前ここに来たときには、すぐにママに捕まっちゃったんだっけ。
そんなことを思い出しながら、わたしたちは崩れ落ちそうな階段を上る。

シリウスはどこをどう歩けばいいのかよく知っているみたいだった。
前にもここに来たことがあるんだろうか?

ロンは荷物みたいに抱えられたまま、無事な方の脚をずるずる引き摺られている。
分厚い埃が積もっている床の中で、そこだけが掃除をしたみたいな縞模様になる。

ラッキーこれで足が汚れなくて済む!なんて、思ったり、して。(ごめんねロン!)











  シーン72:叫びの屋敷・乱闘篇











やがて、クルックシャンクスが2階のその部屋にやって来た。
とロンが丸まっているベッドの上に飛び乗ると、ゴロゴロと喉を鳴らす。

ロンは嫌そうな顔をして、ベッドから滑り降りた。
一時だってクルックシャンクスと同じところに居たくないのだろう。

の耳には、階下でわずかに床が軋む音が聞こえた。
クルックシャンクスが来たということは、ハリーとハーマイオニーが来たということなのだろう。
はわずかに顔を上げ、シリウスと視線を合わせた。
シリウスはロンの杖を取り上げ、ドアの近くに立つ。


次の瞬間、ドアがガッと蹴り開けられ、ハリーとハーマイオニーがロンに駆け寄った。



「――ロン、大丈夫?犬はどこ?」

「犬じゃない……ハリー、罠だ。
 あいつが犬だったんだ、あいつは、動物もどきだったんだ!」



ロンの言葉を合図にしたかのように、シリウスがドアをぴしゃりと閉めた。
落ち窪んだ顔でにやりと笑う姿は、まるで骸骨のようだ。

シリウスが「エクスペリアームズ」と唱えると、ハリーとハーマイオニーの杖が飛んだ。
2本の杖はやすやすと彼の手中に収まる。
シリウスは1歩ハリーのほうへ近付いた。その目はしっかりとハリーを見据えている。



「君なら、友人を助けに来るだろうと思った。
 同じ立場だったら、君の父親もわたしのためにそうしただろう。君は勇敢だ。
 先生の助けを求めなかった……その方がずっと楽だ、ありがたい……」

「ハリー、だめ!」

「ハリーを殺したいなら、僕たち3人を殺すことになるんだぞ!」



シリウスの言葉に逆上したのだろう、ハリーは殴りかかろうと身を乗り出した。
しかしそれはハーマイオニーが引っ張ったことで不可能になった。

ロンは血の気の失せた顔で立ち上がったが、すぐによろめいた。
それでも、ハリーの肩にすがりながら、弱々しくも激しい口調で言う。



「今夜殺すのは1人だけだ」

「なぜなんだ?ペティグリューを殺したときはそんなこと気にしなかっただろう?
 たくさんのマグルを――巻き添えにして。アズカバンで怖気づいたのか?」

「ハリー、だめ……お願い、黙って…!」

「こいつが――こいつが僕の父さんと母さんを殺したんだ!!」



ハリーはハーマイオニーを振りほどこうとしながら言う。
まるで映画を見ているようだと、は思った。
それくらい現実味の無い光景だった。指名手配犯、両親を殺された少年…――

ハリーは自力で引きとめようとする手を振り払い、シリウスに殴りかかった。
とっさのことで反応が遅れたのか、ハリーに殴られるなら仕方ないと思っているのか、
どちらかは分からないが、シリウスは発動させかけた呪文をハリーに発しなかった。

ハリーはシリウスの手首を捻り上げ、もう一方の拳でシリウスの横顔を殴り飛ばした。
殴られたシリウスの反対方向に、殴った反動でハリーが飛ばされる。

それでも彼は立ち上がり、シリウスの体を手当たり次第殴りつけた。
がつん、がつん、と、骨と骨のぶつかる音がする。
ハーマイオニーが悲鳴をあげ、ロンは「やめろ!」と喚いていた。


さすがにこれは止めなければと思い、はベッドから飛び降りた。
そして爪を立て、「もう遅すぎる…」などと呟いてハリーの首を絞めるシリウスの腕に飛びつく。

さすがに痛かったのだろう、シリウスは腕を離した。
しかしそれと同時に、ハーマイオニーの蹴りとロンの体当たりがシリウスを襲う。
はその衝撃で部屋の隅まで飛ばされてしまった。

の代わりなのか、今度はクルックシャンクスが乱闘に加わる。
引っ掻き、引っかかれながらも、ハリーはついに杖を掴み取った。
そしてシリウスを振り返り、まっすぐに彼の心臓へ向ける。



