IDENTITY --
I.who -- is or what -- is
II.a sense of oneself



























     オルフェウス   1-03.IDENTITY


























その夜だった。







「ねえ、ドッペルゲンガーってさ、見たら死ぬっていうでしょ?
 じゃあ他人のドッペルゲンガーを見てしまったら、どっちが死ぬの?両方?それとも、相殺?」







時刻は午前2時。
とうに自室へ戻っていたが、談話室へ降りてきた。

そして俺に話しかける。
誰にも見えないはずの、俺に。







「…俺が、」


「バッチリ見えてるよ、シリウス・ドッペルゲンガー・ブラック」







は俺の近くのソファに腰掛けた。
そしてまっすぐに俺を見る。

本当に見えている。
見えているし、聞こえている。







「あなた、今日ずっとわたしたちのこと見てた」







歴史の記録係によって俺はこの時代に飛ばされた。
そこで、今まですっかり忘れていた少女のことを思い出した。

そんな状況で談話室でじっとしているだなんてことは出来なかった俺は、自分たちの後をついて回ったのだ。
教室。中庭。温室。しかし大広間だけは避けた。







「あなたは…だれ?」







大広間を避けた理由は、正にそれだ。

俺は、何者か?

大広間には全員が集まる。生徒だけじゃない。教師もいる。
もし俺のことが見える奴がいたら、どうなるだろう?
それが1人ならば、その人物の見間違いで済むかもしれない。
だが、それが複数になれば偶然ではすまされないだろう。

では発見された場合、俺は彼らになんと説明すればいいのだろうか?







「俺は……」







だって俺は、シリウス・ブラックだ。

この時代のシリウス・ブラックもシリウス・ブラック本人だが、俺だってシリウス・ブラック本人だ。
しかしそんな事を言ったところで理解されるわけもない。
当然だ。俺は『一度死んだ方の』シリウス・ブラックなのだから。







「…つまり、わたしのお迎えに来た、と。そういうこと?」


「は?」


「その様子じゃ、あなたもシリウス・ブラックなんでしょう?…正解、かな?
 どう言えばいいのか…あの、シリウスが2人居る理由は、わたしには分かんないけど…」







は眉を顰めた。

聞き間違いでなければ、彼女は『お迎え』と言った。
それは自分が死ぬということをある程度予測していたということだろうか。
それともまさか、俺をドッペルゲンガーだと思っての発言なのだろうか。







「でも…あなたがシリウスじゃない、とは言えない気がするの。
 雰囲気とか、あなたの方がちょっと大人っぽいかな?と思うくらいの差だし。
 ごめんね、変なこと言ってる自覚はあるんだけど、うまく説明できなくて…」


「…ああ、いや―…そうだ。俺は、シリウス・ブラックだ。の言う通り」







は少しだけ驚いたように目を開いた。







「わたしのこと、知ってるんだ。
 …あ、ごめん、シリウスだもんね。そりゃあね、知ってるっつの、って話よね」







本当はさっきまで忘れていたんだ、とは言えない。
ああとかううとかそんな感じに濁した返事をする。







「それで…えっと。やっぱり……何ていうか、わたしが死ぬから、あなたが来たの?
 つまりあの…ああもう、また変な言い方になっちゃった…」







『わたしが死ぬから、あなたが来たの?』

彼女は何を知っているのだろうか。
どんな根拠を持ってそんなことを思うのだろうか。

見たところ、彼女の様子は朝と変わったところはない。
キャラメリゼしたような髪の色は相変わらず艶やかに輝いている。

手を伸ばせば触れられそうだが、それが不可能だということを俺は知っている。







「―それは…まだ分からない。ただ、俺が来たのは…俺が死んだからだ。
 その――……つまり、これからずっと先の、未来で」


「未来でシリウスが死んだから来たの?
 え…でも、今とそんなに歳が離れてるようには見えないよ?」


「…ああ。なんていうか、俺にも不思議なんだ…
 ただ確かなのは目的――やりなおすこと、それだけなんだ」







頭ではわかっていたが、口に出すと自分がひどく執念深い生き物だということを実感した。
一度死んで、それを正すために過去に戻ってやりなおそうとしている、だなんて。
これじゃ地縛霊かなんかみたいじゃないか。







