わたしがフレンチを嫌がったので、けっきょくチャイニーズ・レストランで食事をした。
ママはお箸で食べたけれど、わたしは餃子をフォークで刺して食べた。
プロになればお箸でハエをつかむことも出来る、とママは言った。
わたしはお箸のプロにはなりたくないな、と思った。
漏れ鍋の目の前まで帰ってきたとき、ママにまたしても事務所から呼び出しの電話が入った。
ああとかはいとか返事をして、ママは通話を終えた。
「じゃあ、明日は10時にホグワーツの先生が迎えに来られるから、準備しといてね」
「んー」と、わたしは返事をする。
だって体内では眠たさが爆発している感じなのだ。早く寝たい。
シーン12:野良猫よ、闘志を抱け 3
一刻も早くベッドに戻ろう、と思いながらは漏れ鍋の入り口をくぐった。
その姿を見届けた後、はその場でくるりと回転し、事務所に向けて姿くらましをした。
にとっては「パチン」という音が聞こえただけだった。
―…いつも同じ寝言だ。『あいつはホグワーツにいる』
バーを過ぎ、食堂を通り過ぎようとしたの耳にかすかな声が届いた。
話し声は食堂の奥から聞こえてくるようだった。
微かな好奇心を覚え、は歩調を遅めて、耳を澄ませる。
―…ブラックはハリーの死を望んでいるんだ。
ハリーを殺せば『あの人』の権力が戻ると思っているんだ。
十二年間、ヤツはアズカバンの独房でそのことだけを思いつめていた…
―…でも、アルバス・ダンブルドアのことをお忘れよ。
ダンブルドアが居ればホグワーツでハリーを傷つけることはできないと思います…
はぴたりと足を止めた。
その声がウィーズリー夫妻のものであったことにも驚いたが、
何よりもその内容はが全く想像もしていなかったことだった。
シリウス・ブラックがハリーを狙っている?
まさか、とは思った。
自分と2つしか歳の違わない子供を、そんな大人が殺したがるのだろうか?
しかしは自分が魔法界について無知に等しいことも自覚していた。
いまだによくわからないが、ハリーは特別な存在なのだ。
―…ブラックを捕まえるために配備されるのに、どこがご不満なんですか?
―…ダンブルドアはアズカバンの看守たちがお嫌いなんだ。
それを言うならわたしも嫌いだ…しかしブラックのような魔法使いが相手では、
いやな連中とも手を組まなければならないこともある…
アズカバンについてはがぽろっと零したことがあった。
シリウス・ブラックが収容されていた魔法使いの監獄だ。
会話から予想すると、その監獄の看守がホグワーツの警備にあたるらしい。
なんだか凄いことを聞いてしまった、とは思った。
食堂の奥のほうでガタガタと音がした。
ウィーズリー夫妻が立ち上がったのだろう。
ここで立ち聞きしてしまったことを、正直に謝るべきだろうか?
それともバーの方へ戻って、2人が部屋に戻るまで隠れているべきだろうか?
一瞬だけ迷い、はバーへ引き返した。
これだけ内密に喋っていたのだから、気付かなかったフリをする方がいいと思ったのだ。
が引き返したのに一瞬遅れてバーのドアが開き、人影が入ってきた。
ぎしり、と僅かに床板が鳴いた。
「わっ……ハリー?」
「?」
バーの薄暗いランプに照らされたその人影は誰であろう、ハリー・ポッターだった。
まさにウィーズリー夫妻の懸念の対象である。
ハリーはどこか呆然としていた。
その様子から、ハリーもまた自分と同じように夫妻の話を聞いてしまったのだ、とは気付いた。
「…どう思う?」
ハリーはに問いかけた。
どう思う、おじさん達の話は本当かな?
どう思う、僕はどうするべきなのかな?
にはハリーの問いかけの意味が複数あるように思えた。
「…信じらんない」
「僕もさ。…でも、それなら大臣の態度にも納得がいく」
はハリーが漏れ鍋に宿泊するに至った経緯を思い出した。
法律を破って親戚の家から逃げ出したのに、お咎めなしだったのだ。
それは、ハリーがブラックに襲われる事態を恐れていたからこそだったのだろう。
「…僕、ロンのネズミ栄養ドリンクを探さなきゃ」
「わたしも手伝う」
ハリーが肩をすくめて言ったので、は咄嗟に手伝いを申し出た。
この薄暗いバーにハリーをひとり残すことはとても恐ろしいことに思えた。
ハリーはテーブル席を調べに向かい、はカウンターを調べることにした。
シリウス・ブラック。
は彼に対して一般の人とは少し違った印象を持っていた。
世間の「その他大勢」の人々よりは、自分は彼を身近に感じている、と思っていた。
彼はの同級生だった。
だからこそ、は「」を名乗ることが出来なくなったのだ。
ハリーにも、そのことは隠している。
自分の娘だと知られれば利用されるかもしれない、とは言っていた。
逃亡生活の手助けをさせるためだろうか、とは思っていた。
そうではなかった。
ブラックの狙いはハリーなのだ。
「…あった…、ここにあったよ。手伝ってくれてありがとう」
「ううん、いいの。さっきは手伝えなかったから」
ハリーが、手に小さなボトルを持ってに声をかけた。
彼の表情はどこか強張っている。
とハリーは静かにバーを出た。
そのまま上の階へと足を進める。
踊り場では、フレッドとジョージがバッチを改造して笑っていた。
「……ハリー」
ハリーが振り向いた。
あと数歩で、ハリーは自室へ入ることができる。
パーシーの怒った声が聞こえるのは、気のせいだろうか。
「ハリーが死んじゃったら、わたし、お墓の前で毎日文句言うから」
ハリーは目を瞬いた。
我ながら突拍子もない言い出しだな、と思いながらは小声で言葉を続けた。
「…だから。それがイヤなら、死なないでね」
「……うん」
ハリーは弱々しく笑った。
おやすみ、と言っては口元だけで笑顔を返した。
ハリーの部屋のドアが閉まった。
も廊下のほとんどつきあたりにある自室へ向かう。
負けないぞ、とは思った。
ハリーは友達だ。魔法界に出て初めて知り合った大切な友達だ。
そんなに大切な人を、ブラックなんかに殺させたりしない。
にゃあん、という声を、は聞いた。
奇しくもその時、ハリーは自室の天井を見つめながら「僕は殺されたりしないぞ」と呟いていた。
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