A swarm of bees in June
Is worth a silver spoon;


僕はリーマス・ルーピン。33歳。もう「僕」は止めたほうがいいだろうか?
ならばこれからは「私」と称することにしよう。
私はリーマス・ルーピン。ミドルネームはジョン。父の名前だ。クールかい?

さて、いきなりだけど、時間が飛んだ。人生は得てしてそういうものだから。
私は自分を「僕」と言わなくなり、そして適度に言葉を区切ることを覚えた。
思考形態の変化。冗長した思考からスタッカートのような思考へ。
それはなぜかといえば時代が移り変わったからだ。時代が。時間が。飛んだからね。

時代が移り変わったその瞬間に、ジェームズという成人男性がひとり消えた。
そしてリリーという女性も。ハリーという幼児は、社会的に消えた。
社会的にというのは我々の社会から連れ出されたという意味だから物理的には消えていない。
ただしジェームズとリリーは社会的なメモリーには残っていても物理的には消えてしまった。

そうだ。もう1人消えていた。
社会的メモリーからも徐々に忘れられ、きっと物理的にも風前の灯火だろう、シリウスという男。
けれど彼は風前の灯火ではなく水を得た魚だったらしい。
いまや新聞のトップに躍り出て、毎日、その一挙一動が報じられている。
まるでスターだ。いつからこの社会はピカレスク至上主義になったんだい?

なんて皮肉を言っても始まらないから止めておこう。
事実、このピカレスクな事態によって私は職を得ようとしているところだからだ。
私は彼に礼を言うべきなんだろうか?「やあシリウス、君のおかげで久々に職を持てそうだよ」って。

皮肉なことだ。たくさんのものが消えて、残ったのは私と彼だけ。
ジェームズもリリーも居なくなって、そうだ、ピーターも居ないんだ。
残った私たちがこうして無様に疲弊している様子を、彼らは笑いながら見ていることだろう。


私はホグワーツの大きな校舎に向かい合っていた。「話がある」と呼び出されたからだ。
きっとダンブルドアは私に、シリウスについての何かを聞き出そうとしているんだろう。
彼が隠し持っている秘密の術はないか、とか。きっとそういうことを。
だけど私は世間で言われている以上のことを知らない、ということにしておくつもりだ。
動物もどきのことは、今はまだハッキリと因果関係にあると分かったわけじゃない。

新学期から教職に就こうというのに、これではまるで公僕の自覚が無いな、と自分でも思う。
しかしまあ、魔法省が困るだけなら構わないとさえ思う。私は、反人狼法の恨みを忘れない。
けれど困るのは一般市民もなのだから、事態を鳥瞰しているだけでは済まなくなったということだ。

それに、ホグワーツには、ハリーが居る。
大昔に社会的に消えた幼児がどのような少年に成長したのか、私はとても興味があった。
女の子は父親に似るというし、ならばハリーはリリーに似ているのかもしれない。
でも生まれたときは黒い髪だったのを私は覚えている。だからきっとジェームズ似のはずだ。
まあそれはどっちでもいいんだ。ただ彼が、幸福に生きていてくれているのなら。

私は大きな樫のドアを開けて校舎に入り、そのまま校長室を目指した。
ガーゴイル像に「パンプキンフィズ」と合言葉を言う。飛び退くガーゴイル。
私は螺旋階段を上がって、老賢人の待つ部屋の扉を開けた。


「おおリーマス、よう来てくれたのう。少し痩せたようじゃが、しっかり食べておるかね?」
「お久しぶりですダンブルドア。まあ、それなりになんとかやっていますよ」
「ならば良いがの。さて、まずは新任の先生に祝い酒じゃ。シェリーは好きかね?」


