ドラコ・マルフォイがわたしの腕を掴んで、ぐんぐん歩いていく。
抵抗しようと思えば出来ただろうけど、わたしにそんな元気はなかった。


どうしてクラウチさんは、あんな言い方をしたんだろう?
まるでママが死んでしまったというニュースか噂でも流れていたみたいに。
ママがもう12年前に死んでいるはずの人みたいに。


12年。
そのころママはわたしを産んで、そのころママはレニーの事務所と契約した。











  シーン50:スカーレット・ステップ 4











「――おい、聞いてるのか?」

「……あ…なに?ごめん、ぜんぜん聞いてない」



ドラコはパッとの手を放し、体の向きを反転させた。
俯きながら歩き、されるがままだったは彼と衝突しそうになる。



「……お前、もしかして知らなかったのか?自分の母親のこと」



呆れたようにドラコが言う。はぷいと顔を背けることで応えた。

とドラコは、玄関ホールから屋敷の東へ伸びる廊下の途中にいる。
サロンの喧騒は、距離に阻まれほとんど聞こえてこない。



と言えば、純血の魔法使いの間でちょっとした有名人だぞ。
 お前、本当の本当に何も知らないのか?」

「……どーせ、これだからマグル育ちは、って言いたいんでしょ?」



卑屈っぽくが言い返すと、ドラコは鼻で笑った。
むかっとする気持ちを抑え、は自分の思考に戻る。


12年前。

は大切な友人を亡くしたせいで自暴自棄になっていたと、本人から聞いたことがある。
そして仕事の詰込みすぎだか何だかの理由で、その3ヵ月後くらいに、倒れて入院したという。
の存在に気付いたのはその時で、その時はそれまでの自分を全て捨て去ったらしい。

ホグワーツに入学し、その話についてはいくつかの新事実が発覚した。
たとえばその亡くなった友人というのがハリーの両親だったり、
当時のの仕事が闇払いという魔法省での仕事だということだったり。
それからついでに付け加えるなら、逃亡犯であるシリウス・ブラックとの裏事情も。

ここで、防衛術の教科書のコラムの欄と、セドリックの話を思い出す。
『フェンズの大嵐』が起きたのは、シリウス・ブラックの事件の3ヵ月後。
死喰い人と戦ったのは、噂では、女性の闇払いだということ。
そして先程のクラウチの、を死人扱いしているような発言。


どうして気付かなかったのだろう、あれほどまでに興味を持った『デイム・グランドクロス』はすぐ近くに居たのだ。
12年前の嵐の晩にこっそりと魔法界を去ったのは、だったのだ。



「…だってほんとに、知らなかったの…ママが闇払いだったって、ちらっと聞いたことはあるけど…
 でもそんな、死んじゃうかもしれないくらい危ないことしてたなんて、ぜんぜん知らなかった…」



どうして教えてくれなかったのだろう?そう思うと、目尻に涙が浮かんできた。
ドラコが少し慌てたのにも気付かず、はそのままネガティブに考えを進める。

そんなにのことが信用ならなかったのだろうか?
理解できるはずもない、と、本当は子供扱いされていたのだろうか?
どんな事情があろうと、にとっての家族はたったひとりしか居ないのに。



「…わたし、アンタんち嫌いだけど、ちょっと羨ましいのかも。
 パパが居て、ママが居て、いろんなこと教えてくれて…いろんなこと、話せて」



いいなあ、とが呟くと、ドラコは少し表情を暗くした。



「……別に。良いことばかりじゃないさ。お前みたいなのにはわからないだろうけど。
 僕には家を受け継ぐ義務がある。だから父上は今から色々と教えて下さるんだ」

「まーね、そこはわたしにはわかんないわ。
 だってウチは普通の家だし…親戚も居るのかどうか知らないし」



が呆れ半分の笑いを浮かべながら言うと、ドラコは「ふん!」と言って再び廊下を進み始めた。
「どこ行くの?」とは訊ねたのだが、返事はなかった。

まったくこのお坊ちゃまはどうしてこう自分勝手に動き回るのだろう?
たちはマルフォイ氏に追い出された手前、サロンに戻るわけには行かないのだ。
つまり廊下で待ちぼうけを喰らうか、自己中ドラコにくっ付いていくしかない。