「わたしを…殺すのか、ハリー」

「お前は僕の両親を殺したじゃないか」

「ああ――否定はしない。しかし、君が……君がすべてを知ったら……
 ハリー、聞いてくれ。君は分かっていない。聞かないと君は……きっと後悔する……」



否定してくれよ、と、は床に転んだまま思った。
シリウスの選ぶ言葉はどれも悪人の発する言葉だった。これではハリーだって誤解してしまう。

クルックシャンクスはサッとハリーの傍を通り抜け、シリウスの体に飛び乗った。
心臓の真上に陣取る猫に驚いて、シリウスは「どけ」と腕を払おうとした。

ハリーは躊躇っているようだった。チャンスだ――は立ち上がり、ハリーの足元に擦り寄った。
ハーマイオニーがハッとした顔で「だめよ、ハリー!」と呟き、ハリーは蹴飛ばそうとしたのを止めた。


数秒、そのまま膠着状態が続いた。


さてここからどうやってハリーを説得しようかとが思ったとき、階下でまたしても軋む音がした。
誰かが居る。誰かが、あの柳の下のトンネルを通ってやって来たのだ。
いったい誰だろう?か、ダンブルドアか、それともスネイプか……?



「ここよ!私たち――2階にいるわ!!
 シリウス・ブラックよ!おねがい――早く!!」



ハーマイオニーも物音に気付いたのだろう、大きな声で叫んだ。
足音が駆け上がってくる。ハリーは杖を握り締めたままだ。

すぐに、ドアが勢いよく開いた。
蒼白な顔で杖を構えているのは、ルーピン先生だった。

彼は部屋中を見渡し、「エクスペリアームズ!」と唱えた。
ハリーの手から彼の杖が、ハーマイオニーの手から彼女とロンの分の杖が宙を飛ぶ。
ルーピンは3本とも器用にキャッチして、シリウスをジッと見た。



「シリウス、あいつは――あいつはどこだ?」



ハリーは横目でルーピンを見た。誰のことを言っているのかさっぱり分からなかった。
シリウスは無言のままだ。数回瞬きし、ゆっくりと手を上げた。
その手はまっすぐにロンのほうを指差している。指名されたロンは困惑するしかない。



「しかしそれなら、どうして今まで正体を顕さなかった?
 もしかして――もしかして君は、あいつと入れ替わりになったのか?
 わたしやや…ダンブルドアにも何も言わずに?」



シリウスはゆっくりと頷いた。
きっとこの中で、2人の会話の意味がわかるのはだけだろう。
ハリーは「どういうことですか?」と口を開きかけたが、声にはならなかった。

ルーピンが手を差し伸べてシリウスを立ち上がらせると、兄弟のように抱き合ったのだ。
シリウスの上に陣取っていたクルックシャンクスが転がり落ちるが、2人は気付いていない。


するとハーマイオニーが立ち上がり、ルーピンを指差して叫んだ。



「な――なんてこと!先生は…先生は、ブラックとグルだったんだわ!
 私…私、黙っていたのに、先生のためにずっと隠しておくつもりだったのに!」

「ハーマイオニー、落ち着いて……」

「僕は先生を信じてた――なのに、先生はずっとブラックの味方だったんだ!」



ハリーは恐怖ではなく、怒りで震えながら言った。
裏切られた。信じていたのに。ずっと先生は自分を騙していたんだ――……

ルーピンは困ったように「説明させてくれ」と言う。
しかしハリーたちは聞きたくもなかった。



「違うんだ、ハリー。この12年間、わたしはシリウスの友ではなかった。
 今、ここに来て、初めて真相がわかったんだ。説明させてくれ、ハリー……」

「ダメよハリー!騙されないで!この人、ブラックが城に入る手引きをずっとしてたんだわ!
 あなたの死を願っているの!だって、だってこの人―――狼人間なのよ!」



ざわついていた場が嘘のように静まり返った。
全員の視線がルーピンに向けられたが、彼は青ざめてはいるものの、いたって冷静だった。

は耳を疑った。
すべてのことを知っているつもりだったが、そこまでは知らなかった。



「ハーマイオニー、残念だけど、3問中1問しか正解じゃないね。
 わたしはシリウスの手引きはしていないし、ハリーの死を願ったこともない。
 ただ――わたしが人狼である、そのことは紛れも無い事実だ」



ロンがルーピンから距離を置こうとして立ち上がったが、痛みでまた座り込んでしまった。
ルーピンは心配そうにロンに近寄ろうとしたが、ロンはギッと睨みつけて拒絶の意を表した。

