GAP --
I.an empty space between two things
II.an unfilled period of time



























     オルフェウス   1-15.GAP


























気付けば見覚えのない所に居た。
どこかの城からかっぱらってきた様な調度品で整えられた、四角い部屋。

窓がないために、ここが城の一室なのかどこかの納屋なのかは判断できない。
あるのは、扉だ。俺の背後にはその圧迫感を感じる。きっと恐ろしく細かい細工が施されているのだろう。






あ?






待て、ちょっと待て、なんだこの既視感は。
俺はこの部屋を視たことがある。俺はこの部屋を識っている。

そうだ、この部屋は、







「メリークリスマス、シリウス・ブラック」


「……やっぱり、あんたか…」







『それ』はの顔で、にっこりと笑った。







「ご明察だね、シリウス・ブラック。まあほら、座りなよ。
 折角のクリスマスなんだから、そんな不景気な顔しないでもらえるかな」







俺は溜息を吐いて、ソファに向かう。
前回のときと同じように、自分がいつから立っていたのかは解らなかった。

『それ』は足を組んで、豪奢なソファの中央に座っていた。
俺はその向かい合わせになるように腰掛け、背の低いサイドテーブルに視線を遣った。
テーブルには紅茶と思われる茶器一式と丸太の形をしたケーキが載っている。







「……いくつか、あんたに聞きたいことがあるんだが」


「構わないよ。わたしに答えられる範囲ならば、ね。
 さしずめ今回のわたしときみの邂逅は推理小説で喩えるところの解決編というものにあたるのかな?」







俺は再び、深く息を吐く。







「あんた、『ヒントなら目の前にいる』って言ったよな。覚えてるか?
 それは……の場所が空くという意味なのか?」


「そうだね、率直に言おう。その通りだよ。
 少し簡単すぎたかな?彼女はきみが視えるみたいだし、ヒント無しでも十分だったね」


「……じゃあ、何で今もまたの姿をしているんだ?
 前回は対象者を俺に教えるという目的があったんだろうが、今回はそれは必要ないだろう?
 あんたの本当の姿で俺と話をしてくれないか。どうにも…その顔は、違和感がある」







『それ』はの顔で、俺を見る。

に見られているような感覚がしてくるが、違う。
俺は自分に言い聞かせる。違う、これはじゃないんだ。







「なぜわたしが彼女の姿をしているか。
 それはきみの心の奥底に彼女のことが焼き付いているからだよ、シリウス・ブラック。
 わたしは歴史の記録係。この時間、この空間そのものがわたしの一部。定形は持たないんだ。
 だからわたしが姿を現す必要があるときは、きみが最も情を持っている他人の姿を借りる。
 そうすれば、勢いあまったきみがわたしを攻撃する危険を回避できるでしょう?」







『それ』は、ティーポッドの液体をカップに注ぐ。
立ち込める湯気。湧き立つ薫り。これは現実か、夢想か?







「じゃあ、今回はどうして俺をここに呼んだんだ?俺はただ談話室で寝てただ。
 死んでないぞ。今回は俺、死んでないはずだぞ。寝ただけ…だろ?」


「そう、きみは眠った。1976年12月24日深夜にあたる時間にね。
 眠ったんだよ、シリウス・ブラック。この3ヶ月、そんなことはあったかな?
 きみの存在は時間の補充を待つ『空洞』、そんなことは無かったはずだよ。
 ならば、なぜきみは眠ったか。それはわたしが眠るという事象をきみに『割り当てた』から」


「……………は?」


「まあ、いいか。わたしが呼んだから、きみはここに居る。そこに変更は生じない。
 それから、呼んだ理由だったかな?それは暦から推して知るべし、だね。
 きみはまさかこのケーキの名称を知らないわけじゃないでしょう?」







ポッドを置き、『それ』は丸太の形をしたケーキを指さす。
それくらい知っている。ビュッシュ・ド・ノエル、フランスの菓子だろう、クリスマス用の。

あ?つまり、アレか?
クリスマスパーティーってことか?







