ぜぇはぁと肩で息をしながら、わたしは何とか地下牢教室の扉の前に辿り着いた。
どうかスネイプじゃありませんように!
あと、マクゴナガル先生でもありませんように!
できればフリットウィック先生かスプラウト先生でありますように!
「お、遅れて、すいませんっ!」
わたしは扉を開けた。
シーン31:ある日の授業風景 2教科目
「・アンドロニカス」
扉を開けた瞬間に聞こえてきた自分の名前を呼ぶ声に、の思考は停止させられた。
目をパッチリと開いたまま、声の主を見つめる。
「・アンドロニカス。返事は?」
「え………は、はいっ」
いつもスネイプが陣取っている教壇に立っていたのは、・だった。
は扉を開けた体勢のままで返事をした。
吃驚しすぎて、声が裏返った。
多少冷静になって考えてみれば、も教師なのだから可能性はあったのだ。
くたびれた顔で歩いているのを見かけることが多い所為で、無意識の内に選考から外してしまっていたが。
「ん。ヘレナ・エイプリル」
「はいっ」
次に出る言葉は減点か注意かとはビクビクしていたのだが、
はそんなに構うことなく出席確認を続けるだけだった。
拍子抜けしたは、一番近くのテーブルへ座った。
スリザリンから出席を取り始めたので、グリフィンドールの出席は今始まったところだ、
と、すぐ近くに座っていたクラスメイトが小声でに教えてくれた。どうやらラッキーだったらしい。
「―――――スタニスラウス・ワシントン。
うん、全員居るみたいね。えぇと、初めまして、かしら?
ルーピン教授の代講に行かれたスネイプ教授の代講のです」
のわざらしい回りくどい言い方に、何人かの生徒がくすっと笑った。
『面倒ごとを押し付けてきたスネイプを恨んでいます』というように聞こえたのだ。
は、のウェーブがかった髪が所々乱れていることに気付いた。
どう見ても寝癖だった。なんて恥ずかしい、とは思った。
その気になればもっと綺麗に振舞える人だと知っているからだ。
「先生も休まれたほうがいいんじゃないですか?」
「ありがとう、カーター。それをスネイプ教授に進言してくれたらもっと嬉しいわ」
は男子生徒に向かってニコリと笑った。
教室中が、笑い声で満ちた。
まさか地下牢教室からこんな声が響く日が来るとは、ピーブズだって驚くに違いない。
「さて!入学して2ヶ月。そろそろ魔法薬学の基礎については理解してくれた頃かしら?
前回の授業で調合した薬が未完成の子は、それを仕上げてちょうだいね。
もう終わらせてしまった子は何人くらい居るの?」
教室中で、数人の生徒が手を挙げた。
もその内のひとりだった。
「そうね――じゃぁ、あなたたちには特別課題を出しましょう」
その数人の生徒を教壇のほうへ呼び寄せると、
は材料棚から十数個のガラス瓶を取り出して生徒たちの前に並べて置いた。
それらの材料に、特別貴重なものは見当たらない。
「今わたしが並べた材料は、決して目新しいものではないけれど、
実はこれらを組み合わせることで何十種類もの魔法薬が調合できます。
1年生で習うものも調合できれば5年生で習うものも出来るし、
ホグワーツでは習わないようなくだらないものまで、多岐に渡るの」
生徒たちは何も言わずにの説明を聞いていた。
「――そこで、課題。この材料から調合可能な魔法薬のうちで、
あなたたちの考える『これこそ・を最も驚かせる魔法薬だ』というのを調合すること」
「えっと……ちょっと、難しいと、思うんですけど…」
ムリムリ、という呟きが生徒たちの口から零れた。
は彼らを代表して、に密やかな異議を唱えた。
大人の魔法使いを吃驚させるような魔法薬を調合しろだなんて、不可能にも程がある。
「折角だから、スリザリンとグリフィンドールの2チームに別れてもらおうかしらね。
心配しないで。各チームに1冊ずつスネイプ教授の蔵書を貸してあげるから」
「ス、スネイプ先生の!?」
は綺麗な笑顔でそう言い放った。
生徒たちは活気付き、また動揺した。
スネイプ個人の蔵書を使うなどという機会は滅多にあるものではないし、
機会があった所で、それは禁書の棚から一気に10冊ほど無断で拝借するのと同じくらい危険な行為だった。
ちょっと待っててね、と言うと、は準備室に引っ込んだ。
ほどなくして、は5冊ほどの本を抱えて戻ってきた。