ハッとして立ち止まり、ルーピンは話題を変えるようにハーマイオニーの方を見た。
「いつ気付いたんだい?」と、口調は明るいが、どこか無理をしているように聞こえた。



「防衛術のレポート書いて……先生の症状が月の満ち欠けと一致してるって気付いて…
 それに、まね妖怪――先生のまね妖怪は月でした。だから……」

「それは…スネイプ先生が喜ぶだろう。彼は誰かに気付かせようとあの課題を出したんだろうからね。
 ハーマイオニー、君は、わたしが出会った君と同年齢の魔女の誰よりも賢い魔女だ」

「違うわ。私…私がもっと賢かったら、みんなに先生のこと話してたわ!」



ルーピンは落ち着いた口調で「先生方はみんな知っていることだ」と言った。
その言葉に、ロンが嫌悪感を露に眉を顰める。



「正気かよ?じゃあダンブルドアは、狼人間だって知ってて雇ったっていうのか?」

「そういう意見は先生方の中にもあったよ。しかしダンブルドアは、
 わたしが信用できると、ずいぶん苦労して説得してくださった」

「じゃあ――ダンブルドアは――間違ってたんだ!
 だって先生はずっとこいつの手引きをしてたんだ!!」



ハリーの叫び声は、まるで裏切られた子供が泣いているかのように聞こえた。

シリウスは部屋の隅のベッドまで歩いていって、片手で顔を隠しながらどさりと倒れた。
クルックシャンクスが心配そうに彼に近寄って喉を鳴らす。
もそちらへ行こうとして――ルーピンにひょいと掴み上げられてしまった。



「ハリー、わたしはシリウスの手引きはしていないよ。いま説明する。ほら、杖を返そう。
 だけどその為にはもう1人、ここに居なきゃいけないな――そうだろう、?」

がどこに――」



ルーピンはハリーたちの杖を投げて返した。
そして猫掴みしたに自分の杖を向け、「スペシアリス・レベリオ」と唱える。

( あっちゃー )と思いながら、はぎゅっと目を閉じた。
眩しい光がいっぱいになったかと思った次の瞬間には、ヒトの体であることを実感する。


急に目の前にが現れ、ハリーやロンは驚きで声も出ないようだ。
ロンはともかく、どうしてハリーまで驚いているのだろう?
だってハリーはこの柳に入る前、猫の姿のに「」と呼びかけていたじゃないか。



「あー……えっと……こんばん、わ?」



ニッコリ笑って誤魔化そうとするが、ルーピンは掴んだ襟を放してくれない。



「あのね、えっと……ルーピン先生は本当に関係ないの。
 だって――だってシリウスの手引きをしてたのは、わたしだもの」



打ちのめされたような顔で、ハリーがを見た。
はもう一度ニッコリ笑い、「…話、聞いてくれる?」と言った。

しかし、どこから話せばいいのだろう?
いまの発言は、まるでがハリーの命を狙っているような風に聞こえるかもしれない。



「じゃあ――じゃあ先生がブラックの手引きをしてなかったっていうんなら、
 どうしてこいつがここに居るってわかったんですか?」



どこから話せばいいのかということは、ハリーが解決してくれた。
彼はひとまずのことは保留にすることにしたらしく、ルーピンに訊ねた。



「地図だよ、ハリー。『忍びの地図』だ。そうとも、わたしはアレが地図だと知っている。
 使い方もね……ハリー、なぜなら、わたしが地図を書いたひとりだからだ。
 ミスター・ムーニー……それがわたしだ」

「先生が……書いた?」

「そこはまあいいんだ。とにかく、君たちがハグリッドの小屋に行くだろうと思い、
 わたしは地図で見張っていた。その通りだった。まあ、がの事は予想外だったが…
 きっと君たちは『透明マント』でも使っていたんだろうね」

「どうしてマントのことを…」

「ジェームズが使っているのを何度も見たからね。
 それで、ハグリッドの小屋から城へ戻る君たちには、あり得ない同行者が居た。
 わたしは目を疑った。しかしあの地図はたったひとりの例外を除いて嘘をつかない…」

「誰も一緒じゃなかった!」



ルーピンは首を振り、ロンに近付いた。



「そのうち、シリウス・ブラックという名前が柳の下に君たちのうち2人を引きずり込んだ。
 1人じゃない、2人だ。ロン、ネズミを見せてくれるかい?」



ロンは少し躊躇ったが、ローブからスキャバーズを取り出して見せた。
クルックシャンクスがシリウスの膝の上で唸る。もそれをジッと見つめた。



「ロン、そのネズミね、ネズミじゃないの。魔法使いなのよ。
 動物もどき。そこのシリウスみたいに、中身はオジサンなの」

、きみ…おかしいよ。だってこいつはただのネズミで――」

「違う。ネズミじゃないと言っているだろう。
 ピーター・ペティグリュー。それがソイツの名前だ」



シリウスの言葉に、場は今度こそ沈黙に包まれた。



















 ←シーン71   オープニング   シーン73→