『バックビークの訴訟はハグリッド側の敗訴に終わりました』


なんで?どうして?
だって、バックビークは何も悪く無いのに?


『その場で処分されるのだけは阻止したのですが』


じゃあ、ママが何も言わなかったら、その場で処分されてたってこと?
魔法界の裁判ってそういうものなの?そんなわけない、そんなこと、許されない。


『他の部分ではルシウス・マルフォイの思惑通りです』


マルフォイ。
またこの名前。どうして、どうしていっつも、


『控訴裁判は期末試験後の予定です』


チャンスが無い、わけじゃ、ない。けど。
今回の裁判のためにいっぱい調べたのに、これ以上ないってくらい準備したのに、


『不甲斐ない結果になってしまってごめんなさい』


そんなのって、ない。











  シーン64:バッジャー・グラティチュード











その手紙を読み終えたとき、はわき目も振らずに走り出していた。
談話室を横切り、“太った婦人”を押しのけ、玄関ホールへ向かう。

無意識のうちにハグリッドとバックビークに会いに行こうとしていたことに気付き、
階段の途中では転びそうになった。今行ったところで、彼らはまだロンドンだ。
ならばまず、誰よりもこの結果を知るべきハーマイオニーに教えなければ。


玄関ホールには、ホグズミードからの帰城組がちらほらと居た。
みんな買い物袋を持ってニコニコしているが、あいにくはそれに付き合う余裕は無い。

人ごみを掻き分けるように、ハーマイオニーを探す。



「あの、グリフィンドールのハーマイオニー・グレンジャーを見てないですか?」

「グレンジャーさん?さあ、見てないけど」



ありがとう、とお礼を言って、はまた別の方向に人ごみをすり抜ける。
ハーマイオニーの特徴的な髪を目印に周囲を窺うが、あのふわりとした髪は見えない。

まだホグズミードに居て、これから帰ってくるのかもしれない。
それにもしかしたら、ハグリッドから直接連絡が行くかもしれない。

そう考える冷静な自分も心中にはあったが、どうしてもじっとしていられない気持ちの方が強かった。



「あのっ、ハーマイオニー・グレンジャーを――」

「あれ…?」



がイエローのネクタイをした集団のひとりに話しかけたとき、
その集団の反対側から聞き覚えのある声がした。

グレーの瞳に、整った顔立ち。
条件だけを見るなら若かりし頃のシリウス・ブラックにも匹敵する青年が、を見ていた。



「セドリック」

「そんなに慌ててグレンジャーさんを探して…何かあったの?」



はぶんぶんと首を振った。
セドリックが予想しているだろう、誰かが倒れたとかそういう話ではないのだ。

は手の中に持っていた手紙を握り締めた。
ぐしゃりと、音がする。



「あの――あのね、バ、バックビークが……負け、ちゃって」



瞳の奥のほうからじわりじわりと涙がせり上がってくる。
は俯いて、情けない顔を見せないようにしようとした。



「こ、控訴があるから、まだ取り返しがつかないわけじゃないんだけどっ、
 でも――でもけっきょく、セドリックのい、言ったとおりだった……!」



“言いたくはないけど、相手が悪すぎると思う”

   じわり、

“正しいから勝てると思っていたら”

                  じわり、

“予想もしない結果になるかもしれない”



ぼろり



堪え切れなかった涙の粒が、大理石の床に落ちた。
セドリックは困ったように友人たちと顔を見合わせ、の腕をそっと引いた。

は右手にからの手紙を握り締めたまま目元をこすり、
左手をセドリックに引かれるがままに、よたよたと歩いた。


相手が悪かった、その通りだった。ほんの子供に、マルフォイという権力は大きすぎた。
正しいと信じていた。だから大丈夫だと思った。思っていたかった。
不条理な現実に正義が負けるなんてことは、この世にはありえないと言って欲しかった。

だって、勝つのはいつも正義の味方なのに。
最後はハッピーエンドが、お約束なはずなのに。



「わたしたちが、こどもだから?わたしがお嬢さまじゃないから?
 だ、だからバックビークを、助けてあげられないの?」

「違うよ、そうじゃない。助けてあげたいって思うことは誰にでも出来るけど、
 本当にそれを行動に移せるひとっていうのは、とっても少ないんだ」

「でも結果がコレだもん、ちがうの、こんなんじゃイヤなの、
 無罪にしてあげたかったのに、意味、なかったっ――」



人通りの少ないところまでを誘導し、セドリックは手を離しそうとした。
しかしは、まるで見捨てられるかのような感じがして、ぎゅっと握り返した。
見捨てられて、そしてバックビークのように問答無用で切り捨てられるような気がしたのだ。



