PERIL --
I.danger , a possiblity of serious harm or death
II.something that is a source of danger



























     オルフェウス   1-27.PERIL


























イースター休暇が始まって。
朝は少し寝坊気味に起きて、時間によっては厨房でブランチを食べさせてもらって、
課題をして、お喋りして、日によってはクィディッチの練習を見学して、紅茶を飲んで、眠る。

わたしはそんな生活を続けていた。

休暇が始まった直後にリーマスとジェームズとわたしの3人分の誕生日をまとめてお祝いしてから、
なんだかあっという間に一日一日が過ぎ去っていくような気がした。
カレンダーはそろそろ3月のページを捨てなくちゃいけなくて、
目の前には“Easter”の文字が迫っている。つまりわたしの17回目の誕生日だ。


早かったなぁ。
と、最近はよく夜中にベッドの天蓋を見つめながら思い返したりもする。


わたしの一番古い記憶は家のテラスからマグルの一家が通り過ぎていくのを見送った光景で、
それは『どうしてわたしにはお父さんが居ないんだろう?』と疑問に思った最初の瞬間だった。

そこからは割と断片的な光景だけが思い浮かんで、
ホグワーツに入る数年前くらいからしっかりとした記憶になってくる。

初めてダイアゴン横丁に連れて行ってもらった日のこと、
フクロウが入学許可の手紙を運んで来た日のこと、
入学するまさにその日の一度だけハグリッドのボートに乗ったこと。


こうして思い返してみれば、わたしの人生でホグワーツの占める割合のなんと大きいことだろう。

組み分け帽子を被ったとき、彼はなんと言っていただろうか?
『君の行くべき寮は最初から決まっていた』とかなんとか、そんな感じだった気がする。

それがグリフィンドールだと分かってわたしは喜んだけど、お母さんは複雑そうな顔をしていた。
どうしてだろう?とそのときは思った。でも、今ならその理由はちゃんと分かる。



ボートの中でリリーと出会って、
寮の部屋でアリスやメアリと出会って、
レポートのことで討論していたシリウスと出会って、
それが縁でジェームズやリーマスやピーターと出合って。

そうして最後には、『もうひとりのシリウス』に出合った。
こんなに不思議な友人が居るのは、きっとこの世界でわたしだけだろう。


彼に出会えてよかったと思う。
初めて話をした9月の真夜中から今まで、わたしが彼に対してそう思うことは変わらない。

たった半年、されど半年。
わたしは彼を見て・聞いて・考えた。
触れることは出来なかったから、その分だけ視て・聴いて・考えたのだ。









「行くな」









だからわたしは、そう言ってわたしの前に立ち塞がった“彼”に、答えた。
笑いながら、きっぱりとした口調で、









「行くよ」









わたしの手の中には義理の父であるさんからの手紙があって、
そこにはわたしの父親違いの妹が産まれたことが記されていた。

フクロウが寮の部屋の窓を突付いたのは今から5時間前、夜中の2時くらい。
よっぽど慌てて書いたんだろうなと一目で分かるほど乱雑な字は、
いつでも穏やかな義父らしくなくて思わず笑ってしまった。


“イースター・サンデー”


手帳を開けば、今日の日付のところにそう書いてあることが誰にだって分かるだろう。
わたしの17回目の誕生日は、わたしの妹の誕生日となったのだ。

フクロウのノックで起きてしまったリリーは「すばらしい偶然ね」と寝ぼけ眼で言った。
わたしは「さすがはわたしの妹だよね」と答えて、笑った。

本当は、偶然だなんて、ちっとも思ってないけど。



マクゴナガル先生から予め許可を貰っていたから、
わたしは簡単に荷造りをして寮の部屋を出た。

リリーはまだ眠っている。
談話室もしんと静まり返っている。
ホグワーツ全体がまだ活動を始めていないんだろう。
(でも、もしかしたらダンブルドア先生は起きてるかもしれない)

“太った婦人”の肖像画から出て行こうとしたわたしが
『あっち』のシリウスによって通せんぼされたのは、そういうタイミングだった。







「行くな、


「どうして?」







わたしは意地悪な切り返しをする。
シリウスは言いにくそうに視線を伏せた。

その隙を突いて、わたしは廊下に出た。
シリウスは慌てた様子で追ってきて、わたしの横に並んだ。
(そうだ、彼はゴーストみたいに通り抜けられるんだった)







