それからシリウスは、わたしが持ってきたパンを食べながらゆっくりと喋りだした。
ママとの出会いとか、付き合うまでのドタバタ劇とか、そういうことを。
びっくりしたのはシリウスがわたしのお祖父ちゃんやお祖母ちゃんについて知っていることだった。
ふたりとも、今はモルディブ共和国にいるらしいという話だった。
なんでまたインド洋で隠居しているのかはわかんないけど、会ってみたいなと思った。
シリウスの話に出てくるママはわたしが想像してた若い頃のママと同じで、
つまり今のママともあんまり変わりがない。
シリウスが昔はモテモテだったという話にわたしが大げさに驚くと、シリウスは悔しそうな顔をした。
そういえばマクゴナガル先生が来た日、ママのアルバムでカッコいい男の人を見たような…?
まさかあれがシリウスだったのかなと予想は出来たけど、今の姿からはちっとも結びつかない。
だって、あれは詐欺でしょ、うん。アルバムのことは内緒にしておくことにした。
昔話は段々と現在に近付いて、大嵐の日を迎える。
「あのね、これから喋ること、本当のことかどうかは解んないから、そのつもりで聞いて欲しいの」
シリウスはママが今でも闇払いだと思っていたらしい。
だからつまり、彼はママがわたしに気付いた経緯を知らないということになる。
ほんとうはわたしが聞き役になりたかったのだけど、しょうがない。
たくさんママの話を聞かせてもらったから、今度はわたしが教えてあげる番。
「ママがマグルになった、そのときに起こった事件のことと…
―――それから、うちにパパがいない理由」
シリウスは少し表情を固くして、しっかりと頷いた。
シーン53:節目、けじめ
「――そんなことになっていたのか…」
フェンズの大嵐と称される事件の一般的なあらましと、これまでの事実から判断できる、の結論。
レニーに拾われ、ヴェルマに説教され、が魔法界を捨てるに至った経緯。
それからが物心ついた頃には聞かされていた、パパ候補がたくさん居るという話も含めて。
の話を聞き終えたシリウス・ブラックは、ひどく動揺していた。
眉根を寄せ、渋面を作る。もしかしたらを軽蔑してしまったのではないだろうか。
は不安になって、言わないほうがよかったかもしれないと後悔した。
彼はそんなの様子に気付くと、ふっとぎこちなく笑った。
「そんなに心配そうな顔をしないでくれ。
たとえ何があったとしても、きみやに対するわたしの気持ちは変わらない」
「…ママのこと、軽蔑したりしない?」
「むしろ惚れ直したくらいだ」
軽く言い、シリウスはおどけるように肩をすくめた。
何を言っているんだこのおじさんは。も呆れてちょっと笑った。
「きみはに隠し事をされていたのがショックだったんだろう?
良いことも悪いことも全て分かち合っていると思っていたのに、突然それが違っていたと気付いて」
「……うん。わたしね、ママがわたしを子供扱いしないところがすごく好きだった。
パパの事とか、普通ならもっと誤魔化したりするはずでしょ?なのに全部教えてくれた。
わたしのこと信じてくれてるんだって、今までそう思ってた。でも…わたしの勘違いだったのかなあ…」
「そんな事はないさ」
の頭を撫でながら、シリウスが言う。
彼のほうはどうやらを子供扱いしたくてたまらないらしい。
「がそのことを言わなかったのは、きっとその時の自分を思い出したくないからだろう。
父親のことはきみに直接関係する話だから、には話す義務があった。
しかしその事件はが自分の内でも封印してしまいたい出来事だったのだと、わたしは思う」
「……そうなのかな…」
「あいつはそういう性格だった。律儀で、真面目なんだが、融通がきかないわけじゃない。
どちらかといえば大抵のことは笑って流してくれるタイプだろう?
ただし、自分にとって譲れないことに対しては呆れるほどに頑固だ」
「あー、そんな感じかも…!」
「結局、の中での線引きがキッチリしすぎているんじゃないか?
