簀巻きにされてた旗から這い出した彼と、わたしの目が合う。

わん!、なんて言いながら、黒い大きな犬は楽しそうに尻尾をふった。
ちょっと「やってやった!」な感じだったわたしの気分は一気に急降下する。



「………で、何しにきたの?」



こうなった原因が自分だってわかってるのかなんなのか。
呆れかえったわたしの視線を浴びて、ようやく犬は人間の姿に戻った。











  シーン59:しろくろ大作戦 1戦目:女子ヲ貫ケ!











「何って…ネズミ、を、」

「そりゃここに来たってことはそうなんだろうけど!
 でももっと違う方法なかったの?もっとこう…こっそりするとか!」



シリウスは慌てて人差し指を口元にあてて『静かに』というジェスチャーをした。
いまこの部屋にはひとりしか居ないはずなのだ。
もし誰かがこの部屋の前を通ったとき、会話する声が聞こえてはまずい。

はパチンと右手で口元を覆い、ついでに左手でさらに蓋をした。
そのまま顔を横向きにして、耳を扉にくっつける。誰かが近くにいるような気配は、ない。



「…………すまない」

「……反省してるなら、もうこんな危ないことしないでよ」



ヒソヒソと、ふたりは小声で会話する。

今回の状況はシリウスにもにも、双方にとって危ないものなのだ。
彼はもう少しで捕まるところだったし、この部屋に居るのだっていつバレるか分からない。
で、彼を匿ったりしたのだと知れてしまえばどうなることだろう。



「………わたし、戻るから。
 ぜったい、ぜっったいここから動かないでよね!」



立ち上がりながら、は「ぜったい」を強調して言う。
シリウスは何も言わずにカクカクと頷いた。そして一瞬の後には大きな犬の姿になる。
は犬に再び真紅の大きな布を被せ、自分のベッドの下に押し込んだ。

生徒たちはみんな、談話室に集まっているようだ。
ひとり部屋に篭っていても『きっと怖かったんだろうな』くらいにしか思われないかもしれないが、
あの犬を外に放り出すタイミングをきちんと把握するためには談話室に居たほうが確実だ。

このままシリウスをずっと匿っているわけにはいかないのだ。
ホグワーツは全寮制、の部屋だってだけのものではない。
遅かれ早かれルームメイトたちに発見されるだろうし、掃除にきたしもべ妖精がうっかり目撃してしまうかもしれない。






!大丈夫?怖かったでしょ?」

「う、ううん、平気!もう大丈夫、ちょっとビックリしただけだから…」



が談話室に姿を現すと、ルームメイトたちがを取り囲んだ。
彼女たちは震えていて、いまにも泣きそうだ。

シリウス・ブラックの存在が、生徒たちを脅かしていた。
自分はみんなを騙している、不安にさせているんだと、は強く感じた。



(……ごめんなさい)



暖炉から離れた人の少ないところに座ろうとしたは、
皆に背を押されて結局暖炉のすぐ前、いちばん良いところに座らされた。
ひとりで凶悪犯と対峙してしまった一年生を、みんなが気遣っているのだ。



(ごめんなさい。でもわたしはママに、本当のことを知ってもらいたいから。
 だからシリウスがちゃんとママと話せるまで、このお芝居はやめられないの)



は膝を抱えて、そこに顔を埋めた。
フレッドとジョージが、を笑わせようとわざとらしい声で話し始める。

グリフィンドールの優しさが、いまのには刺さるほど痛い。







当然といえば至極当然なのだが、朝になってもシリウス・ブラック逮捕の一報がもたらされることはなかった。
談話室に戻ってきたマクゴナガルは、またもブラックが逃げおおせたと告げた。

実際には逃げたのではなく、グリフィンドール塔にいるのだし、
さらに付け加えるなら、のベッドの下で丸くなっているのだ。


きちんと朝食を食べに大広間へ来ている教師は少なかった。
きっと夜通しの捜索で疲れ果てているのだろう。

母が居ないだろうかと教師席を窺っていると、ダンブルドアの青い瞳とバッチリ視線がぶつかった。
やんわりとした柔和な老人の微笑みに、なにか見透かされている感じを覚え、はサッと視線を外す。
心臓がどくりと鳴る。何でもないような顔をして、はスクランブルエッグを口へとかき込んだ。

どうやら今回のことで、ロンとは注目の人となってしまったようだ。
どちらかと言えば凶悪犯に実際にナイフを突きつけられたロンのほうが悲劇的だろうか。
他寮生や、今まで話したこともなかったような同寮生たちがこぞって群がってくる。

は「ちょろっと目が合っただけだからよくわからない」と説明したが、
ロンはそれはもう劇的に「そこでアイツがナイフを持って――スパッ!」などと話している。
は『スパッとされてやしないじゃないか』という反論を胸の内にしまうのだった。


ひとりで出歩かせてはまたブラックと遭遇するとでも思われているのだろうか、
がそろりと集団から抜け出そうとすると、必ず連れ戻されてしまう。
「わたし、ちょっとお手洗いに」「あらじゃあ私も」という会話をこの数時間だけで何度繰り返しただろう。

はどうしてもひとりで寮の自室に戻りたかった。戻らなければならなかったのだ。
理由は先述の通り、あの犬を外に放り出さなければならないためである。


それでもそんな状況下で唯一の利点であるのは、生徒たちが談話室で固まって動こうとしないことだった。
少なくとも、うっかりたちの部屋に入られ、不審な犬を見かけられるという心配はしなくて済む。

