CHASM --
I.any deep break in the earth,a rift
II.a big difference of opinion or belief between people or nations



























     オルフェウス   1-16.CHASM


























長いようで短いようなクリスマス休暇が終わって。

真紅の汽車は私をマグルの世界から魔法の世界へと連れて行く。
初めてこの汽車に乗ってから、もう5年以上もの月日が流れた。
その間には色々なことがあって、笑えることも、悲しいこともあった。
それでも変わらないのは、私との友情。そう思うと嬉しくなって、私はくすりと笑った。







「なに笑ってるのリリー?」


「何でもないわ。と友達になれてよかったなって、そう思っただけよ」







は少し驚いたような顔をして、それからにっこりと笑う。
「今さらなによ」なんて照れたように言うが可愛くて、私はまたくすりと笑った。







「わたしとリリー、ラブラブだもんねえ。1年生のときからずーっと」


「そうね、アマンダとヒッグスなんか目じゃないわ」







確かに、ハッフルパフの名物カップルを持ち出して比較しても負けないくらい、
私とはラブラブだと言い切れる。


仲良くなった切っ掛けは、1年生のころ私が談話室でレポートをしていたときにまで遡る。

お節介にも私のレポートに口出ししてきたブラックと私は、
その場で薬学討論のような舌戦を始めて周囲の注目を集めてしまった。

はそんな私とブラックの間に入ってそれを収めてくれたのだけど、
実ははその舌戦の内容をちゃっかりメモしていて、
後から自分のレポートに盛り込もうとしていたのだった。

黙っていれば分からなかったのに、律儀にも、
『こないだの討論、参考にさせてもらってもいい?』と聞いてきたに私は呆れるやら感心するやらで。

結局、討論の内容を発展させた意見を取り入れたレポートを2人で書いて、
ブラックより1段階上の評価を勝ち取ったのだった。

それから私は、このしっかりしているんだか抜けているんだかわからないと仲良くなった。


2年生になっても、3年生になっても、
マグル出身で右も左も分からない魔法界の勝手を私に教えてくれたのはだった。

スネイプとのことがあっても、ポッターたちのことがあっても、いつも私の味方でいてくれた。
もしもが居なかったら私は潰されていたかもしれないと思うことがたくさんある。


決してとても目立つ容姿ではないけれど、
ブルネットのその髪がとても柔らかいこととか、笑うと笑窪ができることとか、
イタズラ好きの猫のような瞳をしていることなんかを、私は知っている。

人当たりもいいし、成績だってそんなに悪いわけではないのだから、
の恋人には私が認められるくらいちゃんとした人がなって欲しいと思っているのだけど、
は今まで数回告白されたその全てをお断りしている。

私とラブラブなのはそれはそれでいいとして、
いわゆる年頃の女の子がそんなことでいいのかしら?なんて、自分の事を棚にあげて考えてしまう。


カーブにさしかかり、汽車が揺れる。
窓から差し込んでくる日の光が眩しくて目を細めると、の手首でなにかが煌めいた。







「珍しいわね、がアクセサリーをつけているなんて」


「これ?シリウスからのクリスマスプレゼントなの。
 いくらするんですか?って、聞きたいけど聞きたくない感じ」







は袖をつまんで少しだけ肘のほうに引っ張って、それを私に見せた。
細い銀色の鎖がの手首に三重に巻き付いていて、
スプーンと馬蹄をあしらったチャームがゆらゆらとぶら下がっている。







「スプーンと馬蹄?ケルトの伝統工芸だったかしら?」


「たぶんね。伝統では木彫りのスプーンをお守りに送る、って
 聞いたことあるから、それをモチーフにしてるんじゃないのかな」







私は記憶の中のフリットウィック先生の言葉を探り当てる。


ケルトのラブスプーン伝説。

そもそも「銀のスプーン」は、ヨーロッパを始めとした世界の各地で幸せを呼ぶお守りとして知られている。
戦地に赴く夫が残されてしまう妻に銀のスプーンを渡したという言い伝えとか、
他にも、幸せな赤ちゃんは銀の匙を口に咥えて生まれてくる、とも言われていたりする。

