いったい、誰がバックビークを逃がそうとしているんだろう?
ダンブルドアもママもあっちに居たし、スネイプ……なわけはないし。
あ、もしかしてルーピン先生。とか……
「――バックビーク、来るんだ。おいで。助けてあげるよ……」
だけど、綱をほどこうとしてるのはその誰でもなくて。
黒い髪に、眼鏡をかけた、正真正銘のハリー・ポッターだった。
え、あれ、なんで?
さっきハグリッドのところから出て行ったんじゃないの!?
シーン71:黒き血の姫 1
は目を疑った。
少し前に確かにハグリッドの小屋を裏口から出て行ったはずのハリーが、そこに居た。
Uターンして戻ってきたのだろうか?
しかしそうなのだとしたら、たちが目撃していたはずである。
更に周囲を観察してみると、なんと木陰にはハーマイオニーも隠れているではないか。
しかも2人とも、妙にボロボロな格好をしている。
この短時間でどうしたらそんなに怪我や泥をつけることができるのだろう?
そもそも、ロンはどこに行ったのだろう?
は事態を飲み込めないままその光景を見ていたが、ハッと我に返った。
小屋のほうからは、処刑の証文を読み上げる声が聞こえてくる。
ハリーはバックビークを動かすのに必死だが、バックビークは動こうとしない。
ならば、がいまやらなくてはいけないことは、たったひとつだ。
は小走りにハリーに駆け寄り、その背中を駆け上がった。
ハリーに驚く暇も与えず、は彼の肩に前足をかけてバックビークを見つめる。
( バックビーク、わたしよ。。わかる?
あのね、わたしたち、あなたを助けに来たの。ハリーの言うこと聞いてあげて? )
「!?」と、ハリーの驚いた声がの耳に届く。
聴力が過敏になっている状態なので、そんな大声を出されると鼓膜が破れてしまうかと思った。
いや、それより、ハリーはどうしてこの姿をだと分かったのだろう?
( ハグリッドのところに居たいのよね?それは分かるわ。
だけどこのままここに居たら、大人の勝手な都合で、二度と会えなくなっちゃうの。
それだったら、いまは一旦引いて、また今度会いに来れるほうがいいでしょう? )
の説得に応じたのか、バックビークはノロノロと動き出した。
ハリーはホッとしたように手綱を握り、ハーマイオニーの待つ方へと誘導する。
小屋から聞こえてくる声は、まもなく処刑に合意する署名が済んでしまうことを告げる。
あと5メートル…3…1……最後は駆け込むようにしてハーマイオニーのもとへ転がり込む。
は振り落とされそうになりながらもハリーの肩にしがみついていた。
ハーマイオニーはバックビークを見て安心したような表情になったが、
ハリーの肩にしがみつくをみてギョッとした顔になった。
「ハリー、止まって!隠れて!――って、!?」
「そうなんだ、ハーマイオニー。僕、どうなってるのか分からないけど…
きみ、だよね?どういうことなんだい?」
はニャアと返事をして、ハリーの肩から降りた。
( ごめん、説明は後でね! )と言ったつもりなのだが、バックビークにしか伝わっていないだろう。
木立のなかを隠れるように、はシリウスたちが行った方向を目指した。
背後からシュッ・ドサッという音が聞こえたが、振り返らなかった。
バックビークは無事だ。いまはただ、それだけが分かっていればいい。
*
シュッ、ドサッ、という、紛れも無い斧の音がして。
ハーマイオニーは蒼白な顔でよろめき、ハリーは頭の中が真っ白になり、
ロンはスキャバーズを抱えたまま立ち尽くしていた。
背後から、荒々しく吼えるような声が、ハリーの耳に届いた。
バックビークを看取ったハグリッドの声かと思うと、居ても立ってもいられなかった。
しかし引き返そうとすると、ハーマイオニーたちに止められてしまう。
透明マントを被ったまま、3人は城に向けて歩き出した。
葬式の参列に加わっているような気分だった。
スキャバーズは相変わらずロンの手の中で暴れている。
ロンがポケットに押し込もうとすると、噛み付いてまで抵抗するのだ。
思わず悪態をついてしまうロンを、ハーマイオニーが小声で諫める。
「いったいどうしたんだ、このバカネズミめ!
じっとしてろって――何をそんなに怖がってるんだ?」
「ロン、静かにしてちょうだい。
今にもファッジたちがここを通って城に戻るはずよ!」
その時、ハリーは気付いた。
地面を這うように身を伏せて、暗闇のなかで不気味なほど目を輝かせて。
3人の姿が見えるのだろうか、スキャバーズのキィキィと鳴く声を追ってきたのだろうか、
それは間違いなく、クルックシャンクスの姿だった。
「クルックシャンクス!だめ、クルックシャンクス、あっち行きなさい!
