行きの道も帰りの道も、意識には残らなかった。
気がついたら目の前がパッと明るくなって景色が開けて、ああ森を抜けたんだ、ってわかった。

指名手配犯に啖呵を切った。
いまのわたしにあるのは小さな恐怖心と、大きな満足感と、ほんの僅かのスッキリしない気分と。











  シーン44:アニマル・オブ・クリミナル 1











森を抜けたは、目の前の小屋を小さな感動と共に見つめた。
魔法生物にも遭遇せず、ハグリッドの小屋まで帰ってこれるとは何という幸運だろう。
先ほどのシリウス・ブラックのデリカシーに欠ける態度も吹き飛ぼうというものだ。



、あなたこんなところに居たのね!」

「ハーマイオニー?」



薄っすらと雪が積もり、ハグリッドの小屋は粉砂糖のかかったケーキのようになっていた。
見惚れていると、の耳には馴染みの声が聞こえてきた。

が慌てて振り向くと、そこには今まさにマントから出てきたばかりのハリーたち3人が居た。



「寮にも談話室にも大広間にも居ないんだもの、どこに行ってしまったのかと思ったわ」

「ん、ちょ、ちょっとフクロウ小屋に行くついでに散歩をね!」



は誤魔化すように笑って言った。
ハーマイオニーは「そう」とだけ返すと、ハリーのほうへ目配せした。

はそのサインの通りに、ハリーを見た。ひどく不機嫌だ。
もしかしなくとも原因は昨日聞いてしまったシリウス・ブラックが彼の名付け親だということだろう。

ムスッとした顔のハリーから遠ざかるように、ロンが素早く小屋の入り口へ駆けていった。
そしてドンドンとノックをするが、返事がない。
そこで4人が扉に耳をあててみると、何かが低く唸るような呻くような音が何度も聞こえた。
まさかハグリッドがまた獰猛な生物でも飼い始めたのだろうか。



「ハグリッド!僕だよ、開けて!中に居るの?」



今度はハリーが扉を叩いた。

するとドスンドスンという足音がして、いくばくも経たないうちにドアが開いた。
4人を出迎えたのは目を真っ赤に充血させ、滝のような涙を流しているハグリッドだった。
体格のよさからくる圧迫感に押され、は少し後ずさる。

ハリーの姿を確認すると、ハグリッドは押し潰さんばかりにハリーを抱きしめ、大声で泣き始めた。
とハーマイオニーがハグリッドを押さえ、ロンがハリーを救出する。
窒息寸前だったハリーは息を整えながらハグリッドに何事かと訊ねた。



「ビーキーが!ハリー、ビーキーが!」

「ハグリッド、一体どうしたの?」



とりあえず4人でハグリッドを小屋に押し込み、椅子に座らせた。
ハグリッドはされるがままに勢いよく腰を下ろし、木製のその椅子は軋んだ音を立てる。

ハリーはテーブルの上に公式文書が置いてあることに気付き、それを手に取った。
ハグリッドがますます激しく泣く中で、彼はそれを読んでいく。



「ハグリッド殿。ヒッポグリフが生徒を襲撃した残念な事故について、
 委員会は貴殿に責任はないというダンブルドア氏の保証を受け入れる次第となりました。
 ……なんだ、良かったじゃないかハグリッド!」



しかしハグリッドは手を振り、先を読むようにハリーに促す。

ハリーが再び口を開いたとき、は背後から鋭い視線を感じた。
マルフォイの主張のせいでヒッポグリフが裁判にかけられる、という部分を耳に入れながら、
はゆっくりとその視線を感じる方へと振り向いた。



「事情聴取は四月二十日、ロンドンの委員会事務所にて行います。
 それまでヒッポグリフを隔離し、繋いでおくこと。あとは……ウワ、理事の名前がビッシリだよ」



オレンジ色の猛々しい目が、を見ていた。
は一歩だけ下がり、それの全体をよく見てみた―――ヒッポグリフだ。

嵐の空のような灰色の体に、鱗のついた膝。
ドラコ・マルフォイを引っ掻いたバックビークが、ハグリッドの小屋の隅で丸まっていた。
バックビークはその鋭い嘴でイタチのようなものを噛み千切りながら、ジッとを見ている。
骨を噛み砕くバリバリという音につられ、ハリーたちがこちらを見た。