「ねえ、ブラックってどんな外見だったの?
 アズカバンをむりやり脱獄しちゃうくらいだから、やっぱり筋肉お化けみたいな感じ?」
「だからぁ、デレク、わたしはほとんど見てないんだってば。
 そういうのはロンに聞きなよ。喜んで教えてくれるんじゃない?」

談話室に居たら居たでこういった会話をこなさなければならないのだが、
それもシリウス・ブラックの逃亡劇に一役買っている以上は仕方の無いことだ。
いっそここで『すっごいマッチョだったよ』とでも答えておけば、人相書きが修正され、
本人がすぐ傍にいても気付かれなくなるかもしれないと一瞬思ったが、さすがにマズイかと曖昧に否定した。


そのまま朝が昼になり、昼が夕になる。


ほんの一日前はクィディッチに夢中になり、その勝利に酔いしれていたのに。
主にグリフィンドール生たちはそれこそ『暗いの日曜日』を味わい尽くす結果となった。

そしてまた夜更けがやって来て、ヒトを睡眠へと誘う。
生徒たちは同部屋ごとに集団になって寮へ戻って行った。

レポートを仕上げられなかったとか、親へ手紙を送り損ねたとか、
階段を上る女の子のおしゃべりの隙間を縫って、の意識は自分のベッド下に向かうのだった。


(どうかあの犬がちゃんと隠れていますように!)
(尻尾だけはみ出てたとかいう事になってませんように!)


断罪されるかのような気分で、は自室の扉を開けた。
目の前に展開する光景には何もおかしなところはないし、尻尾の影もない。

はホッと息をついた。が、



「――ねえ、なにか動物のにおいがしない?」

「そう?ロミルダの気のせいじゃない?」

「でも私、においには敏感なのよ!
 ねえ、は何かにおわない?」



すぐさまベッドにごろりと横になったは、思わず飛び起きた。
ブラシで髪を梳いているロミルダや他の女の子たちの視線がいっせいに向けられる。



「えっと、あ……も、もしかしてコレかなあ!?」



はとっさに手近にあったタオルを掴み、みんなからよく見えるように掲げた。



「う、うちの実家で飼ってる犬がよく咥えて遊ぶタオルなんだけど、
 クリスマス休暇のときに間違えて持ってきちゃったみたいで!
 えーと、えー…2ヶ月もトランクに仕舞ってたから、腐っ…たわけじゃなくて、」

の家は犬を飼ってるの?」

「そうそう!黒くて、大きくて、実はクマなんじゃっていう感じの…
 ま、まあ番犬みたいなもんかな?バカだけど!」



本人が真下で聞いていると分かってはいても、の口はすぐには止まらなかった。

彼女たちから「へぇ〜」と感心する声があがり、はひとまず胸を撫で下ろす。
まさかロミルダの鼻がそんなに利くとは思ってもみなかった。



「ねえ!そのワンちゃん、なんていう名前なの?」

「な、なまえっ?」



の脳裏にはイギリスマグル界において一般的な犬の名前が字幕のように流れ出す。
サム、スポット、ピップ、デューク、パイパー、トリクシー、ポリー…
いや待てトリクシーとポリーはメスの犬の名前だ。

しかし魔法界でもそんな名前が使われているのだろうか?
別に「ママがマグルだと思ったら実は魔女だった」というところまでは話しているので、
犬にマグル風の名前がついていても何ら不自然ではないはずだ。

それでも、「うちのママは変だ」というのも、友人には話して聞かせたことがある。
『変なママ』が、『普通の名前』をつけることを良しとするだろうか?

突拍子の無い、しかし確固たる信念をもって、は『変な名前を言わなければ』という思いに支配された。
本人に指摘すれば嫌がるだろうが、これは確実にの性質を継いだのだろうと言える。


「ス、スナッフル、ズ!」

「スナッフルズ?変わった名前ね」

「で、でしょ!?あの、ほら、おバカだから!
 だからどこにでも鼻つっこんでフンフン言ってて」



シリウス・ブラックが犬の姿をとっている時のことを思い浮かべて。
彼がその姿のときにしたことで、一番印象が強かったこと。

それは、まだ彼がのことをただの仔猫だと思っていたハロウィーンのころ、
グリフィンドール塔侵入計画を打ち明けた彼がの白い体に鼻を寄せてきたときのことだった。
あれは動物どうしのコミュニケーションの中でも、信頼を表す行為。
まっすぐに自分を信頼してきた彼だから、は協力することに決めたのだ。


しかし気付けば、そんな美しい思い出は笑い話になってしまっていた。
もっとこう、深い意味があるみたいな方向に持っていけばよかったと思っても、もう遅い。
彼女たちはそんな犬の姿を想像したのか、きゃいきゃい盛り上がっている。



「そのワンちゃん、とってもかわいいわ!
 夏休みにの家に遊びに行ってもいい?」

「も、もちろん!どんどん来て!」



は半ばヤケになりながら、笑顔で言う。
ここまで来たからには、ウソのひとつやふたつ増えたところで引き返せない。

きっと足元では命名スナッフルズがしょぼくれているだろうというのは、あまりにも容易に想像できるのだった。



















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ワンコの名前ランキングは↓のサイトさまを参照させていただきました。
http://petlove.bz/columm/dogname.html