「意味が無いわけない。諦めさせようとしていた僕なんかより、ずっと立派だと思うよ」

「立派じゃ、ない!立派だったらバックビークを、こんな、」

「立派だよ。きみは素晴らしいグリフィンドール生だ、・アンドロニカス。
 だけどきみはまだ1年生じゃないか、出来ないことがあっても当然なんだよ」



聞き分けの悪い子を宥めるように、セドリックはゆっくりとに言い聞かせる。
その声は落ち着いていて、大人っぽくて。
それでもきちんと優しくて、はまた俯いて涙の粒を落とした。

まだまだ反論したいことはあったけれど、彼の意見はとても現実味があった。
はまだ1年生で、まだ12年かそこらの年数しか生きていなくて。
それなのに大人でも不可能に近いことをやろうとしていたのだ。

無謀とか、短慮とか、そういう悪い意味ではなく、はまだ子供なのだ。


すると、困惑するセドリックの背後から、数人分の足音が近付いてきた。
は顔を上げた。いやな予感がした。



「あれはポッターだった、絶対だ!きっとどこからか忍び込んだに違いない。
 じゃなきゃあんな風に―――おい、ハッフルパフがそこで何をしているんだ?」



いつものように取り巻きを引き連れたその人物はドラコ・マルフォイであった。
ただしいつもなら撫で付けている薄い金色の髪は、今は風呂上りのようにサラサラと靡いている。

一瞬、「誰だこの偉そうな小さいのは」という顔でとセドリックは顔を見合わせた。
しかしこんなに偉そうな、しかも緑のネクタイというヒントがあれば、正解はすぐに見つかる。



「おや、誰かと思えばディゴリーじゃないか。
 監督生のくせに女を泣かせるなんて、どういうつもりだい?」

「いちいちうるさいのよドラコ・マルフォイ!どっか行って!」



がセドリックの影から噛み付くように言うと、ドラコは驚いた顔をする。
ずかずかと歩み寄ってくる姿は、今のには怒りの対象にしか見えない。



「驚いたな、。こんな奴といると鈍間が伝染するぞ。
 きみはもう少し付き合う人種を考えたほうがいいんじゃないか?」

「セドリックはアンタなんかより遥かにマトモな人よ!
 アンタなんてどうせ、どうせバックビークに逆恨みするしか出来ないくせに!」



その言葉に合点がいったように、ドラコはニタリと笑う。
は手紙を握ったままの右手を振り上げ――振り下ろす前に止められた。

以前にバスケットで殴られたことで学習したのだろうか、
ドラコはの手首を掴んで攻撃を止めると、「はしたないねえ」と嫌味を言う。



「はな、はなして、ばか!きらいだ、あんたなんか、だいッきらい!」

「僕にそんな口の聞き方をしていいのか?」

「た、たかが13歳のくせに威張ってんじゃないわよ!
 ばか!知らない!もうはなしてってば!」



は腕を振りほどこうともがいた。
そして必死にもがけばもがくほど、ドラコとの距離は縮まっていく。



「―――嫌がってるんだから止めたらどうだ、マルフォイ」



ドラコの手からを解放したのは、セドリックだった。
これが2年分の体格差なのだろうか、彼はいとも簡単にドラコの手を外してしまう。

邪魔をされたドラコは不機嫌そうに後ろの子分たちに顎をしゃくる。
子分たちはずいっと前に出てくると、ぼきぼき指を鳴らした。



「おとなしく寮に戻るんだ、マルフォイ。クラッブ、ゴイル、きみたちも」

「僕がハッフルパフの庶民なんかの言うことを聞いてやる義理がどこにあるんだい?」

「僕は監督生だ」



セドリックは強い口調で言う。
は再び、ドラコから逃げるようにセドリックの背後に隠れた。

ドラコは苛立たしそうな顔でセドリックを睨み、次いでを見た。



「マルフォイ、監督生の言うことが聞けないならスリザリンから――」

「うるさいな。誰も聞かないとは言っていないだろう」



手下にアイコンタクトをして、ドラコと巨体の2人は元来た道へ引き返していく。

振り返りざまのドラコの目が『憶えておけよ』と言っていたような気がして、
はセドリックの背中に隠れながらベーッと舌を出して見せた。



「セドリック――あの、ごめんなさい、わたし、ついカッとなって……」

「いいんだよ、そんなこと。僕は監督生だし。
 それに、僕のことを庇ってくれたんだから、お互いさまだよ」



「ただし次は気をつけてね」と言い、セドリックはの頭をぽんぽんと軽く叩く。

自分がドラコに言った暴言があまりに幼稚だったことを思い出して、
は恥ずかしさの余りに俯いた。『ばか!』なんて言ったのは久しぶりだ。



「ハッフルパフは何回もグリフィンドールに助けてもらったことがある。
 だから僕は――僕たちはみんな、の味方だよ」



俯いたまま、は大きく頷いた。
「ありがとう」という言葉と一緒に、大粒の滴がまたしても零れた。



















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