LANDSCAPE --
I.a broad view of the land,or a picture showing such a view
II.a field of activity



























     オルフェウス   1-09.LANDSCAPE


























さて、いくつかの疑問を解決していこう。



俺は『あちら』の時代の物に触れるか?
当然、答えはノーだ。


では何になら触れるのか?
『俺自身』にのみ、だ。

俺は身に着けているグリフィンドールのタイを締めることも緩めることも出来る。
が、いくら突風が吹いたからってタイが風に靡くことはない。


ならば俺はどこに立っているのか?
答えは、わからない。

『あちら』の時代のものには触れられないのに、俺の脚は地面を踏みしめる。
2階でだって3階でだって、俺は廊下を歩くことができるのだ。突き抜けることなく。


俺には感覚があるか?
半分イエス、半分ノー。

暑いとか寒いとか痛いとか、そういうフィジカルな感覚は、ない。
ただし目の前にあるそのパンを食べたいとか、ぐっすり眠りたいとかは、思う。
思ったところでどうにもしようがないのが現実だが。

毎晩、談話室のソファに寝そべるのだって、眠った気になるためだけだ。
本当に眠りに落ちているのかはわからない。ただ、漂う感じでそこに倒れるだけ。
漂流。そう、意識の漂流に近い。まあ俺自身が意識の集合体のようなものなのだけど。





では、本題。



俺は、飛べるだろうか?






















「出来ないって決まってるわけじゃないんでしょ?」







出来ると分かってるわけでもないぞ、と俺は向かい合わせのに言う。
はむうと考え込む。







「飛べると思うんだけどなあ」


「その自信はどこから来るんだ…」







女のカンだ、とは笑った。



暦は11月に入り、朝の早い時間に草を踏めば霜が鳴るようになった。
奇妙な共同生活も2ヶ月目に入ったわけだが、やはり手がかりはない。


空き教室はもはや極秘の会議室と化している。

気の乗らない授業のとき、放課後、朝はやく。
重要なことがあったときも、くだらないことが気になったときも。

俺とが人目を憚らずに話せるの場所として、そこはうってつけなのだった。
もっとも、過去の自分が"忍の地図"ですぐにの居場所を嗅ぎ付けてしまうわけだが。







「飛べたらいいのに、って思わない?」


「…昔は、そうだったかもしれないな」







たとえばそう、あの息苦しい実家の窓から空を見上げたとき。
そのまま飛んでいけたら、と何度夢見ただろう。

あの孤島の監獄の中で。

2年にも渡る逃亡生活の中で。

一体何度、夢を見ただろう?







「……シリウス?」


「あ?…あぁ、悪い」







何か問いたそうな表情のまま静かに瞬きながら、ん、とは言った。

は、彼女の未来、つまり俺にとっての過去での出来事についてあまり訊ねなくなった。
俺が答えをはぐらかそうとするのを、黙って見つめて、今みたいにゆっくりと瞬きをするだけ。







「んん…?でも、よく考えてみると…もしシリウスが飛べたとして、よ?
 大広間とか廊下の天井あたりで浮いてたら……なんか、ピーブスみたいかも」


「……………」







浮かぶ俺。浮かぶピーブス。

俺がポルダーガイストだと言いたいのかお前は。







「…お前、喩えが最悪…」


「ご、ごめん。悪気はなかったんだけど…」







気が滅入るような光景を想像してしまった俺は、から顔を背けて空を仰いだ。
ああくそ。地味に傷付いた。(何だってあんな小男の仲間にならなきゃいけないんだ)

薄い顔料を伸ばしたような色をした空に、イワシ雲がかかっていた。
まだ日没には時間があるので、遠くの景色が見渡せる。
塔のシルエットの向こうに見えるのはクィディッチ・チームの練習風景だろう。