「“アイツ”以外に理由なんかある訳ないだろ!!」


「絶対にそうなるっていう証拠は?」







わたしは立ち止まらずに淡々と聞き返した。
シリウスは一回舌打ちをして、苛立ったような雰囲気でわたしの横を歩いている。

わたしだって、本当は分かってるんだよ、シリウス。

こんな偶然があるわけないって。
わたしの未来は“最初から決まっていた”んだって。
だって、組み分け帽子でさえも知っていたんだから。







「俺がここに存在してること自体が証拠みたいなもんだ!」







シリウスが噛み付くように言って、わたしは足を止めた。

彼が“未来”のことをはっきりと示そうとするのは初めてだ。
わたしの驚いた顔を見て、シリウスはバツの悪そうな顔をする。
それでもややあって、彼は口を開いた。







「俺は、…つまりこっちに来る以前の俺は、のことを知らなかった。
 きっと俺だけじゃない。ジェームズたちだって、ダンブルドアだって知らないはずだ」


「それは……どういう、意味…?」


「誰の記憶にも一片だって残ってない、誰の口からも一度だって語られたことはない。
 という人物は、『あっち』の世界には存在しなかったんだ!」







言われていることの意味がいまいちピンと来なくて、
わたしはただ辛そうなシリウスの顔を見返すことしかできなかった。


わたしが存在しない?


それだけが頭の中で堂々巡りをしてしまう。
瞬きも呼吸も忘れてしまった。きっとわたしは、すごく間抜けな顔をしているんだろう。







「でも……でも、シリウスはわたしのこと、知ってたよね?
 9月の、初めてわたしたちが談話室で話をしたとき。
 あのときわたしは名乗らなかったけど、でもシリウスはその前にわたしの名前を、」


「思い出したんだ。唐突に。
 …それまでは、のことは顔も名前も知らないことになっていた」


「…なにそれ……」


「いつ、どの時点でが記憶から居なくなったのかも分からない。
 とクィディッチをしたことも、ホグズミードに行ったことも、何も覚えてない…
 分かるのは過去のことばかりで、それだって頭の中を上書きされていくように思い出すだけなんだ」







そんなバカな、
と言おうとしたけれど、声が出なかった。
徒に開いたままの口を引き結び、わたしは再び足を動かした。

シリウスは着いて来る。

彼はわたしが懲りずに玄関へ向かっていることに不満そうで、
「おい」と声を掛けてくるけど、わたしは構わなかった。







「どこ行くんだよ、


「どこって…病院。
 お母さんと妹のお見舞いに…」


「いま俺が言ったこと聞いてなかったのか!?
 これからが向かう先に誰が居るのか忘れたわけじゃないだろう!」







聞いてなかったわけじゃない。
ただ、足が止まらなくなってしまっただけだ。


この先に居るのは“世界で一番強い魔法使い”。
それが誰かのことかなんて、きっとわたしが一番分かっている。
ヴォルデモート卿――わたしのお父さんを、殺した人だ。

怖くないのか?と聞かれたら、怖いに決まってる、と迷わず答えられる。
“あの人”がわたしをどうするつもりかも分からないのに、怖くないわけがない。

ただ、足が止まらない。

なにかを考えようとしてもブツリと途切れてしまう。
頭の奥で小人が宴会をしていて、それがうるさくて集中できないみたいな気分だ。





わたしが存在しない?





でも、わたしは“現在”確かに存在していて、
現にこうしてホグワーツの石畳の上を歩いている。

わたしの意識が無いとか、行方が分からないとか、そういう事ならまだ分かる。
きっと“あの人”に抵抗してそうなったんだろうな、とか、
きっと“あの人”に連れて行かれたんだろうな、とか、原因が考えられる。

なのに彼の口ぶりでは、まるでわたし自体が無かったということになるのだ。
戸籍がなくなったとか、そういう話じゃなくて、存在そのものが無かったことになる。
でもわたしは、ここに居るのに?ここで歩いて、呼吸をして、考えているのに?



――ああだめ、もう、訳が分からない










「行くな、。行くな、頼むから!」







ひたすらに階段を下りて、下りて、そうしてわたしたちは地階に着いた。
言い続ければわたしが止まると思っているのか、シリウスはずっと「考え直せ」と言っている。

なにを考え直せばいいんだろう?

彼の言う通りに歴史が進む保証なんてない。
“あの人”の思い通りに計画が続いている保証なんてない。


ついこの前、わたしがリーマスに言ったこととは完全に矛盾してしまうけれど、
この連鎖すべてが『偶然』である可能性だって、否定はできない。


考え直すって、なにを?どこから?
わたしが存在しないって、いつから?

ずっと同じフレーズだけが頭の中を走り回る。
わたしの思考は、もう、この螺旋から抜け出せないのだ。

滲むように染み出してきた不安が、
なにか訳の分からない漠然とした靄のようなものが、わたしの視界を塞いでいるような。



どうして?

どうしてわたしが存在しなくなったの?
どうしてわたしは今まで生きていたの?

ねえ、どうして?