恐らくはその全てがスネイプの蔵書なのだろう。
この母には、スネイプの本を無理に借りて、しかも返すのを忘れるという前科があったくらいなのだから。
「はい!好きなのを選んでね」
はそれらを無造作に机の上に置くと、そう言った。
好きなものを選べと言われても、スネイプに呪われそうで中々手が出せない。
がちらりと周囲の生徒を窺うと、スリザリン生でさえ躊躇っていた。
前回の課題が未完成だった大部分の生徒たちは、
教授の予想外の行動に目を見張ってはいたが、楽しんでいるように見えた。
は無言で母を見た。
との視線が合ったとき、は口の端を上げてにぃっと笑って見せた。
溜息をついて、はスネイプの本に手を伸ばした。
結局はこの状況を楽しんでいるだけなのだ。
もちろん、スネイプに対するちょっとした悪戯のつもりで。
そして結局、も母のそういう性格が好きなのだった。
がスネイプの本を物色し始めたのを切欠に、
生徒たちは次々とスネイプの蔵書を手に取り始めた。
グリフィンドール組の作戦会議は難航した。
スリザリン組はどうやら高尚な魔法薬を煎じる方向で行くようだが、
は断固として「先生は下らない物の方が好きなはずだ」と言い張った。
前回の課題だった魔法薬を完成させた生徒たちが、ひとりふたりと助太刀にやって来る。
授業が終わるころには、全ての生徒がの出した風変わりな課題に取り組んでいた。
結果として、の予想は的中した。
何とかいう難しい名前の魔法薬(には覚えられなかった)を作ったスリザリン組へは、
材料の扱い方が適切だとか、そういう褒め言葉が与えられた。
グリフィンドール組が作ったのは、トカゲの皮から目玉まであらゆる部位を材料として煮込み、
それをヘビに飲ませることで、一時的にヘビの胴に足を生やす薬だった。
代表としてが実演して見せると、は涙が出るくらいに笑った。
「くだらない!」と言いながらひぃひぃ笑い、はテレビでも滅多に見せないような笑顔で生徒たちを見た。
はそれ以外に何も言わなかったが、グリフィンドール生たちは文句なしの合格を貰えたのだと認識した。
終業のベルが鳴り、が宿題も出さずに解散を告げると、生徒たちは満面の笑みで教室を出た。
みんなは口々に「ちょっと風変わりだけど、面白かった」「ずっと授業をしてくれたらいいのに」と言った。
魔法薬を誉めてもらえたことよりも、母の授業が成功したことの方が、にとっては嬉しかった。
*
「――――っていう感じだったの」
昼食時、は先ほどの「魔法薬学」の授業での出来事をハリーたちに語ってみせた。
大広間に現れたとき、ハーマイオニーは酷く落ち込んでいて、ロンはひどく怒っていた。
何が起きたのか聞くまでもなく、スネイプの「防衛術」が原因なのだった。
「いいよなぁ、先生で!スネイプなんか罰則だぜ、罰則!
僕たち、人狼について教えて下さいなんて一言も言ってないじゃないか!」
ロンはパイにフォークを突き刺しながら言った。
は魔法界についてこの2ヵ月でかなり詳しくなった方だと思っていたが、
人狼が実在するということは知らなかった。
「人狼って、あの、満月で変身してしまう人のことよね?」
「そうよ」
幾分か気を取り直したハーマイオニーが、に人狼について簡単に解説してくれた。
マグルの世界でも有名なだけあって、人狼という生き物に対するの予備知識はおおかた正しかった。
は、数日前のシリウス・ブラック侵入事件の際に、
夜空を見上げて『あと少しで満月になるな』と想ったことを思い出した。
「じゃあきっと今夜あたり、世界中の人狼さんは苦しい思いをするんだね」
「――えぇ、気の毒だわ」
ハーマイオニーは何かを一瞬考え込んだあと、の言葉に賛成した。
「ハーマイオニー、人狼よりも僕らの午後からの『魔法薬学』の心配をしようぜ。
ああ、こっちの授業にも先生が来てくれりゃいいんだけど!」
もしスネイプだったら僕はきっと医務室に駆け込んでしまうだろうよ、とロンが言い、みんなが笑った。
人狼の話題はそれで終わりになり、それと同時にハリーたちの憂鬱な雰囲気もどこかへ消えてしまった。
の午後の授業は何もなかったので、もう心はクィディッチ競技場へ向かっているのだった。
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母、やりたい放題。