VANGUARD --
I.soldiers in the front of a military movement
II.people in front of any area of human activity
オルフェウス
1-22.VANGUARD
「お願いがあるんだけど、リリー、僕とペアになってくれないかな?」
スラグホーン教授への質問を終わらせた私に、ポッターはそう言って近寄ってきた。
私は「いやよ」と答えるつもりで口を開こうとしたのだけど、
それに被せるようにポッターは言葉を続けた。
「シリウスが勝負に出たいらしいんだ。
だから、ね、頼むよ。協力してやってくれないかい?」
「勝負って、」
「来週末のホグズミードはバレンタインデーだからさ!」
そこでようやく私はの方を振り返ってみた。
ブラックはの横の席、つまり私の席だったはずの場所に寄り掛かっていて、
どうやらポッターの提案を断ったところで私の戻るべき場所は無さそうだった。
外堀から埋めていく気なのね、と私は溜息をこぼす。(狡賢いというか、なんというか…)
「お願いだよ、リリー。恨むならシリウスか、
シリウスを誘惑しちゃったってことで、ね!この通り、頼むよ!」
ポッターは、まるで私を拝むように上目遣いに見上げてくる。
「…ブラックがとペアになるのは良いとしても、
私が貴方とペアにならなければいけない理由は無いと思うわ」
「いやいや!僕らでペアになるって言った方がもすんなり納得すると思うんだ」
もう一度溜息をついて、私はを振り返った。
多少挙動不審ぎみにおろおろしているのはいつものことだとして、
はブラックと楽しそうに話している。ように見えた。
ブラックはブラックで表情がいつもより柔らかくて(というか、にやけ気味?)、
まったくどうしては『これ』に気付かないのかしら、と思ってしまう。
本当に、まったく。手が掛かるんだから。
「………仕方ないわね。今回だけよ」
「ありがとうリリー!
シリウスは、後でお礼を言うようにしっかりしつけておくよ!」
「なら、今後一切のバカ騒ぎに同調しないようにしつけてちょうだい」
ポッターが今にも踊り出しそうなキラキラした瞳で私を見てくるので、
私はさっと彼から一歩遠のいて距離を置き、の方へ向かった。
私の胸にあるのは、これからこの大切な友人に嘘を吐かなければいけないという罪悪感と、
これをきっかけにして、ふたりにとって何かが発展すればいいのに、という期待感。
正直に言うと、期待感の方が少し大きいかもしれないのは、には内緒。
「ごめんなさい、。
今日は私、ポッターとペアを組むことになりそうだわ」
「……え…えぇえええ!?なんで?リリー、頭でも打った?」
「なによ、失礼ね!スラグホーン先生がそう仰ったんだから仕方無いじゃない」
まるで私の肩に掴みかかるような勢いで、は私に言う。
確かに私が自主的にポッターとペアになるなんて頭でも打ったとしか考えられないのだろうけれど、
頭を打ったのかと心配するくらいなら、肩を掴んで揺するのは間違った対処法だと私は思う。
まあ、そのことはいま問題にするべきことではないから、良いんだけれど。(それだけ驚いたってことでしょう)
私はブラックによって占領済みの場所から自分の荷物を取り上げて、腕に抱える。
ブラックはおずおずとこちらを見上げ、私の機嫌を伺うような表情をしていたから、
私は彼に『感謝しなさいよ』『ヘマしたら許さないわよ』というメッセージを込めた視線を遣った。
「それじゃ、頑張ってね」
放心しきった様子のを残し、私は教室の最前列へと向かった。
そこではポッターが落ち着かない様子で待ち構えていて、私に、自分の隣の椅子を勧めてくる。
やっぱり断ればよかったわ、と思いながら、私は彼との間に椅子1つ分の距離を置いて席に着いた。
「あの、ねえリリー、なんだかちょっと君が遠い気がするんだけど、気のせいかな?