「まあそんなところだね。それで?わたしに聞きたいことは、もう終わり?」


「いや、まだある。あるんだが…たくさんありすぎて、どれから聞くべきか迷うな。
 まず……そうだ、俺はどうして突き抜けずに地面や廊下を歩けるのに、宙は歩けないんだ?」


「それは、地面や廊下というものは『道』として分類されるからだろうね。
 道には道の役割が、空中には空という役割がある。割り当てられる時間の種類が違うんだよ。
 空中に道の時間を注げば、鳥も雲も月も堕ちてきてしまう。それは困るでしょう?」


「それは…まあ」


「生きている時間なら、箒でも飛行機でも、手段次第でどうにか出来る問題なんだけどね。
 でもきみの時間は生きていない。死んでもいない。始まっていないから。だから干渉できない」


「なら、が俺のことを見聞きできる理由は…」


「シリウス・ブラックが、いずれ流出するの時間の受け皿だから。だね。
 同じ種類の時間同士なんだから、感知できないわけがないんだよ」







何でも無いことのように、『それ』は言う。







「なあ!が……の場所が空席になるっていうのは、もう変えられないのか?
 俺がやり直す結果によっては、のことも助けられるんだろう?そうだろう!?」


「それはきみ次第だと思うよ、シリウス・ブラック。でも、彼女の時間は彼女のものだ。
 確かに、きみが干渉することでの影響だってあるかもしれない。それでも、よく思い返してごらん?
 彼女が成人を迎える頃、何が予定されているか。誰が彼女を狙っているのか。そして彼女の性格を」


「……どういう…意味だ?」


「まあ、仮にそうなったとしよう。彼女の時間が継続したとね。するとどうだろう?
 その瞬間に、きみも消滅するかもしれない。譲り受けるべき時間が無くなるのだから。
 よく考えることだね、シリウス・ブラック。きみが護りたいものはなに?
 好きな女の子?生まれてくるはずのハリー・ポッター?きみにチャンスをくれた親友たち?それとも、自分自身?」











俺が、護りたい、のは?



俺は差し出されたカップを受け取り、紅い水面を見つめた。
眉根を寄せた自分の顔が、俺を見返してくる。
その顔は若くて、脱獄後のような皺や隈は無い。


俺が護りたいものはなんだ?
俺にやり直しのチャンスをくれたジェームズ、独りにさせてしまったリーマス、
よき理解者だったリリー、両親を失くしたハリー、いつの間にか記憶から消されていた、

その中から一番を選ぶことが出来るだろうか?
誰もが俺にとって大切な存在だし、誰もが幸せになってほしいと思うのに。







「…そんな暗い顔しないで。まだ時間はあるでしょう?
 今夜はクリスマス・イヴ、きみにもプレゼントを用意してあるんだけれど」


「プレゼント?」


「そう。プレゼントとして、きみの願いをひとつだけ叶えてあげよう。
 だけどきみのやりなおしに直接影響することは不可能だよ。
 の運命を変えるとか、トム・リドルの時間を消去するとか、そういうことはね」







そう言うと、『それ』はケーキを切り崩し、口に運んだ。

俺のやりなおしに直接影響しない範囲、と言われてもよく解らない。
きっと、ハリーが両親と暮らせるようにという願いも却下だろうし、
今の俺の状況をダンブルドアに伝えてくれというのも却下されるだろう。


プレゼント。贈り物というのは難しいものだ。
貰えばそれなりに嬉しいが、何が欲しいかと聞かれたら窮してしまう。

元の時代で、ハリーは今年、誰からクリスマスのプレゼントを貰ったのだろう。
ロン、ハーマイオニー、双子のウィーズリー、モリーは確実だろう。
リーマスはどうだろう、そんな余裕があるだろうか。身体的にも、精神的にも、金銭的にも。


俺がこんな風になってさえいなければ、去年よりもっともっと豪華で実用的なプレゼントをしてやれたのに。
ジェームズの透明マントと並ぶくらいに、ハリーが「あってよかった」と思うようなものを。

俺がこんな風になっていなければ。
俺が死んでいなければ。



死んで、いなければ。









『シリウスの分のプレゼントも、用意しとくからね』









不意に、帰省直前のの声が俺の脳裏に甦る。

は、もう死んでいる俺に、何のプレゼントをしてくれるというのだろう。
花か、十字架か、それとも流麗な墓碑銘か。
何のために、死んだ存在にプレゼントをくれるのだろう。弔いか、同情か?

