CHAIN --
I.a flexible line of rings or loops locked inside each other
II.a series of related things or events



























     オルフェウス   1-14.CHAIN


























それじゃあ、おやすみ。そう言って、リーマスは男子寮への階段を上っていく。
は楽しそうな顔で俺の方を見ていた。にやにやと、口の端を吊り上げて、少し尖った歯を覗かせながら。







「で、リーマスを膝抱っこした感想は?シリウスさん」


「………すげえ、へこむ」







俺は脚を組んで、溜息をつく。

わかっている。もう諦めたことだ。
『もしかしたら』誰か俺のことがわかる奴がいるんじゃないか。
『もしかしたら』俺は誰かに、何かに触れられるんじゃないか。

不可能だって、わかっているんだ。だから追い討ちかけないでくれ。
俺は何か超越的な存在(たとえば歴史の記録係とか)に呪詛を吐く。

リーマスは、の正面、つまり俺が座っていた場所にどっかりと座ったのだ。
俺なんか見えてないとはいえ、親友に潰されるということの何と空しいことだろう。







「ねえ。リーマス、なんか気付いてる感じだったよね?」


「……そうかもな。あいつは……」







あいつは、周りをよく見ている。
それは恐らく自分をカモフラージュさせるために身につけた技能だろう。
場の空気を読み、それに自身を順応させる。そうすれば、目立たない。

『キティ・ブラック』という、居るはずのない存在について仄めかすようなことを言ったのはそのためだろう。
もしかしたら『あっち』の俺や、ジェームズもそうかもしれない。気付いているかもしれない。
さっきの会話は、その警告なのか?それとも単にに発破をかけただけか?


俺はこの時期に学生の自分が何をしていたのか思い出そうと頭を捻るが、無理だった。
それもわかっていたことだ。に関する記憶だけが抜け落ちているのだから。







「……まあ、話戻すね。わたし、クリスマスは家に帰るつもりなんだけど、シリウスはどうする?」


「俺は……いや、俺のことは気にしなくていい。ここに残る」







俺がそう言うと、は少し意外そうな顔をした。


歴史の記録係の言葉を思い出すと、『2ヶ月は相手に憑いてまわること』が空席の権利を受け取る条件だったはずだ。
クリスマス休暇の幾週かを離れたところで、の17歳の誕生日までには余裕がある。

こんなことは考えたくないが、その日がやはり避けられない運命なのだとして。
このクリスマス休暇が、が家族と過ごすことのできる最後のクリスマスになる。
もしも、という場合に、最後のクリスマスを俺のせいで家族とも距離を置いていたという結果は望ましくない。







「それでいいの?」


「ああ、構わない。俺にも少し用事がある」







もちろん、用事なんてそんなものはないわけだが。

本当に信じたのか信じた振りをしているのか、はこくりと頷いた。
彼女は小振りのマグカップに注がれたココアを飲み干し、そのまま立ち上がる。







「じゃあ、おやすみなさい。また明日ね」







俺は「ああ」と返事をする。

次の週末には休暇になる。
『あちら』の俺は実家には戻らず、ジェームズの家に居候させてもらうはずだ。
もリリーも、両親のもとへ戻るのだろう。

俺はソファに寝転んで、考える。
帰る場所が無いのは、俺だけだ。






















そして一週間というものは思っていたよりも早い速度で駆け抜けていく。

俺はの傍らでまだキチンと覚えている内容の授業をぼんやり受けながら、
『光陰矢のごとし』と言うか『光陰鼠のごとし』のほうが素早い感じが表現出来ていいんじゃないかとかそういうことを考えた。

くだらない。まったくもってくだらない。
が家に帰り、ひとりになり、誰とも会話することが出来なくなるこれから先の数週間。
その間ずっと俺はこういうくだらないことを考えていくのだろうか。あるいはもっと長い間。



俺の分のプレゼントを用意しておくという言葉を残し、は家に帰った。
今頃はホグワーツ特急の中だろうか。リリーと一緒に喋っているのだろうか。

俺は男子寮の階段の上り、かつての自分の部屋の前で止まる。
ドアを通り抜けられることは自明であったが、そうする気が起きなかった。
いつかこの部屋へ、胸を張って入ることが出来るだろうか。
その時が来たら俺は、きちんとジェームズたちの眼を見ることが出来るだろうか。


答えをくれる相手は、居ない。
この場に居れば励ましてくれただろうは、居ない。


俺は談話室へ戻り、ソファに寝転んだ。
生徒がひとりも居ないので暖炉は燃やされていない。
寒いと感じることは無いはずなのに、空気がひどく冷たいように思った。

そのまま、目を閉じる。
眠れる、だろうか。今日くらいは。






















+






















オーブンから鉄板を引き出すと、香ばしく薫る小麦粉の匂いがわたしの鼻腔をくすぐった。
よしよし、うまく焼けたみたいだ。わたしは鼻歌まじりにスポンジ生地を冷ます作業に取り掛かる。

