A swarm of bees in June
Is worth a silver spoon;


「ジェームズさんたちはお元気ですか?」とは言った。
私が新たにあげたチョコレートを齧りながらだった。

どう答えようか、と少し躊躇って、私は結局ストレートに「死んだよ」と言った。
はさして驚いた様子でもなく、ただ私の顔を見ていた。


「死んでしまったんですか?」
「うん、12年前にね。21歳だった」


は「そうだったんですか」と言って、口元からチョコレートを離した。
私はまた雪玉を作って、凍った湖の向こう側を狙って投げる。
そこにシリウスが居て、この冷たい雪玉がぶつかればいいのにと思いながら。


と会ったころは十代後半のはじめごろだったけど、
 私はもう33歳になってしまったんだ。ほら、この白髪。見えるかい?」
「見えます。その色が歳をとった証拠なんですか?
 ではこんな色の髪をしている私はいったい何歳なんでしょうか?」
「さあ、少なくとも私は知らないな」


少なくともダンブルドアよりは年上で、かのニコラス・フラメル老師よりも年上なんだろう。
は自分の髪を引っ張りながらむうと呻くように言う。
鈍い日の光がその細い糸のような髪の隙間から零れて、小規模なエンジェルラダーを発生させる。


「いつの間にか色々と変わっていくんですね」
「12年だからね」
「でもハグリッドさんは何も変わっていませんよ?」


「そりゃまあ、彼はもう老齢だし」と思ったけど言わないでおく。
ダンブルドアにしろハグリッドにしろ、歳をとれば10年そこらじゃ何も変わらないんだろう。
きっと私のこの白髪も、60歳くらいになればごく普通に思えるのかもしれない。
それまで禿げなければ、の話だけど。


も何も変わっていないよ」
「そうですか?きっとこの森が変わらない限りは私も変わらないと思います」
「そうかもしれないね」


はチョコレート齧りを再開した。
私もポケットから食べかけのものをひとつ取り出して、ひとかけらだけ食べる。
口の中の熱でじわりと溶けるのを感じながら、はどうするんだろうと不意に思った。

に最後にあった日、私の頬にそっと触れてきた指は凍てついたような冷たさだった。
だったらきっと口の中まで冷たいに違いなくて、それではチョコレートは溶けない。
固いまま噛み砕くなんてそんなの正しい食べ方だとは思えないんだ、私はね。
でも、の口内の温度ばかり気にしていても変態のようなのでもう考えないことにしよう。


「ジェームズさんとエインセルのお嬢さんは幸せでしたか?」


が唐突に、そう言った。
私は手にしていたものを落としそうになりながら聞き返す。
はもう一度「彼らは幸せでしたか?」と聞いた。


「………死んでしまう、直前までは。きっと幸せだったと思う。
 あのふたり、結局くっついたんだよ。かわいい息子まで生まれたんだ」
「息子さんは生きているんですか?」
「生きてるよ。の言う、“小さい人間”になってそこの城に居る。13歳だったかな」


は小さく笑って「会ってみたいですね」と言った。
「ジェームズにそっくりできっと驚くよ」と私は返事をした。

それから5分か、10分くらい、黙って湖面を見つめたままチョコレートを齧った。

私は「言うべき時が来た」と、とうとう思った。
なので甘い塊を飲み下し、「ジェームズとリリーはね、」と、口火を切る。


「殺されたんだ」
「…………誰に?」
「直接的には、闇の帝王に。きっかけ的には、シリウスに。
 シリウスはスパイだったんだ。闇の帝王の。……ピーターも彼に殺された」


はすぐには返事をしなかった。
ただ黙って、凍った水面に映る曇り空を見つめて、ぱちぱちと瞬きをする。

やがては、思い出したように「信じられないですね」と言った。
私はそれには答えなかった。信じられなくても、それが現実なんだ。


「シリウスは逮捕された。ピーターを殺した直後に。
 それから12年間ずっと服役してた。でもつい最近、脱獄して、この近くに潜んでいる」
「そうなんですか……」
「ちょうどハロウィーンの夜に城に襲撃して来たんだ。
 はその夜……あいつを見かけたり、したかい?」


は驚いたように私を見た。
私は出来るだけ視線を合わせないよう、正面を睨み続けた。


「……いいえ、見ていません。
 たとえ見かけていたとしても、私は人間の問題に介入してはいけない存在です」


瞼を下ろして、溜息をつき、「それもそうだね」と私は応える。
これはヒトの問題。妖精であるには関係のない話。
まあ、それを言ったら半分ヒトである私が介入していることが既に矛盾しているけれど。