飛べたらいいな、と思った。


誰にも見えないかもしれないけれど、あのチームに混じってクィディッチが出来たら。
ビーダーの棍棒を握り締めることができたら。スニッチを掴むことが出来たら。







「……いいな」


「ん?」


「空、飛べたらいいのにな」







足元の草を蹴って、大空へ飛び立つ感覚。
手に触れる、箒の柄のごつごつした触覚。
ボールを追いかけて速度をあげるときの、風が耳を切る音。

もう一度、感じることができたら。







「じゃあ、飛んでみようよ」


「……どうやって」







はにっこり笑うと、窓を指差した。
その笑顔は、なんだ、その、見惚れてしまうほどの魅力があるものなのだが。

なのだが。







「……飛び降りろ、と?」


「いざとなったらわたしが箒で助けに行くから。ね?」







いや待てちょっと。
助けるとか言っても俺はの箒には触れないのだから相乗りはできないだろう。
もし飛べなかったら地上へ真ッ逆さまじゃないか。(ね?とかいう語尾の可愛さに誤魔化されたりしないぞ!)

は窓を開けた。鍵はかかっていなかった。
日差しで温まっていた空き教室へ、風が流れ込む。
は寒そうに身を震わせた。







「………ここ、3階」


「うん」


「俺、丸腰。箒、触れない」


「……うん?てことは落ちても怪我しないの?」







………………あ?

実際のところどうなのか、俺には判断できなかった。
触れないなら、怪我をしないのか?
でも床や地面の上には立てるのだから、衝突はするわけだろう?







「あーダメだ、分からなくなってきた…!」







というかどうしてはそんなに俺に飛び降りさせたがるんだ。
もうそこからして理解できない。わからないことだらけだ。







「…案ずるより産むが易し、かも、よ?」


「だから、何でそんな俺にバンジーさせたがるんだよ…」


「え……えぇ?なんでって……」







窓辺に近寄り、は杖を構えた。
アクシオ ほうき!と、控え目ながらも通る声が空き教室に響く。
今ごろは箒置き場での箒が動き出しているのだろう。


俺の杖、どうなったんだろう?と、ふと思った。
どこかで折られてしまっただろうか?それとも誰かに拾われただろうか?



数秒後、ひゅっと風を切りながら登場したの箒が、窓の外に停止した。
茜色と水色の混ざった空に浮かんで。

俺の杖は。箒は。バイクは。今はどこで何をしているんだろう?







「……なんでって、さ」







窓枠をひらりと飛び越え、は箒に跨った。
空中で同じ目線の高さを保ったまますこし距離をあけるように飛ぶ。
そうしてUターンして、まっすぐ俺を見た。







「たまには空き教室以外の場所を散歩するのもいいと思わない?」







俺は右手で左手の手首を掴んだ。
身体の状態から判断できる年齢は、の年齢とそう離れていないように思える。

つまり何が言いたいのかというと。
そこそこ上背があって、それなりに筋肉がついていて、それなりに運動神経がよかった頃の自分の体だということだ。







「………案ずるより産むが易し、なあ…」







俺は窓枠から身を乗り出した。下は向かないほうがいいと思ったので、見なかった。
なんだって俺はこんなことをしているんだろうかと思ったので、何とか納得できる言い訳を探した。

だって。だって、なあ?
この世で唯一自分を認識してくれる女にそんな風に言われては、動かないわけにはいかないじゃないか。







「……………っ、よ、っと」







『あっち』の俺ならやってのけるだろう事を、出来ませんと流せるほど俺は大人じゃなかったんだ。

俺は空中に身を躍らせた。
そのまま宙を歩いていけるような感覚はなかった。(わかっちゃいたけどな)







