「のことは覚えていますか、ロスメルタ?」
「……・でしょう?忘れられるものですか!
シリウス・ブラック本人から紹介されたことだってありますわよ。
何度か女の子を連れていたのは見ましたけれど、だけは違うタイプでしたわねえ」
マダム・ロスメルタの声が、どこか遠くから聞こえる気がする。
「たしか、彼の方から惚れ込んだとか聞きましたわ」
「そのようですね。実際、われわれ教師が何度言っても聞かなかったブラックが、
が少し顔を顰めただけであっさりと言うことを聞く、ということは日常的でしたから」
「まあ!そうでしたの。それで彼女はいま、どこに?」
「それがね、ロスメルタ、なんとホグワーツに居るんだよ。
ブラックに対抗できる人材というのは非常に…稀、というか、限られているからね」
ごほん、と咳払いをする大臣。
その時、かつん、と、靴音がした。
「―――お取り込み中でしたかしら、大臣?」
場に不釣合いなくらいにいつも通りの、ママの声がした。
シーン41:マラウダーズ・トラベラー 3
「馬車の用意が整いましたことを報告に上がりました、大臣」
「まあそう言わずに、きみも一杯どうだね、。
いや、まったく久しく見ない間に立派な女性になったようだ!」
「恐縮です。大臣は、お変わりないようですね」
淡々とした言い方だったが、の表情は柔らかかった。
は別のテーブルから椅子をひとつ引き寄せて、それに座った。
は自分の頭の回転がストップしていることを感じていた。
きっと、それはハリーにしてもロンやハーマイオニーにしても同じだろう。
「まあ!ホグワーツに帰ってきていたなら教えてくれたってよかったじゃない。
あなたが突然仕事に来なくなってしまったって色んなお客様から聞いて、わたしとっても心配していたのよ!」
「ごめんなさい、ロスメルタ。でもその話は……また今度、ね。
それで、大臣、何のお話をされていたんです?」
「その…なんだね、シリウス・ブラックについて、というか。
ブラックに関する一連の事件のあらましを、だな…あー、整理していたんだ」
は、の手が膝の上でぴくりと反応したのに気付いた。
「……そう、ですか。わたしも同席していて構いませんか?」
「うむ。それで…どこまで話したかな?
そうだ、ブラックとハリーの父親が親友だったところまでだったな…」
それから大臣は、ハリーにとって驚くべき事実を語り始めた。
ブラックがハリーの両親の結婚式で、新郎の付添い人を務めたこと。彼がハリーの名付け親であること。
そして彼が、ハリーの両親の居場所を、ヴォルデモート卿に売ったということ……
『忠誠の術』、それは守人となる人間の中に秘密を隠す術であるらしい。
スパイだったブラックはハリーの両親の所在についてを守る守人となり、その情報を流したのだと大臣は言った。
そしてそのままヴォルデモート卿の家来になるつもりだったのだろう、と。
「あの、くそったれめ!」
ハグリッドが吼え、店内にいた大多数の魔法使いたちが息を呑んだ。
「あいつに最後に会ったのは俺だ!ジェームズとリリーの…崩れちまった家の前で!
俺がハリーを助け出したとき、あいつがいつものバイクでやって来た…
『あの人』がふたりを襲ったってんで、俺は、あいつが加勢に来たもんだとばかり思った!」
「ハグリッド、落ち着いて…」
「あいつはハリーを渡せと抜かした、名付け親の自分が育てるっちゅうて!
そんでも、俺はダンブルドアからの言いつけで、ハリーは親戚ん家に連れてかにゃなんねえって言った。
そしたらあいつめ、自分にはもう必要ないだろう、って俺にバイクを寄越したんだ!
そん時に気付くべきだったんだ、あいつはトンズラしようとしてるんだって!」
ハグリッドがジョッキをドン!とテーブルに叩きつけた。
「俺がハリーを渡してたら、ハリーは一体どうなってた?
きっと海のド真ん中で、バイクから、ポイ!だ、あの裏切り者め!