「この時代で…『空席』ができるんだ。いつ、どこかは分からないが。
 俺はその『空席』を探している―歴史を書き直すために。…変な話だけど、本当なんだ」














そして俺はに、今までの事の次第を説明した。
彼女は瞬きを忘れたかのように、俺を見ていた。

未来で、俺が死ぬこと。(経緯はさすがに言えないが)
気がついたら時間の狭間で、歴史の記録係という女に会ったこと。
そこで受けた説明。『空席』のこと。














「…それ、わたしのことだと思う」







俺が語り終えた後、は少し間をあけて、言った。
目を伏せて、自分の爪先を眺めながら、手で髪を梳く。

記録係の女がしていた、見覚えのあるような一連の動作だ。
あの時の既視感は気のせいではなかったのだろう。
の癖を、俺のなかの何かが覚えていたのかもしれない。


が談話室に現れてから、既に時計の針は30分ほど時間を進めている。







「どうして分かるんだ?さっきから…自分は死ぬ、って事ばっかり言ってるよな。
 言っておくが俺はドッペルゲンガーじゃないからな。それ以外の理由があるのか?」


「ん…というか、ドッペルゲンガーは、冗談」







説明するから、聞いてくれる?と、彼女は言った。





























わたしの母は代々ハッフルパフの家系だったから、父がグリフィンドールだったのが結婚の決め手になった。
冴えない・のろまのハッフルパフにとって、勇気のグリフィンドールはなんと眩しかったことだろう。
母は、父のことを信頼していた。勇敢な人だと信じていた。

そしてやがて、わたしが生まれる。
この子はハッフルパフだろうかグリフィンドールだろうか、母はそんな風に考えていた。


幸せだったと、母は言った。


周囲では急激に純血思想が広まっていて、その中心人物が勢力を増していく様は劇的だったという。
それでも両親共に魔法使いであったから、何も心配はしていなかったらしい。
自分も、夫も、娘も、きっと普通に生きて、普通の幸せを手に入れることができるだろう。
英雄にならなくてもいい、特別でなくてもいい。ただ何事もなく、平穏に。

そう信じていた。何も疑うことはなかった。
なぜなら夫は、勇敢なグリフィンドールなのだから。





ある日のことだった。
魔法省に勤めていた父は、仕事で、ある館に赴いた。
純血主義者の集会が行われているという通報が入ったのだ。
純血主義を掲げることに違法性は無いが、だからといってそれ以外の者への暴虐を認めるわけにはいかない。
父は、すこし警告をするだけのつもりだった。

ただ、少し運が悪かったのだ。

集会に乗り込んだ父は、中心人物との対話を試みた。
しかし彼の信者に紛れているうちに、父は次第に腹が立ってきた。
『マグル生まれはクズだ。生きる価値もない』
そんなスローガンにも、それを信じている魔法使いにも。

そんなことはない、と、父は声を上げた。
マグル生まれだって立派な者は居るじゃないか、と。

父は確かに勇敢だったが、それはつまり無謀だったということなのだ。


父は捕らえられた。
中心人物は言った。


―君はマグル生まれでは無い様だが、マグルに毒されているようだ
―君の一家もきっとマグルに毒されているのだろうな
―ならばグリフィンドールの勇気に敬意を表して、申し上げよう
―君の家族もろとも、私が浄化して差し上げようではないか


やめてくれ、と、父は言った。

娘は生まれたばかりなんだ。それだけはやめてくれ。
娘にはまだ母が必要だし、その為には父も必要なはずだ。


―そうか、君の娘は生まれたばかりなのか
―ではこうしよう、ミスター・グリフィンドール
―君の娘を私に差し出し賜え


やめてくれ、と、父は言った。


―私の進言を拒否するのかい、ミスター・グリフィンドール
―では仕方がない
―いまここで、君は家族と永遠のお別れをすることになるようだ


やめてくれ、と、父は言った。


―君は一体どんな条件なら満足なんだい、ミスター・グリフィンドール
―そうだ、では、こんなのはどうだろう
―君の娘が17歳になったとき、私が彼女を迎えに行こう
―それまでは君たちのもとで可愛がればいい


