BLIND --
I.unable to see , unwilling to recognize a problem
II.a covering for a window,such as a venetian blind
オルフェウス
1-25.BLIND
バレンタインデー特有の浮かれた空気はとっくに過ぎ去り、
我が同室も耳と舌をだらっと垂らしてしょげかえっているこの頃。
「垂らしてねぇよ」
「比喩じゃないか、パッドフッド君」
訂正。目尻を吊り上げてぼくを睨みつけるこの頃。
シリウスとの仲は、特に好転もせず悪化もしていなかった。
それに安心しているのはジェームズ(と、多分リリーも)で、
期待が大きかった分だけ、少し落ち込み気味なのがシリウスだった。
ぼく?ぼくは特にどうとも思わないかなぁ。(どうでもいい、とまでは言わないけどね)
でも、ふたりが上手くいってぼくやジェームズやピーターが放っておかれたり、
ふたりが上手くいかなくてぼくらややリリーがギクシャクしてしまったり、
そういう事態にならなかった、という意味では安心している。と言ってもいいかもしれない。
まあシリウスとのことだから、
突然ぼくらへの態度が変わるなんてことはありえないだろうけど。
は相変わらずどこかぼんやりしていて、誰も居ない所に目を向けている。
まるで本当に、何かに取り憑かれているみたいに。
そこでぼくがキティのことも含めて思うのは、に何かが取り憑いているとしたら、
それはやっぱり『シリウス』なんじゃないか、ということだ。
それについて「嬉しいかい?」とシリウスに尋ねてみれば、
彼はそのハンサムな顔を歪めて「嬉しいわけねーだろ」と即答した。
なぁんだ、と、ぼくは言う。
(でも「すげー嬉しい!」とか言われたら、正直、ちょっと引くよね)
(もしくは「シリウス…君の頭はついにそこまで…」って同情するかもしれない)
は何を見ているんだろう?
こんなに分かりやすいシリウスの好意にも気付かないで、
というより敢えて瞼を伏せて、そうすることでの視界には何が映るんだろう?
それはもしかしたら、ぼくが目を背けている部分と同じなのかもしれない。
ぼくが見ないようにしていること、
がひとりで見つめていること、
それの名前を、『未来』という。
ぼくはそれを出来るだけ直視しないようにして、出来るだけ『今』を見るようにしている。
ぼくの未来、つまり卒業してしまった後のことを考えると、あまりにお先真っ暗な感じで堪らない。
だからそっぽを向いて、『ああ、今のこの素晴らしい“時”がずっと続けばいいのに』と思うのだ。
はどういう思いでそれを見つめているのだろう。
なにか希望があってそっちを見ているなら良いけれど、もしそれが諦めに似た感情でしかないなら、
ぼくは『いつかが居なくなってしまうんじゃないか』と、そう憂慮せずに居られない。
やっぱり、きみの存在が絡んでいるのかな、不思議な“キティ”。
お願いだから、ぼくの限りある幸せな時間を脅かさないでおくれよ。(さもなくば噛んじゃうぞ)(なんてね)
以上、近況についてのぼくの考察、おわり。
話を戻そうか。
シリウスのもどかしい恋心についてだったかな?
「ぼくも親友として残念に思うよ、シリウス。
かわいそうに、やっとデートにこぎつけたと思ったら、イースター休暇でまた離れ離れだね」
「そういうことは口元引き締めてから言えっての。
その薄ら笑い、明らかに面白がってる表情だろうが」
「せっかく自分の存在感をゴリ押しするチャンスだったのにね、残念だね」
「話聞けよ…」と言いながら、シリウスはピーターのベッドの上に荷物を放り投げた。
自分のベッドに置けばいいのに、って思ったの、多分ぼくだけじゃないよね。
さて、カレンダーは2月の衣を脱ぎ捨てて、ウサギも跳ねる3月へと変貌を遂げた。
つまりぼくの誕生日やイースター休暇やジェームズの誕生日なんかのイベントが目白押しということだ。
そしてイースター休暇が始まるということは、の誕生日が近付くということでもある。
は毎年イースター休暇は実家に帰って誕生日を過ごすから
休暇の始まる前に、ぼくとジェームズとの分の誕生日パーティをしてしまうのが恒例だった。
パーティって言っても、夜中の談話室でワイワイするだけなんだけどね。
それだけでもぼくらは満足していたし、今年もそれで十分だと思っている。
ただ、それじゃ少し物足りないのが我が友・シリウスだ。
去年まではどちらかというと『友達』寄りのポジションで満足していた彼だから、
皆と一緒に、皆で一緒に、っていうイベントでも、と居れたらそれで良かった。
だけど今年はバレンタインに一歩踏み出したことだし、このまま押して行きたいんだろう。
「……でも、もしかしたら今年は帰んねーかもって聞いたぜ」
「それはまたどうして?」
「あれだろ、ほら、のおばさん。
そろそろ産まれるとかなんとかで、帰っても一人で留守番かもしれないからって」
シリウスが独り言のように呟いたのに、ぼくは「なるほどね」と相槌を打った。
ははあなるほどね、それならホグワーツに残っていた方が社会情勢的にも安全かもしれない。
だけどそこで、ぼくは気付いてしまった。
「ねえシリウス…いまの話って、から聞いたのかい?
