「ハーマイオニー、起きてる?入っていい?」

?いつ帰って―――まあ、」



トントンと軽くドアをノックすると、ハーマイオニーが顔を出した。
目が少し赤いのは、きっと気のせいじゃないと思う。

わたしはドレスの裾をつまんで、さっきみたいにちょっと持ち上げる。



「…ごめんね、着替えもせずに来ちゃった」

「いいのよ、よく似合ってるわ」

「ありがと」



わたしはハーマイオニーの部屋に入る。











  シーン52:木星と犬 4











「ファイアボルトのことでしょう?」

「……ん、まあ…」



先に口火を切ったのはハーマイオニーだった。
と並んで柔らかいベッドの上に座り、彼女は小さな声で言う。



「私はただ、ハリーが心配だっただけなのに…なのに、私が悪いの?心配することは悪いことなの?
 危険なまま箒に乗って怪我をするより、時間はかかっても安全を確認してからのほうがずっといいじゃない…」

「うん、そこはわたしもそう思う」

「なのにロンは私が、意地悪でそういうことしたみたいに…
 おまけに先生は信用できないなんて、失礼すぎるわ」



は少し意外に思った。
ハーマイオニーなら、ロンと同じように考えるかもしれないと思ったのだ。
論理的に考えるなら、の立場はたしかに信用ならないと言われても仕方がない。



「…先生は、シリウス・ブラックと恋人だったのに?」

「私は…私が先生だったら、シリウス・ブラックを説得したいと思うわ。
 一度は愛した相手だもの、きっと、思いとどまってほしいと願ってしまう。
 だからこそ彼が仕掛けてくる罠から、私たちを守ってくれるはずよ。
 ……ロンには女心がわからないから、あんなことが言えるんだわ」

「………そっか…そういう考え方も出来るよね」



は膝を抱えて、こっそり溜息をついた。
ハーマイオニーはどこまで知っているんだろう?
博識な彼女だから、が『大嵐』の生き残りだということも知っているのかもしれない。



はどう思うの?」

「んー………先生は、優しいひとだよ」



「優しい?」とハーマイオニーは首を傾げる。
は顎の先を膝に乗せたまま、首を傾げて彼女を見上げた。



「優しいよ。それで、すごく強いの。
 ……だからきっとファイアボルトもちゃんとした状態で戻ってくるし、
 そしたらハーマイオニーも、ハリーたちと仲直りできるよ」

「そうだったらいいけど…」

「大丈夫だって!それに…勘だけど。箒には呪いもかかってないと思うな」



ハーマイオニーはますます不思議そうにを見る。
彼女がそこまで困った顔をするのが珍しくて、はくすくすと笑った。



「なんだか肩凝ってきたから、もう戻るね。
 目、ちゃんと冷やして寝ないとダメだよ?じゃあ、おやすみ、ハーマイオニー」

「ええ、おやすみなさい、



はハーマイオニーのベッドから飛び降りて、荷物を抱えなおした。
ドレスというのは華やかで可愛いけど、意外と神経をすり減らすのだ。


自分の部屋に戻ったは、カノコソウの鉢を窓辺に置いた。
大丈夫、魔法界はいい人ばっかりだから、きっと全部うまく行く。

髪の毛からピンを引き抜いて、指で梳かす。毛先がすこし絡まってしまった。
はパーティバッグに突っ込んだあの赤い靴を思い出す。
あの人は、ハリーにも同じようにクリスマスプレゼントを贈っていた。
どうしてにもくれたのだろう。それもこんなに高級そうなものを。
あの人が一番大事にしているのは、ハリーだったはずなのに。















翌朝、は森にいた。


早起きしてひとりで朝食を摂り、そのついでにバスケットに色々と詰め込んだ。
家の家訓は、『貰ったらお返しをする』。ひとりで悶々と考えていては、答えは出そうにない。

はざくりと足元の雪を踏みしめた。
森の奥へ行くにつれて、きっともっと寒くなっているのだろう。
あの犬は毛皮一枚で大丈夫だろうかと今になって思ったが、防寒になるものはあいにく持ってきていない。
がいま首に巻いているマフラーはお気に入りなので、ほらよとあげてしまうわけにはいかないのだ。

の数歩先には、オレンジ色の毛玉が雪の絨毯の上を歩いている。
談話室から男子寮を見上げて鋭い目つきで唸っていたクルックシャンクスを、道案内のために連れて来たのだった。
今さら子猫の姿になったところで意味がないので、今回もはヒトの姿のままだ。


