A swarm of bees in May Is worth a load of hay; それからレポートとか抜き打ちテストとかをなんとか片付けて時間を作って森に向かった。 ジェームズたちもリリーも居なくて僕ひとりだけでに会いに行くのは初めてかもしれない。 どうしようなんだかスキップでもしたい気分なんだけど。浮かれすぎ? 僕がのことをすきかどうかはともかくとして単純に楽しみだと思った。 ああなんだろう。いまなに食べてるのかなとかそういうことばっかり考えてしまう。 またゴルゴンブルーフィッシュかそれともレッドクレタシュリンプかそれとも別のものか。 「そこで止まった方がいいと思いますよ」 いつもの湖畔でを呼ぼうとした僕は喉の寸前で空気を呑んだ。 すこし横に視線をずらすと木立に紛れるようにさんが立っていた。 相変わらず中世の貴族のような服を着て口元にはアンティークなパイプを咥えている。 だけどいつも笑っていた目がいまはどこか鋭いように思えた。 「そこで止まった方がいいと思いますよ」 「お久しぶりですさん突然何なんですか?」 僕はちょっと機嫌が悪く聞こえるように言った。 さんはそこで初めてニタリと笑う。 よくパイプが落ちないものだなあと僕はこっそり感心した。やっぱり妖精だから? 「今日は我らが王オベロン様が王妃様といらっしゃっているのでね」 「はあそうですか」 「なのであなたはそこより先に進まない方がよろしいでしょう」 僕は「どういう意味か分かりません」と多少挑戦的に言った。 妖精の王が来ているというのは確かに一大事だろうとは思う。 だけどそんなことは僕の意思とはなにも関係ないじゃないかと言いたいんだ。 とは言っても足元からオーラ?的なものが僕を拒絶している感じがしている。 枯れた草のなかに見えないラインが引かれているような。結界か何かが施されているような。 これは僕の反抗的な考えを読み取ったから反応したんだろうか? 「ヒトは去れ、と言っているんですよ。 ネクラベーラは王と謁見していて会えませんから」 「……さんは僕をヒトだと思っているんですか?」 「いいえ。ですがはあくまであなたを『人間』と呼んでいました」 そう言われて僕はがさんに言ったことを思い出した。 『その人間に手を出したら本気で怒りますよ』。 そうだそういえばあの時さんは妙に含みのある言い方をしてたっけ。 僕は結局ヒトでもないしヒトじゃないものでもないんだ。 ヒトの中に居たら「完全なヒトじゃない」って言われて。 ヒトじゃないものの中に居たら「半分だけヒトじゃないか」って言われて。 なんだろう。今さらそんなことに気付いてガッカリしてる自分がおかしいと思う。 僕はずっと『そういうモノ』だったんだから「やっぱりね」って受け流せるはずなのに。 「そこで迷いますか。あなたは面白い狼人間ですねえ」 「……ほっといて下さい」 さんはクツクツ笑って「贔屓をしてあげましょうか?」と言った。 僕はいつのまにか俯いていた顔を上げて意地悪く笑うさんを見た。 「男には興味はありませんが悩める狼人間には興味があります。 あなたが『コチラ』の世界を見てみたいと言うのなら特別に見せてあげてもいいですよ」 「……対価とかあとで要求するとかいう目論見ですか?」 「まさか。あなたが『コチラ』に来れば面白そうだと思ったので言ったのです」 僕は「それはどうも」と言いながら思考を駆け巡らせた。 これは何かの罠だろうか?僕を誘うメリットがさんにあるんだろうか? この見えないラインを超えたら戻って来れないという魔法が掛かっている可能性だってある。 だけど僕の深層心理にはたぶん「さんに着いて行ってみたい」という思いがあるんだろう。 灰色の土を踏んでいるこの両足がまだ緑をかろうじて残している『あちら』に行きたいと言っている。 「さてどうしますか?」 「…………本当にペナルティとか無しで見るだけで済むんですよね?」 さんは僕の質問に言葉で答えず腰を折って綺麗にお辞儀をした。 前髪がさらっと顔にかかってまるでデート前で気合の入ったシリウスのように見える。 僕は顔を上げたさんに腕を引かれた反動で身体が動き足元のラインを超えた。 その瞬間、白灰色だった世界が一転して凍てついた。 元気の無い木も季節に関係なく茂っていた低い木立も何もかも氷漬けになっている。 落ちてくる木の葉は途中でつららのように固まっている。 太陽の光はどこへ行ってしまったのか目に映る世界は蒼っぽい光沢に満ちている。 「喋らずに。王の機嫌を損ねます」 「さん、」とこの光景について問いかけようとした僕のくちは彼の手で塞がれた。 僕はもごもごと呻きながら頷いてなんとか口を解放してもらう。 吸い込んだ空気までが凍っているようで肺の心配をしそうになった。 あの見えないラインは結界だったんだろうかと僕は考えた。 枯れ枝だとしても一応は杖を持っているのだからになら出来ることだろう。 滑らないように足元に気をつけながらさんの後をカルガモのように付いて進む。 そんなに長い時間を掛けずに少し開けた場所が見えてきた。 そこは氷で廊下や祭壇や椅子が創られていてまるで宮殿のように見える。 というより実際に宮殿の目的をもって創られたんだろう。 氷の中に花が入った玉座に座っているのはさんの言っていた『王』らしき人影だった。 それは三歳児のような背丈なのにハンプティーダンプティー的な体型をした美形だった。 なんともアンバランスだけどあれが妖精王・オベロンだと思って間違い無さそうだ。 