あいつは心の底から腐りきっとるんだ、心の底から『あの人』に忠誠を―――」
「―――でも、」
いつもより少し感情を抑えたようなの声が、ハグリッドを遮った。
「でも彼は、闇の印を刻んではいなかったわ。
腕にも、脚にも、胸にも…背中にも。――体中、どこにもね」
おほん!と大臣がわざとらしく咳をした。
は、いよいよ混乱してきた。
シリウス・ブラック本人から、大方の事情は聞いていた。
しかしそこに、自分の母親の名前は一回だって出てこなかったのだ。
それなのにはいま、シリウス・ブラックに関しての庇うかのような発言をした。
それも、かなり親密でないと解らないはずの事を。
裏切られたような、気分だった。
はこれまでずっと、母とシリウス・ブラックは友人だと思っていた。
だって、そう思わせるような言い方をしていたはずだった。
なのに実際はどうだろう。
も、シリウスも、には本当のことをちっとも教えてくれていなかったのだ。
たしかに、指名手配犯と恋人関係にあったということは、隠しておきたいことかもしれない。
けれど教えてほしかった、とは思う。ワイドショーのような好奇心からではない。
ずっと今まで母子ふたりで生きてきた、その大前提を覆されたような気がした。
当時、母親には恋人がいて。
その恋人は、事件を起こしたとして逮捕されて。
それから一年も経たないうちに、が産まれて。
そして『父親はわからない』と母親から聞かされていて。
「……でも次の日、魔法省がブラックを追い詰めましたわ」
「違うんだよ、ロスメルタ、魔法省じゃないんだ。
ピーター・ペティグリューだったんだ。魔法省であればどんなによかったことか!」
そして、大臣はピーター・ペティグリューの最期について語り始めた。
それはがシリウス・ブラックから聞いていた話の、そっくり裏返しの物語だった。
英雄として死んだはずのペティグリューが、ネズミとして生きている。
もしがそのことをこの場で叫ぶことが出来たとしたら、どうなるだろう。
しかし実際は、そんなことは出来なかった。
もはやの中でさえ、誰の話を信じればいいのか曖昧になってきていた。
「ですけど、大臣……ブラックはどうして脱獄しましたの?
まさか、再び『あの人』と組むつもりなのではありません?」
「恐らくはそれが……最終的な企てなのではないかと、言うことも出来るだろう」
もしそうなれば、『あの人』があっという間に復活してしまうだろう、と大臣は言い添えた。
はハーマイオニーたちが息を呑むのがわかった。
そろそろ時間だ、とマクゴナガルが言い、一座は解散した。
足と言う足が、それぞれの主を寒い店の外へ運んでいくのが見えた。
「ハリー…」
ハーマイオニーがハリーに声をかけた。
それ以外にかけるべき言葉が見つからなかったのだ。
ハリーは立ち上がり、『三本の箒』から逃げるようにして走り去った。
ロンとハーマイオニーは、慌ててその後を追う。
は動くことが出来なかった。
いったい、誰の話を信じればいいのだろう?
指名手配犯が語る話より、大臣の話のほうが筋が通っているように思えた。
シリウス・ブラックがスパイではなかったのなら、そう主張すればよかったのだ。
それなのに彼は、血まみれの死体の山の前で、高笑いをしていたのだという。
そして、とシリウス・ブラックのこと。
ハリーの両親が亡くなる直前までふたりが恋人同士であったなら、
もしかしたら、もしかしたらの父親は、彼なのかもしれないのだ。
は、母の話をどこまで信じればいいのかわからなくなった。
信じたい気持ちはあるのだが、どうしても騙されたと思ってしまう。
どうして教えてくれなかったのだろう。
ずっと、自分に対して正直に向き合ってくれていると思っていたのに。
(わたしは、だれ?)
はテーブルの下から這い出て、そのまま店から立ち去った。
店の外は相変わらず雪が待っていて、冷たい風が吹いていた。
しかしは、何も気にならなかった。
自分は誰なのだろうという意識で頭が一杯だった。
の足は、ひとりでにハニーデュークスへ向かっていた。
ハニーデュークスの店は、来たときと同じくらい混雑していた。
は入り口から店内をぐるりと見回した。
来たときには気付かなかったが、窓ガラスにはシリウス・ブラックの手配書が張られていた。
はそれを一枚剥がし、ローブのポケットに突っ込んだ。
そして誰も自分を見ていないことを確認して、カウンターまで走り、その裏へ回り込む。
そっと扉を開けると、木製の階段がを出迎えた。
ほんの数時間前に上ったはずのそれが、ひどく懐かしく思えた。
は階段を駆け下り、ホグワーツからの抜け道と繋がっている扉を捜した。
しかし、ハリーが通り抜けたのであろう、扉はキチンと閉まっていなくて、すぐに見つかった。
はそれを持ち上げ、石の階段にすばやく身を隠した。
扉を閉めてしまうと真っ暗になるので、杖で明かりをつける。
「あなたが、」
慎重に扉を閉めてから、石の段に座って、は手配書を取り出した。
慌ててポケットに入れたせいで、それはぐしゃぐしゃになってしまったいた。
はシリウス・ブラックに向かって、語りかける。
「あなたが、パパなの……?」
写真の中のシリウス・ブラックは、瞬きしてを見た。
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