ママの部屋から飛び出て、すぐ近くのトイレに駆け込んで『うつせみの時計』をポケットから引っ張り出す。


3回引いて、閉じて、待って、開ける。


子猫がやってくるホラーな状況にはいまだに慣れないけれど、しょうがない。
小さな口にバスケットを咥えて、わたしはホグワーツの校内を疾走する。











  シーン25:ナイトメア・ハロウィン 1











(ハロウィンには宴会が開かれる)



と、シリウス・ブラック(を名乗る犬)が言った。


禁じられた森の入り口で見慣れたオレンジ色の毛玉のようなクルックシャンクスと合流し、
は口にバスケットを咥えたままシリウス・ブラックの寝床へ着いた。

彼は差し出されたバスケットを覗き込むと、目を輝かせた。
どうぞ食べて、と促せば、トーストをひとかけらミルクに浸しておすそ分けまでしてくれた。
この人は案外単純でいい人なのかもしれないとは思った。



(そこを狙う)

(ね、狙う…?)



黒い大きな犬がベーコンの塊を齧りながら"狙う"と喋る様はなかなか恐ろしい。
は小さな体をぶるっと震わせた。11月を目前にして、森の中はかなり寒い。



(グリフィンドール寮内へ侵入する)



ひゅう、と冷たい風が通り抜けた。

一瞬、は自分の耳を疑った。
しかし今は猫になっているはずで、それならばかなり聴力もあがっているはずで、
つまり聞き間違えるなんてことは起こらないはずで。



(……寮に?)

(そうだ。アレの飼い主はクルックシャンクスを警戒しているのだろう?
 ならば不用意に出歩かせるよりは、自室で安全に待機させるはずだ)

(それは……そう、だけど)



確かにロンはスキャバーズを寮の部屋に匿っている。
もっともクルックシャンクスなら簡単に侵入できてしまうのだが。

それは拙いんじゃないか。とは思った。
よりにもよって指名手配犯が自ら人前に姿を現す危険を冒すなんて。



(大丈夫だ。私は在学中はこれでもグリフィンドールだったんだ。
 寮の位置も、どの道を通るべきかも、"太った婦人"のこともよく知っている)



そういう問題じゃない!と叫びそうになる自分を、は必死で押し殺した。
相手は曲がりなりにも指名手配犯だ。逆上させるようなことは控えたい。



(きみは、一人の生徒も寮に残らせないよう、きみの飼い主のジニーをうまく誘導してくれ。
 もし体調不良などで不参加の生徒がいるようなら、すぐに私に伝えにきてくれないか)

(う………うん、わかった…がんばる…)



が緊張気味にカクカク頷くと、シリウス・ブラックは満足そうに喉を鳴らした。



そのままブラックは食事を終え、とクルックシャンクスの見送りにと歩き出した。
足元の腐葉土に埋まる感触は四足歩行ならではの楽しみだ、とは思った。

道中で彼はに際どい質問を何個かしたが、なんとか切り抜けた。
たとえばこのバスケットはどこで手に入れたのか?という質問では――

――ジニーのママがくれたの。ほんとはあたしのベッドなのよ。
  でもジニーがおやつを隠してるから、おやつ入れなの。

というアドリブをした。ジニーごめんジニーごめん、と、は心の中で唱えた。
持ち運び式の猫用ベッドなどという設定を思いついたのはのおかげだった。
明らかにソファで寝ている形跡がの頭から離れなかったのだ。



森の出口が見えたとき、ブラックが足を止めた。
そのまま、彼は自分の鼻先をの綿毛のような体に摺り寄せた。

ありがとう、と。

彼がそう伝えているのだと、にはわかった。















いよいよ逃げられなくなってしまった。


ハロウィン当日、双子の誘いを断っては談話室で物思いに沈んでいた。
本音を言うならばホグズミードに行きたかった。

それでもやはりシリウス・ブラックからの依頼のほうが重かった。
体調が悪そうな子には医務室へ行くように勧めよう、
退屈そうな子には宴会で騒ごうと誘おう、と何度も自分に言い聞かせる。

