BESIDE --
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オルフェウス
1-08.BESIDE
「本当にひとりで大丈夫なのね?」
「ん、へーきへーき」
の母親から手紙が届いて1週間。
ハロウィンを目前に控えた日曜。
俺はたちと一緒にホグズミードへの道を歩いている。
先頭はとリリー。
すぐ後ろに『あっち』の俺とジェームズ。
俺はそのまたすぐ後ろに控えている。
「遠慮しないでくれよ、。僕とエヴァンズがすぐに駆けつけるからね!」
「あなたは結構よ、ポッター」
しょんぼりと肩を落すジェームズを見て、は口元で少し笑った。
まあまあ、とリリーの背中を軽く叩く。
たかだか母親の再婚相手に会うくらいで。
と、思ってしまうような会話が青空の下で繰り広げられていた。
吹き付ける風は冷たく、冬がせまりつつあることを告げる。
俺には寒いとか暑いとかいう感覚がない。
幽体離脱しているようなものだからかもしれない。
談話室で毛布もなしに眠るのだから、便利といえば便利だ。
しかし、常に同じ制服のローブ姿の自分がすこし惨めに思えてくる。
たちは休日には思い思いの服装で過ごすというのに。
「あんま無理すんなよ」
「大丈夫、ありがとう」
今にも喧嘩を始めそうなジェームズとリリーを横目に、『あっち』の俺がに言う。
リリーにしたよりは強い威力で、ぺちん、とは『あっち』の俺の背中を叩いた。
(お願い、付いてきてくれる?)
昨日の夜遅く、談話室で寝転んでいた俺のところに来たは、言った。
ああもちろん、と俺は言った。
たかだか母親の再婚相手に会うくらいで、と思わないこともなかったが、
それ以上に俺に訴えかけてくるものが、俺の心の中に、あった。
「…………俺も…いるから」
『あっち』の俺の横へ割り込むようにのすぐ横に立ち、俺は言った。
以外の誰にも聞こえないと分かっていたが、どうしても小声になってしまう。
の人生が転機を迎えるときに、傍にいたい。
それが『空席』へ繋がるものだとしても、そうじゃないとしても。
それだけが心の中にあった。
「……もう、ほら。リリーもジェームズも、喧嘩しないで」
声に出して返事をする代わりに、は俺に向けて笑った。
ありがとう、という意味だろうか。それとも頼りにしている、と言ってくれているのだろうか。
くだらない対抗心だ、と思った。
どうして未来を救うためにやりなおしているのに昔の自分と張り合ってしまうのか。
頭を抱えて座り込んでしまいたかった。
張り合ったところで、昔の自分にはちっとも伝わりはしないのに。
それでも、誰よりも、のために何かがしたいのだ。
は痴話喧嘩をしているジェームズとリリーの仲裁を始めた。
『あっち』の俺は面白そうにそれを眺めていた。
守らなくては、と、同じような光景を見るたびに、思う。
20年後にも、同じ光景をこの目で見ることができるように。
「わたしは大丈夫だから」
はそう言って、走り出した。
ホグズミードの入り口が、もう目の前に見えている。
続いて『あっち』の俺がを追い、
ジェームズもリリーもぱたりと言い争うのをやめて、それに続く。
4人がホグズミードへ駆け込んで笑いあうのを見て、俺もようやく脚を早めた。
+
「、ここよ」
喫茶店に入るとすぐ、お母さんの声がした。
店内を見回すと、一番奥の窓際の席にお母さんとミスター・らしき人が座っていた。
わたしはレジのマダムに頭を下げて、そこに向けて歩き出す。
心臓がどくどくと波打っていた。
それはホグズミードの入り口まで走ったからでもあるし、
お互いにあまり良い印象ではないだろう母の再婚相手が目の前にいるからでもあった。
ちらりと、横目で『彼』を窺う。
その端正な顔立ちを見て落ち着こうと思ったのだが、逆効果かもしれない。
わたしは胸に手をあてて、更にテンポを速める心臓を落ち着かせようとした。
「……はじめまして、さん」
わたしはテーブルの前に立った。
