魔法使いになったら、何をしよう?


空を飛んでみたい。やっぱり箒で飛ぶのかな。それとも浮く呪文があるのかな。
変身してみたい。マクゴナガル先生みたいに。ネコとか、ライオンとかに。
動物と話せるようになりたい。植物とも話せるかな。妖精ってほんとにいるのかな。

魔法使いになったら、何ができるようになるのかな。

魔法使いの世界には、何があるのかな。

普通ならそんなことを考えていると、どうせなれるわけないんだから勉強しなさいとかって怒られたりするんだろうと思う。
でもわたしは怒られない。
だってわたしは実際に魔法使いの学校に入学できるから。
だってわたしのママは魔法使いだから。

ねえママ、魔法使いなら魔法で荷造りしちゃってよ!











  シーン4:彼の名は、











ほんの数時間前に実は魔法使いであったことが判明したと、
ほんの数時間前に実は魔法使いの資質があることが判明したは、
スーツケースを相手に衣類やら雑貨やらを手動で詰め込んでいる。

は何度かに魔法を使うように頼んだが、は曖昧に言葉を濁した。
というのも何も意地悪でしているのではなくて、純粋に杖が無いのだった。
紛失ではないと言い張るに対しては半信半疑である。



「ほんとに、銀行の鍵と一緒に収納の奥底にしまっちゃったんだってば。
 だから先に荷造りしないと、出そうにも出せないの」

「ふーん」



しかし10年のブランクがあればうまく魔法がかけられるかどうかだって怪しい、とは思っている。

これから新学期まではロンドンに泊まって、9月からはホグワーツで寮生活だというので、
はクローゼットの中身を厳選し、お気に入りの服は何としてでも全て詰め込もうと格闘する。
ちくしょう、魔法があれば!(それにしても銀行の鍵と杖を一緒にしちゃうのってどうなの?)



「あ!あった!」



例の木星時計を荷物に入れるかどうか迷っているの耳に、の声が届いた。
きっと杖を見つけたのだろうと思い、木星時計をとりあえずスーツケースに放り込んでの部屋へ向かった。



の部屋は、がかつて見たことのないほどに散らかっていた。
床には荷造り途中のスーツケースが転がっていて、ベッドには服が山のように積まれている。
おまけに本人ときたら半身をほとんど乗り入れて床下の収納スペースを覗き込んでいる。



「杖あった?」

「うん、鍵もこの辺りに…あ、ほら!だから言ったでしょ?」



はモスグリーンのベロア生地の包みを引っ張り出し、広げた中身をに見せた。
そこにはブロンズに輝くアンティークな鍵と、すらりとした木の枝が横たわっている。

うわぁとが感嘆の声を漏らすと、は少し自慢そうな笑みを浮かべた。



「さて、荷造りしなくちゃね」



が杖を振ると、山のように積まれていた服がバラバラと飛んで、我先にとスーツケースに飛び込んだ。
一方で膨大な量の衣類が飛び込んだにも関わらず、スーツケースは易々とそれらを全て呑みこんでゆく。
は、いつ溢れるのかと観察しているのだが全くもってそんな兆候は見られない。

そして終いには、あれほどあった服の山は全てスーツケースに収まっていた。



「すっごい!ね、ママ。わたしもやりたい。杖貸して!」

「未成年は、だめ」

「ケチ!」



あと1ヶ月もすればホグワーツで存分に魔法を使えるでしょ、と言い残し、は部屋を出る。
ケチ呼ばわりされた汚名を晴らすためか、の分の荷造りもしてくれるらしいことを、は足音で理解する。

ふと床を見れば、スーツケースの影に革張りの本のようなものが落ちていた。
杖と鍵を出すときに一緒に出てきてしまったのだろうかと、は本を拾い上げる。



「―写真……が、動いてる…?」



その本に貼り付けられている写真の形状をしたものたちはしかし、登場人物たちを活動させていた。
今までの知識ならコンピュータか何かだろうと判断していただろうは、今では正しい答を知っている。
魔法だ。魔法の写真は写ったあとでも動くんだ。

はページをめくる。

ほとんどのページに共通なのは自分とよく似た顔貌の少女で、一緒に映っている人たちは様々である。
つまりこれは―なのだ。学生時代の。が生まれる以前の。



、いちおう服とかは入れたから、他に要るものがあれば――なに見てるの?」



の分の荷造りを終え、ぼんやりしているに声をかける。



「これ、ママのアルバム?」

「あっ、やだ。なに見てるのよ、もう」

「今のほうが美人だね」

「そう?わたし、けっこうモテたんだから」



うそだーと、は笑う。



「うそじゃないわよ。ホグワーツで1番かっこいい男の子にだって告白されたんだから!」

「ほんとに?どの人?写真ある?見たい!」



は勢いよくページをめくり始める。
は次々とめくられていく思い出を眺めている。



「…もしかして、この人?」

「そうよ」



が手を止めたページでは、誰かの結婚式の様子が写された写真が多く貼り付けられていた。
その中で、新郎と思われる男の人の横に、黒い髪の、ひときわ目を惹く男の人が笑っている。

10年以上も前の人物なのに、現代のが見てもその人の容貌は確かにかっこいいとしか言い様がない。
まさか、こんなにかっこいい人が、ママに?



