「まず、そこのツマミを引っ張るの。3回ね」



カチカチ、カチ。

わたしはハーマイオニーの指示通りにツマミを引っ張った。
ぼんやりと、文字盤の表面に白い影が浮かび上がる。



「な、なん、なんか出た!」

「落ち着いて。…ええと、蓋を閉めて」



ばちん。

わたしはハーマイオニーの指示通りに蓋を閉めた。
にゃあ、という声がする。



「3秒待って、開けて」



いち、にい、さん。

わたしはハーマイオニーの指示通りに蓋を開けた。
文字盤のところでいつも通りにぐるぐるしている星の上に、白い子猫がいた。
お行儀よく座っている。


あれ、おかしいな。
いつもならこんな猫いないんだけど


なんて考えていると子猫は立ち上がり、こっちに近付いてきた。
え?近付いてきた?時計の中なのに?
猫はずんずん歩み寄ってくる。



「ど、どゆこと?え、来る、ちょ、ハーマイオニー!」



待って待って待って待って
これじゃ「ジャパニーズホラー・サダコ」だよ!











  シーン19:アマルテアの優しい子猫 2











白い子猫は時計のガラスも縁をも飛び越えた。
は猫の琥珀色の瞳が自分をじっと捉えているのを見た。
心の中では来ないでくれと叫んでいたが、声が出ない。


ほんの一瞬のことだった。
それを認識できたのはハーマイオニーだけだった。


ハーマイオニーは見た。
透けるような白い毛並みがの胸に寄り添い、そのまま通り抜けていく瞬間を。



ニャァ



あ、と声をあげたときには既にそれは終わっていた。
子猫はの心臓のあたりを通り抜けていく。
白い艶々とした毛は輝き、それを透かして景色が見えるかと思うほどだった。
刹那、の視界は1メートルほど下降する。


(ハーマイオニー?)

ニャァ


「…?ちょっと、大丈夫?」


(あんまり大丈夫じゃない気がする)

ニャァ


?」



の格段に低くなった視界でハーマイオニーの顔を見るには思い切り首を反らさなければならなかった。
それでも頑張って限界に挑戦してみると、ハーマイオニーの驚いて見開かれた目が見えた。
彼女の瞳の中には、彼女をじっと見つめる白い子猫の姿がある。

ハーマイオニーの手が伸びて、は易々と抱き上げられた。
は、白い子猫の姿をしていた。


(え、えええ、え、え、なにこれ!?)

ニャァ


声を出したつもりが、聞こえてくるのは猫の鳴き声である。
ハーマイオニーの腕の中でぐるりと部屋を見渡せば、
魂が抜けたように立ち尽くしている自分の姿(人間)が見えた。



" うつせみの時計とは『移せ身』であり、『空蝉』である "



つまりの体(人間の方)は今、空蝉状態なのだ。
からっぽなのだ。



" 時計に宿る魔力によってその魂を現世の身から守護獣の身に移す "



そしての魂は今、時計からホラー映画のように出てきた子猫の中にあるのだ。
つまりこれが『移せ身』。それが守護獣。

は魂の抜けた(と思われる)自分の体を見た。
手に懐中時計を持ち、口は少し開いたまま、目は大きく見開いている。
嫌な例え方をするなら、ショックで死んでしまったようにしか見えない。


(ちょっと、生きてる?わたし)

ニャァ


は不安になって自分の体の方に呼びかけた。
と言っても、響くのは猫の鳴き声ばかりである。



「…………を、」



何度かニャァニャァ呼びかけると、自分の体が反応した。
ハーマイオニーが子猫姿のを抱えたまま怪訝な顔をした。
自分の体は何かを喋ろうとしているようだった。

魂がないのに?

ハーマイオニーも同じように考えたようで、少し身を硬くした。



「…ご命令、を」


(な、なに?命令?)