はその玉座の前に膝をついて頭を下げていた。 氷の女王だと思っていた彼女が今はただの臣下になっているというのがしっくりこない。 「群れから出たカリアッハ・ベーラが居るとは聞いていたが… おまえはこんなに人里に近いところに隠れ棲んでいたのか」 「はいオベロンさま」 「何も問題は起こしていないのだろうな」 「起こしておりませんオベロンさま」 がいっそう低く頭を下げるとオベロンの横にた女性が「あなた」とたしなめた。 のように白い布を巻いただけのような服だけど顔色は普通で頬はばら色だった。 オベロンに気軽に話しかけているところを見ると彼女が王妃・ティターニアだろう。 「咎めならばよろしいではありませんか。 彼女がきちんと人間と共存できているのでしたら不都合などありませんわ」 「……おまえがそう言うのなら構わんが。 、おまえにこの地の総括を任せる。人間との折り合いを保つよう励むが良い」 「謹んで拝命致します。オベロンさま。ティターニアさま」 の言葉にオベロンが頷いて満足そうに立ち上がった。 ティターニアがに笑いかけてオベロンの傍に寄り添う。 ふわりと風が吹いて氷の世界が溶け始めた。 「……しかし何か問題を起こしたときは覚悟をしておくことだ」 「ご注進痛み入ります」 どろどろと溶けていく世界の中で妖精王の夫婦が煙のようにふっと立ち消えた。 「え、」と思わず小さな声を零すとがハッとした表情で僕の方を振り向いた。 「リーマスさん?」と僕の名前を呼ぶ涼やかな声が蒼に反響する。 が僕の名前を呼んでくれたことが無性に嬉しかった。 さっきまでの畏まった姿とは違って女神さまの威光を取り戻したように見えたからだ。 「良かったですねネクラベーラ。強制送還は免れたようじゃないですか」 「………さん…さてはリーマスさんを誑かしましたね」 さんは肩を竦めて「人聞きの悪い」と薄ら笑った。 「悩める狼人間に興味があったということは否定しませんがね。 このいたいけな少年を誑かしたのはあなたでしょうに。全く罪なネクラベーラですよ」 何を言ってくれるんだこのひとは。 僕は彼を横目で睨んだけれどさんはちっとも動じずにニヤニヤと笑っている。 は目をぱちぱちさせて「…誑かされましたか?」と僕に聞いた。 いやそんな直球に聞かれてもどうしようと思ったけど反射的に「はい」と言ってしまっていた。 そうだよそんなつもりは無いのかもしれないけどは僕の女神さまなんだよ。 誰かに頭を下げるなんてせずに真っ白い世界でふわふわ笑ってて欲しいんだよ。 僕らの周りの氷の世界は我関せずといったように融解を続けている。 なのに僕のローブも靴もなにも濡れないのは妖精の力なんだろうか。 「……そうですか…わたしは人間を食べる趣味は無いのですがどうしましょうか…」 「うん。僕も食べられたくて来たわけじゃないです」 「バカですね。食べるつもりが無いのなら手元に置いておくだけでいいじゃないですか」 その言葉にはぴたりと動きを止めた。 僕もさんも動かなくてただ周囲の氷だけがだらしなく雫を垂らしている。 ぴちょり。ぴしゃり。と音がする。 は白い腕を持ち上げて服を靡かせながら一歩一歩僕の方へ歩んできた。 足元が氷の絨毯になっているからだろうかスルスルとまるで滑るような動きだった。 僕は動けなかった。 血の気の無いの顔がぐっと近付いても冷たい指が僕の頬をなぞっても。 ただぞわりと背中に悪寒のようなものが奔っただけだった。 「私と 契約 しますか?」 「契約?」と聞き返すとが「契約です」と復唱する。 すぐ横に居るだろうさんのことなんて忘れて僕は目の前だけに集中した。 色の無い白い頬。オーロラ色に靡く髪。クラクラするようなサファイアブルー。 のくちびるが音を零すたびに冷気が僕の鼻に掛かった。 「妖精の魔力にあてられてしまったのなら行く末は二択にしかなりません。 体内に毒を飼ったままヒトの世界に戻るか私と契約してヒトならざるモノになるか、です」 「……ヒト、ならざる、モノ?」 「リーマスさんの中のヒトを消し去ってしまうという意味です」 頭から冷水を掛けられたような気がした。 僕は完全なヒトでもなく完全にヒトじゃないモノでもない。それが崩れる? 「どちらかを選べばどちらかの道は閉ざされます。 もう一度聞きますリーマスさん。私と 契約を しますか?」 僕は声を出すことが出来なかった。 僕の半身が消えたらどうなるって言うんだろう。 それは僕なのか?リーマス・ルーピンとして生きているモノなのか? ジェームズやシリウスやピーターやリリーを捨ててまで得るものなのか? 僕は声を出すことが出来なかった。 すぐ横でさんがクツクツ笑っているのが分かった。嵌められたってことか。ああそう。 ああそう。 結局これは魔力のせいだっていうんだね。 全部。全部。この女神さまみたいな女王さまみたいな冬の妖精の創る粉雪だったんだ。 僕は声を出すことが出来なかった。 つららが溶けきって中に入っていた枯れ葉がカサリと地面に落ちた。 それが合図だったように僕はに背を向けて走り出した。 違うよ僕はただ楽しく笑っていたいだけだったんだ。 何かを捨てろとか選べとかそういうことを言われるために来たんじゃない。 大切な大切なヒトの部分を捨てることなんて出来ない。 走って走って城まで走って一度も振り返らずに談話室に飛び込んだ。 ジェームズたちが驚いたように「どうしたんだい?」と言ってきたけど無視してベッドにもぐる。 僕はそれから森に行くことを 止めた 。 |