行きなさいったら―――クルックシャンクス!」
「あっ、スキャバーズ!」
スキャバーズはロンの指の間をすり抜け、ボトッと地面に落ちた。
そして一目散に逃げていくのを、クルックシャンクスがひとッ跳びして後を追う。
ハリーとハーマイオニーが止める間もなく、ロンはマントから飛び出した。
彼はスキャバーズの追いかけて、あっという間に黄昏の暗闇の中に消えていく。
残された2人は顔を見合わせ、大急ぎでロンを追った。
マントを被っていては全力疾走できないため、風に靡くのも構わずに走った。
「この猫!スキャバーズから離れろ!
離れるんだ――こいつめ!捕まえた!とっとと消えろよ、クルックシャンクス!」
「ロン――早く戻って、マントに――ダンブルドア…大臣…みんなが来ちゃうよ!」
腹這いになってスキャバーズを捕まえたロンが立ち上がる。
しかし3人が透明マントを被る前に、息を整える暇さえなく、大きな影が接近してきた。
ハリーは杖に手を掛ける――薄灰色の瞳をした、巨大な、真っ黒い犬だ。
犬は大きくジャンプして、前足でハリーの胸を打った。ハリーは仰け反って倒れる。
肋骨が折れたような衝撃を感じながら、クラクラする頭で立ち上がると、
今度はロンが犬に立ち向かおうと、両腕を広げて構えていた。
犬はロンの腕をバクリと噛み、人形でも咥えているかのように彼を引き摺っていく。
ハリーは犬に飛びかかろうとしたのだが、突然、何かに横っ面を殴られて引っくり返った。
杖明かりを灯し、ハリーは衝撃を受けた。
スキャバーズを追って、いつの間にか「暴れ柳」のところまで来ていたのだ。
*
( ちょっとシリウス何してるの!! )
シリウスやクルックシャンクスのにおいを辿って来たは、
そのあまりの光景に思わず大声(ニャアー!!)を上げた。
暴れ柳の下で、ハリーとハーマイオニーが額から血を流している。
2人が見つめる先には、ロンの腕に噛み付いたシリウス。
一体これは、どういう状況なんだろう?
ハリーとハーマイオニーとはハグリッドの小屋の近くで別れたはずなのに、
2人はよりも早くこの場に居て、さっきは居なかったロンがシリウスに襲われている。
シリウスはロンを柳の木の根元に引きずり込もうとしているようだ。
到着したときには半分ほど見えていたロンが、今では片脚しか見えない。
は根元に向かって走り出した。
ハーマイオニーがビックリしたように「?」と呟いた気がしたが、今は構っていられない。
腕をしならせるかのように、柳の太い枝が空を切る。
人間の姿だったら避けきれなかっただろうが、あいにく今のは小さな猫の姿である。
ひょいひょいとそれをかわすことはそれほど難しいことではなかった。
フックのように足を掛けてふんばるロンを踏み越え、
は柳の根元の空洞へ身を乗り入れたシリウスのもとへ辿りついた。
( ちょっと!ねえ!何してるの!スキャバーズは!?
シリウス、ロンを離して!折れちゃうよ!聞いてるの!? )
シリウスは答えない。
その口にロンの腕を咥えているので、唸ることしかできないのだ。
がニィニィと鳴く間も、シリウスは顎の力を緩めない。
やがて空を裂くようなバシッという音がして、ロンの体が転がり込んできた。脚がついに折れたのだ。
シリウスはロンをそのまま引き摺っていく。
ロンは激痛に喚きながら引き摺られていく。
はロンの自由な方の腕に擦りよりながら歩いた。
このトンネルはどこまで続くのだろう?
犬と、猫と、手負いの人間の奇妙な行進が始まる。
4階の魔女像のこぶからハニーデュークスへ行くときと同じか、それ以上に長い道のりだった。
トンネルが蛇行している様子はないので、きっとホグワーツの敷地は越えてしまっただろう。
やがて道は上り坂になった。ぼんやりと、夜目に光が届く。
薄暗い光でも、真っ暗なトンネルを歩いてきた瞳には眩しい。
長い道のりの果てにあったのは、朽ち果てた部屋だった。
壁紙は剥がれ、床は何かの染みだらけ。家具という家具は破壊されている。
どこか見覚えがあるような気がして、は部屋を見回した。
どこかで――いつか――見覚えが……
ハッとが気付いたときには、シリウスは人間の姿になっていた。
ロンはシリウスを指差し、ぱくぱくと口を動かして声にならない声を上げる。
「2度もきみに手荒な真似をしてすまないな、ロナルド・ウィーズリー…
たが、わたしの目的のために少しばかり協力して欲しい。
此処はそれにはうってつけだ――イギリスで一番、呪われた場所……」
シリウスはクックと噛み殺すように笑った。
なんという極悪人面だとは思った。
ハリーとハーマイオニーとクルックシャンクスはどうしているだろう?
無事にここまで辿り着くだろうか?いや、来ないほうがいいのだろうか?
シリウスはロンを小脇に抱え、2階へ続く階段を上った。
は踏み潰されないように注意しながら、シリウスの足元に続く。
この場所はまさしく、呪われた「叫びの屋敷」に他ならないのだった。
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