もしかしてきみの妄想とか、そうだったら良いなと思ってる、なんていう話じゃ…」
「いや、ジェームズから聞いた。
……おい、お前の中でのオレってそんなに信用無いか?」
「まさか、そんなことはないよ。
ただすこーし、関連のことではきみの頭がトロール気味になってしまうのかな、と思うだけで」
ぼくがそう言うと、シリウスは口の端をぴくぴくと引き攣らせた。(おお怖い!)
だからぼくは「きみがに夢中だって言ってるだけだよ」と付け足しておいた。
先人だって言っているじゃないか、恋は盲目、トロールの振る舞い、って。(あれ、言わないっけ?)
付け足しのフォローでは収まらないシリウスの批難がましい視線から逃げるため、ぼくは腰を上げた。
いまの話が本当なのかどうか確かめるには、本人に聞くのが一番だ。
はどこに居るだろう?“地図”はあいにくジェームズが持っている。
すぐに見つかればいいんだけど、やっぱり例のキティと一緒に居るのかな。
「ちょっと出てくるよ。
迷子になってしまったピーターがぼくに助けを求めている気がするから」
「あーあーさっさと行け、どっか行け」
「ついでにとデートでもしてこようかなぁ」
ヒラヒラと追い払うような手の仕草をしていたシリウスが、ぴたりと動きを止めた。
冗談に決まってるのに面白いなあ、とぼくは思った。(これだからつい言っちゃうんだよねぇ)
何か言いたそうにぼくを見てくる彼に気付かなかったふりをして、ぼくはサッとドアから出た。
+
は案外すぐに見つかった。
空き教室の辺りをキョロキョロしながら歩いていたのだ。
そこは使われていない部屋がいくつか並んでいて、それぞれの区画が全く同じように見える場所だから、
よくピーターが本気で迷子になって途方に呉れていることがある。
まさかも迷子になっていた、とかいう話なのかな?
ぼくはそろりとの背後に近寄って、「わっ」と軽く脅かすように声を掛けた。
は「いぎっ!」と変な声を上げて飛び上がり、慌てた様子で振り向く。
「な、なんだリーマスか……びっくりしたぁ…!」
「うん、ぼくだよ。それにしても、変な悲鳴だったね」
は誤魔化すように笑って、「聞き間違いじゃないの?」と言った。
ここでヒステリックに「変ってなによ!」みたいに言わないのがらしいな、と思う。
ぼくがの横に並んで立つと、
彼女はなにかを探すように背後を振り返って目を瞬かせる。
ははあなるほど、と思いながら、ぼくは忍び笑いを堪えて言った。
「シリウスなら居ないよ。
いまごろ寮でジェームズの枕でもサンドバッグにしてるんじゃないかなあ」
「いやっ!その、べつに、探してたわけじゃ!」
ブンブン腕を振ってが否定する。
どうやら後半のサンドバッグの辺りはあまり気にしてもらえなかったようだ。(ちぇ)
「探してるのは、キティ?」
「え?…あ、うん……なんか最近、ちゃんと話してないなーって思って…」
ぼくは「そうなんだ」と言った。
子猫相手に『話をしてない』っていうのもおかしな話だけど、
はそれには気付いていないようだった。
そもそも、“キティ”のことが話題に上ったことが久し振りだ。
11月以来かな?の言い訳に登場してから、その名前を彼女の口から聞いたのは。
ぼくの胸の裏がざわざわ騒いでいるようだった。なんだろう、獣の勘、みたいなやつだろうか。
キティ・ブラック。がそれに近寄ろうとするほど、の存在が薄くなっていくような気がする。
の口からその名前が出てくるのが、すごく嫌な感じに思えるのだ。
「………でも案外、近くに居るかもしれないよね」
モヤモヤを抑えて、何でも無い風に装って言った。
これはいつか談話室でがぼくに言ったことなんだけど、彼女はそれに気付かなかった。
ううん、と生返事をするだけで、空き教室のドアを開けたり閉めたり落ち着かない。
きみはいま、ここにいるはずなのにな、。
どうしてぼくたちよりも、“キティ”を気に掛けるんだろう。
「ねえ、こんなこと聞いちゃいけないとは思うけど、
キティ・ブラックなんていう子猫は実在するの?」
扉に手をかけたまま、が動きを止めてぼくを見た。
目を丸く開いて、まるで『耳にしたことが信じられない』というように。
ぼくは小声で「だって一度として見たことがないんだ」と言い足した。
言い訳だよ。わかってるさ。
はそのまま数秒まばたきをせず、じっとぼくを見ている。
「―――いるよ。彼は、居る。
たとえリーマスがはっきり目にしたことはなくても、わたしはあるよ」
先に目を逸らしたのはぼくだ。
やっぱり小声で「そうだね」とか言いながら、冷たそうな床を見る。
きっとはそう言うだろうな、って、分かってたはずなんだけど。
それでもこうしてはっきり言われてしまうと、やっぱりなんだか、落ち着かない気分になる。
なら今すぐぼくの目の前にそれを連れてきてよ、そうじゃなきゃ信じられない、
もしぼくがそう言ったらはどうするんだろう?