ダンブルドアは杖を振って、ガラスの小さなグラスと簡単な料理が机の上に並んだ。
正直に言うと、私が教師として召集されるのに同意したのはこのためでもある。
グラスを掲げて、声には出さずにハリーに乾杯して、私は一気にシェリー酒を飲み干した。
こう見えても、アセトアルデヒドは体内に溜めない体質なんだ。あまり呑む機会は無いけれど。

それから私たちは取るに足らない雑談をした。取るに足る真面目な話もした。
ハリーのこと。料理のこと。大臣のこと。ハグリッドのこと。ソックスのこと。シリウスのこと。色々。
料理を口に運びながら話しているうちに、ふと思い出したことがある。

レッドクレタシュリンプの氷結砕き。
遠い記憶のなかで彼女が言っていた、謎の料理だ。

きっとそれを思い出したのは、いま食べているエビのカクテルサラダのせいだと思う。
このエビはきっと彼女の言うレッドクレタシュリンプではないだろうし、
サラダソースにまみれた様子を氷結砕きと表現するわけはないだろうけど、それでも。


校長との会談が終わって、私は城の玄関を開け放った。
すこし遠くの目の前に鬱蒼と茂っているの『禁じられた森』は、記憶の中と少しも変わりない。
きっとそれが自然というものなんだろう。12年なんて、1回くしゃみをする程度の時間なんだろう。

彼女は、まだ謎の料理を食べているんだろうか。
なんだっけな。ゴルゴンブルーフィッシュとか、何かの蜜とか。

結局、私は『あれ』から彼女には会っていない。
彼女の言うような『体内に毒を飼った状態』で居ることを選んだわけじゃないが、結果的にはそうだった。
もしあのとき、私の未来がこうなると知っていたなら、ヒトならざるモノの道を選んでいたかもしれない。
女神を捨ててヒトに紛れる道を選んだのに、結局、こうやってひとりになってしまったのだから。

彼女はいまの私を見て、どう言うのだろう。
私はいまの自分の白髪まじりの髪が、まるで彼女のオーロラ色に近付いたようで、少し嬉しくも思う。
あるいはそれもまだ私の中にある『毒』のせいなのかもしれない。わからない。それでいいと思う。

だから私の足が自然と森のほうへ向いていたのは不思議なことではないだろう。
深層心理を分析してみれば『ルーピンはヒトを辞めたいと思っている』なんて答えが出るかもしれない。
または『ヒトでないモノになってシリウスに一矢報いてやろうと思っている』とかね。

私は歩いた。森の中を。昔より大きな一歩が踏み出せる足で。
心なしか森の天井が低いように思った。最後の訪問のときから背が伸びたのだろう。

ざくざくと夏草を踏みつけて行くと、藻が繁殖した湖に出た。
最初に彼女と会ったときは、表面に薄く氷の張った美しい湖だったのに、これでは溜め池だ。
あ。いや違う。氷が張っていたんじゃない。彼女が水面を凍らせたんだった。

記憶の曖昧さ。それも仕方のないことだと言っても差し支えないだろうか。
私はもう33歳で、彼女に比べればそれこそ「あ、」と声を出すほどの時間しか生きていないけど。


そんなことを考えながら湖畔をぐるぐる歩き回った。いまは無職だから時間ならある。喜ばしいことにね。
すると、視界に、なにか灰色の像のような塊が見えた。私はそっちへ進路を取る。藪を掻き分けて。

それは正しく、像だった。
なぜかその周囲だけは雑草も生えない剥き出しの地面で、像はその中央にあった。
顔は天を仰ぎ、右手を空中に差し出して、見えない初雪を手のひらに載せようとしているような姿。

身体は灰色で、それはよく見ると土や枯れ葉を混ぜた天然のコンクリートのようだった。
その髪は風になびかない。オーロラのように虹色に輝かない。瞳は閉じられていて見えない。


「やあ、


そうだ。カリアッハ・ベーラはメイポールの頃に眠りにつくんだった。
私は彼女に呼びかけるけど、彼女にはきっと届いていないんだろう。

よく見てみると、という女神像の足や腕にはヒビが入っていた。
尖ったもので突いたような穴の跡と、亀裂と、地面に零れた破片たち。

彼女との最初の出会いを思い出し、私は笑った。
、きみは10年以上経った今でもまだユニコーンにいじめられているのかい?

