どこからともなく、香ばしい、何かが焼けるいい匂いがした。
おかしい。わたしは車に乗っていたはずなのに。
そう思って目を開けると、なんとわたしはソファに寝転がっていた。


……あれ?


えっと、なんだっけ、クリスマスだから家に帰ってきて、ロンドンに行って。
可愛いドレスや靴を買ってもらって、「これがクリスマスプレゼントよ」ってママが言って、
ああ今年は木星時計よりマトモでよかったって思って、コヴェント・ガーデンでママがカメラマンに捕まりかけて…

って違う、そうじゃなくて!
一体どこからが現実でどこまでが夢の中の出来事なのか思い出せなくなって、わたしは寝転んだまま考えた。
うんうん唸りながら体の向きを変えると、コート用のラックに掛けられたドレスが目に入る。
とりあえずドレスまでは現実だったみたいでちょっと安心。


そういえば帰りの車の中でウトウトしちゃったんだっけ?と思い出しかけたちょうどそのとき、
キッチンから「あ!」というママのちょっと焦ったような声が聞こえてきて、ああこっちは夢だったらいいのになと思った。











  シーン47:スカーレット・ステップ 1











「わ、わざとじゃないんだけどね?ほら、ターキーの詰め物にコニャックを入れると美味しいって聞いたから。
 だからどうせなら美味しいお酒を入れてもらったほうがターキーも喜ぶんじゃないかと思って、ね?」



鉄板の上で惚れ惚れするほど見事に燃え上がるのは七面鳥(だと思われるもの)。



「わかったから!言い訳はわかったから早く火消して!」

「う、うん。いやほんと、わたしがターキーだったらコニャックよりウィスキーの方がいいなあって。
 ちょうど貰ったばっかりのファイアウィスキーがあるんだからちょっと試してみようかなあなんて思っちゃって」



が慌てたように杖を振ると、七面鳥から吹き出していた青白い炎はパッとおさまった。
はぐったりと溜息をつく。どうすればファイアウィスキーで七面鳥が炎上するのか、問いただす気力もない。

七面鳥だったはずのものは所々が炭化し、所々から中に詰めた玉ネギやリンゴが飛び出していた。
匂いだけは普通なのがせめてもの救いだ。もしかしたら食べられるものではあるのかもしれない。

誤魔化すようにへらりと笑う母を横目で睨み、は大きなお皿にそれを乗せ移すことにした。
ナイフとフォークでバランスを取りながら、滴が垂れないように細心の注意を払う。
ここまで小器用になったのはある意味で母のおかげだろう。



「もー、ママはあっち行って、お皿でも出しといて!
 それからわたしクッキー焼くからオーブン使うからね!」

「え、でも、気をつけてね、
 去年レニーが凍ったままのターキーを足の上に落っことして指の骨を折ったの覚えてるでしょ?」

「だってそれ、ヴェルマがレニーにちょっかい出したからなんでしょ?
 じゃあママさえじっとしててくれればわたしだって怪我しないってことじゃないの?」



が怒ったように言うと、は「わかったわよぅ」とふくれっ面で答えながら指示に従う。
付け合わせの料理は出来ているようなので、七面鳥の焦げた部分さえ削ぎ落とせばまともな夕食になるだろう。

レニーというのは言わずもがなの事務所のボスである。
そしてヴェルマはレニーの奥さんで、医者をしている女性だ。
彼女は産婦人科医であると聞いたことがあるが、病院を抜け出してしょっちゅうレニーの事務所に入り浸っている。


盛大に燃え上がった鉄板はあとで母に魔法で洗わせることにして、は流し台にそれを突っ込んだ。
ついでに出しっ放しの小麦粉とバターを手元に引き寄せ、いつでもクッキー作りに取り掛かれるよう量り分ける。

プライマリースクールの時から、が友達に贈るプレゼントはいつも手作りのクッキーだった。
少し手間はかかるけれど、一度に大量に作れるので時間効率が良い。
何よりあまりお金が掛からないのが素晴らしいと思っている。


今でこそ顔の売れてきただが、仕事を始めた当初はそれはそれは貧乏だったのだ。
幼いはその影響から逃れることは出来なかったし、ある意味で一番の被害者だった。
ナーサリースクールの頃、クリスマスに友達がくれた可愛いハンカチは、結局もったいなくて使えなかったほどだ。

そんな家庭事情があろうとも『貰ったからにはお返しをする』のがの教育方針で、
はこれまでプレゼントにはプレゼント、嫌味には嫌味、喧嘩には喧嘩をキッチリとお返ししてきた。
余談だが『倍返しをしてはいけない』というのが加減の難しいところでもある。

そういった経緯により、は『プレゼントにお菓子を作る』という技能を身に付けた。
材料の正確な分量を量ることは面倒くさがりの母には出来ないので、ほぼ独力と言ってもいい。
今では物で返せるほどの経済力にはなったが、それより手作りのお菓子のほうがいいと言ってくれる友達が多かった。
彼女たちは今頃セカンダリースクールに通っているのだろう。みんな元気だろうか?