「ねー、どこ行くの?」

「うるさいな。黙ってついて来い」



は慣れない靴でドラコの後をついていく。
かつんかつんというヒールの音と、コツコツという革靴の音が交互に鳴り響く。

廊下を更に東へ進むと、曲がり角になっていた。
そこを曲がると、それまでの内装とは違う一角に出る。どうやらサンルームのような場所らしい。
あいにく日が落ちてしまったので暗いのだが、日中はさぞかし明るい場所になるだろう。



「ここ、なに?」

「温室だ。父上がお前を案内しろと言っていたから、特別に見せてやる」



どうだすごいだろう、と言わんばかりに、彼は胸を張る。
しかし真っ暗なので何も見えず、とりあえず「はあ」とは気の抜けた返事をした。

それが気に入らなかったのだろうか、ドラコはまたの腕を掴んで引っ張り歩く。
「痛いんだけど!」と文句を言おうかと思ったが、温室に入った途端に灯りがパッと点き、言葉は引っ込んだ。

温室の中はほどよい温度になっていて、見たことも無い植物が丁寧に配置されていた。
毒々しいほどオレンジ色の花や、人が隠れられそうなほど大きな葉っぱをもつもの。



「……さすが、おかねもちってかんじ…」



は立ち止まり、ひとつひとつそれを眺めていく。
どの鉢植えもきっと、目玉が飛び出そうになるほど高級だったりするに違いない。
ドラコはそんなの庶民的な感想は聞き流すことにしたらしく、掴んでいた腕を放した。

極彩色の鉢植えが密集するゾーンで、はひっそりとした淡い紅色の花を見つけた。
どことなく、オミナエシに似ている。



「カノコソウがそんなに珍しいのか?」

「…カノコソウ、っていうの?」



ドラコはまたしてもバカにしたようにを見る。
そんなことも知らないのか、と、視線だけで言われた気がした。



「魔法薬を作る材料にするんだ。そんなに高価なものじゃない。
 どうせ庭師の趣味で置いてあるんだろう。僕なら問屋で買うからな」

「あっそ。わたしは自分で育てたやつのほうが安心して使えると思うけど?」



は腰を屈め、指先でちょんちょんとカノコソウをつついてみた。
触った感じは軽いが、しっとりした柔らかさがある。

そうやって楽しんでいるの邪魔をしたのはドラコだった。
というよりも、以外の人間は彼しかいない。
ドラコは、がまだ触ろうとしているというのに、その鉢を取り上げた。
そして大して興味が無さそうに角度を変えて鉢を眺める。



「……持って行け。気に入ったんだろう?」

「は?」

「僕の家に、こんな貧乏くさい鉢は要らないからな」



そう言うや否や、の手元に鉢植えを押し付ける。
抱きかかえるように受け止めると、淵についていた泥が少し零れ落ちた。

――これは、本気で要らないと言っているのだろうか?
それともに気を遣ってくれたのだろうか?



「あり、がと……」

「別に!だから、僕はそれが欲しかったら問屋で買うって言ってるんだ」



言い切ると、ドラコはどすどすと出口に向かって歩いていく。
その横顔が少し照れていたように見えて、見間違いかもしれないのだが、は少しおかしかった。

なんなんだ、魔法界というのは、意外と良い人ばかりなんだろうか。
スネイプしかり、この少年しかり。(そして共通点はスリザリンだということもある意味愉快だ)



「じゃあ、お返しするわ。ちょっと待って…」



はパーティバッグの口を開け、四次元ポケットのような内部に手を入れた。
さぐる。さぐる。目当てのものは、昨日焼いたクッキーだ。



「別に僕はそんなもの――」

「いいから!うちの教育理念なの、『貰ったらキチンと返す』。
 物も、嫌味も、喧嘩もね。だから、ハイ!」



ようやく探し出し、は一寸前のドラコのようにクッキーを押し付ける。
ラッピングのリボンがよれていたが、まあいいだろう。

彼は訝るようにそれを眺めつつ、再び足を進める。
は鉢を抱えながらドラコのあとに続いた。土が零れては困るのでバッグには入れられない。

そろそろサロンに戻ってもいい頃だろうか。
大人の話は、終わっただろうか。



















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ツンデレ要員ドラコ。