「……シリウスあぶなっ……」







案ずるより産むが易し。

ハリーをまだ身篭っていたころのリリーにそう言ってしまったことでこっぴどく叱られたジェームズを思い出した。





















+





















「で、きみは箒に乗ったままフランクに突っ込んだわけだけど、」


「……ごめん」







その日の夜。

はグリフィンドールの談話室のソファの前で、正座していた。
眼前のソファにふんぞり返っているのはジェームズだった。
腕組みをして、眼鏡をいじりながら、を見下ろす。

ジェームズの隣に座っているのは腕に包帯を巻いた青年だった。
今しがたフランクと呼ばれた男だ。


俺は、の横に並んで、座っていた。正座である。







「一体なにがきみをそんな奇行へと走らせたのか説明してもらえるかい?」







ジェームズは怒っているように言ったが、本当に腹を立てているわけではなさそうだった。
それでもは身を縮こませて、俯きながら喋りだした。







「……空き教室に、黒いネコがいたの。野良だと思う。
 キティ・ブラックって名前をつけたんだけどね、ブラック繋がりってことで、
 その子を呼ぶときはもっぱら"シリウス"って…呼んでたのね、わたし」







少し離れたところで聞き耳を立てている『あっち』の自分が僅かに反応したのがわかった。
そのテーブルでは『あっち』の自分とリリーがチェスに興じるフリをしているのだ。
実際は今日の放課後に起こった「、箒で襲撃事件」のあらましに聞き入っているが。







「それで、今日もそのネコと遊んでたんだけど、空を眺めてるうちに、
 その……キティ・ブラックと箒に乗ろうと思いついて、窓から出たんだけど、
 えっと、キティが落っこちちゃって、慌てて急降下したら、……フランク、に突撃してしまいました」


「ほお。で、キティ・ブラックとやらはどこへ?」


「え?に、逃げちゃった。わたしが乱暴したと思って怒ってるのかも…」







結論を言えば、俺は3階から飛び降りても平気だった。
宙を歩くことはできなかったが、傷を負うこともなかったのだ。

ただ、俺が下方の確認をしなかったせいで、落下地点に不運な男子生徒が居たのに気付かなかった。
焦ったは(俺を助けるためかフランクを助けるためか)急降下し、見事に衝突した。
ああ、俺なら放っておいてもフランクを通り抜けて紙みたいに着地するだけだったのに。

結果。フランクは右腕を骨折。1週間の運動禁止。
フランクがクッションになったは肘を擦りむく軽傷で済んだのだった。







「ご、ごめんね、フランク、本当にごめんなさい…!」


「いいよ、。わざとじゃないんだろう?」







は首を縦にぶんぶん振って肯定した。

そう、断じて故意にぶつかったわけではないし、実を言えばだけの責任でもない。
きちんと下を見ずに飛び降りた俺にだって責任はある。かも、しれない。







「しかしねぇ、。フランクはそう言うけれどだねぇ、グリフィンドールのクィディッチ・チーム・キャプテンとしては、
 週末にスリザリン戦を控えたこの時期にチェイサーに怪我をさせたっていうのは頂けないなぁ?」


「うん……ごめん、ほんとに。すみませんでした……」


「責任、とってくれるのかなぁ?」








ジェームズはねっとりと言い、に顔を近づけた。
まるで嫌がらせをしている中年のおっさんのようだ。

少し離れた例のテーブルでは、リリーが険しい目つきでジェームズを睨んでいた。
責任の一端を担う身としての横で誰にも知られずに正座をしていた俺さえ引いてしまうほどだ。







「せ、責任…?」


「ん?んん?まさかきみに拒否権があるとでも?」







は力なく首を振った。さっきとは違い、今度は横に。否定だ。







「わたしに出来ることなら…ケーキも焼くし、マネージャーもするし、
 スリザリン・チームのスパイだってするし、妨害だって実況だって、なんだってします…」


「本当に?なんでもするって言ったね?」







こくん、とが頷いた。

被害者であるフランクはおろおろとその様子を見守っていたが、
ソファでふんぞり返っていたジェームズは急に立ち上がり、希望に満ちた顔で、叫んだ。







「パッドフット!今度のスリザリン戦はがチェイサーだ!!」







『あっち』の自分が、クィーンの駒をごとりと床に落とす音が響いた。


























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11月初頭 さりげにフランク・ロングボトム登場。