OPPORTUNITY --
I.an advantageous time to act
II.an occasion for personal advancement or financial gain
オルフェウス
1-01.OPPORTUNITY
あ?
気付けば見覚えのない所に居た。
四角い部屋で、調度品はどこかの城からかっぱらってきた様なものばかりだ。
いや、実際ここはどこかの城の一室なのかもしれないし本当はどこかの納屋かもしれない。
しかしそれを判別するための手掛かりはない。
窓がないのだ。
扉は、ある。立派な装飾を施されたそれの正面に俺は立っているのだ。
「こんにちは、シリウス・ブラック」
突然、声が聞こえた。
鈴が鳴ったかのように透き通った声だった。
声の聞こえた方へ体を向けると、設えられているソファに女が座っていた。
何時から居たのだろうか。全く気付かなかった。
「…だれだ、あんた」
「うん、それは核心だね。核心だけれど、今きみが気にかけるべき事はそれではないね。
まぁ早速だけど本題に入るからさ、座って…それから威嚇するのをやめてくれないかな」
俺は脚を動かしてソファに向かう。
自分がいつから立ち尽くしていたのか分からないが、膝が軋んだ感覚はなかった。
そうだ、ソファがあったのに、どうして俺は阿呆のように突っ立っていたのだろう。
いや待て。そもそも此処は何処だ。そしてあいつは誰だ。
しかし身体は勝手に動き、気付けばソファへ腰を下ろしていた。
危ないじゃないか、とぼんやり思う。
得体の知れない奴の向かいに座るなんて。
一体いつから俺はこんなに無用心になったんだ。
とかなんとか思っている内に、女は真っ直ぐにこちらを見て、口を開いた。
「じゃあ率直に言おうか、シリウス・ブラック、きみは死んだ」
「…は?」
マグルの学者によれば、ヒトの行動は種別すれば2つになるそうだ。
つまり反応と、反射。考えて動くか、考えずに動くか。
しかしここでひとつのパラドックスを挙げよう。俺だ。
本当に予想外の事が起きれば、ヒトは何も行動することなんて出来やしないわけだ。
(俺はたった今そのことを身を以って悟った。いいか、別にクールぶったわけじゃない)
死んだ?誰が?俺が?
いやあんたそれはちょっと、何だ、なんていうか、大丈夫ですか?
だって俺生きてんじゃん、ほらあんたの目の前に居ますけど?
「魔法省の死者の間で、きみは死んだ。アーチをくぐって。
ベラトリックス・レストレンジと決闘していてね。思い出せる?」
ベラトリックス レストレンジ?
全てを見下した目許、重い鎖のような髪、神経質な指、そして黒い杖
「…ベ、ラ、?」
「そう、きみの従姉妹だね。きみは死んだけど、きみの大切な名付け子は死ななかったよ。
アルバス・ダンブルドアはいつも間一髪だ。哀れトム・リドルは敗走する他なく、ってね」
ダンブルドア?
俺が、死んだって?
そんな妙な話をされたところで俺にどうしろというんだ。(驚けば満足か?)
そんなのは、
なあ、だって、俺は、
ヴォルデモート?
俺は、
騎士団?