私は「そうだね」と言って、話を打ち切った。
が真実を言っているのかどうかは、大した問題ではない。
ただそうやって、疑いを口に出した、ということが、今の私には大きいのだと思う。

そろそろ帰ろう、このままでは体の心まで冷え切ってしまう。そう思い、腰を上げた。
の「帰るんですか?」という言葉に、私は頷くだけで返事をする。


「もう来ませんか?」
「……が来るなって言うなら、来ないよ」
「いいえ言いません。ずっと誰も来なかったのでもう来ないのかと思っただけです」


わざと私が意地悪に言うと、は慌てたように否定した。
頭が横に振れるたびに、さらさらと髪が鈴のような音を立てた。

今度来れるとしたらいつだろう、イースター休暇のころかもしれない。
そんなことを考えていると、が自分の髪を数本ぷちりと抜いていた。
痛そうな素振りもなく、どこからか持ってきた草(花?)と一緒に器用にそれを編む。


「リーマスさんまで死んでしまわないようにお守りをあげます。
 キプロスクローバーの魔除けの力と私の髪の魔力で夏になるまでもちますよ」


編んだそれを私の手首に結びつけながら、が言った。
ミサンガのようなそれの表面を撫でると、レンゲソウのハチミツの匂いがした。
スネイプに見つかったら「狼に首輪か」とでも言われるんだろうなあと思って、私は笑った。


「じゃあ、生きてたら、また来るね。
 今度はホットクロスバンでも持ってくるよ。あ、それからシリウスには気をつけて」


が手を振って私を見送る。
私はそのままに背を向けて、一度も振り返らず、ホグワーツの城へと戻った。







クリスマスは事務室でじっとしていた。
宴会の料理が食べれなくて残念だと思っていたら、後からマクゴナガル教授が届けてくれた。
くたくたな体にチポラータソーセージの栄養が行き渡り、ここに来れて良かったと心底思う。


「シビルがあなたのことを“先が長くない”などと言っていましたよ。
 わたしはもう、頭にきて……何が『内なる眼』ですか、あんなインチキ!」
「まあまあ、落ち着いて。現にこうして生きていますから」


マクゴナガル教授はそれからしばらくトレローニー教授へのグチを零した。
私は聞きながらひたすら料理を食べた。生き返る心地だ。


「いえ、シビルのことはいま良いのです、わたしとしたことが話が脱線してしまいました。
 本題です、リーマス、ポッターのもとに差出人不明のファイアボルトが届けられました」


ようやく気がすんだらしい教授は、居住まいをただし、そう言った。
私のフォークからソラマメがぽろりと落ちていった。ファイアボルト?

それは、私が教職に就く少し前に発売になった新型の高級箒の名前だった。
まさかハリーが自分へのご褒美に、とそんな高価なものを買ったのかと思ったが、違った。


「わたしたちはシリウス・ブラックから送られてきたものと判断しました。
 ダンブルドアも同じお考えです。リーマス、あなたにはポッターに気をつけてもらいたいのです」
「ハリーを?どうしてです?」
「ポッターはせっかく手に入れた箒を取り上げられて気落ちしていることでしょう。
 彼が何かばかなことをしないよう、気をつけて見ていてもらいたいのです」


教授の言葉の裏に「(父親のように)ばかなことをしないよう」というのが聞こえた気がした。
私は落ちたソラマメを拾って、ゴミ箱に捨てると、「わかりました」と答えた。
この休暇が明ければ、いやでもハリーとは向き合わなければいけないんだから。



それからは忙しかった。
ハリーの守護霊呪文特訓のために、まね妖精を城中捜索したり、
相変わらず追いかけてくるスネイプの視線を出来る限りかわしたり、
そこかしこでシリウスの影をさがして肩を凝らせてみたり。

そして木曜日、午後8時、呪文学の教室にやって来たハリーと、呪文の特訓をして。
一生懸命に守護霊を呼び出すハリーを見守りながら、私は考えた。

この子は、守護霊を呼び出せるんだろうか?
普通に育ち、普通の幸せを享受してきた、そこそこ優秀な人間にだって手に余る呪文なのに。
両親と死に別れ、虐げられながらここまで生きてきたらしい彼に、磐石な記憶があるんだろうか?


「……父さんの声が聞こえた。父さんの声は初めて聞いた…
 母さんが逃げる時間をかせぐのに、ひとりでヴォルデモートと闘おうとしていた……」


ハリーは言った。隠そうとしていたけど、薄っすらと泣いているのが見えてしまった。
私は手首のお守りを外して、ハリーにプレゼントしたくなる衝動を、ただじっと堪えた。

12年。変わったのはこの子だけで、私たち大人は何も変わってなどいないんだと、思った。