カリアッハ・ベーラが目覚めるのは、ハロウィーンだ。
それまでは彼女はここで空中に手を差し伸べながらユニコーンの攻撃に耐えるんだろう。

私は杖を出して、簡単な結界を彼女の周りに施した。
ハロウィーンが来るまで、ユニコーンが彼女を粉々にしてしまわないように。
それは単なる自己満足だ。彼女は、もう千年以上も攻撃に耐えてきたはずなのだから。

だから私は自分を正当化するために、彼女の空いた右手に、ポケットから出したチョコレートを乗せる。
この結界は彼女をユニコーンの角から守り、そしてチョコレートを守るためのものなのだ。
プラムコットのタルトやザッハトルテのような高尚なお菓子もいいけど、たまにはジャンクなのもいい。

私は森の出口へ足を向けた。
ハリーに、。私がここを守りたいと思うのに、これ以上誰も必要ないくらいだ。
シリウスがここを襲撃するかどうかは知らないが、来るなら来てみればいい。






もう一度言うよ。時間は、跳ぶ。人生は得てしてそういうものだから。

私はキングズクロス駅からホグワーツ特急に乗り、ディメンターたちを追い払った。
グリフィンドール3年生の最初の授業では、スネイプを女装させた。(面白かったよ)
そしてハグリッドのヒッポグリフがマルフォイの息子に怪我をさせた。

私は教師として今のところソツなく働いていると思う。
毎月の恒例行事も、脱狼薬のおかげで大分過ごしやすくなった。
生徒たちが「体調が悪いんですか?」と心配してくれたりもするけど、問題は無かった。

彼女が教えてくれたことが、いまの私に活きている。
たとえばエインセルの話とか、ミセス・ノリスとケット・シーの話とか、ニックとデュラハンの話とかだ。
それらを授業の合間の雑談に混ぜると、子供たちはころころと笑う。
ハリーの友達の女の子はエインセルの話が気に入ったらしく、もっと詳しく聞きたいと授業後に言った。

そういう日常の中で、私はハロウィーンまでを指折り数えている。

シリウスがここに程近い集落で目撃されたとか、
グリフィンドールの女子生徒のペットのウサギが狐に殺されてしまったとか、
トレローニー先生がそれを予言していたかしていないかとか、そういうことをやり過ごしながら。

そしてついにハロウィーンになった日、私は事務室でハリーとお茶をしていた。
その途中、スネイプが例の薬を持ってきて、ハリーの前で飲んでみせるというハプニングもあった。
これはあまりにも苦いのだが、まさか生徒に、苦さにのた打ち回る教師の姿なんて見せたくない。
私は出来るだけ平気なふりをして飲む。「砂糖を入れられないのが残念だ」なんて言ってみたりして。

ハリーは私に、スネイプはこのDADAの職を狙っているんだと言った。
きっと、スネイプから迂闊に物を貰ったら毒殺される、と忠告したいんだろう。
ジェームズにそっくりなハリーがそう言ってくれるのは、なんだろう、どこか懐かしいものだ。

水槽の水魔を見ながら飲む紅茶はどんな味だっただろうかというのには、彼を帰した後で気付いた。
私はすっかり慣れてしまっているが、マグルの中で育ったハリーには普通じゃない光景だっただろう。


私は大広間に降りて、ハロウィーンのご馳走に舌鼓を打った。
定職に就いてよかったと心から思う瞬間のひとつだ。喜ばしいことにね。

友達と楽しそうに話すハリーを教員テーブルから眺めて、私はワインを呷る。
ジェームズ。リリー。明日、私はに会いに行ってみようかと思っているよ。