「さあさあ、お嬢さん、もう気は済んだかね?おとなしく寮で待っているんだよ。
 ハリーたちにもそう言っておいてくれ、決して許可なく城から出ないこと!」



大臣はそう言って、ハグリッドの小屋のほうへ歩いていく。
一緒に居るのは黒い髭の、斧を携えた男。

裁判はハグリッドの小屋でやるんだろうか?
それとも別のところでやるから、迎えに行くんだろうか?

わたしはママのマントの裾を、ぎゅっと握った。











  シーン69:本日、試験日和にて 3











談話室に戻ると、ハリーたちは居なかった。
今まさに、最後の試験を受けているのだろう。確か『占い学』だったはずだ。

歯噛みするようなもどかしさで一杯だった。
スキャバーズが居た。ハグリッドの小屋に居た。
それを一刻も早く伝えたかった。シリウスに、ハリーたちに。


試験のあとそのままハグリッドの小屋へ行ったので、筆記用具は手元にある。
しかし試験が終わった生徒で溢れかえっている談話室で、指名手配犯に手紙を書くわけにはいかない。

はひとまず自室に戻ることにして、女子寮への階段を駆け上がる。
幸いにも、ルームメイトたちはひとりも居なかった。

机に向かい、羊皮紙の切れ端を探る。
インクの瓶に羽ペンをつけるのが面倒だったので、実家から持ってきたボールペンを取り出した。
こういうときにマグル製品の便利さを思い知るのだった。



   スナッフルズ、
   さがしもの見つけたよ。ハグリッドの小屋。




30秒ほどでそれを書きなぐり、ローブのポケットに入れた。
ハリーたちへはメモを残そうかと思ったが、やめた。

ロンには悪いが、スキャバーズが彼の手元に戻ってはまた面倒な追いかけっこが始まってしまう。
それならいっそ先にネズミの正体を暴いてしまうほうが手っ取り早いではないか。

渡すべきものは出来上がった。
あとは手段だ。やはりクルックシャンクスに頼むべきだろう。


は今度は階段を駆け下り、オレンジの毛玉を求めて談話室中を探った。
クルックシャンクスにこのメモを渡して、それで、次に何が出来るだろう?
シリウスから返事は来るだろうか?彼は書くものを持っているのだろうか?

しかしそんな疑問は後回しだ。
とにかく、今は状況を伝えることが最優先なのだから。







クルックシャンクスは意外とすぐに見つかった。
もしかしたらを待っていたのではないかと思うほどタイミングよく現れたのだった。

はクルックシャンクスを両腕に抱え、玄関ホールへ向かった。
城から出るなとは言われているが、玄関まで行ってもいけないとは言われていない。



「いつものところに、お願いね」



羊皮紙の切れ端をクルックシャンクスの口に咥えさせ、窓から出してやる。
クルックシャンクスは潰れた声で「んにゃぁ」と鳴き、森の方へ駆けて行った。

さて、さしあたりすることが無くなってしまった。

すると都合よく、の身体は空腹を思い出した。
14時を過ぎたというのに、そういえばまだ昼食を食べていなかった。


は足を動かし、厨房へ向かう。
きっと遅めの昼食を食べ終わるころには、シリウスから何かしら返事が届くだろう。















「ヒッポグリフが見えます」



ハリーは塔のてっぺんの蒸し暑い教室の中で、水晶玉を覗き込みながら言った。
トレローニー先生は囁くように「まあ!」と言って関心を示したが、実のところでっち上げである。



「よーくご覧なさい、あなた……ヒッポグリフの様子を…
 もしかしたらあなたはハグリッドと魔法省の揉め事の行方を見ているのかもしれませんわよ。
 さあ、心の眼を開いて……ヒッポグリフの首は、まだ繋がっていて?」

「はい」

「ほんとうに?ほんとうにそうかしら?もしかしたら地面でのたうちまわる姿が…
 その後ろで斧を振り上げている黒い影が…泣いているハグリッドが見えませんこと?」

「いいえ」



ハリーは吐き気を抑えながら言った。
その吐き気が教室の蒸し暑さのせいなのか、トレローニー先生の不躾な問い掛けのせいなのかは分からない。
ただ、一刻も早くこの教室からおさらばしたい、その思いがあるだけだった。



「ヒッポグリフは元気そうです。それに、飛び去ろうとしています」

「まあ……それではここまでにいたしましょう。少し残念ですけれど…
 でもきっと、あなたはベストを尽くしたのでしょうからね……」



トレローニー先生は明らかに残念そうな調子で言った。
ハリーはホッとして立ち上がり、カバンを掴んで出口へ向かった。

その時、聞いたこともない野太い声がハリーの背後から聞こえてきた。





事は今夜起こる。今夜、真夜中になる前……
 闇の帝王の召使いはその鎖を解き放ち、再び主人の元へ馳せ参ずるであろう。
 鍵を握るは古の黒き血の姫…相対せし時、木星は動く。今夜…真夜中前…闇の…帝王が…