4人掛けのその席の壁側に、お母さんとミスター・が座っている。
無性に、座りたくないと思ってしまった。
わたしは立ったまま挨拶をする。
「・です」
精一杯、相手が自分を大きく認識するように。威圧するように。
圧されたら、負けだ。そう思った。勝敗が何に影響するかもわからないけれど。
雄の孔雀が相手を威嚇するように、わたしはミスター・の前で背筋を伸ばす。
背筋を伸ばし、胸を張り、顎を引いて。そのまま軍の敬礼でも出来そうなくらいに。
「です。さんからいつも話を聞いていました」
よろしく、とミスター・は言った。
感じの良いひとだと思った。
髪には白いものが混じりかけているけれど、それ以外に年齢を感じさせるところはあまり無い。
柔和な目つきで、話し方も雰囲気も、何もかも穏やかだった。
例えるならば、機嫌の好いときのリーマスだろうか。
何の脈絡も無いけれど、ハッフルパフだったんじゃないかとわたしは予想した。
「バター・ケーキを作るのが上手だと聞いています。
僕としては、今年のクリスマスにはぜひ一緒に食べられたら嬉しいのだけど…」
「ええ、もちろんです。お口に合うかはわからないですけど、
でも母の作るバターケーキよりは美味しい自信がありますよ」
ミスター・の印象がびっくりするほど良かったので、わたしは孔雀の姿勢を解いた。
お母さんにニコリと微笑みかけてから、わたしは椅子に座るために足を動かす。
奥の椅子にしよう。シリウスが隣に座ってくれるように。
「……あのね、率直に言うわね。
お母さん、私たちは冬の休暇のうちに引っ越した方がいいと思ってるの」
「引っ越すって、どこへ?もう宛てはあるの?」
ウェイトレスがわたしの注文を聞きにやってきたので、ホットチョコレートを頼んだ。
大人のお金で飲食できるときは、遠慮しないのがモットーだ。
ウェイトレスが去った後、お母さんとミスター・はちらりと視線を交わした。
諸手を上げて歓迎できるような提案がされる雰囲気ではない。
「……フランスの方へ」
「ばっ………」
バッカじゃないの?と発しそうになる声を必死で飲み込む。
いくら、いくら新婚だからって、環境が変わるからって、いきなり外国に引っ越すだなんて!
「わかって頂戴、。あなたのことを考えて言っているの。
今年が………今年があなたにとってどういう年か、忘れたわけではないでしょう?
には、『あの人』からできるだけ遠くに居て欲しいのよ。勉強なら…ボーバトンでだって出来るわ」
"今年があなたにとってどういう年か、忘れたわけではないでしょう?"
正直に言って、わたしはお母さんがその話題を持ち出すことは二度とないと思っていた。
わたしの15歳の誕生日に、涙を浮かべて半分拒絶するように声を絞り出したお母さんの姿を、わたしは忘れていない。
お母さんとこの話はしないでいようと、決めていたのに。
「………そんな、急に、」
急にそんなことを言われたって。
わたしは隣に居るシリウスを見た。
彼は無表情で、どう受け止めたのかは読み取れなかった。
「急な話で、本当にあなたには申し訳ないと思うわ。
だけど、真剣に考えてほしいの。あなたの……命に関わることなんだから」
「でも、」
「僕も、可能な限りのことはするつもりだよ」
ミスター・はお母さんの背中を撫でて安心させながら、わたしを真っ直ぐ見た。
"でも"、"だけど"、"だって"、ありとあらゆる否定の言葉が、わたしの胸を突く。
「でもっ……」
でも、そしたら、シリウスは?
シリウスは、何も言わない。
何も言わないで、わたしの方さえ向いてくれない。
その目は直ぐにわたしのお母さんの方を向いている。
まるで、俯くほかに自分を守れそうにないわたしの代わりをしてくれているように。
「でもだって、お母さん……だって、ホグワーツの友達と離れたくない。
これでも箒に乗るのが上手だって知ってるでしょ?クィディッチの補欠メンバーなんだよ?
もしジェームズが出場停止になったらわたしがプレーするって約束したんだよ?
