マクゴナガル先生は、職員室に居た。
わたしが息を切らしてこれまでの経緯を説明すると、
先生は唇をきゅっと噛みしめて眉を寄せた。



「……解りました、アンドロニカス。
 校長にはわたくしが伝えておきます。貴女は寮に戻りなさい」

「でも先生……」

「いいえ、いけません」



そして先生は、何度も何度も『わたしも一緒に待ちます』というわたしのお願いを却下した。











  シーン36:アフターワード 1











は渋々寮に戻った。

談話室に入ると、数十分前に猛スピードで駆け抜けていったを目撃した生徒たちが不思議そうに見てきた。
はそれらの視線に気付かなかったふりをして、暖炉の近くのソファに沈み込んだ。
充血した目に気付いてか、声をかけてくる生徒はいなかった。

それから数十分が経ち、ロンとハーマイオニーが談話室に戻ってきた。
彼らはを見つけると、近くのソファに並んで腰を降ろした。



「ハリーは週末いっぱい入院するそうよ」

「ん、そっか……ハリーは大丈夫そう?あの……箒のこと」



いんや、とロンが首を振った。



「マダム・ポンフリーがいくら捨てろって言っても聞かないんだ。
 まあ、気持ちはよーくわかるんだけど……でもあの箒じゃ飛べないのも事実だし」



難しいところだ、と言ってロンは言葉を結んだ。

その時、肖像画が再び開いて、マクゴナガルが姿を現した。
何事かと驚いた生徒は、寮監を見上げる。
なかでもタランチュラをリード無しに散歩させていたリー・ジョーダンは跳ね上がるほど驚いた。



「ポッターが大怪我をしたという噂は、事実無根です。
 彼は月曜日には退院できるでしょう」



それからあまり落ち込みすぎないように、と言って、マクゴナガルは去ろうとした。
その一瞬にと目が合うと、マクゴナガルは微かに微笑んで頷いた。

なら、は無事だったのだろう。

は全身からどっと力が抜けた。
へにゃりとソファに身を凭れかけると、じわじわと涙が再び浮かんできた。



「どうしたの、?」

「な、なんでもないよ!なんか、安心しちゃって……ね!」



覗き込んでくるハーマイオニーの視線を避けながら、は答えた。
そうね、と彼女があっさり同意してくれたので、は違う意味で安心してほっと息をついた。















ハリーは月曜日には授業に現れた。
何気なく振舞ってはいるものの、敗北と箒を失ったショックはやはり彼の物腰から痛いほど伝わった。

そしてで、気もそぞろな毎日を送っていた。
の部屋へ行ってみたものの、油絵はウンともスンとも言わなかったのだ。
母がどこで養生しているのか、まさかあのソファではあるまいかとは不安で不安で仕方が無かった。

その不安は授業態度にも表れ、あろうことかスネイプの授業では大きなミスをした。
「罰則だ、アンドロニカス」という彼の低い声は、ここ数日いやに機嫌が悪い。
放課後にスネイプの事務室へ行くことを告げられたは、足取り重く大広間へ向かった。


そして昼食時。ハリーがに声をかけてきた。



「聞いてくれよ、。これでもう吸魂鬼に会うごとに失神せずに済むかもしれない!
 ルーピンが約束してくれたんだ、やつらに対抗できる方法を教えてくれるって」

「ほんとに?あ、わかった!
 あのなんか銀色のモヤーってしたやつだ!」



はあ?とハリーは言った。

は必死でその形状を説明する。
靄のようで、銀色で、ダンブルドアがハリーを助けるときに出したのは鳥っぽい形で……
喋りながらは、の鷹のことを思い出した。



「それで……良ければも習わないか?」

「え?」

「ハーマイオニーが言ってたけど、はずっと震えて泣いてた、って…
 もしそれが吸魂鬼のせいなら、と思ったんだけど…」



うう、と唸りながらはニンジンをサラダから跳ね除けた。
すると、あの日のの態度は吸魂鬼の影響だと周囲には解釈されていたのだ。



「あのね、わたし……罰則なの……スネイプの」



ハリーは驚いた顔でを見た。



「きみ、何をしでかしたんだい?」

「だって大したことじゃないのに、あのコウモリ男!
 ちょっと、ちょっと手が滑って満月草の露のビンを割っただけで……」



それは大したことだ、とハリーは思ったが、言わなかった。
満月草はその名の通り、満月の夜にしか採れない貴重な植物だ。
それを1ビン丸ごとダメにしてしまっては、スネイプの怒りを買うのも仕方のないことだろう。