せっかくペアなんだしお互いにもっと近いほうが調合の効率も上がると思うんだけどどうかな?」
「気のせいでしょう」
「…ああ、ウン……気のせい……僕の気のせいだよね、アッハッハ…!」
そのときちょうどスラグホーン先生が授業開始の号令をしたから、
ポッターの言葉はきれいに掻き消されて、私の聴覚まで届くことは無かった。
調合のテーマは魅惑万能薬、アモルテンシアだった。
アモルテンシアの特徴である真珠色の液面から立ち上る螺旋状の蒸気が、
地下牢教室の天井まで届いて部屋の温度を数度くらい上げているような気がした。
ポッターは調合が始まってからふざけることは無くて、私は少し意外に思った。
本気で授業に取り組んでいるのか、私の前だから気をつけているのか、どちらかは知らないけれど。
ただ、『嗅ぐ人の一番好きなものの匂い』になると言われているその蒸気が立ち込み始めたとき、
ポッターがだらしない笑顔で嬉しそうな表情をしていたのは、静かであっても気持ちが悪かった。
とブラックも、私たちと殆ど同じペースで調合をしているみたいだった。
に気を取られすぎてブラックが失敗するとか、そういった事も起こらないみたいで、
時折振り返ってみると楽しそうにしているのが見えた。(睨んだ甲斐があったかしら?)
「いい感じみたいだね」
「そうね、でもまだ誘った様子では無いわ」
「………あ、なんだそっちかい?
僕はアモルテンシアの話題を振ったつもりだったんだけどなあ」
ポッターが続けて「君は本当にに夢中なんだもんなあ」と呟くのに対して、
「ええそうよ、貴方に対してよりはね」と言い返し、私は仕上げの呪文を唱えた。
柄杓でそれを適量だけ掬い、提出用のクリスタルの瓶に詰める。
スラグホーン先生のところへ瓶を持っていく途中でブラックが合流したので、
「どうなの?」と小声で訊ねてみると、「微妙…」という返事が戻ってきた。
「本当は、寮に戻る途中で言うつもりだったんだ。
なのになんか、タイミング的に『行けるか?』って思って、うっかり言っちまって…」
「……貴方って本当に…」
本当にだらしがないわね、とか、本当に考え無しなのね、とか言おうと思っていたのだけれど、
ブラックがまるで慢性の胃痛に悩まされている人のような陰鬱な表情なので、私は口を噤んだ。
ついでだから、批評の言葉の代わりに「後はもう押すしかないわよ」とアドバイスをしてあげたりもした。
それから、私たちのペアもブラックたちのペアもすんなりと合格を貰って、
後片付けが終わったら、授業時間が残っていても帰って良いという許可が出て。
私が席に戻るとポッターは既に綺麗さっぱりテーブルを片付けていた。
ありがとう、とお礼を言って(一応、ね、言わなくちゃ)、肩越しにの様子を窺う。
なんだか慌てたような様子のはブラックに何かを言っているみたいで、
そのブラックがほっとした顔をしていることから考えると、どうやら断られはしなかったみたいだった。
「―――………っ、先に戻ってるから!」
「え、ちょっと、!」
ああ良かったわね、なんて安心したのも束の間で、
は荷物を掴むと勢い良く教室から走り去ってしまった。
途中で驚いたような「っぎゃ」という声が聞こえたようなのも気になるけれど、
ブラックは安心した様子のままテーブルに凭れていて、とても使い物になりそうにはなかった。
「ちょっとブラック、何があったの?」
「…………オレ、来週まで心臓持つかな……」
「呆れた人ね!いいわよ、私が追いかけるから!」
どうしてを追いかけないのか、私にはブラックが理解できない。(まったく、だらしがない!)
呆けた様子の彼を見限った私の元へ、ポッターが私の荷物を投げてくれたので、それを受け取る。
「そっちは頼んだよ!」とウインクしてくるポッターは別に格好良くも何とも無いんだけれど、
ただ、状況を見て適切なタイミングで動けるという点に関しては、評価できるかしら、なんて、思った。
+
「ほら、私の言った通りだったでしょう?」
わたしは寮の自室に駆け戻ってベッドに倒れこんで、混乱した頭を隠すように枕を被せた。
とりあえず心臓のリズムだけでも元に戻そうと頑張っていると、
キィと扉の軋む軽い音のあとに慎重な足音がして、それからすぐにリリーの声が聞こえた。
言った通りって、なにが?