でも、言わない。
ぼくはそんなことをした先にある現実が欲しくないから、言わない。
「リーマスもきっとすぐにキティに会う日が来るよ」
「すぐって、どれくらい?」
「さあ、どれくらいだろうね。
早ければ明日にでも。でも、わたしの予想ではイースターの後くらいかな」
何を基準にそう言ってるのかは分からないけど、はやけに強気に言い放った。
だからぼくはようやく顔を上げて、苦笑いをするのだ。
まっすぐだなあ、きみは。
ぼくには少し、眩しいくらいだよ。
ぼくの苦笑いにつられてもちょっと困ったように笑い、
ぼくらはキティ探しのために再び足を動かし始めた。廊下はまだまだ肌寒い。
“イースター”という言葉を聞いたからだろうか、
しばらく歩いているとぼくはを探そうと思ったきっかけを思い出した。
「ジェームズから聞いたっていうシリウスから聞いたんだけど。
、今年のイースター休暇は帰らないかもしれないんだって?」
「うん。かもしれない、じゃなくて、帰らないつもり。
でも産まれたらお見舞いに行ってもいい、ってマクゴナガル先生が言ってくれたから」
「じゃあ、その時は何日か帰るかもしれないんだ。
いつくらいになりそうか、もう分かってるんだっけ?」
そう尋ねると、は立ち止まってポケットを漁った。
取り出したのは月齢表で、指折り数えながらカレンダーの日付と照らし合わせて行く。
そんなに正確な日付じゃなくて、おおまかに分かればぼくはそれで良かったんだけどな。
やがては首を傾げながら、「たぶんこの辺」と自信が無さそうな様子で
ぼくに月齢表とカレンダーを見せてくれた。
「へえ、もう少しずれ込めばとその子は同じ誕生日になるかもしれないね」
「そうなの!そうなったらいいなぁ。
それにリーマス、よく見て。聖金曜日がここで、次の満月がここ、」
が何日分か指を移動させて、問いかけるようにぼくを見た。
最後にが指差した日付は間違うことなくの誕生日で、
それは『聖金曜日以降の満月のあとの最初の日曜日』、つまりはイースター・サンデーだった。
イースター・サンデーに産まれたが、イースター・サンデーに17歳になる。
それとほとんど日を違えずに、の妹が産まれる。
「………偶然にしては出来すぎで、なんだか妙な気分だなあ…」
「偶然じゃなくて、きっと必然なのよ。
わたしの誕生日がイースターだったことも、お母さんたちのことも、キティのことも」
「どういう意味がある必然なんだい?」
は眉尻を下げてへにゃっと笑うと、「さあ?」と首を傾げた。
「その意味はきっと、後になって初めて分かるんじゃない?
今それを理解できているのは、たぶん、“歴史”だけだと思うなぁ」
「にしては意外と哲学的なことを言うね」
わざと意地悪く言うと、もわざと頬を膨らませてぼくを睨んだ。
「リーマス、それ、とっても失礼!
わたしだって色々考えながら生活してるんだからね、これでも!」
「最近は特にシリウスのこととか?」
「う、それ、は、その……黙秘!」
心なしか早足になったを追いかけつつ、ぼくは「知りたいなあ」と何度か言う。
その度には「知らない!聞こえない!」と顔を赤くして歩調を速めるのだった。
(そして、そんな感じでとうとう談話室に戻って来てしまったぼくらを出迎えたシリウスの顔ったら!)
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3月上旬 見えているふりと見えないふり