ニャァ


「すごいわ、!これって本の説明通りよ!
 今あなたの意識は守護獣の中にあって、あなたの中には守護獣の意識があるのよ。
 それで、が指示した通りにあなたのフリをしてくれるの。これって…すごいわ!」



ハーマイオニーはすっかり興奮したようだった。
彼女は子猫の姿のを左手だけで抱えると、先程の本を右手で掴む。
はハーマイオニーの腕の中から本を覗き込んだ。



「でも、あまり高度なことはできないみたい…本人の代わりに試験を受けるとか。
 まあそうよね、それってインチキだもの。そんなこと絶対に許されないわ…」



ハーマイオニーは嬉々としてページをめくり続けている。
はハーマイオニーの足元からクルックシャンクスが自分を見上げていることに気付いた。


(クルックシャンクス)

ニャァ


はクルックシャンクスに声をかけた。
返事がくるとは思っていなかったが、好奇心には勝てなかった。


(ねえクルックシャンクス、聞こえる?
 おーい、クルックーシャンクス、クルックシャーンクス、聞こえるー?)

ニャァァァ


(返事してよー)

ニャァ



クルックシャンクスが顔を顰めた。
まるで宿題の丸写しを発見したハーマイオニーのような顔だった。



(…聞いている。何回も、うるさい)

(!? ほ、ほんとに返事した!)

(…呼んだのは、アンタだ)

(だ、だ、だって通じると思わ―



「フィニート・インカンターテム!」



「―なかったんだもん! え、あれ!?」



ハーマイオニーが呪文よ終われと唱えた瞬間、の視線は元の高さに戻った。
もちろん聞こえるのは猫の鳴き声ではなくて自分の声である。



「この呪文でいつでも元に戻れるみたいね」

「あ…ありがと…びっくりした…」



どうやら立ち尽くしていた自分の体に戻ってこれたようだ。
クルックシャンクスがハーマイオニーを見上げて鳴いていたが、
何を言っているのか、にはもう理解できない。
どうやら猫になったときだけ分かるようだった。
もう一度話したい。が、



「…でも魔法かけてもらわないと元に戻れないんじゃ困るよね…」

「あら、そんなことないわよ」



ぽつりと漏らした言葉に、ハーマイオニーが返事をした。



「自動で魔法が切れるような仕掛けになっているそうよ。
 その持続時間によって希少度が変わるようね…
 子猫が盤面のどの星から現れたかで判断できるわ。、覚えてる?」



は手中の懐中時計をハーマイオニーに見せ、ひとつの星を指差した。



「大きさから見てこの惑星が木星でしょう?
 その内側から三番目の衛星…三番目の衛星…アマルテアだわ!」



ハーマイオニーは合点がいったように手を打ち鳴らしたが、にはさっぱりわからなかった。



「"ひと回転の間の加護"というのが持続時間でしょう?
 ええと、アマルテアの自転周期…だから……11時間と57.4分ね」



は目を丸くした。
ということは、およそ12時間も猫に変身できるのだ。
猫の姿でほとんど一日遊んで過ごすことだって出来る。

こんなに素晴らしい使い方をどうして今まで教えてくれなかったのだろう。
は少し考えたが、その疑問の答えは初めから提示されているようなものだった。
ブラックが脱獄したから、だろう。



「でもやっぱり自分の意思で戻る手段がないのは不便ね…」



ハーマイオニーがひとりで呟いていたが、にはあまり聞こえなかった。

なぜ母はこの懐中時計を持っていたんだろう。
なぜこんなに貴重なものをくれたんだろう。

一度、聞いてみなければ。(それにスネイプの本のこともある)



「ハーマイオニー、お願いがあるの」



ハーマイオニーは不思議そうに首をかしげた。



「時計のこと、みんなには内緒にしといてくれる?」

「ええ、いいけど…」



これが元はの物だったとしたら、あまり言いふらすのは得策ではないだろう。
実はに譲ったことを忘れている、という可能性だってある。
もし思い出させてしまい、結果、没収されたら堪ったものではない。



「いいけど…私の砂時計のことも内緒にして貰えるかしら?」

「え?」



ハーマイオニーの思いがけない言葉に、うっかり間抜けな声が出てしまった。
内緒にしておく必要があるような物には見えないが。
もしかしたら秘密の力があるのかもしれない、とは思った。
それともハリーやロンには言えないような人からのプレゼントなのだろうか?



「あ…じゃあ2人の秘密ね」

「ええ」



助かるわ、とハーマイオニーが言った。
その様子が本当に安心したようだったので、やっぱり彼氏だろうかとの疑問が募った。


(ああ気になる…!でも聞けない…ハリーたちにも言えない…!)


本来の目的である呪文のコツを聞く事も忘れ、はハーマイオニーの部屋を後にした。



















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