そうやってとぼけられたら良いのに、そんなことは出来そうもない。
――『彼はの事が好きなのよ。私、断言できるわ!』
魔法史の教室から地下牢教室に向かう間にリリーが言った内容が、否応なしにわたしの頭の中に響く。
彼というのはもちろん一人しか居なくて、シリウス・ブラックのことだ。
バレンタインデーのホグズミードへ二人で行こう、と、わたしを誘ってくれたひとだ。
「…………リリーに、だまされた。みんな、グルだったんでしょ、」
「結果的にはそうだけれど、でも私は突然あの人たちの仲間にされたのよ」
リリーは、小さい子供に言い聞かせるみたいな口調で、わたしのベッドに近付いてくる。
足元のほうのスプリングが軋んだ。きっと、リリーがそこに座ったんだろう。
わたしはうつ伏せの体勢な上に頭を枕で覆っているから、実際に見えるわけじゃないけど。
「いやなの?」
「………いやじゃないけど…」
「じゃあ、良いじゃない」
「いやじゃないけど、よくもないの!」
端的な会話。(だけどそれでも通じるのは、長年の絆ってやつのおかげだろうな)
いやじゃない。シリウスのことはキライじゃない。
だけどだからってバレンタインデーに二人(っきり)で出かけられるかどうかは、別問題だ。
「服が心配なら、私も一緒にコーディネートを考えるし、
髪型が心配なら、私が一生懸命ブラッシングしてあげるわ」
「……それもあるけど、でも、そうじゃなくて…」
わたしの言葉は喉の奥で引っ掛かった。
リリーは黙ったまま、それが出てくるのを待っている。
そうじゃなくて、わたしはただ、誰かの『特別』になることが怖い。
誰かの『特別』になること、それ自体は別に、良いことだと思う。
だけどわたしに、そのポジションに納まる権利があるなんて、思えないのだ。
なぜならわたしが、ひどく不安定な存在だからだ。
未来のことなんて誰にも分からないとは言うけど、誰にだって一応の展望はある。
だけど、わたしは?わたしの一ヵ月後は?イースターを迎えた、その日から先は?
その答えは、『分からない』もしくは『わたしはもう居ない』。
どっちに転んでも“今”と同じ状態で居られるわけじゃない。
そんな風に不安定なわたしを『特別』にしたところで、その人を傷つけてしまうだけ。
もしその間に喧嘩でもしたら、下手をすると一生分かり合えないまま終わってしまうかもしれない。
わたしはそれが怖い。そんなのは、いや。
だから、だったら、『特別』なんてポジション要らないから、『皆と一緒に』居たい。
「……“バレンタインデーに”“二人っきりで”ホグズミードに行ったからって、
すぐにブラックとどうこうなる事は無いし、そうしなければならない理由だって無いじゃない」
「そう、だけど、」
「そういう風に思う気持ちが少しでもあるなら、行くだけ行ってみたら良いと思うわ。
それから、ブラックを恋人にしたらどういう感じになるのかイメージしてみて、
良いなと思えばもう何回かデートしてみて、違うと思えばそれとなく逃げてしまえばいいじゃない」
「逃げるってそんな…」
わたしは枕から顔を出して、リリーを見た。
急な角度で反らしている首と背中が、ちょっと痛い。
逃げちゃって、そのせいで後から気まずくなったりしたら、どうすればいいの?
わたしの顔にありありとそう書いてあるのが分かったらしく、
リリーはふっと笑ってわたしの髪の毛を少し引っ張った。
「が心から『もうダメだ』って思ったら、逃げたっていいじゃない!
その時はポッターがブラックを慰めるわよ。だって、そのための友達でしょう?」
「そんな強引な…」
わたしがそう言うと、リリーは不敵な笑みで「偶にはいいじゃない」と言うのだった。
グリフィンドールで最強との呼び声高いその笑顔の前に、反論なんて出来るわけがなくて。
「私が居るわ、。私も、アリスも、メアリも、リーマスも居るわ。
ちょっと癪だけどポッターだって居るじゃない?友達よ、私たち。何があったって」
まるで、わたしが誰にも告げずに消えゆく運命にあることを、知っているみたいな言い方だった。
リリーは頭も勘も良いから、もしかしたらわたしが何か隠していることは気付いているのかもしれない。
小さく頷いて、わたしはリリーの背中に飛びつく。
真っ赤な、さらさらした髪からは、シャンプーの良い匂いがした。
ごめんね、ごめんね、ありがとう、だいすきだよ。
わたしがいくら不安定な存在であっても、そこだけは絶対に、揺らいだりしない。
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2月上旬 いつだって先回りして、そうして、あなたの為に道を開いて行けたら