ママがわたしの前でこんなに辛そうな顔をするのは初めてだった。

ごめんね、ママ、ごめんね。

わたしはママの腕に必死でしがみついた。
何か重いものがやって来て、わたしの心臓あたりから押しつぶしていくような感覚だった。

罪悪感、かもしれない。
ママが一生懸命わたしを守ろうとしてくれているのに、
自分でそれを全部ムダにしてしまったことに対する。


ママはわたしを抱っこしたまま、踵を軸にしてくるりと回った。














  シーン28:ナイトメア・ハロウィン 4











息が詰まるような一瞬の暗転のあと、恐る恐る目を開くとホグワーツの校門が飛び込んできた。

いつの間にかホグズミードの村は遠く後ろになっている。
何が起こったのか分からないが、魔法での瞬間移動のようなものだろうとは予想した。


黒いマントをはためかせて、吸魂鬼たちが寄って来た。
はより一層力を込めての腕にしがみついた。

が怯えているのを感じ取ったのか、はそっと子猫の頭を撫でた。
そして杖を振り、銀色の鷹をどこからともなく創りだした。



「退きなさい」



ぞっとするほど冷たい声だった。
吸魂鬼たちは鷹に追い立てられ、風船のように散り散りになる。

あの間の抜けた母に夜警なんて勤まるのかと訝っていたは、認識を改めた。
は、間違いなく魔女だった。
それも、たった一振りで吸魂鬼たちを追い払えるような、一流の。



「……、」

「あらスネイプ」



校門をくぐると、黒装束のままのスネイプが待ち構えていた。
立て続けに現れる難関に、は気が遠くなりそうだった。

このままスネイプに突き出されることも覚悟しながら、は2人の会話に耳を傾けた。



「ホグズミードを一周したけど、あの人は居そうに無いわ。
 そもそも敷地から出てしまえば『姿くらまし』出来るんだから、
 わざわざ危険な場所に留まっているとも考えにくいけれどね」

「……それで、その薄汚い猫はどうしたのだ」



はびくん!と震えた。
薄汚いと罵られたことはひとまず置いておくとして、
ついにしょっ引かれる時が来たのかと思った。



「あぁ…吸魂鬼に囲まれてたところを保護したの。
 生徒のペットかもしれないでしょう?」



スネイプが自分をじっと見ているのが分かっていたので、
の胸元に顔を埋めた。
目を合わせたら、バレてしまう気がした。
は安心させるようにの背を撫でる。



「ふん……わざわざ厄介事を背負い込まんでもよかろう。
 野放しにしていた愚かな飼い主の責任だ」



あしらうように、ハイハイとが言った。

はそのまま足を動かし始めた。
がちらっと覗き見ると、城の方へ向かうようだ。



「貴方もね、スネイプ。
 寝てないでしょうに、わざわざ待っててくれなくてもよかったのよ?」

「我輩はただあの男が捕まる瞬間をこの両目に焼き付けようと思っただけだ」



ふん!と鼻を鳴らし、スネイプが早足でを追い越した。
やっぱりこの人は根っからの悪人ではないんだろうな、とは思った。
確かに、口は悪いし人当たりも良くないけれど。



の腕に抱えられたまま、は大広間に入った。
東の空は白み始めていた。
窓から見える月は少し鈍い輝きを放っている。


虚ろな顔をしたパーシーがに近寄ってきた。



先生、ブラックは……」



はただ首を振るだけで返事をした。
巧みにを腕の中に隠し、生徒たちの間を巡回する。

眠っているハリーたちを通り過ぎ、の体が横たわっている寝袋の前で足を止めた。



「…これは、没収」



杖を振り、は小声で言った。
しんとした大広間で、の懐から懐中時計が飛び出した。
器用にそれをキャッチして、を下ろした。

フィニート、という呪文が聞こえたとき、は視界が人間のものに戻ったことに気付いた。



「返してほしければ……そうね、どんな手段でもいいから、わたしから奪い返してみなさい。
 夜の脱走は、それくらいの実力をつけてからするものよ」



は何度も何度も頷いた。
力尽くで奪い返すのは不可能だろう。
事実上、永久に取り上げられてしまったようなものだ。

後先を考えない馬鹿げた脱走劇の終幕としては上出来なのだろうか。
結果として最大の目標であったシリウス・ブラックの逃亡は成し遂げられたのだ。

自分の髪についた埃を払って、は目を閉じた。
走りまわったことで、クタクタに疲れていた。
は再び大広間を出て行った。夜警はまだ終わらないのだ。

それでもまだ拭いきれない罪悪感を感じながら、眠りに落ちた。















重い体を無理やり起こしたとき、周りの生徒の七割は既に起床していた。
時刻は、7時かそこらだろう。

大きなあくびをしながら寝袋を片付けると、はハリーたちのところへ行った。
おはよう、と声をかけるとハリーとハーマイオニーからおはようと返ってきた。
ロンはまだ声が出せるほどスッキリと目覚めてはいないようだ。



「ハリーたちも…ダンブルドア先生とスネイプの話、聞いてた?」



単刀直入にそう切り出せば、ハーマイオニーがはっとした顔つきになった。



「あなたも起きていたの?」

「うん…なんか、気になって…」



むにゃむにゃと何かを呻くロンを挟んで、3人は顔を合わせた。
少しのためらいのあと、口火を切ったのはハリーだった。



「…スネイプが思わせぶりな言い方だった。
 何だっけ…『内部の者の手引きがあったはず』とか、そんな感じで…」

「ええ、でもダンブルドア先生がきっぱりと否定なさったわ」



は棍棒で頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
もしかしてスネイプは――を疑っているんじゃないだろうか?
だから校門のところで張り込んでいたんじゃないだろうか?

急に黙り込んだを、ハーマイオニーが心配そうに覗き込んだ。



「妙な話さ……ブラックがハリーを狙ってるんなら、スネイプはそれを歓迎するはずだろう?
 それなのに自分以外の人間がスパイだって疑うような言い方で……
 僕はあいつがスパイだったとしても驚かないね」

「ロン、言いすぎだわ」



ようやくロンが喋りだしたが、ハーマイオニーに睨まれてすぐに口を噤んだ。

大広間の扉が開き、ダンブルドアが姿を現した。
まだ眠っている生徒を、近くの生徒が揺すり起こす。



「おはよう、諸君。昨夜はさぞかし不安な夜を過ごしたことじゃろう…
 捜索の結果、ブラックは発見できなんだ。近場には居らんのやも知れぬ。
 しかし安心するのは早計じゃ。むしろ気を引き締めねばならん」



各々が危険を自覚する大切さを生徒たちに説いたあとは、朝食になった。
ダンブルドアが杖をさっと一振りすると、テーブルは元の配置に戻った。

教職員テーブルに姿をみせている教員はあまり多くなかった。
、スネイプ、ルーピンは揃って欠席だった。

心臓を細い針でチクチクと執拗に責められているような気分だった。
もしかしたら今、スネイプとルーピンに尋問されているんじゃないか。
自分の軽率さのせいでまでもが無実の罪を負わされるのではないか。



「ねえハリー、実はブラックの狙いがハリー以外のもの…っていう可能性は無いのかな…?」

「でも…も聞いただろ?『あいつはホグワーツに居る』っていう……」

「うん…そうなんだけど。えっと、ちょっと思っただけなの。
 特に深い意味はないから気にしないで」



一難は去ったが、どうやら解決すべき問題はまだまだ山積みのようだ。



















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