七面鳥の乗った大きな皿を両手で持ち、はダイニングに向かう。
の指示した通り、グラスやキャンドルをきちんと用意していた。
手元に抱きかかえているファイアウィスキーのボトルさえなければ完璧だった。

通う学校が違っていても、きっと友人たちも家族でディナーを食べている頃だろう。
は七面鳥をテーブルの中央に据えると、満ち足りた気分になった。



「ママ、ウィスキーは食べたあとにしてよ」

「なんで?」

「お酒くさいんだもん」



軽口を言い合いながら、はそれぞれ定位置の椅子に腰掛ける。
ハリーたちも夕食の時間になったころだろうか?
こんな酔っ払いのようなのが『ミステリアスな教授』の本性だと知ったら驚くだろうか?
シリウス・ブラックは母のお酒好きなところには何も思わなかったのだろうか?



はハッと手を止めた。



(な、なんでわたし、あんな人のこと考えてるんだろ。
 アンタなんかもう知らない!って言ったのに、すごいムカついたはずなのに、)



気付けば今日一日、無意識のうちにシリウス・ブラックのことを考えていたように思う。
いつもいつも、完全にの意識の外に放り出される直前に、彼はふと浮かび上がってくる。
忘れちゃ困るとでも言いたいのだろうか。忘れないでくれというメッセージなのだろうか。



?どうかした?」

「あ……ん、なんでもない」



少し心配したようなの視線を避けるように、顔を背けては答えた。
胸の奥にひっかかるような感覚を覚えながら、止まっていた手を再び動かす。
切り分けた七面鳥を頬張ると、ほのかにウィスキーの香りがした。

あの犬は今夜も一人ぼっちなのだろうか。















その夜は結局シリウス・ブラックのことは頭から追い出し、母とふたりのクリスマスイブを楽しんだ。

ディナーを片付けたあとは小麦粉を練って焼き、きれいにラッピングする。
その間にが呼び寄せていた郵便フクロウにそれらを持たせ、
ついでに一枚咥えさせてやれば、フクロウは嬉々として飛び立った。



は手元の時計を引き寄せた。
カーテンの隙間から冬の朝日が差し込んでいて、部屋はほのかに金色に見える。
時計の針は9時半あたりを指していて、自分の体内時計とそう大差ないことを確認した。

ホグワーツのベッドよりも硬くて、長く留守にしていたせいで少し埃っぽい布団。
大きく伸びをして、はひやりとした床に降り立った。



「……わあ…」



勉強机の上に山のように積まれたプレゼントの箱に、は息を呑む。

昨夜まではなかったはずなのに、夜中に誰かが入ってきた気配もなかったはずなのに、
色とりどりに包装された箱や袋がの目の前に置かれていた。
マグル式だった去年までは、宛のプレゼントはこっそりクリスマス前までに郵送されていた。
それを、朝起きて、がリビングにセットしたツリーの前に置いておくのが習慣だった。

魔法式のクリスマスは、まさに魔法だった。


はひとつひとつ手に取り、丁寧にラッピングを剥がしていく。

最初の包みはハリーからで、レンガ色のグローブだった。
グリフィンドールのクィディッチユニフォームと同じ色のそれは、
マネージャーであるが落ちてきたクァッフルを拾う際に、革で手を傷めるのを防いでくれるらしい。
クィディッチ繋がりで、ロンからはチャドリーキャノンズとかいうチームのグッズだった。

女の子たち、つまりハーマイオニーとジニーからは、魔法界での化粧品が贈られてきていた。
といってもが言っていたようなイモリの粉などではなく、
不器用さんでも綺麗に出来る魔法のネイルアートセットであったり、
使うたびにランダムな発色をするリップクリームであって、あくまでもおもちゃのようなものだ。

ちなみにフレッドとジョージからの包みは異常なまでに厳重に包装されていた。
入っていたのはガラスの小瓶と、『教授のようにグラマーになりますように』と書かれたカード。
瓶のラベルに「これであなたもEカップ!」とあるのは見なかったことにした。
気のせいだ。うん、きっと気のせいだ。ちょっと興味ある、なんてことはない。ないったら、ない!


意外だったのはセドリックからもプレゼントが贈られてきていたことだろう。
オフホワイトのハンカチはチロリアンテープで飾られていて、マグルの世界のトレンドにもぴったりだ。

クッキーはまだまだ大量にある。あとでもう一度フクロウを借りよう。
はそう思いながら、最後の箱に手を掛けた。

それは持った感じでは軽いのに、重厚な印象を受ける包装を施されている。
誰からだろう?と首をかしげながらはリボンをするするとほどいていった。
現れるのは、エナメルでも塗ったかのような光沢のある黒い箱。
高級だと一目でわかるその威圧感に、は少したじろいだ。

しかし箱をリサイクルしただけで中身は別物という場合もある。
どうかそうでありますようにと願いながら、は蓋に指をひっかけ、そっと持ち上げた。


途端に目に入る、真っ赤な靴。



「………きれい…」



緩衝材である薄い乳白色の紙がクシャクシャになりながら、赤い靴を守っている。
靴は包まれていた箱と同じかそれ以上にぴかぴかと照っている。
踵もそれなりに高い。まるでマダム・ロスメルタのハイヒールのようだ。


いったい誰がこんなものを贈ってきたのか。フクロウの配送間違いなんじゃないか。
は靴に見惚れながら包装紙をもういちど漁り、差出人の手がかりを探した。

しかしプレゼントの山をひっくり返すように探してもそんなものは無い。
まさかマルフォイ家からの当てこすりではないだろうか、そんな気がして、少し憂鬱になる。
仕方がないのでそのパンプスを手に取ると、緩衝材に似た色の紙片がひらりと落ちた。





“12年の溝と その面影を 飛び越えて贈る”



















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イギリスには実際にターキーで足の指を折ったひとが居るらしいですよ。