自分の過去との未来を混同してはいけないと言い聞かせたんだろうさ。
まったく、あいつがこんなに親バカになろうとは思いもしなかった」
彼はが持って来ていたクロワッサンの最後のひとつをつまみ上げ、口に運ぶ。
それを見届けると、は帰り支度を始めた。
聞きたいことはもう聞いたし、食べさせるべきものは全て胃の中だ。
「……もう戻るのか?」
「うん。だってもうお昼になっちゃうし、お腹すいたし。
それにスキャバーズも見張らなきゃだしね。……また来てもいい?」
シリウスは困ったように顎を摩る。
「………気持ちは嬉しいんだがな。
12歳にもならない女の子を、バカな大人の都合で危険な目に遭わせるわけにはいかない。
ネズミのことも忘れていい。は学校生活を楽しんでいれば、それでいいんだ」
は驚いて手を止めた。
食べるものにも困っているのだから、断られるはずがないと思っていたのだ。
なにか反論しようと思ったのだが、彼の言うことは正論だった。
どれだけからの信用があろうとも、は実際には12歳にもならない子供なのだ。
「……食べるものだけは、クルックシャンクスにお願いするから」
「ああ、それで十分だ」
はテキパキと手を動かし、「森の入り口まで送ろう」という申し出を丁重に断った。
クルックシャンクスの背を撫でて、城に帰ろうと促す。
せっかく誤解がとけて、少しは仲良くやっていけるかと思ったのに。
は「それじゃあ」と言って足早にシリウス・ブラックの隠れ家を去った。
せっかくこれから、もっとたくさん話が出来ると思ったのに。
(………わたし、さみしいのかな……)
オレンジ色の毛の塊が、ずんずんと雪の上を進んでいく。
もう来るなと言われてしまったことに、自分は寂しさを感じているのだろうか?
なんだかそれでは、自分がシリウスに会いたくてたまらないみたいじゃないか。
(……べっつに、犬の一匹や二匹いないからって寂しくなんかないもんね!)
力いっぱい足を踏み出し、白い絨毯に足型のスタンプを押す。
舞い上がった雪を被ったクルックシャンクスが、迷惑そうにを見た。
*
昼食時、大広間に現れたを見て、ハリーは胃が跳ねるような気分だった。
頭の上にうっすらと雪が乗っているので、今まで外に居たのだろうと予想がつく。
ここにハーマイオニーが居ないことを、はどう思うのだろう?
もハーマイオニーのように、箒をバラバラにするべきだと言うのだろうか?
たしかに彼女は善意から行ったことなのかもしれないが、一言自分に相談が欲しかった。
箒はハーマイオニーにではなく、ハリーに送られてきたものだったのだから。
「……あのさ、。どこに行っていたんだい?」
「フクロウ小屋よ。手紙を出してきたの」
意を決して話しかけると、あっさりと答が返ってきた。
昨日、大きな声で怒ったことなんてすっかり忘れてしまったように見える。
ハリーは安心して、ホッと息をついた。
きっと昨夜は疲れていて機嫌が悪かったんだろう。
「パーティはどうだった?」
「なんかねー、うん…料理が美味しかったよ」
「なんだいそれ」
ハリーは呆れたように言って、スープを口に運んだ。
彼にパーティ経験はないが、もうちょっと別の感想を持ってもよさそうなものだと思う。
料理が美味しい程度ならホグワーツに残っていたってよかったのに。
は黙々とパンを齧っていて、ハリーのそんな表情には気付かない。
「食べ終わったら僕とハリーでチェスをする予定なんだ。
も一緒にするだろ?僕がきたえてやるよ!」
「いいけど……図書館は行かないの?」
ロンが言うと、は驚いたように首を傾げた。
いま図書館はハーマイオニーの避難場所になっている。
つまりは、ハーマイオニーに謝れと言いたいのだろうか?
「ヘー、それじゃなんだい?君はあいつの肩を持つってことか?」
「そうじゃなくて―――」
「君さあ、先生のことと言い、自分の意見は無いのかい?」
言い過ぎだ。ハリーは手に持っていたスプーンででもロンの口を塞ごうとしたが、遅かった。
は冷ややかな視線でロンを睨み、椅子から立ち上がる。
「忘れてる振りなのか本当に忘れてるのかどっちか知らないけど…
あとで後悔したって、知らないからね」
カゴからパンをがしっと掴むと、はそれを食べながら大広間を出て行った。
最後の言葉は意味深すぎて、ハリーは自分が何を忘れているのか解らなかった。
結局バックビークについてのこのの発言が実際のこととなり、
ハリーとロンが激しく後悔するのは、まだまだ先のこと。
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