OBSCURE --
I.difficult to understand,to see
II.to confuse,make unclear
オルフェウス
1-06.OBSCURE
「…………スカンディナヴィア、の、古い王の、墓?…に、記された、
ひとつなぎの、詩は、ものである、王妃が、命じた………エルンバード、に?」
訳しながら、これは確実に間違っているという悲しい自信を持った。
というよりは実際のところ、わたしは訳しているのではなくって
ただ単に目に付いた単語と3年生程度の文法をつなぎあわせているだけなのだ。
目でリリーに「ヘルプミー」と訴えても解決にはならない。
わたしは最前列なんかに座ってしまった5分前の自分を激しく呪った。
ああもう、どうしよう。わからない。
OWLで間違えた問題を3ヶ月そこらで出来るようになるわけがない。
先生の視線がわたしに向いているのが分かる。
なぜだか皮膚にチクチクと突き刺さる感じがするのだ。
(シリウス当てられたら助けてって言ったのに!)
リリーが頑張って先生に見えないようにテキストを叩いているのが見えた。
きっとヒントをくれているのだろう。
でもリリー、ごめん、どこを指差してるのか、この位置からじゃわからない。
理解を邪魔しているのが関係詞だということは分かっている。
だけどそれが分かっていても、実際にどこからどこまでが前の節に係るのかが分からないのだ。
この場合、どこまでだろう?
命令する、まで?それともエルンバードまで?
ていうかエルンバードって誰?鳥?
「……………そこの"詩"っていう単語が多重関係詞になってるんじゃないか?
"王妃に捧げた詩"がひとつで、もうひとつが次の文の現在時制に繋がる"古い詩"…」
声がした。
あまりに音もなく気配もなく『シリウス』はわたしの真横に立っていた。
『彼』がわたしの横でヒントを与えていることには、誰も気付いていないようだった。
エルンバードという名前から極楽鳥のようなものを想像して現実逃避していたわたしは、一気に現実に戻された。
『彼』がこっそり(というか堂々と?)くれたヒントが右耳から左耳に抜けていく前に頭を働かせなければ。
「あ……………じゃなくて、」
ありがとう、と言ってしまいそうになったのを押し戻す。
えっと、
多重関係詞だから……?
「エルンバードが王妃のことを詠った、その古い詩を引用した呪文により、
彼らの聖地を守護する呪文としたもの、である」
NEWTでは間違えないように、と言って、先生はわたしを解放した。
ほっと息をつくと、肩の重荷が全部飛んでいったような気分だった。
ちゃんと復習はしていたのね、とリリーが小声で言った。
ん、まあ、ね、とわたしは言った。今日は嘘ばっかりついてごめんねリリー。
わたしは顔は動かさずに教室の奥のほうへ去っていこうとする『彼』を見た。
教室に入ったあと、『彼』はシリウスたちに近い教室の一番奥に立っていたのだった。
廊下を歩いているときもそうだったけど、『彼』はわたしたちにあまり近付かない。
自分がもうひとり居るんだから気まずい思いはあるかもしれないけれど、
どこかへ消えてしまったんじゃないかと心配になるわたしの気持ちも汲んでほしいところだ。
わたしたちの定位置になっているこの机は教室の最前列黒板に向かって右手にある3人掛けで、
座る位置は左端にリリー、真ん中にわたし、右端は荷物(主にわたしの)、という決まりになっている。
わたしは机の上に投げるように置いた羽ペンや羊皮紙を一纏めにした。
テキストの横に今日使う羊皮紙を伸ばして、インク瓶を重石にする。
右端の椅子に置いてあったカバンは、そのまま床に下ろす。
「ありがとう」
どうかリリーに聞こえていませんように、と念じながらわたしは小声で『彼』にお礼を言った。
そして誰も座っていない右端の席を軽く叩く。
座りなよ、と声を出さずに呼びかける。
「………いいのか?」
わたしは『彼』に笑いかける。
もちろんよ、と。
声に出しては言えないけど、伝わるだろう。
+
「ありがとう、ほんとに助かった!」
授業が終わって
は俺に目で付いて来るように促し、空き教室に入った。
見えていないと解っていながら、俺はリリーや『あっち』の俺の視界から隠れるように移動した。
俺が空き教室に入るなり、は開口一番に礼を言った。
「……いや、別に。大して難しいようなもんじゃなかったし…」
「そんなね、シリウスみたいに皆がみんなひょいひょい理解できる頭じゃないんだって。
ただでさえ苦手なのに、3ヶ月も休んでたら余計に解るわけないじゃない?」
「そんなに苦手ならマグル学あたりにしとけばよかったんじゃないか?」
は眉をよせて少しムッとした表情をした。
「シリウスが誘ったくせに」
「え、や、……そ、そうだったか?」
俺は必死で記憶を探る。
しどろもどろの俺に、が不思議そうな顔をする。
そうだ、俺はについての記憶がすっかり抜け落ちていたことはまだ話していないのだ。
俺は必死で記憶を探る、が、ダメだ。思い出せない。
「そうだよ。『はルーン取らないのか?』って。
3年生からずっと取ってて、今さら辞めたくないって意地もあったけどね。
……ほんとに覚えてないの?だって、夏休みもその話、したのに?」
「いや……その、なんていうか俺にとってはすごい昔に思える、っていうか……」
あ、とは言った。
俺の事情をすっかり忘れていたようだった。
本当は未来から来ただけじゃない理由もある分、申し訳なく感じる。
「ごめん、そうだった。こっちのシリウスは未来から来たんだっけ…
……ねぇ、具体的にはどれくらい先からなの?」
「…それは…ちょっと、」
20年後で、ヴォルデモートが1回滅んで復活するくらい先の未来のことです。
とは、さすがに言えない。
更に言えば、・という人物すら存在していなかったのだ。
どう答えればいいのかわからず、俺は曖昧な言葉ばかりを並べ立てた。
「………パッと見はそっくりなのに、あなたは別人みたいにしっかりしてるのね。
あっちのシリウスだったらペラペラ喋るだろうに…あなたは、ぜんぜん教えてくれない」
「………………ごめん……」
「あ、違うの、責めてるわけじゃないの。
紛らわしい言い方してごめんね。」
はそう言うと、視線を爪先に向けた。
そのまま後れ毛を指先でいじりながら、使われていない机にもたれかかる。
机の表面にはうすく埃が乗っていて、陽の光を浴びて煌いていた。
少し、沈黙があった。
空は晴れていた。
雲は白く、まだ夏の様子を残している。
「………死ぬことって、……どんな感じ?」
不意にが切り出した。
「ごめん、失礼なこと聞いてるよね、わたし。
でも興味本位とかじゃなくて、本当に知りたいと思ったの。
わたしはどういう風に死ぬんだろう、って思っちゃって…」
「……死ぬこと、は…」
死ぬことは、どんな感じだっただろうか?