俺はもう、死んでいるのに。の知っている『シリウス・ブラック』ではなくなってしまったのに。
にだっていずれ、というよりはかなり近い未来に、死という出来事が待ち構えているのに。


もしが死んでしまったら、どうなるのだろう。
ジェームズたちのように、この部屋ではない、『向こう側』へ行ってしまうのだろうか。
それとも俺のように、どこかの時代に不時着するのだろうか。

もしが死ぬとしたら、何が起こるのだろう。
死の呪文か、毒薬か、それともマグル式に何か鋭いものでも使われるのか。







「……………なら、が…どうしても駄目だったとき……」







俺は一度、地獄を見た。

親友の死体という、地球から見ればほんの小さなものの中に、地獄は凝縮されていた。
瓦礫で傷ついた身体、悔しさと悲しみに満ちた表情、動かない心臓。
あんなに甘やかしていたのに、泣いているハリーの声にも、ぴくりとも反応しない二人。

そんな姿は、二度と見たくない。
がそんな姿になって、朽ちていく光景なんて、想像もしたくない。







「……苦しまないように、してやってくれ……」







苦しまず、痛みも無く、まるで眠っているだけであるかのような、綺麗な姿で。



俺の向かい側で、『それ』は静かにカップを下ろす。
じっと俺を見る瞳はと同じ色のはずなのに、暗い部屋のせいだろうか、いつもより光が強いように見える。







「……いいけど。少し、意外だったね。
 きみのことだから、に何かしらの物を贈りたいとか言うと思っていたのに」


「………それは、『あっち』の俺がやるべきことだからな」







丸太の上の砂糖菓子を跳ね飛ばし、俺はフォークを丸太に突き刺した。約3ヶ月ぶりの食べ物だ。
食欲がないとはいえ、何かを食べてみたいと常から思っていた俺には甘かろうが辛かろうが素晴らしいご馳走だ。

取り憑かれたかのように貪る俺を眺めて、『それ』は薄っすらと笑っていた。
顔はなのに何かが違うように思えるのは俺の思い込みだろうか?







「それ、美味しいでしょう?ビュッシュ・ド・ノエル。
 がウィルトシャー州の実家で焼いているのと同じものを持ってきたんだけど」







俺は危うくケーキの欠片が気管に進入しそうになり、慌てて自分の胸を拳で叩いた。
それを早く言えってんだ!そうすればもっと、なんだ、味わうとか、出来たのに!

げほげほと咳き込む俺に、『それ』が二杯目の紅茶を差し出す。
会釈で礼を言いながら受け取り、俺はそれを一気に呷った。
これもが淹れたのと同じ紅茶だったりするんだろうか。(だったらいいのに)



なんてことを考えていると、ぐらりと視界が揺れた。



あ?なんだ?
その間にも眩暈のような揺れは治まらず、指先までもが震え始めた。

ゆっくりと、ゆっくりと、視界が狭まる。暗くなる。
『それ』は八重歯を覗かせるようにして、わざと悪戯っぽく微笑んでいる。










「行ってらっしゃい、シリウス・ブラック」










少し掠れた声が、聞こえた。






















+






















彼を帰したあと、ひとり微笑む。


行ってらっしゃい、シリウス・ブラック。
きみの時間は、まだまだ長い。


天井が、壁が、ゆるゆると溶け出す。
その溶解が床まで達したら、この空間は闇に戻る。

立ち上がり、すぐ近くの壁に手をかざし、窓を創る。
この空間は、歴史の記録、そのものだ。だから出来る。







「久々の再会はどうだった?」







窓の外から、黒髪に眼鏡の男と長い赤毛の女がこちらを見て苦笑していた。
男は肩をすくめ、呆れたような格好を取る。女も同感なのだろうが、こちらは苦笑したままだ。







「"さながら忠犬、というか、バカ正直"か……なるほど、言い得て妙だね」







再び手をかざし、窓を消す。

きみには見えていただろうか、聞こえていただろうか、シリウス・ブラック、
気付いていただろうか、きみの求めるものはここに在る。きみに求められなかったものもここに在る。
きみは贖罪を望んだが彼らは望まなかった。きみは謝罪を望んだが彼らは望まなかった。


だからこそ、果ては長い。時間はまだ、凍ったまま。


行ってらっしゃい、シリウス・ブラック。
きみの時間は、まだまだ長い。


























←1-14.   オルフェウス目次   →1-16.












12月24日深夜 幻影と真実の狭間で