「だから罰則によっては1ヶ月とか2ヵ月とか延々と床磨きかもしれないし…
 ああ、やだなぁ……もしそうだったらどうしよう?ハリーもやらない?」

「絶対イヤだよ」



ハリーは苦笑しながらカボチャジュースをごくりと飲み干した。















そして恐怖の放課後がやって来た。

『なんかされそうになったら大声で叫んで逃げるんだぞ』という双子のありがたい忠告を胸に留めながら、
は地下牢教室に隣接しているスネイプ個人の事務所の前に立っていた。

まさか母の知人でもあるスネイプが『なにかする』はずは無いだろうとは思うのだが、
ノックをしようとしては腕を下げ、深呼吸をし、また腕をあげるという動作をはかれこれ10分ほど続けている。


もう一度腕を下げ、これで最後にしようとは大きく息を吸った。
そして息を止め、ぎゅっと目を瞑ってノックをする。
震える手で叩いたので、ノックの音は頼り無げな哀れな音になった。

は屠殺場へ連れてこられた子牛の気分になった。
そうすると相応しいBGMはドナドナだろうかとが意識を飛ばしかけたとき、
ギッと音を立てて扉が小さく開いた。



「……入れ」



は半泣きの顔を隠すように俯きながらスネイプの事務所に入った。

そこは予想通りに本や薬ビンなどで埋まっていたが、
少なくとも実家の母の部屋よりは綺麗に整頓されていたし、
何よりもが思っていたよりも広くて、清潔そうだった。



はこっそりと辺りを窺いながらスネイプに続いた。
本棚で巧妙に隠された部屋の奥には、白いシーツの端が見える。

明らかにスネイプは部屋の奥の寝室(?)の方へ向かっていた。
はやっぱり逃げるべきだろうかと思い、歯を食いしばる。



「おまえの仕事は」



スネイプがを振り向いた。



「……"これ"の世話だ」



これってどれ?

は俯いていた顔をあげ、スネイプの方を見た。
どうかヒッポグリフではありませんように、と祈った。


そしては、スネイプの指す"これ"がだということに気付いた。



「ママ!?」



は思わず大声を上げてしまい、スネイプは顔を顰めた。
それでもはひとり静かに眠っている。



「……"これ"はここ数日というもの眠りこけ、我輩の職務を著しく妨げている。
 もうじき目覚めるだろう。おまえの仕事は"これ"が我輩の邪魔をせんように見張ることだ」

「え、眠りこけて、って……あれからずっとですか?」



まったく良い身分だ、と吐き捨てるようにスネイプは言った。
そしてに、なにかあったら呼ぶように言いつけると、くるりと踵を返す。
恐らくは地下牢教室のほうでレポートの採点か何かの仕事をするのだろうとは思った。

ばたん、と扉が閉まる音が聞こえたのか、が少し身じろぎをした。
は慌てて母の方を振り返る。



「ママ、大丈夫?聞こえる?」



は小さく何かを呟いた。
その表情は苦しそうで、指先はシーツをぎゅっと握り締めているせいで白っぽい。

悪夢でも見ているのだろうか、それなら起こした方がいいのだろうか。
は少し思案し、ママ、と再び声をかける。



シリウス?

「っ、ママッ!」



うっすらと目を開けながらが呟いた言葉に、はショックを受けた。
どうしてここでシリウス・ブラックの名前が出てくるのか?
は先ほどまでよりも大きな声を出し、母の注意を引こうとした。

次第には覚醒していった。
最初はのことを「誰?」といった感じで見ていたが、
視界が定まってくると同時に、しまった、という顔をするようになった。

はほっと息をついた。
いつもの、寝起きの悪い母が「遅刻したかも!」と焦る様子と一緒だった。



「ママ、大丈夫?気分悪くない?
 待ってて、すぐスネイプ先生呼んでくるから!」



が目覚めたことを伝えに行こうと、体の向きを変えた。
そして足を動かしかけたところで、自分を呼ぶ母の小さな声が聞こえた。



「…、……顔、見せて」

「…………ん、」



は再びの方に向き直ってしゃがみ、顔を近づけた。
まだ少し熱があるのだろう、頬はピンク色になっている。

は重くて仕方がないといった風に腕を動かし、の頬に触れた。
母の指先は驚くほど冷たくて、は思わずそれを掴んでしまった。



「あ、ごめん……すっごい冷たいからビックリして…」



は聞こえていないかのように、食い入るようにを見ていた。
薄く開いたその口から、ごめんね、という掠れた声がぽつりと零れる。



「………ごめん……ごめんね…」

「な、なんで謝るの?」



は答えなかった。
反対側の手も伸ばしての頭ごと抱きしめると、はひたすら謝り続けた。


ごめんって、なんのこと?
さっきわたしをシリウスって呼んだのはどうして?


はありったけの気力を費やして、その質問を呑みこんだ。



















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