生地が冷めたらロールして、クリームを塗って、砂糖菓子を載せて。
粉砂糖をふりかけて雪みたいにして、ポインセチアの鉢から花を一房貰って飾ってみようかな。







「ご機嫌ね、


「まあね、お母さんこそ顔がにやけてるけど?」







頬に手を当てて、お母さんは恥ずかしそうに笑う。娘のわたしから見ても、かわいい大人だ。

お母さんの左手の薬指には、真新しい銀色の指輪が光っている。
それは新しくわたしの父親になるひとから貰ったもので、さんはかなり奮発したらしい。
失くしたらどうしようかと心配しながら、お母さんはそれを嬉しそうに指に通した。


リーマスに贈る分のケーキは型に流し込まれた段階で、焼かれるのを待っている。
リリーや他の子たちへのプレゼントは日付指定のフクロウ便で発送済みだ。

今年は誰からどんなプレゼントが届くだろう。
これが最後のクリスマスなんだろうなという不吉な想像を打ち消すように、首を振る。







「ねえお母さん、わたし欲しいものがあるんだけど、いい?」


「まあ珍しい。けど、あんまり高価なものは買ってあげられないわよ」


「ん、あのね、実はね――――――……」



























クリスマス当日の朝、窓の外には雪がちらついていた。

冷たいのを堪えて窓枠に手をかけ、わたしは外へと腕を差し出した。
綿毛のような雪がパジャマの布に触れては消え、消えてはまた触れた。


勉強机の上には、友達たちから届いたたくさんのプレゼントの箱が乗っている。
わたしはひとつひとつ包装を眺め、誰からの贈り物だろうかと予想をする。

きっとこのハロッズとかいう店のものはリリーからだろう。いつも美味しいジャムが入っている。
それでハニーデュークスはリーマスから。中身はまあ、あれ、いつものやつ。

わたしはロイヤルブルーのシンプルな包装の箱を手に取った。
軽い。少し振ってみると、かすかに音がした。

綺麗なラッピングを崩さないように、わたしはゆっくりとシールを剥がす。
中にあったのは、今までに触ったどんなものよりはるかに手触りの良い箱。
そこでわたしは確信する。シリウスだ。これは、ぜったい、シリウスだ!

嬉しいような、申し訳ないような気分になる。
シリウスはあの通りもの凄く美形な上にもの凄くお金持ちなので、毎年何をあげればいいのか悩むのだ。
そうしていつもちょっとオシャレな学用品とか、あっても困らないものに落ち着く。
あっても困らない、つまり言い換えれば、ありふれたもの。
わたしはそんなものしかあげられないのに、彼はいつも良いものをくれる。
嬉しいんだけど、でもやっぱり、ちょっと申し訳ない。


もう一度窓を開けて、冷たい空気で頭をシャキっとさせてから、箱を開ける。
ビロード(だと思う)のクッションに挟まれるようにして、細いシルバーのチェーンがわたしを見ていた。

思わず見惚れ、小さく嘆息。
恐る恐る指先でひっかけるように摘み上げると、モチーフ部分が煌いた。


それはチェーンと同じ銀の色をしたスプーンの形をしていた。
スプーンの柄の部分には馬蹄のような細工が施してある。
ははあなるほど、シリウスは今度はケルトの伝説にハマっているらしい。


わたしは手首にそれを二重にして巻きつけた。
本来のチェーンの長さからすればペンダントなのだろうが、
あいにくわたしの首のぶら下がるスペースは昨日のうちに予約されてしまったのだ。

わたしは胸元からシリウスに貰ったものより造りの粗いチェーンを引っ張り出す。
ぶら下がるのは、女性用のシンプルな結婚指輪。







「わたし、忘れないからね。お父さん」







そう呟いて、ガラスの瓶に男性用の結婚指輪を落とす。



お母さんはもう、別の人からの指輪を左手の薬指に嵌めることを選んだから、
お父さんと対を成す指輪を嵌めておくことはできない。

わたしは忘れない。恨んだりもしないよ、お父さん。
お父さんとお母さんはもう夫婦では居られないけど、二人が夫婦だった証拠こそ、わたしだから。
だからこの二つの指輪、わたしに、預からせてくれるよね。



お父さんの指輪を入れた瓶は、お母さんたちの目を盗んで庭に埋めるつもりだ。
本当は可愛い箱がよかったのだけど、湿気てしまったら台無しだということでジャムの空瓶で手を打った。
ベージュのクラフトラベルを貼ったり、トリコロールのリボンを巻いたりしたら、可愛くできるだろう。

手紙は入れようかどうしようか、迷っている。
書いてみようかなとペンを取っても、遺書の決まり文句しか思い浮かばないので笑ってしまう。
『親愛なるあなたへ。あなたがこの手紙を読んでいるころ、きっとわたしは死んでいて』云々というやつだ。


そうじゃないんだ。わたしが言いたいのは。
わたしが『彼』に伝えたいのは、ありがとうって、それだけなんだ。


いつもわたしのことを心配してくれて、
いつもわたしのことを見守ってくれて、
いつもわたしの傍に居てくれて、ありがとう、『シリウス』。







でもやっぱりあなたにこれが渡る頃には、わたしは死んでいるのかな。


























←1-13.   オルフェウス目次   →1-15.












12月上旬〜下旬 モチーフの意味は幸運。ブランド的にはカルティエとかティファニーレベル。