部屋の中は以外にも統一感のあるこざっぱりした作りで、階下の様子とは違っていた。
手前をママのベッドということにして、わたしは窓際のベッドを占領する。
窓の外にはロンドンの町並みが広がっている。



、こっちに来て」



ママが杖を持って手招きしている。



「魔力を封印したままでホグワーツに行くつもり?」



そういえば。

とりあえず魔法で攻撃されるわけじゃないとわかったので、わたしはママの手招きに応じる。











  シーン5:センス・オブ・ワンダー 1











封印を解くことはの予想以上にあっさりと終わった。
おどろおどろしく儀式をするのかと思いきや、は杖をの額に当てただけだった。
拍子抜けしたに、はいくつかの魔法界での約束をさせた―


ひとつ。この部屋を出たら『・アンドロニカス』を名乗ること。
ふたつ。一人で出かけるときはトム老人に行き先を告げること。
みっつ。危なくなったときは、大人を呼ぶこと。


そう言うと、にあのアンティークな鍵だけ渡して部屋を出た。
新学期が始まる前に打ち合わせをしなければいけないらしい。


つまり、ここから先はの自由行動なのだ。
トムに頼んで何を食べてもいいし、どこへ遊びに行こうと勝手なのだ。
まだ昼前だし、少なくとも半日は魔法界に繰り出せるのだ。

しかしは魔法の世界がどこにあるのか、知らない。







「トムさん!」



はとりあえず1階に降りて、トムに聞いてみることにした。
どこに魔法の町があるのか?(まさかロンドンの市外にあるわけはないと思われる)
この鍵は本当に銀行の鍵なのか?

トム老人はを見てどうかなさったかね、と訊ねる。



「あのね、魔法の町はどこにあるの?」

は教えてくれんなんだかい?」

「たぶん、忘れてるの。いつもそうなんだから!
 この鍵だって銀行の鍵とか言うけど、どこの銀行とかは言わなかったし…」



は鍵を見せながらトムに言う。
トムは相変わらずグラスを磨きながら(その布巾できれいになるの?)、うーむと言う。



「そうさな…あすこのテーブルにポッターさんがおる。
 ポッターさんにダイアゴン横丁を案内してもらうとええ…」

「ポッターさん?」



トムが指した方向を見れば、薄暗いパブには不似合いな少年が座っていた。
は先ほど2階に上がる前に見たように思えた人影と彼を重ね合わせてみる。
―やっぱり。見間違いじゃなかった。

トムにお礼を言って、は彼のテーブルへ歩み寄る。
ポッターさんは数冊の本を見比べながら、少し黄色がかった紙に文字を書きつけている。



「―あの。お勉強中にごめんなさい。ポッターさんですか?」

「え?」



彼が顔を上げた。

彼はくしゃくしゃとした黒い髪をあちこちに跳ねさせながら、眼鏡の奥からを見ていた。
その瞳はびっくりするほど綺麗なエメラルド・グリーンで、は思わず彼の目を覗き込んでしまった。



「えっと…誰?」

「あ、ごめんなさい!わたし、……アンドロニカスです。
 あの、わたし、ダ、ダイアゴン?横丁とか、魔法の町に行きたくて、
 えっと、昨日初めて魔法のこと知ったから何もわからなくて、それで」



ハリーはトムの方を振り返った。
トムは笑顔で自分たちのほうを見ている。



「ああ、うん。そういうこと…きみ、ホグワーツ?」

「はい!たぶん…あの、ホグワーツって、実在しますよね…?」



ハリーは目を見開いた。
ホグワーツが実在するかって?(してなかったら僕はどこの生徒なんだ?)



「だって、入学許可が届いたんじゃないの?」

「う、届きましたけど…でも魔法使いになれるなんて、夢見たいで…」



は気まずそうな顔をして、黙ってしまう。
ハリーはようやく彼女のことをじっくりと観察することができた。

服装は…ふつう。魔法使い特有の奇抜なマグルファッションではない。
背は、自分よりは幾分低いだろう…ハーマイオニーくらいだろうか?
顔立ち…何だっけ、あの女優に似ている気がする…

魔法が夢のようだ、と言った彼女に、ハリーは2年前の自分を重ねる。
この子も、あの時の自分のような気分なのだろうか?



