朝ごはんの後、わたしはグリフィンドールの寮の入り口へ走っていった。
クルックシャンクスに一刻も早く会わなきゃいけないから。



"やせっぽちで素敵な子馬"(Bony-Bonny-Pony) !」

「立て、腰抜けども!我の勇姿をとくとご覧あれ、ご婦人がた!
 そこの小さなお嬢さん、その合言葉は今しがた変更された!」



急いでるのに!











  シーン29:一難去って、?











結局、地団太を踏んでいるを発見したのはパーシーと寮生全員だった。
パーシーは首席としてグリフィンドール生を牽引してきたつもりだったのに、
がひとりで抜け駆けしていたことにひどく驚いているようだった。

としては、朝食のときに聞かされた新しい合言葉がものの数分で変更された方が
ひとりくらい抜け駆けするよりも驚くべきことだと思った。

おまけに、よくぞパースを出し抜いてくれた、と双子はの頭や肩を撫で回した。
おかげでパーシーはが彼を馬鹿にしていると勘違いし、ひどく怒ってしまった。


そしてこの日から、カドガン卿の迷惑千万な"婦人"代理が始まった。
卿は誰彼構わず決闘を挑もうとするし、合言葉などは少なくとも一日に二回は変更される。

誰もが"婦人"の一刻も早い復帰を望んだし、
卿がなぜ校内のはずれの塔にひっそりと掲げられていたのかを悟った。
要するに、迷惑なほどうるさい。



そしてカドガン卿の迷惑話と共に語られるのが、
シリウス・ブラックはどのようにして校内に侵入したのかという話題だった。

吸魂鬼たちをやっつけたとか、闇の魔術を使ったとか、そういう説はまだ良い。(本人は嫌がるかもしれないが)
がひやっとしたのは、ハッフルパフの3年生、ハンナ・アボットが道行く人を捕まえては捲くし立てる仮説だった。
『ブラックは花の咲く潅木に変身できる』というのだ。

潅木に変身してどうやって移動するんだ、
ブラックはニンジャか、といってその説は否定されたが、
少し視点を変えてみれば、正解はすぐそこにある。
正解は、『シリウス・ブラックは変身できる。ただし潅木ではなく、犬』なのだから。



クルックシャンクスとの会話は、失敗に終わった。

が一方的にブラックの無事や現在の居場所などを訊ねるだけでは、
クルックシャンクスがそれを理解しているのかいないのかわからない。
『時計』が没収されてしまったことは、かなりの痛手だ。


はがっくりと肩を落としたが、以上に肩を落としているのがハリーだ。
ハリーは今や『最重要人物』となっていた。
どこへ行くのにも護衛役の生徒や先生が必ず一緒にいる。

ブラックがハリーを狙っている、というのはいつから定説になってしまったのだろう?







「おはよう、

「おはよー」



はバスケットをさっと手元に隠した。
ハリーたちが眠そうな顔で朝食の席に現れたからだ。

天井に映されている天気も、窓の外の実際の天気も、どちらも良いとは言えない。
ブラックの事件が起きたハロウィーンの日から、すっきりと晴れた日は一日もない。
まるでブラックのことでホグワーツが混乱したのに合わせて、空までが混乱しているようだ。


ブラックは再び禁じられた森に潜伏し始めたのかもしれない。
はクルックシャンクスが森の方へ歩いていくのを何度か目撃した。

自分で持っていくことは出来ないが、クルックシャンクスに預けておけば彼に届けられるかもしれない。
少し希望を持って、はバターロールやジャムをバスケットに隠していく。



「今日も練習?」



ハリーが欠伸をしながら頷いた。
練習というのは、もちろんクィディッチのことだ。

マクゴナガル先生はハリーたち生徒だけで練習することを快く思わなかったようで、
先日の練習からフーチ先生が監督をすることになった。

さらに面倒なことには、グリフィンドールの対戦相手が急に変更されるという事件まで起きていた。
原因は言わずもがな、マルフォイである。
本当は天候が気に入らないだけのくせに、マルフォイの怪我を盾に取ったスリザリンはプレーを拒んだのだ。
結局、グリフィンドールはハッフルパフと対戦することになった。

