朝が来たら目を覚ます。
着替えたら朝食をとる。
いつもと一緒。
だけど今日がいつもと違うのは、その後スーツケースを持って駅に行くから。
昨日の夜のおばさんたちの話も気になるけど、わたしは学校に行くのが楽しみでしょうがない。
シリウス・ブラックはイヤだけど、わたしは魔法を勉強したくてしょうがない。
駅まで行くのに、何を着よう?
迎えに来てくれるホグワーツの先生って、どんな人だろう?
ああ、どうかハリーが言ってた「意地悪な魔法薬学の先生」じゃありませんように!
シーン13:ハゥ・アー・ユー?
は不安に駆られていた。
足元にスーツケースを転がし、カウンターでオレンジジュースを啜っている姿からは想像できないほどに。
ハリーたちが車で駅へ向かうのを見送って、どのくらい時間が経っただろうか。
自分は11時のホグワーツ特急にちゃんと乗ることができるのだろうか。
時計を見れば、約束の10時にはあと少しだけ時間がある。
今度は魔法らしく瞬間移動でもするのだろうか。
それともまさか、またバスなのだろうか。
が最悪の可能性を思い浮かべたとき、軋んだ音をたててバーの扉が開いた。
漏れ鍋を訪れる客は多い。
いま入ってきた人物がの迎え役であるとは限らないのだ。
3度ほど肩透かしを喰っていたので、は逸る鼓動を押さえつけながら振り向いた。
「…・アンドロニカス?」
薄い茶色の髪をしたその男は、まっすぐにカウンターへ近寄り、に声をかけた。
は彼の来ているローブがひどくボロボロであることに気付いた。
「はい。先生ですか?」
彼は静かに頷いた。
は「大丈夫ですか?」と声をかけたい衝動と戦っていた。
先生はどう見ても丈夫そうではなく、痩せたその腕ならばの力でも折れそうだった。
「リーマス・ルーピンだ。
…大丈夫、構えないで。きみと同じように、私も1年生だからね」
ただし私は教師1年目だけど、と言ってルーピンは笑った。
もつられて笑顔になる。
頑健さとは無縁そうな体つきでも、人柄はとても良さそうだった。
「先生?」
「なんだい?」
「わたしたち、どうやって駅まで行くんですか?」
ルーピンがの隣に腰を落ち着けてしまったので、はとても驚いた。
すぐに出発するだろうと思い、はジュースを急ピッチで飲み進めていたのだ。
ルーピンは飲み急ぐを手で制して、ポケットからチョコレートとコインを取り出した。
急ぐ気配など微塵もない。
「移動キーと言ってね、」
ルーピンはチョコレートをひとかけら口に運んだ。
はそのパッケージを見つめていたが、見たことのない製品だった。
魔法界にもお菓子屋さんがあるのだろうか、と思った。
「まあ、瞬間移動のようなものかな。あと10分で発動するはずだよ。
指1本でも触れていれば、プラットホームに連れて行ってくれる」
ルーピンはコインを指差した。
「…コインですか?」
「コインだね」
「ジェットコースター・コインですか?」
ルーピンはわからない、という顔をした。
「…バスとかトロッコみたいに、ぐるぐるしますか?」
「うーん…それはなんとも言えないなあ。
だけど、バスの代わりに手配された手段だから少しは良いと思うけれど」
そうですか、と言ってはオレンジジュースを飲み干した。
正直、バスに比べたらどんな手段だってマシに違いない、と思っていた。
「飲み終わったね。…うん、ちょうどいいな」
ルーピンはあたりをぐるっと見渡した。
とルーピン以外に客は居ないようだった。
立ち上がったルーピンは、杖を軽く振った。
のスーツケースがコトリと鳴った。
「…のトランクをちょっと軽くしたよ。
移動中に落とされたりしたら困るからね」
「あ、ありがとうございます…」
試しにスーツケースを持ち上げてみると、ハンドバッグほどの重さに感じられた。
は目を丸くして驚いた。さすが魔法使いの先生だ!と思った。
「すごい!ママとは大違い!」
ルーピンはすこし困ったように微笑んだ。
は、自分の母親を特定するようなことを言ってはいけなかったことを思い出した。
いや、そもそもこの先生は自分の家の事情をどこまで知っているんだろうか?
のことはどこまで知られているのだろうか?
それじゃあ行くよ、とルーピンが言った。
彼は自分のトランクを左手で持ち、右手をカウンターの上に置いていた。
その指先はコインのふちにひっかけるような形を取っている。
もルーピンに倣って指先でコインのふちをつかむ。
じわり、とコインが青白く光りだした。
離さないで、とルーピンが言ったときにはの足は漏れ鍋の床を踏んではいなかった。
*
目を開けた。
薄暗いバーが見えるはずだった。
しかし実際に目に入ったのは眩むほどの日光に、真紅の汽車だった。
「ようこそ、9と3/4番線へ」
すぐ横に立っていたルーピンが言った。
足元では、高さをなくしたコインがくるくると回っている。
は右を見て左を見て後ろを見てからルーピンを見た。
漏れ鍋の名残はどこにもなかった。紛れも無いプラットホームだった。
「9番線と10番線の間の柵を通り抜ける」必要は無かったのだ。
にはそれが些か残念だった。
「柵、通ってみたかったです。ドキドキするって、ハリーが言ってました」
「…はハリーと友達なのかい?」
「とっても仲良し!」
ルーピンの目元が緊張した。
先生相手に返事をするのに、ふざけすぎただろうか?
それとももしかして、ハリーの話題はタブーなんだろうか?
「…ならきっと、友達がたくさん出来るよ。
さあ、汽車に乗ろう。今のうちにコンパートメントを確保しておかなければね」
頷いて、はルーピンと一緒に汽車へのステップに足をかけた。
プラットホームはまだ、無人である。
どこまで歩いても、コンパートメントに人の影は無い。
自分が汽車の先頭へ向かっているのか、末尾へ向かっているのか、にはわからなくなってきた。
「…誰もいませんね」
「あと10分もすれば満員になるさ」
ルーピンはひょいひょいと車両を跨いでいく。
見かけ以上に体力があるのかもしれない、とは思った。
「先生、どこまで行くんですか?」
「最後尾だよ。も他の生徒が来るまではそこに居てもらえるかな?」
はーい、と間延びした返事をする。
しかしこの汽車、どこまで続くのだろう?とは思った。
ルーピンに荷物を軽くしてもらえていなかったら、今頃は重くて動けなかっただろう。
他の生徒の姿が現れ始めたころ、2人は最後尾の車両に着いた。
そのなかの1つのコンパートメントの扉を開け、
ルーピンはの分と自分の分のトランクを頭上の荷物棚に上げた。
「先生」
なんだい、とルーピンが言った。
彼はすでに座席に深く腰掛けていて、瞼なんかは重そうである。
疲れているのだろうか、とは思った。
「…探検してきてもいいですか?」
今にも寝入りそうなルーピンは、少し間を空けて首を縦にゆっくりと動かした。
は先頭車両まで隈なく汽車の中を探検してみたかったのだ。
もしかしたら駅の仕掛けのように、秘密のバルコニーなんかがあるかもしれない、と考えている。
「じゃあ、行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
ルーピンに手を振って、はコンパートメントのドアを閉めた。
開け放たれた車両のドアからはプラットホームの様子が少し見える。
家族連れが増えてきたようだ。
先頭車両まで行って、戻る途中にハリーたちを探そう。
もし席が無さそうだったら、先生と自分のコンパートメントに呼んでみようか?
軽やかな足取りで、は次の車両へ向かった。
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