わかった、そうする、だから殺さないでくれ、と、父は言った。


―…ああ、君の娘の名前を聞いていなかった
―名前が分からなければ迎えに行きようがない


だ、と、父は言った。












父は放され、自分がしてしまった約束を反芻しながら家に着いた。
そして父は母に成り行きを説明した。母は泣いた。

普通に生きて、普通に幸せになると思っていたのに。
自分の夫は自分たちのために、勇敢に闘うと思っていたのに。

逃げよう、と、父は母に言った。
逃げて、奴に見つからないところへ行かなくては。



次の日、両親は荷造りをしていた。逃げるために。
正午を過ぎ、日差しも和らいできた頃、来客があった。
母はわたしをあやしていたので、父が玄関へ向かった。




客の顔を見て、父は言った。
なぜここが、と。




そして彼は昨日と同じ調子で言った。
なに、君の娘の顔を一目見たくてね、と。
ついでに、君の企てを阻止しようと思い至るのは不自然ではないだろう……?



父は勇敢だった。彼の集会で反論してしまう程度には。
父は臆病だった。何とか逃れようとしてしまう程度には。


しかしそれは本物の狡猾さには勝てず、父はその勇敢さと臆病さ故に、死んだ。
ただ少し、運が悪かっただけで。



さて私は貴女の夫を殺したが、貴女を殺すつもりは無い、ミセス・
ただ一言、貴女に申し上げよう。



私――このヴォルデモート卿は、の17歳の誕生日を楽しみにしている、とね。




























「つまり今年の誕生日が、約束の日…というわけなの」







ホグワーツ6年目。
17歳を迎える年。
それは成人の年だ。







「『あの人』が本当に来るかどうかなんて、分からないけどね。
 もう16年も昔の話だし、忘れてるかもしれないじゃない?」


「……そんな、」







記憶にある限り、彼女からそんな話は聞かされたことがなかった。
俺が今までのことを忘れていたのは、思い出せなかったのは、事実だ。
だけど今日1日で思い出したことがたくさんある。
1年の頃に初めて喋った内容だって思い出した。薬学の課題についてだ。
それでも、そんな話は記憶にない。







「ビックリだよね、なんか。自分のことじゃないみたい…というか、いまだに信じられないんだけど…
 でも今朝、シリウスがもう1人居るのが見えて…なんていうか、ちょっと、わかったの。やっぱりな、って。
 何かが起こるんだろうな、って。きっと中途半端な状態は終わるんだろうな、って、そう思ったの」







は俺と目を合わせると、笑った。







「これからどうするの?私の誕生日まで、あと半年はあるけど」


が死ぬって決まったわけじゃないだろ!」







当たり前のことだが、俺はすっかり失念していた。
『空席』になる、ということは、死ぬ、ということなのだ。

は、死ぬのだろうか?

俺に訪れた、意識はあるのに体を動かせないで、世界が凍っていくのを見守るだけの、死。
ジェームズたちのように、一瞬で世界と分断されてしまう、死。


光とは程遠いところへ、は行かなくてはいけないのだろうか?


俺のように。
ジェームズたちのように。







「ん…確定じゃない、けど…そりゃ、ね…
 ――…ね、その、やりなおし?とかいうの、わたしに手伝わせてよ。
 どうせ何にも触れないんじゃ協力者が必要でしょ?ね?」







時計の針はもう午前3時をとっくに過ぎている。
は死ぬのだろうか?半年後の彼女の17回目の誕生日に?

もしそれが確定だとしても、どうして俺はそのことを覚えていないのだろうか。
ただ単に思い出していないだけなんだろうか?
そもそもどうして俺の記憶からのことが消えていたんだろうか?


何かが『起こる』としたら、そこだろう。
まだ希望は、あるのだろうか?







「―ああ、頼む」







いや、希望なんてあろうが無かろうが、関係ないんだ。

何故俺はこの時代にやって来た?
何をする為にここに来た?


未来をひっくり返すのが、俺の仕事じゃないか。


























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9月2日 深夜