俺が覚えているのは身体の中心から走る冷たい感覚と、
それに相反するかのような温かさでぼうっとした頭と、
灰色のアーチと、ハリーの顔。それだけだ。
「特に痛かったとかは…感じなかった気がする。
目も見えてたし…音は……聞こえなかったかもしれない。
ただ引っ張られる感じがして、どの瞬間に死んだのかはハッキリしないんだ。
なんかこう……やっぱ、眠りに落ちる瞬間みたいなもんだった」
「そっか……」
「俺の場合は、だけど。ひょっとしたら眠るのより早かったかもしれないな」
アーチの表面のざらつきを、覚えている。
だけどその向こう側の景色は記憶に無い。
じゃあ俺は、アーチの石膏を見た瞬間に死んだんだろうか?
それともベラの呪文が体に当たった瞬間なんだろうか?
「……未来から、じゃないんだよね、正確に言えば。
シリウスは………死んでから、来たんだよね」
「あぁ…まあ、そうだな」
突然、俺は自分がまだ入り口のところで立ち尽くしていたことに気付いた。
時間の狭間に迷い込んだ時も、こうして扉のすぐ前に立っていた。
俺はの横に並んだ。
の頭は俺の肩ぐらいの位置にしか届かない。
「未来の世界は…そんなに酷いの?」
「……………」
「だってシリウスがこんなに喋らなくなっちゃうんだもん。
それだけ辛い経験してきたんだろうな、って、解っちゃうよ」
俺は何も答えられない。
俺の人生は、辛かったんだろうか。
確かにアズカバンで過ごした12年は地獄だと思った。
脱獄してハリーに真実を伝えられるまでの1年は自分との闘いだった。
だけどそんなもの、ハリーに比べればどれほどの重みがあっただろう。
「わたしね、お母さんから『例のあの人』の話を聞いたとき、
自分には確実に死が待ってるんだって、思い知ったのよ。
どんな人でも死んでしまうんだって…当たり前なんだけど。
でもその時、わたしが死んだあとの皆はどんな風に生きてくんだろうって考えたの」
半年後にが死んでしまうかもしれないということを、
否定しようと躍起になる頭とは裏腹に、俺の心の中のどこかが納得している気がした。
に関する記憶のうち、思い出すことができたのは過去のことばかりだった。
これから先におこったはずの出来事については、ひとつだって思い出せないのだ。
「リリーとジェームズは仲良くなるのかな」
なるさ、と俺は心の中で返事をする。
しかもジェームズそっくりの息子まで生まれるんだ。
「リーマスは誰か好きな人を見つけるのかな」
見つけるさ、と俺は心の中で返事をする。
今はニンファドーラの片思いでも、リーマスは絶対にあいつを選ぶだろう。
「シリウスは、わたしのこと覚えててくれるのかな」
次の授業の開始を告げるベルが鳴った。
俺には何も答えられない。
ごめん、覚えてないんだ。
こっちに来るまで思い出そうともしてなかったんだ。
言えない思いばかりが頭を過ぎる。
俺は一体何を見て生きていたんだろう?
俺の人生は、どこで綻んだのだろう?
「わたしはこのまま、みんなと居たいのに」
扉の隙間から微風が吹いてきて、の髪が少し揺れた。
まだ暑い日差しの下では、焦げたようなそれは赤茶けて見えた。
わかっていた。
わかっているつもりだった。
の髪は俺の肩をするりと抜けて靡く。
妨げるものは何もないのだ。俺は、居ないのだ。
わかっているつもりだった。
俺はこっちの時代に直接干渉できないなんてことは、
いくら安心させてやりたい相手がいても、触れられないなんてことは。
やはり俺は、ベラの呪文が体に当たった瞬間に死んでいたんだろう。
ハリーにも、にも、手を差し伸べてやれないのだから。
ならば俺は、どうして戻ってきてしまったんだろう。
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9月3日 いろいろな視点で