バッと振り返ると、引き付けを起こしでもしたかのようなトレローニー先生の姿が視界に入る。
目を見開き、口をだらしなく開け、肘掛け椅子に座ったまま硬直している。

やがて先生の頭がガクッと前に傾き、胸の上に落ちた。
すぐに呻くような声が聞こえ、トレローニー先生は再び顔を上げる。
しかしもう先ほどまでの様子とは違い、いつものような声で「失礼、ついウトウトと」と言うだけだった。



「先生はいま…闇の帝王の召使いが帝王のもとに戻ると……そうおっしゃいました」

「あたくしが?闇の帝王とは『あの人』のことでございましょう?
 いくらなんでも、あたくし、そこまでとてつもないことを予言いたしませんわ!
 きっとあなたもウトウトしたのでしょう、この暑さですからね。さあ、お戻りなさい!」



追い出されるように、ハリーはハシゴを降りた。
今のは一体何だったのだろう?本当にヴォルデモートのことを予言していたのだろうか?
それとも、試験の最後を演出するための、トレローニー先生なりの冗談だったのだろうか?
召使い……今夜、真夜中になる前……鍵を握る黒き血の姫……


その疑問を何度も何度も反芻しながら、ハリーは談話室に戻った。
談話室にはもうほとんど誰も居ない。試験からやっと解放されたので、校庭で遊んでいるのだろう。

隅っこの方には、ロンとハーマイオニーが居た。
ハリーは2人に先ほどのトレローニー先生の奇行を報告しようとしたが、
2人の顔があまりにも沈んでいるのに気付き、ハッと口を噤んだ。



「バックビークが負けた……日没に処刑だ」















厨房から出たとき、はこの上ないほど満ち足りた気分だった。
昼食の残りでいいと言ったのにしもべ妖精たちはわざわざ新しい料理を作ってくれた。
多少時間はかかったが、できたてに優るほど美味しいものはない。

このまま昼寝でもできたら、さぞかし有意義な一日になるだろう。
しかしそんな甘い夢想は、きちんとお座りで待機していたクルックシャンクスの姿を受けて、ふっ飛んだ。

そうだ、あのとろけるプリンのせいですっかり忘れてしまったけれど、
いまはシリウスからの返事待ちをしているところだった。



「ク、クルックシャンクス!ごめん、ごめんね!
 どうだった?あのおじさん何か言ってた?……あ、これ、返事?」



はクルックシャンクスが咥えていた羊皮紙を受け取る。
自分が書いた文面の裏に、掠れたインクで文字が綴られていた。



   了解した。時機を見て、この猫と一緒に捕獲する。
   ハグリッドは何やら泣いているようだったが、何かあったのか?
   とにかく、今は人が多くて侵入出来そうに無い。
   この羊皮紙は読んだら燃やせ。危険だから、来るんじゃないぞ。






(―――ハグリッドが…泣いてた?)



何度か繰り返し読んだが、その一文がの心に引っかかる。
胸のあたりで、何かがざわざわと騒いでいるような気がした。

何があったんだろう?
といっても、いまこの状況ではバックビークの裁判以外に思い至らないが。
嬉し涙だったのだろうか、それとも悔し涙だったのだろうか?



(―――…行かなきゃ、わたし…ハグリッドも、シリウスも…)



行きたい。
行って、なにがあったのか、なにが起こるのか、この目でちゃんと見たい。

蚊帳の外に置いていかれるのはいやだ。
また裏切られたような気分になるのは、いやだ。


だけど、許可なく城の外に出てはいけないとあれほど言われている。
もしまた勝手に行動したのがバレたら、今度こそに愛想を尽かされてしまうかもしれない。



(―――でも……)



にゃあ、と、クルックシャンクスが鳴いた。
そのオレンジ色の毛玉のような身体を、立ち尽くすの両足にこすりつけてくる。

クルックシャンクスは何を言おうとしているのだろう?
励ましてくれているのか、それとも来るなと言っているのか。
も猫だったら、何が言いたいのか聞くことができるのに。


ネコ、だったら。





「あ!!」





そうだ、だったら、ネコになればいいんだ。

それなら城を抜け出しても擬態のほうが誤魔化してくれるかもしれないし、
ネコの姿だったら、ネズミを追いかけるのに役に立てるかもしれない。
にはバレるかもしれないが、逆に言えば以外にはバレないのだ。


はグリフィンドールの寮に向かって走り出した。




















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