GAUCHE --
I.uncomfortable in social situations , clumsy , awkward
II.doing or saying the wrong things , tactless , insensitive
オルフェウス
1-26.GAUCHE
俺はから逃げてようとしているのかもしれない。
その自覚はあった。
クリスマスの晩に、例の部屋で『記録係』と話をしてからのことだ。
『やりなおし』が出来なければ困るという一心で着かず離れずの距離を保ってはいたが、
以前のようにと空き教室で話をしたりする機会は目に見えて減った。
それに相反するように、が『あちら』の世界と関わることが多くなった。
リリーの誕生日で一緒にバカ騒ぎしてみたり、
『あっち』の俺がにアプローチをかけてみたり、だ。
なぜこの時期にそうなるのか?
なぜ、とヴォルデモートの“約束”の日を目の前にした、今になって?
この3ヶ月、ずっと考えていた。
の少し後ろからかつての自分たちを見ながら、考えていた。
それが『記録係』の意志なのだろうか?
憐れな少女にせめてもの慈悲を、という、世界の意志なのだろうか?
“その日”になって、幸せな思い出を反芻しながら瞼を閉じれるように、と?
まるで馬鹿げている。
そんなことを画策するくらいならを見殺しにしなければいいだけの話じゃないか。
理屈ではそうなる。
だけどそれは、俺の『やりなおし』の可能性をも殺してしまうのだ。
俺は一体、何を守るためにここへ来たのだろう?
きっかけとしてはハリーのためだ。そこは揺るがない。
俺の『やりなおし』を成功させて、ジェームズとリリーをヴォルデモートの手から逃し、
ハリーに、愛してくれる両親の居る、“普通”の生活をさせてやるためだ。
分からないのは俺の動機じゃなく、“歴史”の動機だ。
俺をここに寄越すことで世界は変わるのか?
変わるとしたら、どんな方向に?
そこで消えていく、の存在した意味は?
俺には分からない。
ハリーを守りたい。ジェームズたちを守りたい。を守りたい。
その中から誰かひとりだけを選ぶなんてことは出来ないし、
選んだところで結局は『守ることができなかった』という意識は残るだろう。
人がひとり死ぬことは、ただそれだけでも大きな影響をもたらす。
死んだ当人の与り知らないところで、家族や友人や関係者に、じわじわと広がっていく。
しかし、そうすることで当人の死が認識されていくのだ。
それに伴う悲しみや嘆きや悔しさなんかは、決して無駄にはならない。
俺が『やりなおし』に挑戦したいと思ったように、どこかで何かの起因になる。
だが、死が認識されなかったらどうなるだろう。
死んだ人間が、ただ“居なかった”ことになってしまっては、何も生まれない。
俺のように「誰かの死に報いたい」と思う人間すら現れず、ひっそりと歴史に消えてしまう。
が辿ろうとしているのは、そういった全く無為な道なのだ。
がどんな姿で、何を見て、何を考えて生きたのか、
誰の記憶にも残らず、挙句の果てには世界の記憶にも残らない。
俺が守りたいのは『何』なのか、それは考えれば考えるほど分からなくなっていく。
それでも、一度死んだ俺だからこそ、言えることがある。
・は、そんな風に寂しい死に方をしてはいけない。
ホグワーツの日々を笑いながら過ごし、大人になり、もっと広い世界を目にする方が良いに決まっている。
よしんばヴォルデモートとの“約束”の日が最後の日であったとしても、
世界から拒絶されるように消えてしまうだけ、なんていう死に方は、絶対に味わわせたくない。
は生きるべきだ。
生きたいと望むべきだ。
俺にはそれだけしか分からない。
イースター休暇の初日。
深夜の談話室に集まったのはかつての俺たちととリリーだ。
俺はいつも通りに暖炉前のソファに陣取っていたのだが、
『あっち』側には干渉しないと分かっていても身体をぶち抜かれてはくつろげるはずもなく、
仕方なしに談話室の隅にあるソファの方へ移動した。
リリーはどうやら最初からあまり乗り気では無いらしく、
ジェームズやリーマスがソファを勧めても憮然とした表情での背後に立っている。
「―――…貴方たち、いくら休暇中だからって…」
「なら来なきゃよかったじゃねーか。
せっかくの誕生日祝いなんだから、盛り上がる気のない奴は帰ってもいいんだぜ」
『あちら』の俺が噛み付くようにリリーに言う。
リリーは反論したそうに眉を寄せたが、結局なにも言わずにの隣に座った。
その会話があって、俺はようやく気付いた。
これは、そうか、誕生日祝いのパーティのつもりなのか。
よく見ればテーブルの上にはケーキが3ホールも置いてあって、
こんな夜中にそんな量を食べるつもりなのか、と俺は老婆心のようなものを感じてしまった。
恐らくリーマスとジェームズとの誕生日を一度に祝ってしまおうという心積もりなのだろう。
そこでが「まぁまぁ」と言いながら
無言で睨み合う『あっち』の俺とリリーの間に入って来た。いつものことだ。
「リリー、こっちのチーズケーキはどう?
