マネージャーやって、体力も多少はついたと思ってたのにな。
「ま、まって、クルックシャンクス、まってー…!」
一生懸命に走っても、わたしの足じゃ猫には追いつけないのだった。
ぜぇぜぇと肩で大きく息をする。気付けばハグリッドの小屋まで来ていた。
玄関からの距離を考えれば、けっこう頑張ったと思う。(後で褒めてよねシリウス!)
でも、うん、見失ったけどね…!(だって冬は日没が早いんだもん!)
シーン56:リトル・ミス? 3
はガックリと肩を落とした。
今回こそロンの妨害もなく仕留められる(と言ってはまずいのだが)と思ったのに。
自分がマフラーも手袋もなしで突っ立っていることに気付き、はぶるりと体を震わせた。
いまは走ったせいで暑いくらいだけれども、そのうち汗が冷えて凍ってしまうかもしれない。
あつらえたようにハグリッドの小屋があるので、は少し迷ってノックをすることにした。
「ハグリッド、こんばんは!」
「ほいほい、なんだ、じゃねぇか。
そんな薄い格好で何しちょる?ホレ、入れ、入れ」
ハグリッドの巨体に押されながらも、は暖かい小屋の中に入った。
相変わらず隅で丸まっているバックビークと目が合い、
は先日のパーティで身につけた貴族風のお辞儀を披露する。
バックビークは興味が無さそうにぷいとそっぽを向いてしまった。
ハグリッドがガチャガチャ音を立てながらお茶の準備をしている。
「ほんで、どうした?ハリーに何かあったんか?」
「ううん、そうじゃなくて。
近くまで来たからバックビークの様子を見に来たのよ」
ハグリッドは嬉しそうに「そうかそうか」と言う。
ペットに関しては誰しもがそうであるように、自慢したくて堪らないのだ。
は紅茶を飲みながら、バックビーク自慢を黙って聞いた。
ロックケーキを勧められたが、文字通り岩のように固かった。
ありがとうと言って、は残りはバスケットにそっと仕込むことにした。
犬の鋭い歯ならあるいは噛み砕けるかもしれない、うんべつに嫌がらせとかじゃないしね!
「――そんで俺がビーキーの羽をちょいちょいっと撫でてやったわけだな、
そしたらそいつめビビッちまって……おい、その腕はどうした?」
「あ、え?これ?」
はドラコに掴まれた方の腕を掲げて見せた。
どうりでじんわりと熱いと思ったら、うっすらと赤く痕が残っている。
「なんでもないの。ちょっとマルフォイと揉めちゃって…」
「なに、マルフォイだと!」
ハグリッドはワナワナと震えてカップ代わりのバケツを握り締めた。
めきり、と音がしたのは気のせいではないだろう。
「やつめ!自分の怪我は大袈裟にしちょったくせに、
自分より年下の女の子に怪我ァさせやがって、ひでぇ野郎だ!」
「ちが、ちがうの。いや、ちがくもないけど…
でもわたしが先に挑発した結果だからしょうがないっていうか、ね!落ち着いて!」
「マルフォイのガキを挑発するたぁ、なんでまたそんなことした?
一歩間違えばホグワーツに居られンなくなっちまうとこだったぞ!」
「そ、そのへんは大丈夫だから…たぶん」
とりあえず『マルフォイ家より格上』の『シリウス・ブラックの娘』だと思われている限りは心配ないだろう。
あの犬も妙なところで役に立つものだとはこっそり感心した。
「それよりハグリッド、こっちに猫とネズミが来なかった?」
「猫とネズミなんぞ、そのへんにウジャウジャ居るだろう?」
ハグリッドはさも当たり前のように言う。
確かに森の生物の世話などをしていれば猫やネズミを見るのも日常茶飯事かもしれないが、
それらがウジャウジャ居るというのも何だか気持ちの悪い光景だ。
「そうじゃなくて、ハーマイオニーのクルックシャンクスなんだけど…」
「おお、あの猫ならよく見るぞ。森が好きみてぇだな。
大方また森にでも行っちょるんじゃねぇか?」
「そっかな…じゃあもうちょっと探してみるね。
ごちそうさま、ハグリッド。森には入らないから安心して」
ハグリッドは自分のコートを着て帰るように言ったが、はそれを丁重にお断りした。
ハグリッドのコートなんて着たら、コートお化けのようになってしまうのが容易に想像できる。
その代わりにやたらと長いマフラーを借りて、喉に何重にも撒きつけることにした。
ハグリッドの小屋の扉を開けると、そこにはクルックシャンクスがお座りをして待っていた。
バッと室内に飛び込もうとするクルックシャンクスを、は慌てて膝で押し留める。
「どこ行ってたのクルックシャンクス、スキャバーズは?」
クルックシャンクスは悔しそうな声で「にゃぁ」と鳴いた。
『時計』がないので何と言っているのかは解らないが、芳しい結果ではなさそうだ。
はバスケットに新聞を折り畳んで入れると、クルックシャンクスに差し出す。
「じゃあとりあえず、あのおじさんにコレ届けてくれる?