俺、は、
ああ、そうか
「俺は、」
なあ、
リーマス
ピーター
リリー
ジェームズ
「死んだのか」
そうだろ、ハリー。
自分が死んだと納得することは然程難しいことではなかった。
ただ、大切な名前たちが脳の中を暴れまわるのだ。
そして同時に様々な情景が浮かび上がる。
青く澄んだ空。太陽が眩しい。
きっとこれはクィディッチをしていた時の景色だろう。
これが走馬灯というものだろうか?(死んだ後だが)
「…シリウス・ブラック、きみはやりなおしを、望む?」
ハリーが生まれた時のこと。
この時のジェームズは死んでも忘れられないだろうと思うほど喜び狂っていた。
(そして現に死後でもバッチリ思い出せるぞ、相棒)
ジェームズたちの結婚式のときのこと。
新郎の介添人として立った祭壇はとても綺麗だったんだ。
それらは全て、俺が守れなかったもの。
命に代えても守ると誓ったのに、果たせなかったもの。
「…やりなおし?」
「そう。きみにはチャンスがある」
女が口の端を上げて、少し笑う。
にやりとした口元からは八重歯が覗いて見える。
「わたしは、歴史の記録係。命に時間を割り当てる者。
すべての瞬間で命の数が平等になるように調整するのが仕事。
普通に生きて、死ねば、歴史に滞りは無いんだけどね。でも稀に、流れが途切れてしまう。
他の命の悪意ある行いのせいで予定外に死んでしまうと、空席ができる。
どういう意味か、わかる?」
「意味、って」
女はにやりとした顔を崩さない。
目の前の出来事に脳が焼け付くようで、情景のラッシュが中断される。
やりなおし。
調整。空席。
その意味?
「きみが望むならきみをそこへ座らせてあげよう、と言っているんだけれど?」
俺は女を見る。挑戦的に微笑んでいる。
肩を過ぎる程度の髪は頭上のランプに照らされて焦げた砂糖のような色をして見える。
顔立ちは悪くない。猫のような目は強い意思に溢れているようで、輝いている。
「それで、どうする?シリウス・ブラック」
女につられるように俺の口が開く。
口の中はカラカラだった。
喉の奥で気管がくっついているような感じだ。
どうする、だなんて。
そんなのは考えるまでもない。
「――俺は、やりなおしを望む」
俺には守るものがあった。
守らなければいけないものが。たくさん。
ジェームズ。リリー。ハリー。
リーマスにはとても迷惑をかけた。
それからダンブルドアにも。
大切な
とても大切な、仲間たち。
俺を家名の孤独から救ってくれた仲間たち。
「やりなおして、それで、今度こそ守る。今度こそ俺の命に代えてでも。
ジェームズたちを死なせない。ハリーを一人にさせない。その為なら何でもする」
「…まあ、そう言うと思ったよ」
女はにやりとした口元を戻して自分のつま先を見つめた。
それから両手で、自分の後頭部の髪を梳かし直した。
その一連の動作はとても流暢に行われ、既に女の癖になっていることを示していた。
そしてそれは俺にとってひどく、見覚えのある仕草のような気が、するのだ。
「…ん、じゃあ空席をきみのものにするための手順を説明しようか。よく聞いてね。
空いた空間にきみを埋め合わせるには、その瞬間にきみが立ち会う必要がある。
つまり、元の席の持ち主が死ぬ瞬間だね。その時、きみは権利を譲り受ける。
今までの人生の記憶を保ったまま譲り受けたければ、2ヶ月くらいは相手にしっかり憑いててね。
そうじゃなきゃ赤ちゃんから始めることになっちゃうよ。以上。簡単でしょ。質問は?」
女が立ち上がり、俺がさっき立っていた扉の方へ向かう。
連れられ、俺も腰を上げる。
マシンガントークで喋って質問は?とか言うよりも、
もっと分かりやすくゆっくり喋ってくれればよかったのに。(言わないけどな)
『きみにはチャンスがある』
ふ、と、
意識の端にその言葉が引っかかった。
「なあ、あんたさ、…俺にはチャンスがあるって言ったよな。
そんな言い方するって事は、他の奴には普通無いって意味だろ。…どうして俺にはあるんだ?」
『簡単でしょ?』
ああ、確かに簡単だ。呆気ない程に。
今の説明では俺にはリスクすら無い。
何か裏があるのだろうか?
それとも何だ、もしかしてこれは何かの魔法なのか?