20分もそうして歩いただるか。
やがて視界が開け、木々に囲まれた草むらのような場所に出た。

その大樹の中の1本の根元に、もじゃっとした黒い影。



「シリウス・ブラック!」



犬はびくりと震え、慌ててのほうを振り返った。
彼はと目が合うと一瞬固まり、ぱちりと瞬きをした次の瞬間には人間の姿になっていた。



「ど、どうして此処に…」

「ファイアボルト、あんたでしょ?」



シリウス・ブラックの問い掛けは完全に無視して、は言う。
彼は何のことかわからなかったように間抜けな顔をしている。



「だから、ハリーにファイアボルトをプレゼントしたのはあんたでしょ、って聞いてるの!」

「あ、ああ、そのことか…そうだ、ファイアボルトの送り主はわたしだ。
 それで……どうだった?ハリーは喜んでいたか?」

「………没収されてた」



控えめにこちらを窺うブラックに、つっけんどんに言い放つ。
彼は鳩が豆鉄砲でも食らったかのような顔で、「没収?」と呟いた。



「送り主もわかんない高級な箒が届いたなら当然の結果でしょ!
 みんな、ハリーの命を狙ってる危ないおじさんがいるって思ってるんだし」

「いや、まあ…そうだな。そうか、予想はしていたが…」



彼は悲しそうに俯いた。
自分の誠意が届かなかったことか、おじさんと言われたことか、どちらのショックが大きいのかはわからない。

雪を払い、は前回のように木の根に腰掛けた。



「……わたしに靴をくれたのも、あなた?」



バスケットを膝において、はブラックを見ずに聞いた。
彼は項垂れていた顔を上げ、を見る。



「もちろん、そうだ。女の子だから何が嬉しいかいまいちピンと来なくてな…
 あ、それともアレも没収されたのか?」

「されてない。誰にも見せてないもん」

「そうか…ならよかった」



彼は心底安心したようにほっと息をついた。
はお腹のほうからジリジリと湧き上がってくる何かを感じた。

どうしてそんなに嬉しそうなんだろう?
どうして、わたしはハリーじゃないのに。



「……なんであんなもの、送ってきたの…?」



だって、ハリーのほうが大事なんでしょ?
大事なハリーへのプレゼントは没収されちゃって、わたしのだけ残ってて、
逆ならよかったのにとか、そう思ってるんじゃないの?

がそんなことを考えていると、シリウス・ブラックは困ったように笑った。



「気に入らなかったか?アレはすごいぞ、童話の“赤い靴”を知っているか?
 あの靴のように、プロ並にダンスが出来る靴なんだ。もちろん、停まりたい時にきちんと停まれる。
 ……の娘なら、一筋縄じゃいかない物の方が喜ぶかと思ったんだが…」

「そうじゃなくて!」



は立ち上がり、彼をしっかりと見据える。



「どうしてわたしなんかに、あんなに高そうなものくれたの?
 だってわたしのことなんて、ハリーに比べたらどうだっていいんでしょ?
 それなのにあんなっ…受け取れるわけないよ!」

…」

「“もう知らない”とか、“勝手にすれば”とか、わたしひどいこと言ったのに、
 どうしてそういうことするの?あなたは…わたしのこと、嫌い、なんでしょ!?」



の剣幕に圧され、シリウス・ブラックは驚いたように口をぽかんと開けていた。
骸骨のように頬骨が浮き上がり、半端に伸びた無精髭がそこから生えている。

しばしの沈黙。
やがて彼は微かに口角を持ち上げ、ふっと笑った。



「………嫌いなわけないだろう?」



そしての方へ歩み寄ると、腕を伸ばした。
ぽん、と、骨っぽい手がの頭のてっぺんに乗る。



「わたしはを愛していたし、……その気持ちは今でも変わっていない。
 きみの父親が本当はわたしではないとしても、きみがの娘である限り、きみはわたしの娘だ」



そのまま、ぐしゃぐしゃと髪をかきまわされる。
は俯いて、唇を噛み締めた。

泣いちゃ、ダメだ。と、必死に自分に言い聞かせる。
だって別に、そんな言葉、嬉しくなんかないし、この人はハリーのことばっかで…
うちのことなんて、わたしのことなんて、そんな、ぜんぜん、



「………ばか、じゃ、ないのっ……」

「そうだな、わたしは大馬鹿者だ。
 しかし、酷いことを言ったのはわたしも同じだろう?」



子供扱いするな!と言ってやりたかった。
だけど、言葉にならなかった。大きな手は、暖かかった。



「きみやがどんな風に生きてきたのかも知らないで、勝手なことを言った。
 要するに嫉妬したわけだな、こんな歳にまでなって。…情けない大人だろう?
 わたしの方こそ、きみに嫌われたと思った。なにせ泣かせてしまったのだから」

「泣いて、ない!」

「ああそうだな、じゃあわたしの見間違いだ。
 ……、今さら言ったところで信じてもらえないかもしれないが、言わせてくれ。
 たしかにわたしはハリーのことが大切で、目に入れても痛くないほどだと思う。
 それでも、わたしはのことがそれと同じくらい大切で、同じくらい可愛くて仕方がないんだよ」



ぼろりと、大きな滴が零れる。
は手の甲で目元をごしごしと擦った。

泣いてない、泣いてないってば!



「……泣くほど迷惑だったか?」

「ち、ちが…ないてないってば…!」

「そうか?じゃあ寮に戻ってどう言い訳するんだ?」



シリウス・ブラックはの肩に軽く手をかけ、さっきまで座っていた木の根に再び座らせた。
彼自身は地面に腰を下ろし、どっかりと胡坐をかいての顔を覗き込む。

寒さと摩擦で赤くなっているの目尻を、細い指が撫でた。



「し、知らないおじさんにイタズラされたって言ってやる…!」

「―――まったく、にそっくりだな。意地っ張りで、すなおじゃない」



シリウス・ブラックはぷっと小さく噴き出して笑う。
なんて失礼な、と思ったが、はそれを無視することにした。



「……ねえ、ママのこと、聞かせてくれる?
 どんな話をしたとか、……どんな仕事をしてた、とか…」

「ああもちろんさ。
 わたしも、きみに話したいことがたくさんある」



彼はそう答えながらも、まだ笑っている。
その様子があまりにも嬉しそうだったので、もつられて少し笑った。



















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なかなおり。