それが発端なのかこちらが最初なのかはともかく、16世紀ウェールズでも同じような風習があった。
1本の木から削り出して作られ、丹念に細工を施されて彫り込まれたラブスプーンは、
永遠の愛の証として男性から想いを寄せる女性に贈られていたのだという。
今日では男性から女性に限らず、ひろく愛情を込めた贈り物として、
主にケルトの文化が残るウェールズ地方で伝わっているのだとか、いないのだとか。
だけどこうして実物が目の前にあるのだから、やっぱり伝わっているのかもしれない。

彫り込んだモチーフにも色々な意味があって、結び目には結婚、ダイヤには富、
リボンとハートは永遠の愛、ケルト風のハートなら真実の愛、蔓薔薇は健康を、
錨は安全を、ケルト風の十字架は誠実を、そしてのもののような馬蹄は幸運を意味している。


ああまったく、なんて分かりやすい人なのシリウス・ブラック!
きっと彼はハートのモチーフのものを贈りたかったに違いないと言い切ることが出来る。
だって、凝った細工で、見るからに高級そうなものを、ブラックは何でも無い相手に贈れるような人間じゃない。







「ねぇ、この際だから聞くけど、あなたブラックのことをどう思ってるの?」


「ど…どう、って?どういう意味で?」


「恋人になってもいいと思っているのかどうかという意味で、よ」







はちょっと困ったような顔をして、手首のその鎖をいじった。







「……キライじゃないよ。
 なんか、付き合ったらすごい大事にしてくれそうだよね、シリウスって」


「なら、そうやって言ってあげればいいのに。
 私、彼はのことが好きなんだと思うわ」


「それはだめ。できない」







少し意外なくらい、ははっきり言った。







「わたし――わたしはまだ好きとかなんとかいうより…ただみんなと一緒に居たいの。
 それだけだから……あ、もしかしてさっさとリリー離れしろって意味?」


「いいえ、そうじゃないわ!
 ただがどう思っているのかはっきり知りたかったの。
 私だってが離れて行ってしまったら寂しいもの」







私が言うと、は嬉しそうにはにかんだ。
確かに、私だってポッターと付き合う気はなくて、
かといって他に好きな人もいないのだからの事をどうこう言えはしない。


は少し腰を浮かせてトランクに手を伸ばし、
イギリスでは馴染みの深いのチェック柄の小さな手提げ袋を取り出した。







「ねえ、マフィン焼いて来たんだけど食べない?
 リリーがくれたジャムを生地に練り込んでみたの。新作だよ」


「いいの?とても食べたいわ!
 だっての作るお菓子って美味しいんだもの」







私とはコンフィチュール協定を結んでいて、
私はにマグルの一級品のジャムを、
は私に魔法界で一級品のジャムをクリスマスに贈り合うことにしている。

は毎年色々と面白いフレーバーを送ってくれて、
我が家ではお茶を入れるときに不可欠なほどだったりもする。

がくれたものは家人たちだけで消費してしまうのに、
私が贈ったものだけこういう形で還ってくるのは少し申し訳ない気分にもなってしまう。

それでもやっぱり美味しいものは美味しいし、
申し訳ないと思いつつ毎回食べてしまうのが最近の悩みどころ。


が手提げ袋からラップにくるんだマフィンを取り出して、膝の上に置いた。
どうして魔法族のがプラスチックのラップを使っているのかしら?と一瞬分からなかったけれど、
そういえば以前に私のベーグルを包んでいたラップに感動していたから教えてあげたんだわ、と思い出す。


そのとき、何の前触れもなく、コンパートメントの扉が開いた。







「―――エバンス!!久しぶり!クリスマス休暇は存分に楽しんだかい?
 僕はもう空腹で目が回るほどに楽しんだものだから良い匂いにつられて来てしまったよ!」


「ちょっと、ポッター!あなたいきなり入ってくるなり何を言っているの?
 まさかハイエナのようにのマフィンを狙いに来たわけじゃないでしょうね!」


「ハイエナだなんて!どちらかといえば僕は捕食されてしまう立場だよ!草食動物だからね!
 それに、良い匂いというのがマフィンとは限らないじゃないか。もしかしたらエ」


「それ以上言うならぼくがきみを捕食することになるよ、プロングズ」







ポッターの言葉を遮って、今度はリーマスがコンパートメントの扉からひょっこり顔を出す。

途切れたポッターの言葉の続きはどうせいつものようにくだらないことに違いなくて、
つまり考えたくもない訳だから、さっさと思考から追いやろうという私の判断は間違っていないと思う。







