小さなバスケットを袖の下に隠して、
とりあえず大広間で朝ごはんを食べつつ、
トーストをそっとそこに隠してみる。


………バレてない、よね?


何をしているのか、と誰にも聞かれなかったので、バレてはないんだろう。
心の中でガッツポーズをして、ベーコンを口に押し込む。

たくらみが上手くいったときのご飯っていうのはどうしてこんなに美味しいんだろう!











  シーン23:赤と黒 1











お先に、と声をかけて、は立ち上がった。
もう行くの?という同室の子たちの視線に、ごめんね、と返す。

せっかくの休日。
時間を気にせずに彼に差し入れできるチャンスは滅多に無い。

だから今日を逃すわけにはいかないのだ。
は小走りで大広間を抜け、玄関へ向かう。


――――と、ぶつかった。



「わっ…――っと、ごめんなさいっ」

「……ふん」



慌てて謝ったものの、返ってきたのは不満気に鼻を鳴らす音だった。
誰だこんな失礼な反応するやつ、と思い、は相手の顔を見上げた。



「お前の家では前を見ずに走れと教えるのか?」

「……ごめんってば、マルフォイ」



そこに居たのはプラチナブロンドを撫で付けた小柄な少年だった。
はそんなに背が高いわけではないが、彼もまた年の割には小柄だった。
むっとした気分を隠そうともせず、大して変わらない目線で彼はを見下ろす。



「前を見ない上に謝罪の仕方もなってない……お前の親は一体何をしているんだろうねえ?」

「……アンタ、ママのこと知ってるの?」

「別に。僕の父上がおっしゃっていたのを小耳に挟んだまでさ」



マルフォイ少年は肩をすくめ、小ばかにしたような笑い声を上げた。



「家名も財力も人並みで、取り得といえば決闘の才くらい。
 数え切れないほどの男を誘惑しては捨て、成れの果てはマグルの女優――そうだろう、?」

「ッ――ママのことバカにしないで!!」



マルフォイの言葉が脳に届くや否や――は持っていたバスケットを振り上げた。
そのままマルフォイのこめかみを目掛けてふりおろす。



「そうよ、うちはお金持ちじゃないし、アンタんちみたいにお偉いパパだっていないわよ!
 だけどアンタみたいに卑怯でもないわ!アンタみたいにコソコソしたりしない!」

「っこの、やめっ――」

「止めてほしけりゃ謝りなさいよ!わたしにも、ママにも!
 ママは一生懸命わたしを育ててくれた、愛してくれたの!
 アンタなんかにわかるもんか!アンタみたいな――卑怯者に――わかる――わけがっ……!」



「―――グリフィンドール、1点減点」



マルフォイ少年の横面がそろそろ赤くなりだしたころ、玄関ホールに穏やかな声が響いた。
悔しさで涙目になっていると、の思わぬ猛攻に怯んでいたマルフォイ少年は、揃って声の主を振り返った。

そこに居たのは、ツギハギのくたびれたローブを着たルーピンだった。
ルーピンの顔を見ると、はさっとバスケットをひっこめ、マルフォイ少年は苦い顔をした。



「喧嘩は、よくないよ。ドラコ、大丈夫かい?」



いつから見ていたんだろう?

もマルフォイも、何も言えなかった。
ただ「いつから?」という焦りだけが二人に共通していた。
もしも最初から見ていたのなら、原因となったのはマルフォイの言葉だと解るはずだ。



「………ふたりとも、寮監には報告しておくよ。
 ドラコ、痛むようならマダム・ポンフリーに見てもらいなさい。はわたしと一緒においで」



何も言わないふたりを眺め、はぁと溜息をついたルーピンが言った。

ルーピンの言葉が終わるとすぐ、マルフォイをくるりと踵を返した。
どん、とわざとの肩にぶつかって、不服そうな表情で玄関ホールを去っていく。

は唇を噛みしめたまま、うつむいて立っていた。
ぎゅっと握ったバスケットの取っ手が手の平に固い感触を与える。





「だって先生……あいつがっ…ママのこと……っ」



ぽんぽん、と、ルーピンが優しくの頭を撫でた。
その顔に浮かんでいるのは困ったような笑顔だった。

ついカッとなったからといって、あまりに子供じみたことをしてしまったのだ、とはようやく気付いた。



「殴ったのは……わたしが、悪かったけど……」

「そうだね」

「でも、悔しかった……」



どうしても、撤回させたかった。
自分の過去を正直に自分に教えてくれた母を、そんな風に侮辱してほしくなかった。

ルーピンはもう一度を撫でると、その手を取って歩き出した。
はルーピンを見上げた。まっすぐ前を向いて歩く彼は、母の姿と重なった。



(きっと)



