A swarm of bees in June Is worth a silver spoon; 11月1日。私は結局のところに行くことは出来なかった。 スネイプの監視の視線がいっそ見事なほどに私を始終見張っていたからだ。 もしここで迂闊に森になんて行こうものなら「それ見たことか」と告発されるのだろう。 「こいつは森で誰かを探していた、きっとブラックに違いない、こいつらはグルだったんだ」ってね。 悪いけどそんな思惑に引っ掛かってあげるほど私はお人よしじゃない。 事が事なだけに傍観を決め込むわけにはいかない。私の能動で事態は動くのだから。 だから私はおとなしく、無害な様子で11月1日を乗り切った。 シリウスが何を考えてどう行動しているのか、興味なんて無い。 あるのはただ『もし彼が動物もどきの姿で潜伏していたら』ということだけだった。 もしそうなら、シリウスを見つけられるのはきっとこの世界に私だけなんだろう。 シリウスは昨夜、手段はひとまず置いておいて、城内に侵入した。 そしてグリフィンドール寮の入り口を守る『太った婦人』を切り裂いて逃亡した。 私たち教師は総出でシリウスを捜索した。箒置き場から天文学塔の上まで、城内の隅々を。 ハグリッドやフィルチは城の庭や、禁じられた森のほうを捜索していたらしい。 結局、シリウスは見つからなかった。侵入の痕跡も『婦人』への爪跡だけ。 もし私が彼なら、きっと森へ逃げる。 勝手が知れていると言ってもいいほど、あそこは私たちの遊びの庭だったからだ。 もし彼が私と同じように考えたとして、彼はを見ただろうか。 いや、この場合なら『はシリウスを見ただろうか』というべきなのかもしれない。 でも私が気になるのは『シリウスがを見たかどうか』ということだった。 灰色のあの像を、シリウスは見ただろうか。あの像が生き返る瞬間を、女神の復活する瞬間を? もし見たのだとしたら、これほど羨ましいことはない。 きっとカリアッハ・ベーラが石から脱皮する瞬間なんて世界的にも珍しいに違いない。 脱皮、なんて言ったらに失礼かもしれないけどね。 “大量殺人犯シリウス・ブラックが見境無くかつてお世話になった妖精まで殺す”。 なんて、そんなことは無いだろうとなぜだか私は確信している。 が人間なんかに傷つけられるわけがない、って、そういう意味で。 とんだ憧憬だ。なんてことだろう。きっと私はを美化しすぎている。 けれどきっと現実に、あの白いオーロラを仕留められるのはユニコーンだけなんだ。 さて、マクゴナガル教授の号令で私たち教師はハリーを徹底的にマークすることにした。 休み時間や教室移動の時間、彼がひとりにならないように、と。 最初はクィディッチの練習さえ自粛させる勢いだったけれど、それはハリーに押し切られたらしい。 そんなところまでジェームズにそっくりだ、とマクゴナガル教授は呆れ半分に零していた。 教授のクィディッチ好きも相変わらずだと、私はこっそり笑った。 その週末はハリーの練習成果がいよいよ目に出来るチャンスだった。 けれどタイミングの悪いことに、私の「例の病気」がピークを迎える日とかち合ってしまった。 金曜から既に立ち上がりたくないほど体が弱りきっていたので、代講をスネイプに頼んだ。 きっと生徒たちには横暴な事態になっているんだろうと予想はつくけど、死にそうにだるい。 事務室でじっと耐える。月が欠けていくのをただひたすらに待つ。 それでも、と思って見上げた窓からは、暴風雨の中を必死で飛ぶ選手たちの姿が微かに見えた。 あれのどれかがハリーだろうか。怪我をしないよう、私は離れた場所から密かに祈る。 あまりに高く飛びすぎて、雲の上のジェームズたちの邪魔をしないようにね。 週末が明け、本当は休みたかったが、そうも言ってられないので授業へ行った。 生徒たちはスネイプが羊皮紙二巻もレポートを出したと言って怒っていた。 ああやっぱりそうなったかと私は苦笑いし、「レポートは提出しなくていいよ」と告げた。 “おいでおいで妖精”について簡単に授業をし、授業後にハリーを呼び止めた。 少年はなんだか意気消沈しているようだった。無理もないだろう、大切な箒が壊れてしまったらしいから。 それでも私は、私たちは、彼が遥か上空から落ちても無事だったことのほうが重要に思う。 「あいつらが傍に来ると、母さんが殺されたときの声が聞こえるんです」 ハリーはそう言った。悔しそうに、視線を伏せがちにしながら。 私はどう応えれば良いんだろう?分からなくなって、結局何もしなかった。 ハリーの肩に手を置いて、きみが大切で大好きだと言い聞かせればよかったのかもしれない。 けれど私は何もしなかった。何も言わなかった。手は彷徨った末に、ポケットの中へ帰った。 「あいつらと対抗する手段があるなら、教えてくださいませんか?」 私は断ろうと思って「私は専門家ではないから…」と言い訳をしようとした。 でもハリーの、試合中に落下しないよう対抗するだけでいいから、という熱意に負けて了解した。 ただし特訓開始の時期をクリスマス休暇明け、ということにして。 クリスマスのあたりには、また例の病気のピークが来る。 ただ闇雲に守護霊の呪文を唱えたって、上達は見込めない。 本物、もしくは類似したものと相対しながら実地で勘を掴んでいくほうが、より効率的だ。 特にハリーのような、伸びしろの有る年頃のこどもなら、なおさらだ。 だがそれまで不安定なまま特訓するというのはかなり危険なことだ。 私の健康状態的に危険だ、というのではなく、私のせいでハリーが、という意味で。 