対象者に自分は死んだと納得する白昼夢を見せる呪文。
なんて悪趣味なんだ。(しかしベラならやりかねない)
「………ある男が、ね、うるさいの。
正常な時間の流れでいえば、ほぼ15年間、同じことをわたしに要求するのよ」
「………は?」
「ほら、あそこに黒いでっかい犬が見えるだろう?あれは犬にしては頭がよくて
行儀がよくて鼻が利くやつで、まあ実は中身はおっさんなんだけれども、
なかなかの努力家で、さながら忠犬、というか、バカ正直、というか、
でも憎めないんだ、ほんとうに憎めないやつなんだ。頼むよ、きみは歴史だろう?
だったら犬の一匹や二匹、ちょっと手をかしてやるくらい構わないだろう?……ってね」
「…それ、って…、」
自分とは違う、くしゃくしゃの黒い髪。ハシバミ色の瞳に、物怖じしない態度。
瞳の色だけが違う自分の息子の誕生に歓声(奇声)をあげて喜び、
白で統一された自分の花嫁の姿に式が始まる前から涙ぐみ、
ああ、酒を飲み、悪戯をし、説教をしてはされ返した親友の姿が脳裏に浮かぶ。
「情熱にほだされた、というか、厄介払いにはきみを追い返すのが一番、というわけ」
「…あいつ、ここに居るのか?」
「ここには居ないよ。言ったでしょう?ここは全ての時間の中間だから。
まあきみが、やりなおしを諦めてさっさと『行く』っていうんなら連れていってあげるけど」
なあおまえ、やっぱバカなんじゃねぇの?
女に向かって文句を言う彼が容易に想像できる。
ここでもし俺がこのチャンスをふいにすればどうなるか、それさえも想像できる。
きっと彼は、俺をひどく罵るだろう。
もし彼女もそこに居るのならば、きっと彼女はひどく落ち込むだろう。
(そして彼女を泣かせでもしたら俺は殴られるに違いない)
ジェームズ、おまえさ、なんで俺の心配なんかしてんだよ
ハリーとか、リーマスとか、もっと他に心配するやつが居るだろう?
「…諦めねぇよ。まだ会わす顔がねぇからな」
そう思うと、頭がすっきりした。心身共に5ポンドくらい軽くなったような気分だ。
実はベラの呪文なんじゃないかと疑っていたことがバカらしく思える。
まだ仕事がる。やらなきゃいけない事がある。
これから守るべき人がいる。
俺にはまだ、出来る事がある。
女は薄く笑うと、ドアノブに手をかけた。
「じゃあ、頑張ってね」
女は扉を押し開けた。
目の前には暗闇だけが広がっている。
ゴオ、っという音がして、吸い込むような突風が起こる。
情けないことに、突然のそれに俺はまったく反応できず、体が簡単に流されていくのを感じた。
「おい、待て、頑張ってねって…いつ頃、とか、どんな奴、とか、ヒントも何も無し、かよっ…!」
足場はない。壁も無い。
ただそこに俺が在るということだけが確かな空間。
もう既に半分以上がその暗闇に吸い込まれた状態で、俺は女を振り返る。
女は楽しそうに微笑んでいた。
薄暗いランプの灯りに照らされた室内が闇の中に浮かんでいる。
まだ3歩も離れていない距離のはずなのに、遠く感じる。
「ヒントならきみの目の前に居るでしょう?」
「はぁ!?」
女の瞳の中では、少年が闇に呑まれている。
白いワイシャツに赤と黄色のタイを締め、闇に溶け込むようなローブを羽織っている。
どこか見覚えのあるような、ずっと慣れ親しんできたような、
だけど遠い昔に置いてきてしまったような、俺にとって、そんな姿だった。
つまりこれは、俺か?
彼女は楽しそうに微笑んでいる。
笑った口元からは少しだけ八重歯が覗いて見える。
そういえばあの子は笑うと笑窪が出来るんだったっけ――
俺は、とうとう暗闇に引きずりこまれた。
(ていうか今さいごになんか変なこと思わなかったか?)
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ちなみに部屋のイメージは某封神演義の王天君の部屋です。