「なんていう名前のひと?」

「――それは、ナイショ」



は口元だけで微笑むと、に荷造りを仕上げるように言って部屋から追い出した。















翌日。

箒や瞬間移動でロンドンまでひとっとびすることを想像していたは、がバスで行くことを告げると酷く落胆した。
せっかく魔法使いなのにバスに乗るなんて!
には魔法使いがバスに乗らなければいけない理由が理解できない。


そして実際にバスに乗ってみて、バスは魔法使いにとっても最終手段なのだ、ということだけは理解した。



「マ、ママ!これ―これ、ほ、ほんとにバスなの――?あいたっ!」



これは「夜の騎士バス」とかじゃなくて「ジェットコースターバス」とかに改名すべきだ。
は非難の声を抑えて、なんとか舌をかまないように気をつけながらに問いかける。
スーツケースやベッド(バスなのに)が、バスがバーンと音を立てるたびに飛び跳ねた。
は必死でそれらを押さえつけるが、は涼しい顔で座っている。



「ココア飲む?」

「こんな時に!」



きっと自分にだけ魔法をかけたに違いない、とに呪いを込めた視線を送る。
こんなのが―こんなのが、魔法だなんて!
の頭の中ではシックルやらクヌートやらよくわからない単位だか言葉だかが走り回っている。
(ココアつきで13シックル?あれ、クヌート?)



「お嬢ちゃん、でぇじょぶか?」



車掌が声をかけてくるが、には答えるほどの余裕がない。



「もうちっとでミセス・ドレッドが降りるから、したら次はあんたらの『漏れ鍋』だな。
 しかし昨日も『漏れ鍋』。今日も『漏れ鍋』。トムは自分でバス持ったら儲かるぜ、なあ、アーン」



運転手はおれらが儲けられなくなるじゃねえかと車掌の方を振り返って言う。
やめて、前見て運転して、とは思う。



「昨日は誰が『漏れ鍋』に行ったか知ってるか、お嬢ちゃん?このバスで。
 アリー・ポッターさ!いやいやネビルだったかな」

「ハリー……ポッター?」



はココアを飲みながら無言で窓の外を見つめている。



「おうさ、アリーよ。いやネビルだがな。んで、『漏れ鍋』に行ったんだ。
 しかもよ、お嬢ちゃん、大臣さまのお迎えつきなんだな、アリーは。なあ、アーン。
 ありゃあたまげた――着いたぜ、ミセス・ドレッド」



の3つ隣のベッドで青い顔をして寝転んでいたお婆さんがバスを降りた。
やっとロンドンに行ける。やっとこのバスを降りれる。はかすかな希望を感じた。


しかしその希望も、バスが目的地に着いたところで綺麗さっぱり消え失せてしまった。



「…………『漏れ鍋』………」



目の前にあるのは、その名を完璧に体現したと言っても差し支えないほどにうらびれた建物だった。
の背後では、車掌が一生懸命にのスーツケースをバスから降ろしてくれている。
手伝いなさいというの声も耳に入らないほど、は『漏れ鍋』に釘付けになってしまった。

ここがロンドン?これが魔法?(そんなまさか)



「ありがとう、車掌さん」

「なに、あんたみてえな美人ならお安いご用ってもんよ。
 じゃあな、お嬢ちゃん。迷子んときにゃママでもいいが『夜の騎士バス』を呼んでくれや」



荷物を降ろし終わり、車掌はバスへ戻る。
一瞬の後にバーンと音がして、バスは消えた。また次の目的地へと向かっているのだろう。

はスーツケースをごろごろと転がし、今にも崩れそうな建物へ入っていく。
はやっとのことで我に返り、自分の荷物を携えての後に従った。


建物の中も、その外観に負けないほどに『漏れ鍋』っぷりを発揮していた。

薄暗い照明に照らされ、調度品は見ているだけで黴臭そうに見えたし、
カウンターやテーブルで酒らしいものを煽っている客たちも裏道ばかりを歩いていそうな雰囲気である。

不気味な空気に、の後ろにぴったり寄ってその服の裾を掴む。



「こんにちは、トム。部屋を予約しているんだけど…」



はカウンターの奥でグラスを磨いていた老人に声をかけた。
こっそりとの背中越しには彼を観察してみるが、どうにもミイラが動いているように見える。



ちゃんじゃないか。いや、いや、久しぶりだ…美人さんになって…
 部屋かね?ああ、二階だよ…大部屋をとってある。いや、本当に久しぶりだ…何十年振りだい?」

「たぶん、15年くらいじゃないかしら?」



年を取るといかんと呟きながら、トム老人はに鍵を渡した。



「どれ、荷物を運びましょう…」

「大丈夫よ、トム。自分で運べるから…」



カウンターから出てきたトム老人とがスーツケースの引っ張り合いを始めた。
は手持ち無沙汰になり、パブの客たちを気付かれないように観察する。

あっちの人たちも魔法使いかな…?あのお婆さんは…うそ、角がある…
だったらあのおじさんは、ドラキュラ?それに……あれ?



!何してるの?」

「あ、うん!」



いつの間にか2階に上がっていたらしいが、階段から声をかけた。
は慌ててその後について、ぎしぎし唸る木の段を踏みしめる。

自分とそう年の変わらないくらいの男の子がいたように見えたのは、気のせいだろうか?
















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