「―――分かんないんだってば!」







大広間を通り抜け、重たい玄関の扉を開け放つ。
灰色の朝靄が漂う校庭に向かって、わたしは叫んだ。

シリウスは呆気に取られた顔でわたしの方を向いたけど、
わたしは真っ直ぐ前だけを見て、城の外へと踏み出した。







「“あの人”が来るかどうかなんて分からないし、来てもどうなるか分からないじゃん!
 わたしは今までずっと闘うつもりでいたのに、そんなの言われたって分からない!」


、」


「じゃあ、なんなの?『あなた』は何なの?
 『あなた』がここに居ることがわたしの未来についての証拠って言ったけど、
 でも、そもそも『あなた』はわたしの創り出した妄想じゃないって証明すら、できないじゃん!」


…!」


「だってそうでしょ?わたし以外に誰にも見えないんだもん。
 声が聞こえるのもわたしだけ。本当は、わたしがおかしいだけなんじゃないの?
 この前のリーマスは、曖昧な感じではあったけど、でもそう言いたそうな顔してた!」







ザクッザクッと地面を踏み荒らすようにして足を進める。
それでもシリウスはわたしの横を離れずに着いてきた。


そんなことを言いたいわけじゃない。
今はそこについて議論してる場合じゃない。

それは分かってる。
分かってるけど、ぐちゃぐちゃに混乱した頭は、浮かぶがままに思考を声にしてしまう。


わたしがこうして声を荒げているのだって、
傍から見ればやけに大きなひとり言でしかないのだ。
いくら『彼は存在するんだ』とわたしが主張したって、その真偽は誰にも分からない。

わたしが、“キティ・ブラック”としてではなく、
“一度死んだシリウス・ブラック”として、彼が視えるんだと言ったとしたら。

家族や友人たちは、信じてくれるかもしれない。
心の底では「大丈夫だろうか?」と思っていても、話を合わせてくれるかもしれない。
でも全くの他人から見れば、わたしはただの“おかしい人”でしかないのかもしれない。







「――俺は…の妄想じゃ、ない。
 今までに生きてきた記憶がある。俺だけの意思が、意識が、ちゃんとある」


「だから、そんなこと、わたしには分かんないんだってば…!
 わたしが『そういうもの』として『あなた』を創っちゃったかもしれないし、」


「そうだとしたら、何のために!」







早足で突っ切った校庭は、あっという間にわたしたちを校門まで導いていた。
それに手をかけると、ヒヤリとした金属の冷たさが背筋を奮わせる。


なんのために?


もしも『彼』がわたしの創り上げた妄想だとしたら、
『彼』はわたしのどんな部分を投影する役割を持つ“登場人物”なのだろう?

ポケットから杖を取り出して、格子状の鉄に宛てた。

『彼』がいることで、わたしは、
 『彼』が引き止めることで、わたしは









「―――…こわい、から…」









開門するための呪文を、口の中で呟いた。
シリウスは何も言わなかった。ただ、門の開く音だけが、聞こえる。







「本当は、怖いよ。逃げたいよ。
 わたしだってそんな、死のうと思って生きてきた訳じゃないよ」


「…………」


「でも考えないようにしてきた。気付かないようにしてきた。
 自分が怖がってるってこと。逃げたいって思ってるってこと。
 だってわたし、逃げたいけど、逃げたくないの。逃げたいけど、それは嫌なの…」







逃げ出して、どこか遠くまで行けたら。
そう考えたことは一度や二度じゃないけれど、考える度に自分で否定してきた。

逃げたくない。そんな、負けを認めるようなことはしたくない。
ただの意地だ。聞き分けのない子供と同じ、ただワガママを通そうとしているだけだ。

それでもやっぱり、嫌なものは嫌なのだ。
わたしはリリーたちと離れたくない。逃げ出す姿を見せたくない。
ただの意地で、ただのワガママだけど、“”として生きたいのだ。







「だからあなたは、わたしの逃げたい気持ちから創られたのかもしれないって。
 そうじゃないって、言える?逃げろって、考え直せって、そう言ってくれるのは、どうして?」







重そうな音を立てて開いた門を見上げながら、尋ねた。
ここから一歩でも踏み出せば、もうホグワーツの外だ。
外に出たら騎士バスを呼んで、お母さんの入院してる病院まで行く手筈になっている。

シリウスはわたしの横で溜息を吐いて、「」とわたしを呼んだ。
わたしは横目で、ちらりと彼を見る。









「俺が“こっち”に来るまでの話を、聞いてくれるか?
 もしも俺がの作り出した人格だったら知り得ない情報だ。証明にもなる」









わたしは「教えてくれるなら、聞きたい」と返事をして、ホグワーツの領内から出た。
何も変わらないはずなのに、なぜか空気がピリピリしているように感じる。

杖腕を空中に差し出せば、けたたましい音がしてすぐにバスがやって来た。
車掌のアナウンスは軽く聞き流してコインを渡す。


ステップに足を掛けて振り向き、ホグワーツ城を見た。




ごめんね、行ってきます。


























←1-26.   オルフェウス目次   →1-28.














復活祭 早朝