それに……それに、OWLでひどい結果だったルーン語も、この前…汚名返上してきたばっかりなのに………」
「、お願いだから…」
わたしは顔を上げた。
涙で溢れたお母さんの目と、視線が合う。
「わたし…」
わたしはコートの裾をぎゅっと握った。そうしなければ泣いてしまいそうだった。
涙を生成するのに必要なエネルギーが、固く握り締めた拳で全て発散してしまえばいいんだけど。
「わたしは、逃げたくない」
お母さんはハッとしてわたしを見た。
「……怖くないの?」
「怖いよ。だってどうされるか分からないんだもん。
でもだからって……怖いからって、逃げたくないの。
逃げて、それでも捕まって、そのとき後悔しか残らないなんて、くやしいから」
そう言ったあと、シリウスがわたしを見ていることに気がついた。
その瞳にあるのはどこか諦めたような、寂しそうな光だった。
大丈夫。シリウスと一緒だから。
そう伝えたくて、握り締めた手を解いて彼の方へ伸ばした。
彼に触れられないのを忘れたわけではない。
ただそこに安心できる相手がいることを自分に納得させたかった。
大丈夫。わたしは大丈夫だから。あなたを置いて行ったりしないから。
「わたし、ひとりじゃないから。だから大丈夫」
隣に座る誰にも見えない彼の指が、わたしの手に応えるように動いた。
彼の手はわたしの手を透かしてしまうけれど、わたしにはそれで十分に思えた。
この店へ来る道すがらだって、ずっとみんなが居てくれた。
わたしはそれを知っているし、忘れないだろう。
、と、お母さんが私の名前を零したとき、ミスター・はそれを制止した。
「……僕はね、さんと同じハッフルパフの出身で、まあそれで知り合ったんだけれど。
幼い頃、上級生には逆らえなかったし、今でも上司やご近所に自分の意見を言えないときがあってね。
その中には、ひどく後悔する結果にしかならなかった経験がたくさんある」
唐突な話を始めながら、ミスター・はティーカップの中をかき混ぜた。
そういえばわたしのホットチョコレートがまだ運ばれてこないな、とふと思い出した。
きっと重々しい雰囲気のテーブルに近寄るのに躊躇しているんだろう。
「だから、きみのその素直な勇敢さが、羨ましいと思う。
その姿勢は全ての人が持てるものじゃない、きみの長所だろうね。
…大丈夫だよさん、僕は彼女の意志を尊重するべきだと思うよ」
戸惑っているお母さんの肩を抱きながら、ミスター・はわたしに微笑んだ。
ナフサランプの橙がかった粗い光に照らされて、まるでダンブルドアのようだった。
すべて包み込んでくれるほど大きくて、すべてを見抜いて、それでも許してくれるような。
場の空気が和らいだのを感じ取ってか、ウェイトレスがホットチョコレートを運んできた。
少し冷めたそれを啜るわたしに、ミスター・は悪戯っぽく笑った。
「どうやら、友達が迎えに来てくれたみたいだね」
その通りだった。
ガラス越しに見える外では、夕日のような赤毛の女の子がきょろきょろしていた。
リリーだ。すぐ近くでは、ジェームズたちが枯葉を雪のように巻き上げて遊んでいる。
浮遊呪文か何かだろう。このままでは通りすがりのスリザリン生たちが枯葉まみれになってしまう。
「わたし、行くね、お母さん。さんも。ありがとうございました。ごちそうさま」
ホットチョコレートを一気に飲み干して、わたしは立ち上がる。
わたしの横ではシリウスも同じように立ち上がっていた。
お母さんは困ったような顔をして、かすかに笑った。
わたしは喫茶店のドアを開けた。風が冷たかった。
次の週末に、厨房を借りてバター・ケーキを焼こうと思った。
ミスター・とお母さんへの結婚のお祝いに。
「……口の端、チョコレートついてるぞ」
「げっ」
わたしにしか聞こえない声で、シリウスが言った。
てのひらで指摘されたところを拭うと、チョコレートが付いた。
どうしようか一瞬悩んだけれど、そのまま手を口元に持っていって、舐めとる。
だって美味しかったんだ。自分が意地汚いのは自覚してる。
もうすぐ、11月になる。冬はすぐそこまで来ていた。
次のホグズミードでリーマスにここのホットチョコレートを紹介しようとわたしは思った。
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10月下旬 だいじょうぶ、ひとりじゃない。(というのが10月の主題なのでした)