弱弱しい外見に似合わず、を引く手はしっかりしている。



(パパって、こんな感じなんだろうな……)















「……先生?」

「うん?」



どこに行くんですか?という質問を、はかろうじて飲み込んだ。
ルーピンのしっかりとした足取りは、なぜか地下のほうへ向いていた。

連行先はルーピンの教員室か、悪ければマクゴナガルの教員室だろうとは踏んでいた。
それがまさか―――まさか、地下牢のほうへ向かおうとは。



「大丈夫。セブルスに君を引き渡すつもりはないよ」



有無を言わせぬ笑顔を向けられ、は喉を詰まらせた。
逆らえそうではなく、質問もできそうにない。



やがてルーピンが足を止めたのは、スネイプの地下牢教室の目と鼻の先の、
甲冑が整列している廊下の隅だった。

見ててごらん、と目配せし、ルーピンは甲冑をいくつか杖で叩く。
真横を向かされたり、後ろ向きにさせられたりして、甲冑たちは隊列を乱していく。



6体ほどの甲冑がそっぽを向かされたとき、ズズズ、っという音がした。
何事かとはあたりを見回すが、特に変わったところはない。



「おいで」



――見れば、壁のタペストリーの裏に、ぽっかりと空間ができていた。
ルーピンはそこから手招きしている。



「秘密の近道だよ。セブルスが怒るから、滅多に使えないけどね」

「い、いいんですか?」

「構わないよ。今はみんな大広間に居るんだから」



はぁ、と気の抜けた返事をして、はルーピンに続いて近道に入った。

道は意外に広く、蝋燭まで灯っている。
洞窟のような通路を想像していたは、人の手が加わっている様子にほっと息をついた。
これなら、真っ暗で先生とはぐれましたということにはならないだろう。



「この階段を上っていくのが一番近いから、覚えておくといいよ」

「あの……どこに出るんですか?」



ルーピンは一瞬だけ動きを止め、を振り返った。
穏やかな微笑みはさっきと変わらないのに、少しだけ怒っているように見えた。



「きみのお母さんの部屋の前だよ」

「!……え、」



大きな声で叫びだしそうなところを、はぐっと息を呑んだ。

先生もママのこと知ってるの?

極秘だって言ってたじゃないか!とは心の中で母に叫ぶ。
それがどうだ。スネイプにマルフォイにルーピンにまで知られてるじゃないか!



「教師たちはほぼ全員、きみたち母娘の事情を知っている。
 ……だから、あれだけの処罰で済まされるんだよ」



いいかい、と言って、ルーピンは両手での肩をしっかり掴んだ。



「きみときみのお母さんの立場を忘れてはいけない。事態はきみが想像しているより深刻なんだ。
 ドラコや、他の生徒に挑発にされても、決して怒っちゃダメだ。
 怒れば、きみと先生が親子だと認めていることになるだろう?」

「あ………」



はようやく自分の失敗に気付いた。



「なぜきみとお母さんが別々の名前でホグワーツへ来なければならなかったのか…覚えているよね?」



は一生懸命に首を縦に振った。
そうだった。自分はいま「・アンドロニカス」なのだ。



「……次からはちゃんと気をつけるんだよ?」

「はいっ………あの、先生、」



階段を登りはじめようとするルーピンのローブを、はぐいっと引っ張った。



「なんだい?」

「あの………ごめんなさい……」



きょとん、とした顔になったあと、ルーピンは笑った。
その細くて大きな手で、の頭を撫でた。



「素直でよろしい。……グリフィンドールに1点あげよう」



とりあえずさっきの減点が帳消しになったことに安心して、はようやく階段を登りはじめた。



















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ごめん、ドラコ