あとでわたしもスキャバーズ探すから。ね?」
う、にゃあ。う。
の膝に体をこすり付けてから、クルックシャンクスは返事をする。
はバスケットの持ち手を噛ませて立ち上がり、クルックシャンクスを見送った。
するとやはり、あれはスキャバーズだったのか。
きっと談話室ではロンが騒いでいるんだろうなと思いながら、は城へ戻った。
*
実際は、騒ぎが収拾した後のようだった。
そんなに長い時間ハグリッドとお茶をしていた覚えは無いのに、
談話室はまるで葬式が終わった直後のようだ。
「えっ…何かあったの?」
「おぅ、どこ行ってたんだ?
せっかくファイアボルト様のお帰りだってのに」
ジョージ(と思われる方)に話しかけると、力のない答が返ってきた。
は一瞬喜びそうになったが、すぐに思いとどまった。
ファイアボルトが戻ってきたのにこんなに静かなら、もっと悪いことがあったに違いない。
「それで終わりじゃないんでしょ?」
「まあな…どうもな、スキャバーズがついに食われちまったみたいだ」
はぁ?とは思わず声をあげた。
何人かの視線がバッと集まり、慌ててそっぽ向いてやり過ごす。
ジョージはニヤニヤ笑ってに「よくやった」と親指を立ててジェスチャーした。
同じジェスチャーを返しながら、は考えた。
どうしてスキャバーズが『逃げた』のではなく『食べられた』ことになっているのだろう?
だって2匹は、あんなに元気よく走り回っていたじゃないか。
「わたし、スキャバーズっぽいネズミ、見たよ?」
「は?それマジ話か?」
「マジだよ、大マジ!何ならマルフォイにも聞いてみる?
あいつと一緒のときにクルックシャンクスに追いかけられてるの見たんだもん」
「いや、俺らとしてはスキャバーズよりどうしてがマルフォイなんかと一緒だったのか、
っていう話の方が気になるんだがなあ、お嬢さん?ハッフルパフはもう飽きたのか?」
割り込んできたフレッドが真剣な顔で言う。
その迫真の演技に文句を言うことも忘れ、は呆れて笑った。
手で口元を押さえながらくすくす笑っていると、不意にまた手首を掴まれた。
今度は本気で心配そうな顔をしたジョージだ。
「どうした、これ?」
「えー…っと。話せば長い話なので、また、今度…!」
くるっと身体を翻すが、がっちり掴まれていて逃げ出せない。
「マルフォイか?」
「うー…半分イエス、半分ノー!」
何だよそれは、と呆れた口調で返される。
だから話せば長いんだってば!とはおどけて言った。
その隙を突き、は女子寮に向かって走り出した。
心配してくれるのはとてもありがたいけれど、が心配なのはハーマイオニーだ。
スキャバーズが『食べられた』ことになったのなら、ロンがハーマイオニーを責めないわけがない。
そしてきっとハーマイオニーも、クルックシャンクスを庇うだろう。
「ハーマイオニー、大丈夫?」
「ッ!」
3年生の部屋へ入ると、ハーマイオニーはクッションから顔を上げてを見た。
目を真っ赤にして、ぼろぼろと涙を零している。
「わ、わた、わたし、信じてたのに――のこと、クルックシャンクスのこと!
『食べるつもりはない』って、あ、あなたが言ったから、信じたのに!」
「ハーマイオニー、聞いて!」
「今度はなに?ま、またわたしを孤立させるの?
あなたはいいわよ、ロンに直接恨まれる立場じゃ、な、ないんだから!」
ぐいぐいとを部屋の外へ押し返し、ハーマイオニーが叫ぶように言う。
何度も「聞いて」と言うが、彼女には聞こえていないようだった。
「わ、わたしのことはもう――ほっといて!」
バンッ!と音を立てて、ドアが閉まる。
肝心なことは何も言えず、は立ち尽くしていた。
確かに、見たのに。
クルックシャンクスと、追いかけられてはいても生きているスキャバーズを。
はとぼとぼとと自分の部屋に戻った。
知っていることを伝えられないということ、
それを信じてもらえないということ、そのことはいかに辛くて重いのか。
無実の罪で12年も投獄されることが、改めて恐ろしかった。
←シーン55
オープニング
シーン57→