔の女の人がいた。
顔色と同じような色の極めて原始的な裁縫の布を服のようにして着ている。
青少年には目の毒かといえばそうでもないなぜなら皮膚の色がひどく青白いから。
これっていわゆる「化生の者」ってやつ?


「じゃあ聞きますけどどちらさまですか?」
です」
「そうじゃなくて何かこう分類的なくくりでいうと」
「あ、カリアッハ・ベーラの一族です。すいませんついうっかり」


カリアッハ・ベーラ。
聞きなれない単語が聞こえたので耳をとんとんと叩いてみるけれど聴覚は正常だった。
青白い女の人は「知ってます?」と言って期待したように見てくる。

もう一度ふーっと息を吹きつけて水面の葉っぱにちょっかいをかけた。
なにかの弾みで答えがぽんと浮かばないかとぼんやり思ったけど駄目だった。
僕は観念して「さあ知りません妖怪ですか?」と言った。ちょっと言い過ぎたなって思った。


「ひどい、妖精ですよ。まあ似たようなものですが」
「じゃあ妖精で。なんの妖精なんですか?」
「冬です。冬の妖精」


は少し自慢そうに言う。
僕は周囲を見回してまだみどり色と言っても正しい草たちを見た。
言っておくけどまだ秋だから冬の妖精の出番には早すぎる。


「せっかちなんですか」
「違いますよ。仲間たちはもっと北のほうに棲んでいます。
 ずっと昔からこの季節に出るのが習慣になっているんで私もついつられて、」


なるほどせっかちじゃなくてうっかりさんだったらしい。
は僕の横に腰を下ろして枯れた枝のようなものを取り出した。あれっどこから?
だって服は極めて原始的な裁断だからポケットなんていう収納スペースはありそうにない。

まあ妖精だからとそこは気にしないことにして湖面を眺める。
イカは出てこない。お腹がすいてきた。別にイカと空腹に関連性があるわけじゃないよ。


「………あの、もうちょっと興味持ってくださいよ」
「あ、ごめん。つい空腹で、」
「もっとこう『仲間がいるの?』とか『その杖はなに?』とか聞いてくださいよ寂しいです」
「えっそれ杖なの?枯れ枝じゃないの?」


僕はの手元のそれをまじまじと見つめる。枝だよどう見ても。
は「杖です」と自慢そうに言った。別に羨ましいわけじゃないよ?僕も持ってるし。

その枝、じゃない杖をが軽い動作でさっと振る。
すると近くにあった木から葉っぱが『どさあ』と音を立てて降ってきた。
まだみどり色の葉さえもなくなった木は枝を空しく広げて立っている。


「どうですか、私たち一族はこうやって冬を呼び込、」
「うそなにやってんの!僕まだ冬とかいやなんだけど!寒いのに!」
「えっマジですかごめんなさい」
「はやく戻してよ!」
「戻せないですよ冬の妖精だから!」


思わず立ち上がって言い合う僕と
妖精のくせになんて中途半端なんだと諦めて僕は再び湖畔にしゃがみ込んだ。
まあいいこれ以上に冬を呼び込ませなければいい話だもんね。

イカは出てこない。お腹がすいた。イカと空腹に関連性を見出しそうになる。


「ごめんなさい役立たずで。だから群から放り出されたんですよね分かってます」
「(うわあネガティブ)、えーっと妖精って群棲なの?」
「あ、はい集団生活です。なのでいじめがつきものなんです。
 私は美しくないからいじめられましたがそういえば役立たずでもありました」


うじうじと地面に『の』の字を書きながらが言う。
そこで初めて僕は彼女の横顔をじっくりと眺めた。

銀色のまつ毛、濃すぎてもはや黒に近いサファイア色の大きな瞳、
髪はさらさらして光が透けている色合いがまるで虹のよう。


「極端に青白いところ以外はきれいだと思うけど」
「うそですよ、だって一族で一番きれいな子より鼻は高いし目は大きいし
 髪はさらさらだし腕だって細いし、あ、胸は同じくらいです。そこだけはまだマシですね」


は最後だけ気分を持ち直して言った。
ん、んん?なんだか自慢のように聞こえたんだけど気のせいだろうか?
それとも僕たちとは美人の基準が違うのだろうか?なにせ妖怪、じゃなくて、妖精だし。


「あ、うん。まあいいや。それで追い出されてここに来たんだ?」
「はい、もうずっと昔です。アーサーが来たのと同じくらい昔です」
「アーサーって?アーサー・ウィーズリー?」
「いいえ。えーと、アーサー……エクスカリバー…さん?
 たくさんお友達がいるんですよ。トスタリンさんとか」


えええええって叫びたいのを僕は必死に堪えた。
エクスカリバーってそれ名字じゃなくて剣だしまさかのキングアーサー?
じゃあお友達って円卓の騎士?じゃあトスタリンってトリスタンのこと?