万が一、生徒と彼が接触してしまっては折角の彼の気遣いが無駄になる。

そういえば、とは顔を上げる。



「コリン、ハリー知らない?」

「図書館で宿題をするって言ってたよ」



今、ハリーはきっとホグワーツ中で一番落ち込んでいる生徒だろう。

ハリーの気を紛らわせてあげたい、という思いと、
落ち込みすぎて寮に引き篭るのを阻止したい、という思惑が利害を一致させた。

コリン・クリービーにありがとうと声をかけて、は腰を上げた。















「何をしている?」



どういう悪夢だ。とは運命というものに盛大に突っ込みを入れた。

ハリーを探しに校内をぶらぶらしていただけだったのに。
よりにもよって、スネイプに会うなんて!



「ハリーを探しているんです」



正直に答えると、スネイプは心底嫌そうに眉を顰めた。
スネイプが手に持っているゴブレットからは煙が立ち昇っている。
まさに悪鬼と言える光景だった。



「先生はどちらに行かれるんですか?」

「お前には関係のないことだ」



スネイプはさっとマントを翻し、に背を向けて歩き出した。
大きなコウモリが歩いているかのような錯覚を覚え、はくすりと笑った。

シリウス・ブラックと同じで、この人は見かけほど怖い人物ではないのではないか。
そんな気がした。

聞くところによればスネイプはハリーをネチネチといびることを日課にしているらしい。
もしかしたら先生の行く先にハリーが居るかもしれない。
と、自分でも安易だと認めざるを得ないような思いつきで、はスネイプの後を追った。



「……なぜ付いてくる」

「偶然にも、先生がわたしの進行方向に進むからです」



スネイプが足を速めた。
追いつけないくらい引き離してやろうということか!とは思った。

それでも小走りで、彼のあとを追う。



「先生が持っていらっしゃるのは魔法薬ですか?」

「…………………」



無視された。



「あの……本のこと、母に伝えておきました」

「……受け取った」



そうですか、よかったです。とは言った。



「先生はおいくつですか?」

「……答える義理は無い」



うぐ、と答えに詰まる。



「じゃ…じゃあ、母と同じくらいですか?」

「…………………」



返事は無かった。が、おそらく肯定だろう、とは思った。
同級生ではないにしても、近い歳ではあるのだろう。

もし母よりも年上だったなら「青二才だと言いたいのか」と言われそうだし、
もし母よりも年下だったなら「年寄りだと言いたいのか」と言われそうだ。



先生、と呼びかけても、スネイプは振り返らない。
足を進め、階段を上り、気付けば結構な距離を競争していた。



母と近い歳―――ということは?



「あの、先生?もしかして先生はシリウス・ブラックを―――」



ダン!



スネイプは急に振り返り、野良犬を脅すかのような仕草で足を大きく踏み鳴らした。
校内ということで杖は使われなかったが、許される状況だったらの首は飛んでいたかもしれない。

びくりと震え、は一歩下がった。
ナイフでも突きつけられているようだった。



「その名を、二度と、我輩に聞かせるな…!」



地獄の底から響くような低い声で唸り、スネイプは言った。
は必死に頷いたが、彼はもうのことなど見ていなかった。

彼は正面を向き、目の前の扉を軽く叩いた。



――どうぞ、



と、聞こえてきたのはついこの前、自分とドラコの喧嘩を仲裁した人物の声だった。
いつの間にか、ルーピンの教員室まで来ていたのだ。



「ああ、セブルス」



笑顔のルーピンが出迎え、スネイプはずかずかと部屋に入っていった。

予想もしない展開に面食らい、は呆然と立ち尽くしていた。
まさか、スネイプがルーピンの部屋を訪ねるなんて!

一体これはどういうことなんだと思っているのは、だけではなかった。
の大きな目と、室内にいたハリーのエメラルドグリーンの瞳が綺麗に合わさった。



















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スネイプ先生の地雷を踏みました。