もし実地訓練中に、私の気分が優れなくてハリーが怪我をしたら? もし私の例の病気が疼いて、ハリーに、危害を加えてしまったら? そんなことを考えるくらいなら、本当は特訓を断ったほうが良いのは分かっている。 それでも、リリーの断末魔を毎回毎回聞かされるあの子を思うと、なんとかしてあげたいと思った。 (もしくは、私にもその声が聞こえればいいのに、と、心のどこかが望んでいるのかもしれない) 私の守護霊はもはや惰性だ。 昔、騎士団に属していたころは、学生時代の幸せな思い出で守護霊を創り出せた。 でも今は、その思い出の続きである現在がどんなものかを知っている。 だから私の守護霊は弱く、脆い。しっかりとした基盤ができていないから。 しかし私はそれ以外に思い出を持っていないので、同じ思い出でもがき続ける。 いつかこの守護霊が破れたときが、私の終わるときなのかもしれない、とも、思う。 月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日、土曜日、日曜日。 生徒たちと話をして、先生たちとも話をして、私の教師生活は続いていく。 の所に行こうと思えるほど余裕が出来たのは、もう冬の休暇になろうかという頃だった。 というよりは今週で授業日が終わりなのだから、もう休暇に入ったと言ってもいいんだけど。 細かく言えば、カレンダー上は、週明けからがクリスマス休暇になる。 ここ1ヶ月ほどおとなしくしていたのが功を為したのか、スネイプの視線もそれほどではなくなった。 まだ私から疑いを外したわけではないのだろうけど、このままでは尻尾は出さないと判断したらしい。 ホグズミードに飲みに行こう、という誘いを断り、私は雪の積もった校庭を横切る。 シリウスの動向はさっぱり掴めないし、クリスマス本番にはまた月に一度の病気がやってくる。 休暇が明けたらハリーとの特訓が始まるから、自分の自由になる時間は今しかない。 ハグリッドもホグズミードに行っているので、私は人目を気にせず森に入った。 彼女が目覚めてから、もうおよそ二ヶ月にもなる。はどこに居るだろうか? サクサクと白い雪を踏みつけて森の奥へと進んでいく。 しばらくすると見慣れた湖が見えてきて、私は一度足を止めた。 はあのチョコレートに気付いただろうか?食べてくれただろうか? 「、居るかい?」 しんと静まり返った森に、私の呟くような小さな声が反響する。 ここは雪山ではないし、雪崩の心配など無いのだからもっと大きな声を出しても問題は無いけど。 でもならこの一言だけできっと気付くだろうと妙な確信を抱いて、私は言葉を続けなかった。 湖畔に立って杖を振り、雪を溶かして、覗いた地面に腰を下ろす。 水面は凍っていた。私は手近な雪を集めると、丸め、それを対岸に向けて放った。 頼りない放物線を描きながら、雪玉は鈍色の空に溶けるように飛んでいく。 「―――それは楽しいですか?」 「うん、楽しいよ」 何個か連続して雪玉を投げていると、不意に背後から声がした。 私は振り向かずにそれに返事をして、本当は特に楽しくないけど楽しそうなふりをした。 「では私も」と来訪者は言って、私の横に無造作に座った。 白い布がばさりと広がって、血の通っていなさそうな脚が湖の方に向かって投げ出される。 彼女は地面の雪をかき集めて、ぽいっと投げる。 固め方が甘かったんだろう、雪玉は空中分解してしまった。 「へたくそだね、」 「不器用なんです何をするにも。でもこれは楽しいかもしれないですね」 そう言って、彼女は私のほうを見た。 白い肌、サファイア色の瞳、虹色の髪、よくわからない構造の服。 灰色だった姿をかけらも思わせない出で立ちで、がそこに居た。 「……は、私のことが分かるかな?」 「ええ。リーマスさんでしょう?少し見ない間に背が伸びましたね」 「少しって……あれから何年経ったと思ってるんだい?」 は首を傾げて「さあ数えていません」と言った。 そんなものなのか、と思って、私は苦笑いした。 「私がもうここの生徒じゃなくなって15年経ったんだよ」 「……それはリーマスさんたちには長い時間なんですか?」 「うん、長いね。とても。色んなことがすっかり変わってしまったよ」 は「そうなんですか」と言う。私は「そうだよ」と返す。 うっかり一人称が『僕』になりそうになる。があまりにも変わっていないせいで。 変わらないね、と言うと、彼女は「もうずっとこのままですよ」と言った。 どうやらアーサー王の時代からずっと、なにひとつ、彼女は変わっていないらしい。 「でも最近はリーマスさんたちが来ないので退屈でした」 「それは……ごめんね。ひとりは寂しかったかい?」 「とても寂しかったです。 あの建物にももう一回入りたかったしザッハトルテも食べたかったです」 「私も、ひとりで寂しかったんだよ」とは、今は言わないでおく。 いずれ説明しなければいけないだろうけど、今はまだ、気負わない話がしていたいから。 「ザッハトルテといえば、私が置いておいたチョコレートは気に入ってくれたかな?」 「………ああ!あれはリーマスさんがくれたんですかありがとうございます。 試しにヌミディアムール貝にかけて食べてみたらちっとも美味しくなかったです」 「うんそれはとても不味いと思う」 は「何が悪かったんでしょうか?」と不思議そうに首を傾げる。 私は「まず魚介から攻めた時点で間違ってるね」と言った。 まあ、間違ってるけど、らしくて良いんじゃないかな、とは思うけど。 (それにしても“シリウスが聞いたら真っ先につっこみそうだなぁ”とも思ったのは内緒だよ) |