「リーマス、ジェームズ!久しぶり、元気だった?
 クリスマスプレゼントありがとね!あ、マフィン食べる?新作だよー」


も、フォンダンショコラ美味しかったよ。
 リリー、僕も同席させてもらっていいかい?」







がマフィンを見せながら言うと、リーマスは嬉しそうな顔をする。
私が「もちろんよ!」と答えると彼はコンパートメントの中に入ってきて、
ついでにポッターまで入って来ようとするので私はわざとトゲのある視線をそっちに向けた。
この馬鹿男、休暇前には少し大人しくなっていたはずなのにその態度はどこへ消えてしまったのかしら?

案の定、効果がないので、深く溜息をひとつ。ついでに、通路から騒がしい足音が聞こえる。







「おいジェームズお前さっき便所っつったくせに何でここに居るんだよ!」


「げっ!ごめんよエバンス、、うるさい犬野郎が来てしまったよ。
 こらうるさいぞシリウス、きみは留守番だ、番犬だ!ホーム!」


「オレまじで今お前を殴りたい」


「この男を連れ出してくれるのなら構わないわよ、ブラック。
 だけどそうじゃなくてただ殴るだけなら罰則を覚悟することね」




その騒がしい足音に続いてやって来たのはブラックで、
私はこめかみが引き攣るのを感じながらも、つとめて語調を抑えて言った。

まったく、私はとリーマスとお茶会にしようと思っていたのに、
気付けばいつもいつもこの2人が私たちの間に入ってきている。

はくすくす笑いながら窓の方に詰めて座りなおして、
「シリウスもおいでよ」なんて言って手招きをする。
ブラックはぴたっと文句を言うのを止めて、少しぎこちない動きでそれに応じる。
窓際から順番に、ポッター、ブラック、反対側に私とリーマス。







「ところでシリウス、ピーターはどうしたんだい?」


「あ?知らね。まだ向こうに居るんじゃねーの?」


「きみってやつは酷い男だなパッドフット!
 一声かけるなり連れて来るなりの配慮は出来なかったのかい?」


「オレにそういう配慮をしなかったお前に言われたくねーよ!」







もう何度も聞いたことのあるようなやり取りを背景に、
私とリーマスはさっさとの手元から美味しそうなマフィンを受け取る。
ほんのり香るジャムの味わいに「美味しいわ」と言うとは嬉しそうに笑った。







「美味しい?じゃあきっと、リリーのくれたジャムのおかげだよ。
 でもちょっと自信作だったから嬉しいかも。ありがと!もっと作ってくればよかったね」


「別に、このうるさい人たちを追い出してしまえばいいじゃない」


「手厳しいなあ、リリーは……
 このままずっと汽車が走り続ければいいのに――なんて、わたしは思うんだけどな」







が窓の外を見ながら、ぽつりと言う。
その瞳がどこか現実ではないところを見ている気がして、私とリーマスはちらっと視線を合わせた。

ときどき、本当にときどきだけれど、はそういう目をすることがある。
何か私たちにも隠している事情があるのかもしれない、とは薄々思い当たるのだけれど、
決定的な証拠も無いし、から言ってくれるのを待ちたいから、私たちは何も出来ないでいる。

本当は聞いてしまいたい。聞いて、のために何か出来る事が無いか、考えたい。
そこの部分だけについては、私はポッターと同じ気持ちであっても不愉快ではないと思う。


もし『汽車がずっと走り続ける』のなら、の抱えていることは解決するのだろうか、と、思案する。
解決するのならいいけれど、それが単なる一時保留なのだとしたら、私は賛成できない。







「馬鹿なこと言わないでちょうだい、
 このまま一生、こんなのと過ごさなければいけないなんて寒気がするわ」


「………そうだね。やっぱりちょっと何ていうか――うるさいかも!」







はそう言って、ポッターとブラックの口にマフィンを詰め込んだ。
言い合いの最中に突然呼吸が出来なくなって、2人はもごもごと呻く。

さっきまでの表情なんて無かったみたいにが『してやったり』と笑うものだから、
私とリーマスもそんなにつられて、思わずふきだしてしまった。


ああまったく、この汽車はいつだって私を魔法の世界に連れ戻すのだわ!


























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1月 休暇の終わり 日常風景