「僕はハリー。ハリー・ポッター。9月で3年生になるんだ。よろしく、



2年前、自分にはハグリットが居た。
ハグリットがダイアゴン横丁で色々なものを見せてくれた。
ヘドウィグをくれた。そこには魔法があって、自分を自由にしてくれた。



「ダイアゴン横丁を案内するよ。魔法が夢かどうか、すぐにわかるさ」



ハリーは書きかけのレポートを片付けて立ち上がる。
は笑顔でよろしくハリーと言い、2人は握手をした。















「う、わ!」



ハリーの杖があるレンガを叩くと、レンガはアーチのようにぱっくり割れ、多くの人で賑わう通りを示す。
パブはロンドンの街中にあったはずなのに、その通りはもはやロンドンの風景ではない。
色とりどりのローブを身につけた人々や、あちこちで売られている品物はがこれまでに見たことがないものばかりだった。



「ダイアゴン横丁だよ」

「信じられない!」



ハリーは、ダイアゴン横丁を見れば魔法の存在を信じられるだろうと言ったが、
は正直、自分が夢を見ているのではないかと思えてきたのだった。

箒専門店。
大鍋専門店。
魔法書専門書店に、道端のアクセサリー売り。

映画や本や、おとぎ話の中にしかない世界がそこにあった。



「買うものは決まってるの?」



商店街に踏み入れ、きょろきょろとせわしないにハリーが言った。

そこではぴたりと足を止める。
自分のポケットには(どこかの)銀行の鍵と、からくすねたキャンディしか入っていない。



「…わたし、お金ない…」



ハリーはあんぐりと口を開けた。



「えっと、マグルのお金―ポンドとかペニーとか―はあるの?」

「な、ないかも…うちのママ、どっかの銀行の鍵しかくれなくて…」



飴ならあるんだけど、とが言うと、それは換金できないよとハリーが言った。



「銀行って…もしかしてグリンゴッツのこと?」

「え?わ、わかんない…こういう鍵なんだけど…」



はポケットからブロンズの鍵を取り出して、ハリーに見せた。
ハリーは、自分のグリンゴッツの鍵とそれを頭の中で比較する。

たぶん―たぶん、グリンゴッツの鍵だ。



「うん…グリンゴッツ銀行の鍵だと思うよ。行ってみる?」

「うん!あ、でも、ハンコとか要らないよね?」

「それは大丈夫だけど…勝手にお金出していいの?」

「え?うちのママの場合は…鍵をくれたってことはいいってことだと思うけど…」



そんなものなのかな、と納得し、ハリーはこっちだよ、とを先導する。















白い大理石で出来た大きな建物の前についたとき、は何だかありえないものを見た気がした。
小人のように見える。しかし額には角が生えている。(角小人?)



「小人じゃなくて小鬼だよ」

「へえ…小鬼…鬼…」



じつは糸で操ってたりどこかにゼンマイがあったりしないだろうかと、は小鬼をじっくり眺める。
ガンを飛ばす少女に不信感を抱いたのであろうか、守衛の小鬼はハリーまでもを睨む。



、見すぎだよ…」

「だって気になるのに…」



守衛の小鬼の傍を通り過ぎ、建物内に入る。
内部もやはり大理石で、2人の足音がこつこつと反響する。

はカウンターを見やった。
そこに居るのもやはり小鬼で、彼らは天秤に金貨を乗せたり書類をまわしたりと忙しそうにしている。



「あそこのカウンターで鍵を渡して名前を言えば金庫に連れていってくれるんだ」



ハリーがカウンターを指差す。



「僕は―ここで座って待ってるから、行ってきなよ」

「ありがとう、ハリー」



ハリーが座って待っているというので、は安心した。
まさか『アンドロニカス』名義で口座があるわけではないだろうし、
』と名乗ればハリーに事情を説明しなければならない。

待ち合いスペースと思われるソファに腰を下ろしたハリーを残し、はカウンターへ向かった。



「あの…です。この鍵の金庫からお金を出したいんですけど…」



は出来る限り小声で小鬼に告げた。
小鬼はをジロリと睨んで、から鍵を受け取る。



「539番金庫です…こちらのトロッコへどうぞ」

「ト、トロッコ?」

「金庫へはトロッコでしか行くことが出来ません」





ほとんど待つこともなく、カウンターの小鬼に誘導されてはトロッコに乗った。
目の前のレールは深い地中へと続いているようだ。




乗り合わせた小鬼が無言でレバーを倒すと、トロッコがぎぃっと音を立てて進み出した。


















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