普通よりカロリーの低いチーズを使ってるんだって」
「…いただくわ、ありがとう」
「シリウスもほら、こっちのチョコレートケーキ、甘さ控え目だよ」
『あっち』の俺は小声で「サンキュ」と言って皿を受け取った。
はそのまま、切り分けたケーキを全員に手渡していく。
その光景はまるで入学したての頃リリーと口論したときの
“シリウス・ブラック”と・の出会いに似ていて、俺は思わず苦笑を零した。
結局6年なんて短いもんで、17歳になったからって急に大人っぽく振舞えるわけではない。
30年以上生きた今の俺でさえ、『あっち』の自分と大差ないな、と思う瞬間があるほどだ。
「さてさて!おっともう少し声を落とした方がいいかな?
とにかくこれで我々も大人の仲間入りを果たした訳だから、
諸君、ここはひとつ成人として各々誓いを立てようじゃないか」
シャンパングラスを掲げたジェームズはいつもの調子で言った。
リーマスとは、突然の提案に困ったような顔で「え…」と戸惑いを漏らす。
当事者じゃない『あっち』の俺やリリーなんかは、ニヤニヤとジェームズを見守っている。
「まずは言いだしっぺの僕から始めようじゃないか。男は度胸さ!
えー……私、ジェームズ・ポッターは成人男子として誓いを立てるものであります。
すなわち、闇に屈しないこと。正しい道を貫くこと。愛する人を守ること。
そして、リリー、君にふさわしい男になってみせるよ!」
一方的に言い放ち、ジェームズはシャンパングラスを一気に乾した。
ぱらぱらとまばらな拍手が起こるが、リリーは呆れ顔でケーキを突いているだけだった。
ジェームズがソファに座り、続いてリーマスがゆっくりと腰を上げる。
「私、リーマス・ルーピンは宣誓します。
受け入れること、考えること、これらを反発の前に行うことを。
それから、例のふわふわした問題児を手懐けるために努力することも」
グラスを軽く掲げて、リーマスは半分くらいシャンパンを飲んだ。
『あっち』の俺やジェームズはリーマスの背中をバシバシ叩いて笑っている。
リーマスも、叩かれて嫌そうではなく、照れくさそうに笑っている。
知らないものをまずは「拒絶」する傾向のあるリーマスが、
自分から「受け入れ」られるようにしようという心構えを見せたのだ、
俺だって嬉しいに決まってるが、暗い隅から飛び出ていくような真似はしない。
そうして、リーマスが視線を遣り、が立ち上がる。
「…わたしは、・は、誓います。
世界が可能性に満ちていること、グリフィンドールの誇りを、決して忘れない、と。
そしてもうすぐ産まれてくる妹のために、いいお姉さんになります!」
はっきりした口調で言い切って、はグラスのシャンパンを飲み干した。
リリーはをソファに引っ張り倒して「大好き!」と頭を撫でているし、
『あっち』の俺とジェームズはグラスをぶつけてカチンと軽い音を立てている。
そうだ。そうだった。
かつての俺にも、こういう光景があったんだ。
これから立ち向かわなければならない、薄暗い世の中に対して、若い希望に溢れていた瞬間が。
「………一度死んだ、シリウス・ブラックの亡骸も、宣誓しよう」
ソファに寝転んだまま、明るい暖炉に背を向けて、ぽつりと呟いた。
俺の手元にはシャンパンもなければケーキも無いが、別に構わない。
「ひとつ、この中の誰も死なせはしないこと。
ひとつ、この先に生まれて来る命を心から愛して、守り抜くこと」
以外の誰にも聞こえないことは分かっている。
それでも、俺の口から言葉が突いて出てしまったのだ。
が横目でちらりと俺の方を窺うのが分かった。
背を向けているのに、なぜだろう、空気の流れというのか、そんなものを感じたのだ。
そして君だけに誓おう、。
俺の知っている全てのことを、君に話すということを。
それでも俺が君の居場所を奪ってしまったとしたら、
この世界に君が生きていたことを思い出させてやる、ということを。
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3月中旬 綻びを孕む宣誓