まさか中世よりもっと前から生きているとは思えない彼女の外見に目を瞬く。
でもそういうものなのかな妖精とか妖怪とかって。(それしか言ってないや)


「な、長生きですね」
「長生きですね。でも寂しいですひとりだから」


僕は馴れ馴れしくなっていた口調を元の丁寧レベルに戻して言う。
だってほら年長者って敬わなきゃばちがあたるって言うし。

は杖をまたどこか亜空間に仕舞うと湖に足をつけた。
寒くないの?なんていうのは冬の妖精には野暮だろうから聞かないよ。


「カリアッハ・ベーラは冬の妖精なのでこの森でも嫌われます。
 しょっちゅうユニコーンに突かれます。あんなに可愛いのに怖い生き物です」
「わ、それは痛い」
「痛くはないですだって痛いと思わない石のときに突いてくるから。
 石じゃないときの私だったらユニコーンを凍らせてしまうくらいの反撃はできます」


さらりと怖いことを言われたのはスルーして僕は「石?」と聞き返す。
「はい、」とが頷いた。細い髪がゆるゆる揺れる。


「私たちは春になると石になるんです。メイポールのお祭のころですね。
 それでまた涼しくして雪をどっさり降らせるためにハロウィンのころまで待ちます」
「ああ、冬眠の逆みたいな」
「そうですね。目が覚めると小さい人間が増えているのが楽しみなんです。
 いつかあの楽しそうな建物の中に入ろうっていうのが密かな目標なので内緒ですよ」


はホグワーツの城を指差す。
小さい人間というのはじゃあ新入生のことだろうか。
あと内緒ですよとか言われても「はい」って言わなきゃ凍らされちゃうんでしょ?

僕はこっそり顔を強張らせて湖面を見つめた。
巨大イカ出てこないかな。僕の空腹もどうにかならないかな。自己犠牲じゃなくていいからさ。


「私は、カリアッハ・ベーラは、恐ろしいですか?」
「…あ、いえ。特には」
「それは良かったです。あなたとは仲良くなれそう」


はにこにこしながらその薄い唇でふうっと水面に息を吹きかけた。
そうすると水面は一瞬のうちにぴきぴき音を立てて凍ってしまう。

え?え?と呆気に取られる僕に構わずに彼女は湖を渡って行く。
そして湖の中央くらいに来たところで膝をついて氷を割った。
つららみたいな細い腕を湖の中に入れて何かを探る。


「……ほりゃっ!取れました。お土産です」
「(なんだいまの掛け声)、お土産?」
「ゴルゴンブルーフィッシュ。おいしいですよ」


得意そうな表情で戻ってきたに『それ』を渡されてしまった。
ゴルゴンブルーフィッシュとやらは活きが良くびっちびっちと跳ねている魚だった。
そのウロコは青っぽいような虹色っぽいような不思議な色合いで美味しそうには見えない。
どちらかというと水槽で飼うタイプの魚類だと僕は思った。言わないけど。


「また来てくださいねっていう貢ぎ物のお土産です」
「………うん。じゃあまた来ます。貢がれちゃったし」


ゴルゴンブルーフィッシュを仕方なくポケットに仕舞って僕は言う。
あ。あ。やばいよ。やばいって。跳ねてるし。すごく跳ねてるし。きもちわるっ。

ポケットを押さえて立ち上がって森の出口へ身体を向けた。
は湖畔に立ったままにこにこしていて朝日が髪や服を透かしている。
なんだか魅入ってしまいそうな光景だった。きれい。うん、きれいだった。


脳裏に焼きついたようなその映像を消さないように注意しながら僕は寮に戻った。
実は肺呼吸が出来るのか知らないけれど魚は元気にポケットの中で跳ねている。

なのでまだ眠っている黒髪ハンサムの額の上にそっと置いてみることにした。
がばりと起き上がるシリウスにおはようと言いながら『そういえば名乗るの忘れてた』と思い出した。