、危ないよ!離れて!」



は動かなかった。

ハリーの声が聞こえなかったわけでもないし、
バックビークが恐ろしかったわけでもない。

ただ、目を逸らすことが出来なかった。
そんなことをしたらこの状態がたちまちに崩壊してしまだろう。

には何かがわかっていた。バックビークは自分を襲うことはない。
ハーマイオニーが息をのむ中、はそっと右手を差し出した。
バックビークは静かにを見つめ、嘴の先でそっと指に触れる。



「………いいこね、バックビーク」



はそのまま、指先で引っ掻くように嘴を撫でた。
ロンやハリーはあんぐりと口をあけてその光景を見ている。



「ねえ、バックビークが安全だってこれで証明できたじゃない、ハグリッド!
 しっかりした弁護をしなくちゃいけないわ。きっと勝てるわよ!」

「そんでも…連中はルシウス・マルフォイにゃ逆らえねえ。
 もし負けたら…俺が裁判で負けっちまったら、バックビークは…」



ハーマイオニーの言葉に、ハグリッドは指で首を切るジェスチャーで応えた。
マルフォイという名前に反応したのだろうか、バックビークが少し身動ぎする。

は憤然とした想いだった。
マルフォイ、この名前はどこまで厄介事を呼び寄せれば気が済むのだろう?



「でもハグリッド、ダンブルドアが……」

「いいや、ダンブルドアはもう手一杯でいなさる。俺のために十分良くしてくだすった…
 吸魂鬼が城に入らんようにしとくとか、シリウス・ブラックとか、それでなくとも問題が山積みで……」



ロンとハーマイオニーは横目で素早くハリーを見た。
シリウス・ブラックの名前が出されたことで、彼がまた怒りを爆発させるのではないかと危惧したのだ。
しかしハリーは、ハグリッドのあまりの絶望した様子に追い討ちをかけるようなことは出来なかった。

はバックビークに小さく頭を下げると胴の方に回り込み、柔らかい毛に身体を預けた。
綿毛で耳を塞ぎ、目を閉ざし、シリウス・ブラックの名前が自分に届かないようにする。


がそうして無言の抵抗をしている間に、ハグリッドは少し落ちついたようだった。
ハリーたちが全力でバックアップすることを約束したことで、ずいぶんと気が楽になったらしい。
今ではロンの淹れた紅茶を啜り、ぼそぼそと喋っている。



「ホグズミードに飲みに行くたんびに、吸魂鬼の横を通んなきゃなんねえ…
 そうすっと俺はとことん落ち込んで――まるで、アズカバンに戻されちまったような気分になる……」

「そこは……恐ろしいところなの、ハグリッド?」



ハーマイオニーがおずおずと訊ねると、想像もつかんだろう、とハグリッドは呟いた。



「あんな場所は他にはねぇ。ひどい思い出ばっかしが思い浮かんで、気が狂いそうになる…
 ホグワーツを追い出された日のこと、親父が死んだ時のこと、ノーバートが行っちまった時のこと…
 しばらくすると自分で自分のことがわからなくなる。ぜんぶ嫌んなってな…
 生きててもしょうがねえ、寝てる間にポックリ逝っちまいてえって、俺は何度思ったか知らん…
 そんで釈放された時にゃ、もういっかいこの世に生まれてきたみてえな気分だった」



シリウス・ブラックもそうだったのだろうか。は頭の片隅で考えた。
だとしたら、どんな情景が彼を襲ったのだろう。

しかしそんな想像はすぐに止めた。
どうせ、あの男のことだ、ハリーのことしか考えなかったに違いない。



「無実だとかそうじゃないとか、そんなことは連中にとっちゃどーでもええ。
 吸魂鬼たちは、やつらが貪り食うだけの囚人が二、三百人も居ればそれでええ。
 俺はバックビークを逃がしてやろうかとも思った。どっか飛んでって、楽しく過ごさしてやりてえ。
 ほんでもな、ハリー…俺は…俺は、怖い。法律を破るのが、俺は怖いんだ」

「ハグリッド……」

「俺は、二度とアズカバンにゃ戻りたくねえ…」



(だからって)と、は思う。
アズカバンがひどいところだからって、自分たち母娘を気にも掛けない理由になんて、なるはずがない。


それから4人はハグリッドの小屋を出て、談話室へ戻った。
かじかむ手足を暖炉で炙りながら、どうすればバックビークの弁護を出来るか話し合った。
結論としては過去に似たような事例が無いかどうか探すのが一番ということになり、
次の日もその次の日も、はハリーたちと一緒に図書館へ行った。

シリウス・ブラックに対する腹立たしさは消えなかったが、
そればかりを考えるわけにはいかない状況になったということはある意味では良かったのかもしれない。



















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