余談だが、が監督をする、という提案もなされたらしい。
しかしそれは死にそうな顔をしたに断わられたというのを風の噂で耳にした。

ハロウィーン以来、母は益々やつれていた。
隈は濃く、肌や髪にいつもの美しさは無い。
こんな調子で一年後にテレビに復帰できるのか、とは不安になった。



「頑張ってねハリー。応援してるからね!
 …まぁ本当は、応援じゃなくてわたしもクィディッチしたいんだけど…」

「じゃあ練習を見に来るかい?
 練習が始まる前とか、休憩中とかでよければ…ゲームは無理だけど、
 キャッチボールくらいなら出来るかもしれない。ウッドに頼んでみるよ」

「ほんとに?ありがとう!」



何でもないことのようにハリーが言い、は目を輝かせた。
願っても無い申し出だった。
少しでもクィディッチに携われるのなら、小雨くらいどうってことない。

ハリーはどきまぎしながらに笑い返した。
ダーズリー家での経験からか、素直に感謝されたりするとどうにも照れ臭いのだった。















今日のの最初の授業は「防衛術」の2コマだった。
その後の「魔法薬学」や他の授業が終わればクィディッチの練習を見学しに行ける。

こんなに素敵な朝がかつてあっただろうか。
いや、滅多にないはず。とは思った。
母がクイズ番組の賞品として蟹を大量に持ち帰ってきた時だって、ここまでは浮かれなかった。



はスキップしながら教室へ向かい、
自然と緩んでしまう口元を隠そうともしないで教室の扉を開けた。


そして、そこにはスネイプが居た。



(―――――――、あれ?)



は一度廊下に戻り、教室を間違えたのかどうか確認した。
しかし無意識の内に地下牢に向かっていたわけはなく、ここは「防衛術」の教室である。

見間違えたのだろうか?は自問した。けれど、よく考えなくても答えは解っている。
もしルーピンとスネイプを見間違えたとしたら、ハリーに眼鏡を借りなければならないだろう。
この2人の共通点といえば顔色の悪さくらいしか思いつかない。


は恐る恐る再び教室の扉を開けた。



「席に着け」

「……………はい……」



やはり、そこに居たのはスネイプだった。見間違いではなかったのだ。
は大人しく教室に入り、扉に一番近い席、つまり教壇から最も遠い席に腰を降ろした。
スネイプはそんな様子のをちらっと窺ったが、すぐに無言で視線を外した。



やがてクラスメイトたちが続々と教室に入ってきたが、
誰ひとりとして扉を開けた瞬間に「あれ?」という表情をしない者はいなかった。

スネイプの眉間の皺はその度に一本ずつ増えていく。
早くに着席していた生徒は、ハラハラしながらその様子を見守っていた。

素敵な朝はどこへ行った。
がこっそりと溜息をついたとき、始業のベルが鳴った。



「ルーピン教授は急病である。よって、我輩が臨時に代講を行う。
 ………異議や不満のある者は早急に立ち去るが良い。」



スネイプは教室中の生徒を睨みつけた。
ルーピンを心配する声や、不満などの私語は一瞬で消えた。



「生命を脅かす程の病ではない。テキストを開きたまえ。
 この時期になっても未だに『近代における闇の魔術の歴史』を終えていないことに、
 我輩はいささかの驚きや羞恥をも禁じ得ん思いである……」



教科書を捲りながら、スネイプは小声でねっとり言い放った。
きっと同じような嫌味を、すべての学年の「防衛術」の授業で言うのだろう。

は目次を開き、『近代における闇の魔術の歴史』の項目を探した。






13章、近代における闇の魔術の歴史
―13.1節  グリンデルヴァルドに始まる近代闇の魔術の黎明
―13.2節  『名前を呼んではいけないあの人』の時代
―13.3節  衰退期の始まりと『生き残った男の子』
―コラム  『フェンズの大嵐』






これから始まるのであろう「生き残った男の子の"正しい"逸話」の数々を想像し、
は再び気付かれない程度の溜息をついた。



















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